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署長室の男達

 青木は目的地を変更して病院へと向かっていた。命に別条はないとはいえ、どんな容態かは気になってしまうのだ。一緒に行動したのだから当然だろう。

 車を駐車場に停め、江津湖のそばにある市民病院へと小走りで入っていった。

 病院に入ると左側に受付があり、三人ほどの受付事務員が作業をしている。

「さっきここに運ばれてきた患者、名前は木下って言うんだが何号室だ?」

 受付嬢が自分をを訝しそうに見ている事で、服や手が血だらけになっている事に気付いた。

「こんな格好で悪いなねーちゃん。トイレはどこだい?」

 受付嬢は警察手帳を見せると半ば納得した様子だったが、ねーちゃん呼ばわりされた事で

 余計に表情を曇らせた。

 青木は後ろでコソコソ話をしている受付嬢たちをよそに、教えてもらったトイレに入り洗面台の蛇口をひねる。鏡に映った自分の顔はうっすらと髭が伸び、朝より起きた時よりも心なしか頬こけて見えた。

 手と顔に付いた血を洗い流し、ふぅっと深く息を吐く。

 歩いたり走ったりで大量の汗をかいていたからさっぱりした。手についた血は落とせたが、上着についたものはどうしようもない。

「こりゃあ目立つな。あのねーちゃんたちが変な顔するのも無理ねぇな」

 しかし落ちないものはどうしようもない。上半身裸で病院内をうろつくわけにもいかないから青木はそのままもう一度受付へと戻った。

「で、何号室だい?」

「何か事件ですか?」

 小さな声で受付嬢が聞いてきた。警察の登場に興味深々の様だ。

「ドジだから転びやがったんだよ」

 青木は笑ってごまかす。

「九〇九号室です」

「どうも」

 そういうと青木は受付の反対側のエレベーターに乗り込んだ。

 受付嬢たちは青木の後ろ姿を見ながらコソコソ話を続けていた。


「青木さん!」

 エレベーターを降りると、ちょうど同じ捜査一課の田上と出くわした。

「おう、おつかれさん。木下はどうだ?」

「病室にいますけどまだ意識は回復してないです。運ばれてすぐ輸血して、なんとか一命は取り留めました」

 田上は青木の二つ下で、青木とほぼ同じ時期に一課へ配属された。

「青木さんは大丈夫なんですか?」

「ん? ああこれか。これはアイツのだよ」

 田上は青木の上着についた血を見て驚いた表情をしている。

「通報受けた時はびっくりしましたよ。二人とも休暇って聞いてたし。まさか木下が被害者だなんて……。まあ助かってよかったですよ」

「悪かったな。迷惑かけた。完全におれの不注意だ」

 まさかの言葉に田上は慌てた。青木が謝ってくるなど田上の記憶が確かなら初めての事である。

「ま、まあ青木さん、コーヒーでも飲んで少し休みましょうよ。あまり顔色がよくないし」

「悪いな田上。ゆっくりしてる暇はねぇんだ。急いで署に行かねぇと……」

 青木の様子に田上の表情が固まった。

「医者の話による傷の大きさに比べて、失った血の量が普通じゃないそうです。まるで首筋からポンプで吸い取った様に……」

 そこまで言いかけて田上は止まった。青木の表情からこれ以上は何も聞き出せないと思ったのだろう。

「……まあ何があったか、今は詳しい事は俺ら聞きません。休みの日に二人して何かしてたんだ、重要な案件なんでしょ?」

 青木は田上の言葉に黙って頷く。

「いつか話してくださいよ、今は聞きませんから。そのかわり木下が元気になったら二人にうまいもん奢ってもらいますよ」

「すまねぇな、田上。好きなだけ飲ましてやるよ」

「分かりました。木下の顔だけでも見て行きますか?」

 二人は並んで病室へと向かった。


 病室に入ると、ベッドに横になっている木下にはいくつかの機械がつながれていた。当然青木には何のための機械かなど分からない。

「だいぶ落ち着きましたけどもう少し輸血しといた方がいいみたいですね。顔色もここに運ばれた時より良くなってきてます」

 そこへ担当の医師がやってきた。それを見て青木と田上は軽い会釈をする。

「担当の西岡です。もう大丈夫ですよ。ここへ運ばれた時はかなり危ない状況でしたが」

 青木の服に付いた血を見ている西岡に青木は無言で手を横に振る。この白髪交じりの医師も青木が怪我をしていると思ったのだろう。

「ところで刑事さん、木下さんの首の傷は見られました?」

「傷……ですか?」

 聞かれた青木は少し考えた。あの時はそんな余裕なかったし、木下の首元は真っ赤に染まっていた。

「捜査の事もあるでしょうから詳しくは聞きませんけど、出血の量に比べて傷がね、こう……おかしいんですよ」

「おかしい?」

「うーん、おかしいというか珍しいというか……。例えば首筋にある動脈を刃物でスパッとやれば大量の血が出ますよ」

 西岡が指先で首元を斬るような動作をする。

「今回の木下さんは特に刃物で切られたような痕跡はないんです。強いて言えばこれは……まるで噛みついた―――」

「噛みついた?」

 青木が驚いて声を上げた。西岡も自分で言っておきながら、半ば呆れた様な表情になっている。医者の見立てとしてはまるで常識から外れたものなのだろう。

「噛まれたような、ですよ。小さくですが歯型の様なものも見られたんです。傷口の所にね」

「噛みついただけでこんなにも出血するもんなんですか、先生?」

 田上がたまらず尋ねた。青木は横で腕組みして何やら考え込んでいる。

「考えにくいですよね、普通は。しかし実際ほら、木下さんが。まるで映画のドラキュ―――」

「先生!」

 青木が西岡の声を遮るように声を上げた。驚いた西岡と田上が青木を見る。

「先生、この件は……その傷の話は極秘でお願いします。誰にも話さないでください。田上、お前もだ」

 青木はなぜそんな事を言ったのか自分でも分からないが、そうした方がいいのだと直感でそう思ったのだ。

「……そうした方が……黙っておいた方がいい……」

 キョトンとしている二人を尻目に、青木は急いで病室を後にした。

(やはり、すべてを聞き出すしかねぇな……)

 再び血の付いた服の男を見てコソコソ話を始めた受付を素通りし、青木は車に乗り込んだ。

 青木の向かう先は、もう一つしかなかった。


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