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署長室の男達/2

「そんなバカな」

 運転中の青木は苦笑いを浮かべた。医師の西岡の言葉を思い出しているのだ。


(まるで映画のドラキュラ―――)


 途中で遮ったが、西岡はこう言うつもりだったのだろう。

「そんなもの映画や小説の中の話だろうが。ありえるわけねぇ」

 そう思いたかったが、それを完全に否定できない自分がいる。

 大きな雨粒がフロントガラスを叩く。それを二本のワイパーが感情の荒立っている青木の視界を良くしようと懸命に動いている。

 気になっていた昨夜の内川の言葉、


(人を食料にする連中)


 西岡の発言と内川の発言、この二つがぴったりくっついてしまって、まるで滑稽無灯な話が現実味を帯びてくるのだ。

「こんなアホな考えが浮かんでくるとは、俺もとうとう焼きがまわっちまったか」

 青木の感情とリンクするように自然と車のスピードも上がってくる。

「はっきりさせねぇと……なあ木下」


 猛スピードで署の敷地に入り、駐車スペースなどお構いなしに車を乗り捨てた青木は一目散に捜査一課へと走り出した。

 署内の警官たちがやはり血だらけの青木を見て何事かと声を上げたが、そんなものは青木の耳には入ってこない。

 一段跳びで階段を駆け上がり、二階奥にある捜査一課の扉を勢いよく開けた。

 机に向かって仕事をしていた二人の同僚が驚いて顔を上げた。

「あ、青木さん……」

 青木は自分を呼ぶ声に見向きもしない。視線は捜査一課課長内川の座る方にしか向いていない。

 内川は自分の机に座って腕を組み、何やら考え込んでいるように一点を見つめていた。

「課長」

 青木の声にも内川は動じず、一点を見つめている。青木は内川の机の前まで来てもう一度呼んだ。

「課長……木下がやられました」

 青木の後ろの二人の刑事も仕事の手を止め、事の成り行きを見守っている。

 ようやく内川の視線が青木の方を向いた。座っているから青木を見上げるような形になっている。

「……聞いたよ」

「自分は今から署長の所へ行きます。休暇中の勝手な行動についての処分は後からお願いします」

 そういうと青木は内川に一礼して足早にその部屋から出ようとした。

「待て、青木」

 呼びとめられた青木は苛立って内川の方へ振り返った。

「待ちません。同僚がやられたんだ。黙っていられるわけがない。何が起こっているのか―――」

「待てと言ってるんだ!」

 室内はしんと水を打ったように静まり返った。内川のその強い口調に青木は何も言い返せないでいる。

「落ち着け、青木」

 内川の鋭い視線の前に青木はまるで蛇に睨まれた蛙のように固まってしまった。

「今のその状態のお前が行った所で話は混乱するだけだ。私も行こう」

 そういうと内川はゆっくりと立ち上がった。

 青木のそばまで来ると、内川は小さな声でこうつぶやいた。

「熱くなるなよ。熱くなったら負けだ」


 署長室まで向かう間、青木と内川は終始無言だった。

 あせりと怒り、それに不安が入り混じって激情していた青木を内川は柳の如く受け流した。署長室へ怒鳴りこむ覚悟だった青木は、冷静な内川にとりあえず治められた格好になっている。

 だがこの不可解な事件と何かを必死に隠そうとする警察上層部に対する不信感は、青木の中でふつふつとその爆発する時期をうかがっているのだ。

 署長室の前に付くと、内川はもう一度こう言った。

「いいか、熱くなるな」

 青木は何も答えず、署長室の扉だけを見ていた。まるでゲートが開くのを、今か今かと待つ競馬馬の様だった。

 内川が二つ扉をノックする。

「内川です。青木刑事を連れてきました」

 少し間を置いて中から声がした。

「入りたまえ」

 そう言い終わる前に内川は失礼しますと扉を開けた。

 正面に椅子に座った署長の梅田の姿がある。その手前のソファーにはあの時と同じ、江津湖の事件の捜査を命じられたあの日と同じようにスーツの男がどかっと腰を下ろしていた。

 白髪交じりで顔には深いしわがあり、腕にはなにやら高そうな時計をはめている。あの日にいたあの男で間違いない。署長室にあって、なにやら偉そうな雰囲気を醸し出しているこの男。

 男は青木を見ながら胸のポケットから煙草を取り出し火を点けた。

(こいつだ。この野郎が何か知ってやがるんだ)

 青木はこの男に対して声を荒げたい衝動を必死に抑えた。

 そしてあの日と同様、この煙草の男に不快感を抱きながら失礼しますと青木も内川に続いて部屋に入った。

 とっくの昔に煙草を止めて他人の煙草の煙も気にならない青木だが、どうもこの男の煙は虫が好かない。

「君は無事かね、青木君」

 署長の梅田が青木に声をかけた。すでに事の成り行きは耳に入っているらしい。

「私は大丈夫です。申し訳ありません。私の不注意で木下があんな事に」

「まったくだ」

 室内に低い声が響いた。声の主はソファーに腰を降ろしている煙草の男だ。

 梅田も内川も声の主を見返す。青木の方はというと、初めて聞く煙草の声の男に戸惑っていた。あまりにも突然に不意打ちのような形で声を出されたせいで、自分に対する発言なのかどうかも判断出来ないでいた。

 梅田が場を取り繕うように話を戻した。

「まあ無事でよかった。木下君の方も命に別状がなくて安心したよ」

「すいませんでした。処分はなんなりと受けるつもりです」

「当然だ」

 またしても煙草の男が横やりを入れた。

 署長の椅子に座る梅田、その正面に立つ青木、その青木と煙草の男の座るソファーとの間を遮るように内川が立っている。

 その内川も煙草の男の横やりに青木の顔色が変わってきている事に気付いた。もちろん梅田も例外ではない。

 なにせ梅田や内川は煙草の男の素性を知っているのかもしれないが、青木にとってはどこの馬の骨とも分からない男がいちいち横から偉そうなことを言ってくるのだ。

「今すぐクビになってもおかしくないんだよ。それくらいの事をやったんだ君は」

 青木はくるりと振り向き煙草の男を睨みつけた。ここで声を荒げて言い返さないだけでも丸くなったものである。昔の青木なら有無を言わさず飛びかかっていただろう。

(熱くなるな)

 内川のその言葉が青木の頭の中で繰り返し流れているようだ。

 だが煙草の男は続ける。

「あれだけ野次馬が出て大騒ぎになったんだ。事を揉み消すのも骨が折れるよ。我々の仕事を増やしてくれてありがたいもんだ」

「さっきからなんだ、てめぇは」

 限界だった。青木が男に詰め寄る。男はそんな青木に目もくれず、新しい煙草に火を点けた。

「どこの誰だか知らんがてめぇに言われる筋合いはねぇぞ。文句があるなら素性を明かせよ、この野郎」

「よせ、青木」

 内川が青木を制する。

「君の様な下っ端を相手にしてる暇は無いんだよ。下っ端は下っ端らしく大人しく言われた事を黙ってやっておけばいいんだ」

「こっちは大事な同僚がやられてんだ。黙って指くわえて見てるわけにはいかねぇんだよ」

「それは君たちの勝手な行動のせいだろう。言わば自業自得だ。そのせいで我々は迷惑してるんだよ」

「だからどう迷惑かけたか説明しろって言ってんだよ。それで納得出来たらいくらでも頭下げてやるさ」

「ふん。君みたいな下っ端に頭下げられたところでどうにもならんよ。説明する気にもならんしその必要もないのだよ。足を引っ張るなと言っているだけだ。兵隊が死のうがどうなろうが私の知った事ではない。大人しく病院で看病でもしていたらどうだね、その同僚とやらの」

「てめぇ―――」

「やめんか二人とも!」

 青木が抑える内川の腕を払って飛びかかろうとした瞬間、梅田が声を上げた。

 普段は温和な梅田が声を荒げるのは珍しい。青木もさすがに我に返った。

「枕崎君、少々口が過ぎんかね。彼は私の部下なのだよ。ここは署長室、私の部屋だ。口を慎まなければいくら君だろうと出て行ってもらう。青木君、君もだ。この件は君達の勝手な行動が引き起こしたのだからその点は反省しなさい」

 枕崎と呼ばれた煙草の男はふん、と腹立たしそうに煙草を灰皿でもみ消した。

 すいませんと内川が謝った。

 なんで謝る必要があるんだよと青木は内心反発していた。

「さて……青木君、君は休暇の方に戻りたまえ」

「え?」

 梅田の言葉に青木は面喰った。

「君は休暇中なのだろう? しっかり休み給え。あとは我々で処理する。だから―――」

「ちょ、ちょっと待って下さい。このまま何も無かった様に帰れと? 何の説明もなしに」

「そう言う事だよ」

 枕崎がいつの間にか新しい煙草に火をつけ煙をくゆらせながら言った。青木はそれを無視して食い下がる。

「この間の江津湖の四つの事件と木下がやられた今回の件は無関係じゃないんでしょう? お願いです、説明してください。一体何を隠しているんですか!」

「青木、よせ」

 内川が青木を諌める様に方に手をやる。

「課長も何か知ってるんでしょう? 何なんだ? そこまでして隠す様な事件が起きてるんですか!」

 青木はこの部屋にいる全ての人間が敵に見えた。何か隠している。それを確信した。

 木下があんな事になった今、全てを聞くまで引き下がれない。そう簡単に引き下がる様な男ではないのだ。

 すると枕崎が煙を吐きながらすくっと立ち上がり、青木を見てこう言った。

「世界にはね、知らない方がいい事もあるのだよ……」

 枕崎の言葉に梅田と内川も視線を下げた。まるで仕方ないんだとでも言いたげな表情だ。

 青木は奥歯を噛み締め、三人の顔を怒りや失望を込めた眼差しで交互に見続けた。

 その時署長室の扉がガチャリと開いた。

「いやあ、まいった。濡れましたあ」

 ノックもせずに突然入って来た事に驚いた青木が振り向くと、そこにはどこかで見た事のある制服を着た男が立っていた。




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