通達
その日も青木は木下と午後から半日かけて、江津湖付近の聞き込みをしていた。
今日で二日目だがこれといった有力な情報は出てこない。
定期的に湖でジョギングする人や釣りをしている人もいたが事件があった日に、これといった怪しい者を見かけたという話も聞こえてこない。
陽も落ちて街灯に明かりが灯り始めている。
「暗くなってきましたねえ、先輩。そろそろ……」
「そうだな」
青木は半ば意地になっていた。意地でもこの案件の手掛かりを手に入れたい、そう考えている。
なにも手柄をあげたいという欲からではない。不自然とも言える情報の規制をしてきた上層部に対する反発心から来る意地である。
一刻も早く犯人を割り出し、そいつを署長に突き出して、全ての事について説明させてやる、そういう気持ちでいた。
「どうします。明日もまた?」
「当然だろ。当たり前の事聞くんじゃねぇ」
「だって先輩、意地になってるでしょ」
木下は全てお見通しである。
「意地ってなんだよ。それが仕事だろバカ野郎。別に付き合ってくれって頼んじゃいねえぞ俺は」
考えを見透かされ青木は声を荒げた。
「おっかないなあ、もう。青木さんが行くとこに僕ぁついて行きますとも。それに僕も行きたいとこあるんでね」
「なんだよ、行きたいとこってのは」
「あっち、東側の湖が大きく広がってる所ですよ。湖沿いに小さい小屋があるでしょ。ホームレスが住んでるみたいなんですけど今日は留守みたいなんですよ。事件があった場所とはま逆ですけど何か知らないかなと思って」
確かに遊歩道から降りて行った湖沿いに小さな小屋があった。
小屋といってもベニヤとブルーシートで作られた粗末な作りのものである。
ここで暮らしているホームレスなら何かを見ている可能性はあるだろう。
「それなら明日行ってみるか」
その時青木の携帯電話の着信音が鳴った。
番号表示は課長の内川だった。
「もしもし……」
「青木か。今どこだ」
「まだ木下と江津湖にいますが……」
「ああ、そうか。お疲れさん。どうだ久しぶりに二人で飲みにでも行かんか」
珍しく内川の誘いだ。青木はここ数年酒を断っているからこの飲みというのは酒の誘いというわけではない。
「珍しいですね、課長からお誘いなんて」
「まあな。少し話したい事もあるんだ。俺はママの店にいるから。場所は覚えてるな?」
青木がまだ刑事になりたての頃、内川によく連れて行ってもらった店である。酒を断って以来青木は一度も顔を出していない。
「わかりました。向かいます」
そういうと通話を切った。木下は横で聞き耳を立てていた。
「呼び出しみたいですね」
「まあな。ちょうどいい。この案件の事、ちょっと探ってくる。悪いが車、署に返しといてくれ」
木下は了解しました、とわざと大げさに敬礼しておどけて見せた。
木下を署に帰し、青木はタクシーに乗り内川の待つ熊本市街にあるその店へと向かった。
二年前、青木は毎日浴びるように酒を飲んでいた。
事件の捜査に追われ、署に帰って来ては報告書作り、家に帰ると疲れから妻に当たる事もあった。そしていつの間にか酒の量も増えていき、家にも帰らず飲み屋で朝を迎え、そのまま出勤というパターンになっていった。
非番の日は朝起きてきては酒を飲み、ふらりとパチンコ屋に出て行きそのままネオン街へと消えて行く。
そんな青木に愛想を尽かし妻は三歳になる娘を連れ、実家のある阿蘇へ出て行ってしまった。
そこから酒びたりの生活に拍車がかかった青木は手に負えなかった。
もともと腕っ節に自信がある青木は暴れ出すと止まらない。入った飲み屋で少しでも気に入らない者がいれば誰かれ構わず突っかかっていく。新聞沙汰にならなかったのが不思議なくらい暴れていた。
この頃、青木はすでに警察を辞める覚悟でいた。妻も子供も出て行き、失うものなど何もないと自暴自棄になっていた。
余りに見かねた内川はついに行動を起こす。
内川はこの青木を捜査一課に配属されて以来、可愛がっていた。その刑事としての青木に期待をしていたのだ。
青木が非番の日にアパートへと押しかけたのだ。わざわざ鍵を青木の妻のいる阿蘇まで取りに行き、インターホンを押すでもなく突然部屋に押し入った。
案の定、青木は昼間っからビールを四、五本空けて大いびきかいていた。
内川は何も言わず青木の体を引き起こしたかと思うと、いきなりその頬を殴りつけたのだ。
青木は当然何事かと目を覚まし、目の前に立つ内川を睨みつけた。
長年刑事をしてきた内川も負けてはいない。そんな若造の睨みなど意に介さない。
上司だという事も忘れて思わず飛びかかろうとしたが、内川の醸し出す雰囲気に呑まれてしまって動けなくなってしまっていた。
そして一言も発しないまま出て行く内川の後ろ姿をただ黙って見ているだけだった。
その日から青木は酒を断ち、まるで牙を抜かれた獣の様に丸くなっていった。
今でもあの時の痛みを青木は忘れてはいないし、いつか妻も子供も戻ってきてくれると淡い期待を抱いて仕事を続けている。
青木を乗せたタクシーはたくさんの人が行き交う賑やかな街中へと入って行った。




