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通達/3

「明日から少し休め」

「は?」

 内川の言葉に青木は再び面喰った。

「休めって……俺はまだ今の事件を……」

「春菜ちゃん達も帰って来る事だしゆっくりしたらどうだ。男一人だったあのアパートも掃除せにゃいかんだろう」

「しかし……」

「青木、これは命令だ」

 内川の表情が一層険しくなった。

 それを見て青木は全てを悟った。

「……事件から手を引け、と?」

「上からのお達しだよ。もうこの事件には関わらんでいいそうだ」

 内川は視線を外し、ビールを口に含んだ。

「お前と木下の有給の手続きは俺が済ませた。三日間ゆっくりしろ」

 収まらないのは青木だ。

「ちょっと待ってください。まだ俺達は手掛かり一つ掴んじゃいない。それにこの案件を持ってきたのは上でしょう? それがたった数日で手を引けと言われて、はいそうですかと黙って引ける訳がない。理由を教えてください」

 苛立って思わず立ち上がった。

 ママはちょっと前に買い出しに行ってくると言って出て行って今、店には青木と内川の二人きりだ。

「我々は組織の人間だ。たとえ不服でも上からの命令には逆らえん。それでは納得できんか、青木」

「できません」

「だよなあ。お前がそんな聞きわけよかったらこっちがびっくりするよ。でもなあ青木、今回の案件は少しばかり毛色が違うんだよ」

 苦笑いをしながらつまみに出されていたピーナッツを口に入れて内川が続ける。

「この案件、お前どう思うんだ?」

「初めっから疑問だらけです。署長に呼び出された事も、捜査官に対する情報を極端に制限する事も。それにあの署長室にいたあの男は誰なんですか。課長は全てご存じなんですか?」

「ふむ……」

 内川は空になったグラスを手にとって手持無沙汰に振っている。おかわりが欲しいんだろうがママがまだ帰ってこないからどうにもならない様だ。

「昔なあ、俺も言われた事があるんだよ」

「え?」

「この世界にはなあ、知らない方がいい事もあるんだってな」

「知らない方がいい? どういう意味です?」

「そのままの意味さ。知らないまま生きて行く方がいい事もあるんだよ。お前はまだ若いし小さな子供だっている。このまま黙って納得してくれねぇか」

「……課長も俺の性格は分ってるでしょうに」

「ふん。そうだな……」

 内川は思わず笑ってしまった。

 熊本には肥後もっこすという言葉がある。簡単に言えば頑固者という意味だ。青木はまさにそれだった。

 内川もこの男の性格は充分承知している。

「口外はしません」

「畜生。酒が足りん。ママのやつ、遅いな」

 内川はまだ話あぐねている様子だ。青木もいい加減イライラして来た。どうしても今ここで聞いておかなくてはならない。

「内さん!」

「わかったよ。……お前、久しぶりに内さんなんて呼びやがったな」

 まだ青木が一課に配属されてすぐは内川の事をこう呼んでいた。課長に昇進してからは控えていたのだが。

「まずお前らの仕事は終わったんだよ」

「終わった?」

「終わったんだ。お前らの仕事は江津湖内での捜査だけだたんだ。犯人逮捕じゃあない」

 青木は黙って内川の話を聞いている。質問は後からまとめてぶつけるつもりらしい。

「お前らが聞き込みをしたこの何日間は意味が無かったわけじゃあない。ヤツ……まあ犯人だが、ヤツは我々が事件の情報を外部に漏らさない事を分ってやがる。だから同じ場所で犯行を繰り返したわけだ。だが内々に警察が捜査をしてるとなれば……」

「動きにくくなる」

「そういうことだ。湖の常連なんかは刑事がうろついてるんだ、何か事件でもあったのかと思うわな。そうすりゃ誰からともなく噂になる。どうも湖内は物騒なんじゃないのか、ってな。それが今回のお前らの役割だったわけだ」

「つまり俺と木下はは次の犯行抑止の為の囮だったと」

「不本意かも知れんがな」

 なるほど、事件から手を引けという理由は理解した。自分たちがいいように利用されたのは不愉快だが、事件が起きないに越したことはない。だが青木にはまだ疑問が残っている。

「しかしこれで犯人が犯行を行わないという保証はないでしょう。犯行日時も不規則だし……もしかしてもう容疑者に目星が?」

「かもな。だが俺は何も聞いちゃいないよ。ただ捜査を打ち切れって上から言われて、それをお前に伝えただけだ」

 確かに毎日私服警官が湖内をうろついていると噂になったなら次の犯行もしにくいだろう。

「内さん、根本的な事を聞きます。今回の事件、そんなに重大な何かがあるんですか。被害もそんなに大きくないし、人が殺されたわけでもない。いっちゃあ悪いが痴漢が少し度が過ぎた様な事件だ。一体何をそんなに……」

 そこまで言いかけて青木はハッとした。

「ヤツは警察が情報を漏らさないのを知っていた?」

 内川は気付いたかというような顔をした。それはまるで青木を試したかのようだった。

「なんで犯人がそんな事分るんです? 事件の情報をマスコミに公表しないとわかってるのならヤツは多少動きやすい。まるでもっと事件を起こせと言ってるようなもんだ。最悪、犯行がエスカレートして殺人―――」

「だからそうなる前にお前らに動いてもらったんだ。後は別の部署の仕事なんだよ」

「別の……部署?」

「そういうことだ」

「そんな、初耳だ。警察以外に犯人を確保する部署が日本にあると? FBIでも出てきますか」

 青木はバカらしくなって笑ってしまった。

「あの署長室にいた偉そうなタバコの男もその秘密の部署の人間ってことですかい」

「まあそんなとこだ。納得しただろ?」

「出来るわけがない。俺と木下はこのクソ暑い中何日間も湖を歩き回ったんだ。それでおいしいとこはその秘密の部署が持って行く? 冗談じゃない」

 立ちあがって声を荒げる青木を内川は顔色を変えることなく見ている。

「まあ落ちつけよ。歩き回るのがお前らの仕事だろ。珍しい事じゃない。さっきも言ったが今回は毛色が違うんだよ」

 まだ収まらない青木は後ろにあるソファーにドカッと腰を下ろした。

「いいか青木。ここで俺が話した事は絶対によそで口にするな。木下にもだ。今日捜査終了の話をした時、あいつも不服そうだったんでな」

 そりゃそうだ、と青木はふてくされている。

「俺はお前を署の中でも特に信用してるから話すんだ。いいからこっち来て座れ」

 そう言うと内川はカウンターの椅子を指さした。

 青木はそう言われて渋々隣に来て座った。

「青木よ、知りすぎるってのも中々大変なもんだ。知っちまうとこれからの人生、人を信用できなくなるかも知れん。その覚悟がお前にあるか」

「刑事は人を疑うのが仕事って内さん、昔言ってたじゃないすか」

「まあ、そうなんだが……」

 その時、ガチャリと店の扉が開いた。

 ママが買い物から帰って来たのだ。時間かかっちゃったとビニール袋を両手に持って二人に謝っている。

 そんなママの声を察知したからなのか、内川は小さな声で青木にこう囁いた。

「人を食料にする連中がいたとしたら、お前どう思う?」











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