転校生/6
「ひどいめに遭ったね」
学校に戻りながら瓜生が啓介に言った。まるで人ごとである。
さっきまで腕をつかんでいた手はようやくほどかれていた。
「初めて人に殴られたよ。なんで関係無い僕まで」
「全くだ。馬原君は関係ないじゃないか。それを殴るなんてひどい連中だよ」
啓介はあっけにとられた。元々この男が腕を掴んだまま離さなかったから啓介まで殴られる羽目になったのだ。
そして急に啓介の顔を見て、
「なに、初めてだって? 殴られるのが?」
啓介も驚いて思わず頷いた。
「そうか、初めてか! それはめでたい。何事も初めての経験というものはいい事だ。どうだい、初めて殴られた感想は。痛かった? そうだろう、誰でも殴られれば痛いものだ。当たり前の事だよ。いやあいい経験をしたね、馬原君」
この男はどこまで本気なのだろうか、啓介は困惑した。
ついさっき恐ろしい顔つきで不良どもを殴ったかと思えば、今度は人がとばっちりで殴られた事をめでたいと言って喜んでいる。
こうめでたいめでたいと言われると啓介も怒る気にもなれない。
「瓜生君、君は昨日もあの調子で五人とやり合ったのかい?」
「ああ、昨日の事かい。昨日の連中は今日より凶暴だったなあ。公園に着くなりボクの胸ぐらを掴んできたんだ。今日もいたあの後藤だったかな。ボクは恐かったから、五人に囲まれれば誰だってそうだろう? だからつい、こうドンと……」
瓜生が腹を殴る仕草をした。恐かったなどと、どの口が言うのだろうか。
「それで引き下がってくれたなら他の四人も痛い思いせずに済んだのに。殴るボクだって手が痛いんだ。分るかい馬原君」
「僕は人を殴った事も無いから分らないよ。でも痛い目みたから後藤君たち今日は大人しかったんだろうね。君は強いなあ。うらやましいよ」
「うらやましい?」
「だってそうじゃないか。あんな大人数相手にひるまず向かっていったんだ。しかもあの大山さんを一発でやっつけたし」
「彼はまたボクに絡んでくるよ」
瓜生はがっかりした表情で来た道を振り返った。
「また絡んでくるって? 今日あれだけやられてまだ君に喧嘩を売りに来るって事かい?」
「そういう生き物なんだよ、不良ってやつは。 馬原君、強いってどういう事だと思う?」
ずいっと瓜生は啓介の顔を覗き込む。突然の問いに啓介はしばらく考え込んだ。
「君はボクの事を強いと言った。でも今日、君をあそこに引っ張っていったのは一人では心細かったからだ。それはボクの弱さでもある。その弱さから悪いけど君の腕を離さなかった。君は自分の事を弱いと思ってるね」
「僕は喧嘩なんかした事無いし、それにあんな大勢に囲まれたらすぐ逃げ出してしまうよ。僕は弱いからね」
「確かに喧嘩に関して君は弱いかもしれない。でも自分のそういう弱さを君は分っている。それは逆に言うと強いって言えないかい?」
まるでとんちだ。啓介は瓜生の言う事が理解できなかった。
瓜生はさらに続ける。
「さっきの不良たち。はっきり言って彼らは君より弱いんだよ、馬原君」
ますます啓介はこんがらがった。
「彼らは自分を強く見せたいから校内で目立った格好をするんだよ。俗に言うヤンキーだね。まず見た目でまわりを威嚇するんだ。馬原君みたいなタイプはそれだけで彼らと距離をとるだろう? そして睨みつけたりドスの効いた声でさらに威嚇する。そうやって強さをアピールするんだよ。いやそうする事でしか強さをアピールできないんだ」
「でもそこから殴り合いになったりするんだろう?」
「それはお互いが引かない場合さ。誰だって殴り合いは避けたいんだよ。痛い思いはしたくないからね」
「分らないな瓜生君。それでどうして僕の方が彼らより強い事になるのさ」
「わざわざ見た目で強さをアピールするんだよ。それは気持ちが弱いからさ。まわりから弱い奴だ、情けない奴だと思われたくないからそういう気持ちが髪型や服装、つまり外面に出てしまってるんだ。弱いとは思わないかい? 君は自分が弱いと自覚している。自分というものを理解しているんだ。それだけで十分強いと思うね、ボクは。さらに言えば公園に着くまでの間、君は暴れたり大声をだしたりいろんな手を使えば逃げだせたんだ。でもそうしなかった。それもある意味強さだ」
なんだかへ理屈の様にも思えたが理解はできた。だが啓介は自分が強いとは到底思えない。
それに逃げ出さなかったのは啓介自身、この瓜生に興味があったからでもあるのだ。
「そして彼ら、あの中だと大山かなあ。彼なんかはボクに負けたと認めたくない、まわりの取り巻きに情けないと思われたくない、その弱さからまたボクに絡んでくるだろう。自分の弱さを認めたくない弱さだよ馬原君」
「誰でも弱い部分を持っているという事かい?」
「そういう事だよ。強さと弱さは言ってみればコインの表と裏だ。見方一つでどっちにもとれるんだよ。そして本当に怖いのは、強さを隠して普通に生活している奴だよ」
その意味は啓介には分らなかったが、瓜生の表情は真剣な眼差しで校舎を見つめていた。
話しているうちに校内の自転車置き場に着いた。陽も少し傾いて部活動の生徒以外はほとんど見かけない。
「さあ、下校しよう。今日はいい経験が出来た素晴らしい日だったね馬原君」
「瓜生君、気をつけた方がいいよ。もう学校であんまり目立たない方が……」
「ある程度目的は達成したからね。もう校内をうろつく様な事は控えるよ」
目的? と啓介は思わず聞き返した。
「いやあこっちの話さ。気にしないでくれ。さあ帰ろう。今日は巻き込んで悪かったね。ボクはちょっと教室に戻るから。
それと携帯の番号を教えとくからいつでも電話してきてくれ。君はこの学校に来て最初の友達だ。これで明日からまた学校が楽しくなるよ」
そういうと瓜生は携帯電話を取り出した。
啓介がじゃあ、と自転車にまたがると、
「馬原君、君も用心してくれよ。君も君なりの強さを持っている。負けちゃだめだ」
啓介はそんな事を言われて少し戸惑いながらも頷いて、学校をあとにした。
その意味深な言葉と瓜生の真剣な表情が何を伝えたかったのか、啓介はこの時まだ理解できなかった。




