ノックの音がうるさい?なら、もう出て行きます
「リチャードよ。もう私の部屋に入ってくるな。
長年言ってきたが、お前のノック音が、うるさくてかなわない。」
「はぁ?」
いつも従順なリチャードが、この時ばかりは父オズマに聞き返した。
「今後はお前の兄クベルクにやってもらう。
お前は今まで通り、補佐を」
「俺は今後、この領地の仕事を一切手伝いません」
「なんだと?!」
オズマは驚くが、もう遅かった。
「妾の子の俺に仕事を任せるのは、俺を信頼しているからと思っていました。
けれどもただの便利使い、
しかも大量の仕事をやってもらっている身でありながら、
ノック音に文句をつける。
……もういいです」
リチャードはブチギレる。
「ちなみに俺は、あなたの使いとして他の伯爵家に何度も出入りしていましたが、
ノックの音がうるさい、なんてことを言ったのはあなただけです」
捨て台詞にリチャードはそんなことを言って、本当に家を出てしまった。
「リチャード様に戻ってきてもらいましょう」
そんな声が出るようになったのは、リチャードがいなくなってから2ヶ月後だった。
どうにもクベルクの態度が、難アリなのだ。
使用人が質問や依頼をしても、「それは僕の仕事じゃない」の一点張り。
他の貴族との交流でも、仕事の依頼や接待を求められると露骨にため息をし、嫌な顔をする。
しまいには「君じゃ話にならない。リチャード殿を呼んでくれ」と言われる始末だった。
「私の仕事を手伝ってもらうまで、好きにさせていたのが仇になったか……」
オズマはぼやく。
元々リチャードをクベルクの補佐としてやっていけるよう、先に育てていたのだ。
肝心のクベルクが育っていないと、元の木阿弥だった。
「旦那様。
恐れながら、なぜあの時ノック音についてリチャードに注意をしたのですか。」
オズマの右腕でリチャードの教育係でもあった執事が言った。
「あの時は妙に不快になってな。
だいたい、ノック音については、いつもリチャードに注意していただろう。
直せなかったあいつが悪い。」
「旦那様。
厳しいことを言わせていただきます。
今この領地は、リチャードがいなくなったことで、次々と領民が出ていっていることをご存知ですか」
「それは……」
「リチャードは、
学がない領民でも今領地がどういう状況かを数値にして説明し、
作物の収穫量や売上アップのため一時的に発生する長時間労働への理解やそれに見合った報酬など、
一つ一つ話し関係構築をしていたのです。
少ない予算で、できるだけ領民の要望にも答えていました。
良好な協力関係を築いていたからこそ、
リチャードのために領民達は働き、
リチャードも領民達のために働きました。
クベルク様は、それすらもやりません。
そんな方に、いったい誰がついていきましょうか。」
「それはそうだが……なんだ?
ノック音ごときで注意した私が悪いとでも言うのか!」
「恐れながら、そうでございます。
リチャードの手腕に旦那様が嫉妬していたことも存じております。
多少の難癖を、つけたかったのでしょう」
「なんだと?!
散々私の世話になったくせに、なんだその口は!
お前はクビだ!」
瞬発的に怒りが湧き上がり、オズマは叫ぶ。
叫んだ後、自分が言った言葉の重要性に気づくがもう遅い。
「かしこまりました。
今まで受けたご恩は忘れません。
さよなら、旦那様」
執事は荷物をまとめ、出て行ってしまった。
リチャードにノック音について指摘した時も、こういった瞬発的な怒りが元だったと後悔する。
領地経営はどんどん悪くなり、しまいにはクベルクが違法賭博をしていたことが発覚した。
捕まったクベルクの保釈金支払いだけでなく、爵位や土地も奪われた。
領民達や使用人達への退職金は、幸いなことにリチャードが用意していた積立金で賄えた。
牢から出た後、姿をくらましたクベルクにウンザリしながら、オズマは途方に暮れてしまった。
(リチャードがあのままいてくれば……いや……)
街をぶらぶら歩いていると、リチャードがペペリッケ作品の翻訳に携わったと聞いた。
オズマは本屋でリチャードが翻訳した本を眺め、思う。
ペペレッケ作品は、古い言葉で難解とされるララン語を多用している。
オズマはララン語のエキスパートで、当然クベルクやリチャードにもララン語をマスターさせた。
クベルクは嫌々ララン語を勉強していたが、リチャードは楽しそうに学んでいた。
『多少の難癖を、つけたかったのでしょう』
執事に言われた言葉を思い出す。
実の息子よりも妾の子の優秀なリチャードに、たしかに文句は言いたかったのかもしれない。
(もう少しだけ、ゆとりある人間になろう)
オズマは久しぶりに、長年仕えてくれた執事に詫びに行こうと思った。
その後、クベルクはまた違法賭博に手を出したと聞いた。
それ以来、行方を知るものはいない。
オズマは貧民街で細々と暮らしている。
なけなしの金で買った、リチャードが翻訳したペペリッケ作品の騎士王物語だけは、手放さない。




