放課後
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その日の放課後、馬原啓介は教室にいた。
教室にはまだ数人の生徒が残っている。それぞれが椅子や机に腰掛け、楽しそうに談笑している。どこにでもある放課後の風景である。
そんな中、ひとり啓介は教室の窓辺にもたれかかりぼーっとグラウンドを眺めていた。
サッカー部や陸上部など部活動の生徒が声を出し、体を動かしたりしてグラウンドには活気が溢れている。
特に何かを見るわけでもなく、啓介はその場所で一人の女子生徒の事を考えていた。
昼休みに山崎と坂本が話していた噂の大久保沙耶の事である。その時は彼女の事を知らないふりをした。なぜなら知っていると口にすれば、あのおしゃべりの坂本が根掘り葉掘り彼女の事を聞いてくるに決まっている、啓介はそう考えて知らん顔を決め込んでいたのだ。
実のところ啓介と沙耶は小学校、中学校と一緒だった。
啓介のクラスに沙耶が転入してきたのは小学三年の時だった。
家が近所だったこともあり二人はよく遊んだ。
当たり前のように登下校を共にし、お互いの家に遊びに行ったりもした。
そんな事もあり啓介の方は少なからず好意を持っていた。どちらかといえば啓介と一緒で沙耶もクラスでは目立たない地味なタイプである。
啓介はそんな彼女の見せる笑顔が好きだった。
といっても恋愛だとかそういったものではなく、まだ小学生の幼い、幼稚な感情でしかなかった。
だがその仲の良かった二人も年を重ねるにつれ、少しずつ距離が離れていく。
思春期に入り男女というものを意識し出し、心も体も大人になってくるとそれも仕方のない事なのかもしれない。
中学に入ると特に啓介は、沙耶を意識するあまり挨拶すら交わさなくなっていた。もともと積極的な性格でない啓介は好意を寄せる女性に対して、必要以上に奥手になってしまうのだろう。
時折彼女の方から声をかけてくれたりしていたが、啓介はついそっけない態度とってしまう。そうなると当然彼女の方もなかなか声をかけにくなる。
そうして偶然同じ高校へ入学したのだが、二人は会話を交わす機会は全くといっていいほど無くなっていた。
「帰るか……」
一人で呆けてるのがバカバカしくなったのか、啓介は我に返った様に体を起こした。
気付けば教室に残っているのは啓介一人だけだった。
慌てて自分の机からカバンを取り、教室を出る。
ふと喉の渇きに気付いて廊下の片隅に設置してある、長方形の冷水器へと足を向けた。暑さのせいか最近喉の渇きが激しい。
その冷水器の手前まで来ると啓介は固まった。渇いたはずの喉がごくっと小さく鳴る。
その視線の先には啓介の長い長い片思いの相手、大久保沙耶がいた。
すぐ隣のクラスだからそこにいても少しも不思議ではない。だがついさっきまで思いを巡らせていた相手がすぐそこに現れた事で、啓介は妙に照れくさくなってしまった。
そんな啓介にも気付かず、沙耶は肩まで伸びた黒い髪を指先で抑えながら水を口にしていた。
3口、4口とその横顔を少し離れた場所で啓介は見つめていた。
(このまま通り過ぎるか……どうする)
考える間もなく、
「啓ちゃん」
いつの間にか沙耶の微笑んだ柔らかな視線は啓介の方を向いていた。




