第36話:夢の帳(とばり)と、崩壊する賢者の定理
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迷宮第45層。
『三律の連環』の快進撃は、留まることを知らなかった。
「敵の装甲、魔法反射へ移行! パターンB!」
ミクの鋭い声が響く。
「応ッ! 俺の斧のサビにしてやるぜ!」
ガルドは即座に大盾から戦斧へと持ち替え、ミクと並んで前線へと躍り出る。
「アリア、攻撃魔法を停止! デバフ展開!」
「了解です! 『泥濘』!」
シームレスな戦術の切り替え。一切の無駄を省いた、完璧に最適化されたシステム。
深層の中盤に差し掛かろうという階層の魔物たちでさえ、今の四人の連携の前には、ただの「処理すべきタスク」に過ぎなかった。
「……対象の全消滅を確認。討伐タイム、また更新したわね」
ミクはストップウォッチの記録を見て、満足げに微笑んだ。
「ははっ! どんな敵が来ても、もう俺たちの陣形が崩される気がしねえぜ!」
「ええ。私たちの導き出したこの『最適解』に、もはや死角はない」
ガルドとルカが誇らしげに語り、アリアもそれに深く頷く。
彼らは自分たちの強さを確信し、勝利の美酒に酔いしれていた。この完璧な歯車が噛み合い続ける限り、迷宮の底すらも容易く踏破できるという「甘い夢」を見ながら。
しかし、彼らはまだ知らない。
この迷宮の真の深淵が、どれほど理不尽で、悪意に満ちたバグの温床であるかを。
――同刻。
陽の光などとうの昔に届かなくなった、迷宮第60層。
『GYAOOOOOOOOOッ!!』
鼓膜を破らんばかりの咆哮が、瘴気に満ちた巨大な地下神殿を揺るがした。
空間そのものを震わせる絶対的な暴力の具現。第60層の階層主――『黒死竜』。
「ガストン!! 前線から一歩も引くなと言っただろうが! 私の詠唱が終わるまで、何としても持ち堪えろ!」
賢者ユリウスの血を吐くような絶叫が響く。
「無茶、言うな……ッ!!」
Sランク重戦士ガストン。かつていかなる攻撃も受け止めた彼の分厚い重装甲は、今や紙くずのように引き裂かれ、全身から血を流していた。彼が手にする大剣も、竜の鱗を叩いた衝撃で無惨にへし折れている。
「ぐ、あああああッ!!」
黒死竜の巨大な尾が薙ぎ払われ、ガストンの巨体がボールのように吹き飛ばされて神殿の柱に激突した。
「ガストン様!! ……ヒィッ!?」
後衛で震えていた神官が、治癒魔法をかけようと前に出た瞬間。黒死竜の赤い双眸が、無防備な神官を冷酷に射抜いた。
竜の口から放たれた黒炎のブレスが、神官の体を一瞬にして飲み込み、消し炭に変える。
「あ……ああ……」
ユリウスは、詠唱のために掲げていた杖を震わせた。
終わった。パーティーの回復リソース(生命線)が、完全に断たれた。
「なぜだ……。私の組んだパーティー構成は、最高水準だったはずだ……!」
圧倒的な耐久力を持つタンクと、圧倒的な火力を持つ魔法使い。
数値の上では、この迷宮を制覇できる完璧な定理だった。
しかし、現実は違った。
黒死竜のような規格外のボス相手では、どれだけガストンの防御力が高かろうと、一人で全てを捌き切ることなど物理的に不可能だったのだ。
敵の狙い(ヘイト)をコントロールし、攻撃の軌道を逸らし、タンクの負担を減らす「潤滑油」。
かつて、自分のパーティーにはそれがいた。
『火力不足』と嘲笑い、不要なピースだとして切り捨てた、あの回避盾の女剣士。
(……ミクが、いれば……! あいつが前線で敵をかき回し、ガストンの死角を補い、私の魔法の『的』を作ってくれていれば……!)
後悔という名の致命的なエラーコードが、ユリウスの脳内を埋め尽くしていく。
『GYAルルル……』
神官を焼き尽くした黒死竜が、ゆっくりと首をもたげ、最後に残った「純白の魔導衣を着た矮小な獲物」へとその矛先を向けた。
「ひっ……!」
ユリウスは後ずさり、腰を抜かして神殿の冷たい床にへたり込んだ。
前衛という防壁を失った魔法使いなど、深層の魔物の前ではただの無力な肉塊に過ぎない。
「来、来るな……! 私は賢者だぞ! 最高の頭脳を持った、選ばれし……ッ!!」
彼が誇っていた「圧倒的な火力」も、それを撃つための『時間と空間』がなければ、何の意味も持たなかった。
個人の高いスペックだけを集めても、それを繋ぎ合わせる「連携」の概念が欠落したパーティーは、極限状態においてかくも呆気なく崩壊する。
ズンッ、と竜の巨大な爪がユリウスの眼前に迫る。
「……ああ、あああああああッ!!」
ユリウスは震える手で、懐から一つの魔道具を取り出した。
超高額で取引される、パーティー全員を迷宮の外へ強制転移させる『帰還の転移結晶』。絶対に使うことはないと考えていた、敗北の象徴。
パリンッ!
結晶が砕け散り、淡い光がユリウスと、気絶したガストンを包み込む。
竜の爪がユリウスの体を完全に引き裂くコンマ一秒前、二人の姿は神殿から掻き消えた。
迷宮の最深部、第60層。
完全なる「敗北」による、トップパーティーの強制シャットダウン。
『火力不足』を切り捨て、個の力のみを信奉した賢者の定理は、深淵の理不尽な暴力の前に、一片の価値もなく木っ端微塵に打ち砕かれた。
そして――。
その絶対的な暴力の渦巻く深淵は、今も「完璧なシステム」の夢に酔いしれる四人の冒険者たちが降りてくるのを、静かに、そして口を開けて待ち構えているのだった。
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