第五の事件/5
いつのころからか木下は青木にとって一服の清涼剤の様な存在になっていた。
木下が捜査一課に配属された頃、青木は妻と子供に逃げられ、内川の鉄拳制裁を受けた後だったから多少の角は取れていた。
だが“一課の暴れん坊”と署内でも噂されるほどだったからまわりからはかなり警戒されてはいたのだ。
いきなりやってきた新人木下の教育係として内川は青木を指名した。
当然青木は後輩の面倒をみるような柄ではないし、木下の方も青木がものすごく恐ろしい人物と噂は聞いていたからそれを聞いた時は生きた心地はしなかっただろう。
課長命令で渋々ひきうけたものの、これといって自分から話しかけるわけでもない。
居心地が悪いのは木下である。
移動の車内でもハンドルを握ったまま不機嫌そうな顔をしている青木にいい加減げんなりしていた。
ある日、木下は思い切って青木に話しかけた。
「青木さん、毎日夕飯一人でしょ。今夜どっか行きませんか? 奢って下さいよ」
「な、なにぃ」
青木は突然の事に戸惑った。
妻子に出て行かれた青木に対して毎日一人などとよく言ったものだ。
ただでさえ捜査一課の中でもデリケートな話題である青木の私生活に対して、木下は怒鳴られるのを覚悟で言ってのけたのだ。
「いつも一人じゃ味気ないでしょ。僕も彼女もいない独り身なんでさみしいもんですよ」
「女の一人もいねぇのか、てめぇは」
こう言われては青木も笑って答えるしかなかった。
「しょうがねぇからお前の配属祝いでもしてやるか」
こうやって木下と青木は次第に打ち解けて行った。
「青木さん、そういつも眉間にしわ寄せてちゃ、寄ってくるものも寄ってきませんよ。もっと穏やかに穏やかに」
「うるせぇよ。俺の顔に文句いうんじゃねぇ馬鹿野郎」
一度慣れてしまえば木下は青木に対して何でもズバズバ言うようになっていく。
木下と組んでからというもの青木の“捜査一課の暴れん坊”はなりを潜め、随分と丸くなっていったのだ。
木下は初対面でも何の警戒をされることなく、ふわりと相手の懐に入り込むのが上手い。
今思えば内川はこうした木下の性格を見越して青木と組ませたのかもしれない。
青木が木下が襲われた現場へ戻るとそこには人だかりができていた。
(平日の昼すぎだってのに暇人ばかり居やがる)
現場にはちょうど警官が来たところで野次馬の整理をしている。そこへ同じ捜査一課の細川が青木の姿を見つけてやってきた。
「青木さん、大丈夫ですか」
「ああ。犯人を逃がしちまった。木下はの容体はどうだ?」
「近くの市民病院へ搬送しました。相当出血が激しいみたいですね。かなりの量の血を失ってたようですよ。いま田上がついて行ってます」
田上というのも捜査一課の同僚である。
「青木さんにもだいぶついちゃってますね、血」
細川に言われて青木は自分の服や腕に青木の血が付いている事に気付いた。
「命に別状はないんだな?」
「発見が遅れてたら危なかったらしいです。なんとか大丈夫そうですよ。そう簡単に死ぬような奴じゃないですよ、あいつは。でもなあ……」
「どうかしたのか?」
「いやね、あの小屋から遊歩道まで少し見て回ったんですよ。鑑識もまだ来てないし。でも血の跡はほとんどないんですよ。おかしいと思いません?」
「どういう事だよ。俺を見てみろ。これはあいつの血だぜ?」
「でも救急隊の話だと人は体中の血液の半分を無くしたら死んでしまうらしいんですよ。で、木下はどうもそのギリギリのラインみたいなんですよね。それだけの血を無くしてるんならどこかに血だまりができててもおかしくない。大量出血の跡がないんですよ」
細川は首をかしげて続けた。
「まず小屋の中の壁にごく少量の血が飛んでます。そして小屋を出て、草むらを上がって……ここらへんで木下は力尽きて倒れたんですよね? 歩いたであろう道にも血痕はなし。倒れたこの茂みに少々の血と……青木さんの体に付いた血。どう考えても体内の半分の血液量とは思えない」
「あいつの首元はもう真っ赤だったぜ。服も胸当たりまでな。それでも足りんか」
「足りないと思います」
青木は腕を組んであの小屋を睨みつけた。
「青木さん、この事件なんなんです? 木下と青木さん、今日から休暇だって聞いてたのに。休みに突っ込むくらいの大きいヤマなんですか?」
細川の疑問はもっともだった。休暇中の刑事が二人揃って現場にいて、しかも被害者の一人はその片方なのだ。
青木は内川の手前、事の事情を詳しく説明するわけにもいかないので話題をそらした。
「通報してくれたホームレスはどこ行った? 二人いただろう」
細川は話をそらした青木に気づいているが、それ以上は何も聞かない。何か言えない理由があるのだろうと感じ取ってはいた。
「ああ、俺らが来たら急いでどっか行っちゃいましたよ。勝手にあそこに住んでる事を色々突っ込まれるとでも思ったんじゃないですか?」
青木はまだあのホームレス達には聞きたい事があった。特に犯人の顔を見ているであろう、あの鈴木の方に、だ。
「細川、ここはお前に任せたぜ。何か分かったら連絡しろ」
「ま、任せたってどこ行くんです?」
「俺は休暇中だ。しっかり頼むぜ」
そういうと青木は急いで駐車場に向かった。
身内に被害者が出て黙っている青木ではない。
聞きたい事は山ほどある。もう何も隠させず、すべてを聞き出す決心で車に乗り込み、署へと車を走らせた。




