署長室の男達/4
「続けると言ってもなあ……」
梅田署長に促された瓜生と呼ばれた高校生は困った様に頭を掻いた。
「現場見てきたんだろう? この刑事さんの大事な同僚とやらが襲われた現場に」
枕崎が青木に嫌みを言う。青木はもう完全にこのヤニ臭い男を無視している。
「行ってきましたけど……ただどんな所なのかなあと思って見てきただけですよ。おまわりさん達があれこれやってるのを遠くから覗いていただけです。だから特にこれといって……」
「何ぃ? お前が現場行って遅れると言うから俺はここでずっと待ってたんだぞ」
「それは枕崎さんが暇だからでしょ。ボクは名探偵じゃないんだ。現場見て犯人はあんただなんて真似はできませんよ」
「俺が暇だと? お前、自分が昨日何したか分かってんのか? あれも俺が揉み消してやったんだぞ」
「昨日? ああ、あの事ですか。知りませんよ。あれはボクじゃあないし。第一、あんな事する理由がない」
青木は何の話をしているのかさっぱり分からずただ黙って二人のやり取りを聞いていた。とにかくこの瓜生という男が木下が襲われた現場に行ってきたのは確かなようだ。
「理由がない? 俺は目立つような事はするなよと学校に行かせる時釘をさしたはずだ。それをお前は―――」
「まあまあ、二人とも。一体何の話をしているのかね?」
耐えかねた梅田が二人の間に割って入った。
「昨日の夜、坪井高校とかいう学校のそばの公園で不良グループが暴行を受けたんですよ。十五人がボコボコだったそうだ。救急車や警察も来て大騒ぎだったらしい。で、ここにいる瓜生がその連中に連れられて歩いているのを目撃されてるんです」
「朝学校行ったらその噂でもちきりですよ。いやあ、参りました。極力目立たないように学校に潜入してたんですが」
青木は思い出した。瓜生が着ている制服にどうも見覚えがあると思っていたが、木下と江津湖の聞き込みをしている時に確かに見たのだ。確か大野とかいう交番勤務の巡査と一緒の時だった。この薄い水色のシャツを着た高校生が声を掛けた青木から逃げるようにして自転車で走り去ったのだ。あの時はあの高校生の事が妙に気になっていたが、すっかり忘れていた。
(こいつがあの高校に潜入したって事は何か関係あるのか。ただの偶然か……。それより学校に潜入できるとか、一体こいつらは何者なんだ)
青木はぶつけたい質問が山ほどあったが、まだ黙って二人の話を聞いている。
「あそこはこの東署の管轄じゃない。北署の管轄だ。俺はわざわざ出張って県警にまで行って話つけてきたんだよ。余計な事するんじゃねぇ」
「それがあんたの仕事でしょ、枕崎さん」
「あ?」
「それに何度も言うようにあれはボクじゃない。まあ確かに二人ほど殴りましたが……正当防衛です。それで彼らは完全に戦意を失っていた。だから必要以上に殴る理由がない」
「後から来た誰かがやった……と」
それまで黙って聞いていた青木がやっと口を開いた。
「でしょうね」
瓜生もそれに同意した。
「理由は分かりませんがボクは坪井高校の不良連中に目をつけられてたみたいですね。こんな真面目なボクを、です。いわゆるシメるってやつですか。それでボクは公園へ連れていかれた」
「よっぽど連中の気に食わん事でもしたんだろ」
瓜生は枕崎を無視して続ける。
「相手は大人数だ。おっかないですよ、あれだけの人数に囲まれたら。だからボクはとりあえずグループのボスさえ抑えればば助かるだろうと……」
不良を怖がる人間がその中の親分をやってしまおうと考えるわけがない。青木も腕っ節は強かった方だからこの瓜生という男が相当喧嘩慣れしているのだと感じた。
「予想通り彼らは戦意を失い、ボクは急いで公園から逃げ出したわけです。だから今朝ボクが全員ボコボコにしたなんて噂になってるから驚きましたよ。中には病院送りにされたのもいるとか。先生連中に呼び出されたりするのはマズイと思ってすぐ学校から飛び出しました。そこの人に目立つなと言われてたんでね」
枕崎はふんと鼻で笑った。
「で、一人だったのか?」
「は?」
「だから公園にはお前一人が連れて行かれたのかと聞いてるんだ」
枕崎の表情は今までと違い何か脅迫めいた顔つきになっていた。
「……」
瓜生は黙ってしまった。
「答えろ瓜生。一人じゃなかったんだろ? 誰か一緒にいたんだな」
もう一人いちゃまずいのか、青木は枕崎の態度が急に変った事が不思議だった。そしてそれを隠す瓜生も、である。
「いやだなあ、枕崎さん。知ってるんでしょ? ボクが一人じゃなかったって。確かにいましたよ。ボクと同級生の子が一緒にね。でも彼はたまたま巻き込まれただけですよ。彼も運が悪かった。放課後ボクと話してるだけで仲間と思われたらしくてね。初めて人に殴られたと言ってました。何でも初めてってのはめでたいもんですが……」
「今回の件と関係してるのではないかね? 瓜生よ」
「さあ、それはどうでしょう?」
「お前は鼻が効くだろう。もうすでに目星はついてるんだろ? さっさと終わらせろ。これは命令だ」
枕崎に問い詰められる瓜生の真顔だったものが急に和らいだ。
「いやあ、この件はボクに任せてもらってるでしょう? 報告はちゃんとしますから黙っといて下さいよ」
柔らかな表情とは裏腹に瓜生の口調はきつい。
さっきまでは青木と枕崎が一触即発の状態だったが、今度は枕崎と瓜生がぶつかり合っている。青木と梅田はその様子を窺うことしかできない。
「そうだ、ちょうどよかった刑事さん。少し手伝ってもらえませんか。ここに居合わせたのも何かの縁です」
急に振られて青木は驚いた。枕崎の苛立ちは頂点に達しているようだ。
「瓜生、調子に乗るなよ?」
「調子に乗る? 乗ってません。色々とボクの不手際で御手数掛けた事は感謝します。でも―――」
瓜生が少し間を置いた。枕崎を見る表情が変わる。その鋭い目つきに青木は寒気すら感じた。
「―――それがあんたの仕事だろ」
ずっと高圧的な態度だった枕崎が、その瓜生の一言で不満げな表情ながら黙りこくってしまった。きれいな顔立ちながらその迫力は息を呑むほどだった。
枕崎と瓜生は上司と部下の関係なのだろうと思っていた青木は最早この署長室の状況がさっぱりつかめないでいる。何の話をしているのかも分からないし、自分がこの部屋へ何しに来たのかさえ忘れてしまいそうだった。
「さあ刑事さん、行きましょう」
「何?」
「一緒に行きましょう。話はそこからだ。署長さん、構いませんね?」
梅田の方も瓜生のコロコロ変わる表情に面喰っていたようだ。瓜生に話しかけられても、黙りこんでいる枕崎をじっと見つめていた。
「ん? ああ。君たちに協力するように上からも言われているからね。青木君、休暇は取消させてもらってもいいかね?」
もちろん青木に異論はない。話はよくわからない状況だが願ったり叶ったりである。とにかく青木は今何が起こっているのか、それを知りたいのだ。この少年について行けばそれを知ることができるのだろう。
「もちろんです。何でもやりますよ」
「うむ。内川君には私の方から話しておく。くれぐれも気を付けてくれたまえ」
「決まりだ。さあ行きましょう」
青木は頭を下げ、瓜生の後について部屋を出ようとした時、枕崎が煙草の煙を吹かしながら声を掛けてきた。よほどのチェーンスモーカーなのだろう。この数十分の間に吸った煙草の量は相当である。
「ああ、刑事さん。ひとつ忠告しておくよ」
呼ばれて振り返り枕崎を睨む。この男に嫌悪感を抱いていた事を思い出した。この男の吐く煙が嫌で堪らない。
「いいか。何を聞こうが、何を見ようが、絶対に口外しないことだ。それがあんたのためだよ」
青木はムッとした。一度不快感を覚えた人物には、何を言われても素直には耳に入らない。木下が襲われた事を屁とも思っていないこの男、どこの誰かも分らないこの男の言葉に耳を貸すほど暇じゃないのだ。一応刑事なのだから守秘義務くらい分っているつもりだ。
「俺は口は堅い方だよ」
それだけ言って失礼しますと扉を閉めた。
二人が出て行った署長室には沈黙と煙草の煙だけが残った。
「彼……彼は大丈夫だろうか」
梅田が机の上で手を組んだまま枕崎に尋ねた。
「彼? あの青木とか言う刑事ですか。さあ? どでしょう」
枕崎は空になった煙草の箱をくしゃりと右手で握りつぶした。
「なんにせよあまり首を突っ込みすぎない方がいいでしょうな。これまでそれで駄目になったヒトを何人も見てきましたからね。知らなきゃよかったと泣き言言っても後の祭りだ。私の知ったことじゃありませんよ。まあ瓜生の様子を見る限りもう何か掴んでいる様だ。時間の問題でしょう」
枕崎は立ちあがりううんと伸びをした。そして首をゆっくり左右に倒し、コキコキと骨を鳴らす。
「私も準備をしといた方がよさそうだ。これで失礼しますよ」
そういうと枕崎もゆっくりと席を立った。
「あの瓜生君は一人で大丈夫かね」
ドアノブに手を掛けていた枕崎がニヤリと笑う。
「ヒトはヒトの心配をしていたらいい。あいつは腹が立つ男だが優秀ですよ。あなたはここで報告があるのを待っていればいい」
そう言うと枕崎は署長室を後にした。
一人残った梅田が窓の外に目をやる。夕暮れにはまだ早いが厚い雲のせいか外は少し薄暗い。窓を開け、室内に溜まった煙草の煙を外へと解放した。雨の粒は小さくなっていて、濡れたアスファルトをシャーっと滑るタイヤの音が聞こえてくる。
「ヒト……か」
梅田はそう呟くと再び椅子の上に腰を下ろした。




