第一王子の婚約者選び→選ばれたのは伯爵令嬢じゃなくてその侍女!?
第1話
年明けと同時に、カナンテ国の第一王子の婚約者選びが始まった。
他国では王家が上位貴族の中から婚約者を選定して、その少女に王妃教育を施すのが普通である。しかしこの国の慣わしでは第一王子が直々に貴族の屋敷を巡り、その家の令嬢を試して婚約者を選ぶのだ。貴族の娘なら誰でも婚約者となれるチャンスがあるため、多くの令嬢が王妃教育に準じたものを学んでいる。そのため、この国の令嬢達は淑女としてレベルが高いと評される。中でも飛び切りの淑女として名高いのが、アバルティエ伯爵家のマルチナであった。
「ウォレス第一王子様、よくぞ我がアバルティエ家へお越し下さいました」
伯爵は頭を下げ、ウォレスの訪問に感謝を示す。婚約者選びの最中は王子に対してあまり畏まるべきではないというのもこの国の慣わしである。そのため、盛大なもてなしは行われず、慇懃過ぎる態度も取られないのであった。
「ああ、アバルティエ伯爵。今日はよろしく頼むぞ」
ウォレスはにっこり微笑んだ。彼は銀髪と銀眼を持った麗しき青年である。年齢はまだ十七歳であったが、文武に秀でており、性格もとても良い。そのため、令嬢からの人気は非常に高いのだった。やがてウォレスは屋敷に踏み入ると、マルチナの待つ広間へ向かった。
「ウォレス様、ようこそいらっしゃいました。私がマルチナです」
黄金の髪と瞳を輝かせ、マルチナは優雅にお辞儀をした。
その笑みはどこまでも優しく、女神を思わせる。
「ああ、君が淑女の鑑と名高いマルチナか」
「いいえ、ウォレス様。私はまだまだ淑女として未熟ですわ」
「そんなことはないと思うが。では早速だが、努力の成果を披露してもらおうか?」
「かしこまりました。準備を致しますので、少々お待ち下さい」
そしてマルチナはお辞儀して、広間を出た。
その瞬間、にこやかな笑みが醜悪な仏頂面に変化する。
やがて近寄ってきた三つ編み眼鏡の侍女アデルにこう喚き散らした。
「のろまなアデルッ! さっさと準備しなさいッ!」
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第2話
するとアデルは無表情のまま言った。
「はい、お嬢様。しかしお声を潜めた方がよろしいのでは? 王子に聞かれますよ?」
その言葉にマルチナは立ち止まった。
そして振り返るなり、アデルの頬を強く叩いた。
「うるさいッ! 侍女の癖に私に口答えしないでッ! 今日は絶対に失敗できないのよッ!? アンタはさっさと私の言う通りにしなさいッ!」
「はい、お嬢様。大変失礼致しました」
アデルはぶたれたにも関わらず表情を変えない。そしてマルチナはアデルの手を借り、準備を終えると広間へ戻った。その顔には美しい女神の笑みが戻っており、さっきの恐ろしさは消えている。やがてウォレス立ち合いの元、婚約者に相応しいかどうかの試験が始まった――
まずはマルチナはウォレスと共にダンスを踊った。その後は専門家が試験官となり、あらゆるマナーを身に着けているか試される。最後には知識と教養が備わっているかどうか、口頭試問をして終わりである。全てを終えた今、マルチナは満足していた。自分は美しいまでに完璧だったと悦に入っていた。
「ふむ、なるほど。流石はマルチナだな」
「お褒めに与り、光栄ですわ」
「謙遜することはない。ダンス、マナー、知識と教養、どれを取っても素晴らしい出来だった。自分でも分かるだろう?」
ウォレスの言葉を聞き、マルチナはにっこり微笑んだ。
彼も笑みを返し、意味ありげにこう言った。
「これはもう決まったな」
「ええっ……! ウォレス様っ……!?」
「僕はこれまで数十の家を巡ってきたが、ここで心が決まった」
マルチナが胸を高鳴らせる中、ウォレスは言い放った。
「――僕はこの家の侍女アデルを婚約者にしようと思う」
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第3話
その言葉に伯爵とマルチナは呆気に取られた。
「は? 何をおっしゃいます?」
「え? 何を言っているのですか?」
親子の言葉にウォレスはにこにこと微笑んで答える。
「この家の侍女アデルを婚約者にすると言ったのだ。だって彼女ほど僕の婚約者に相応しい女性はいないだろう?」
そしてウォレスはアデルをじっと見詰めた。彼のその射貫くような視線を受けた女性は大抵頬を染める。しかしアデルは無言のまま無表情を崩さない。一方、伯爵とマルチナは狼狽えていた。まさか侍女が選ばれるとは夢にも思っていなかったのだ。
「しかしアデルは下賤な侍女ですよ!? 王妃になれる訳がありません!」
「そうですわ! どうしてこんなに醜い女が王妃に選ばれるのでしょう!?」
ウォレスは騒ぎ立てる親子を制すると、こう提案した。
「ふむ、確かにアデルは侍女だし、野暮ったい見た目をしている。しかししばらく彼女を少し貸してくれ給え。彼女が王妃に相応しいことを僕が証明してみせよう。さあ、彼女を着替えさせてくれ」
ウォレスが手を叩くと、従者達がアデルを囲んで連れ去った。
それから数十分後――
「ウォレス様、準備ができました」
「よし、アデルを通せ」
やがて広間にひとりの美少女が入ってきた。美しく巻かれた漆黒の髪、エメラルドを光に透かした瞳、瑞々しい果実を思わせる赤い唇、豊かな胸元と細腰が強調された濃緑色のドレス――それは誰もが息を飲むほどの美貌で、目が離せないほどの魅力だった。
「だ、誰ですの……!? この令嬢は……!?」
「そうだ……! どこから連れてきたんです……!」
そう訴えるマルチナと伯爵にウォレスは言った。
「彼女はアデルだよ。美しいだろう?」
「そんな……あのブスが……こんな……」
「し、信じられん……こんな美少女だったとは……」
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第4話
アデルは今まで化粧を許可されずに過ごしていた。さらには目が悪くもないのに瓶底のような眼鏡をかけさせられ、髪も地味に三つ編みにさせられていた。それは伯爵とマルチナの意地悪によるものである。しかし眼鏡を取り、髪型を変え、化粧を施した今、アデルは世にも美しい少女となっていた。ウォレスはそんなアデルへ恭しくお辞儀をすると、こう願い出た。
「アデル、僕と踊ってくれますか?」
その誘いにマルチナが噴き出した。
「ぷぷっ! アデルがダンス!? できる訳ないでしょう!」
「その通りだ! アデルはダンスなんて一度も踊ったことがないからな!」
伯爵も頷いて同意する。
親子はにやにやと嫌な笑み浮かべて、アデルを見ている。
しかし音楽は流れ始め、ウォレスとアデルは華麗に踊り始めた――
「そ、そんな……! アデルが踊っているわ……!」
「嘘だろう……!? いつ練習したんだ……!?」
その光景に伯爵とマルチナは目を見開き、硬直する。二人のダンスはあまりにも見事であった。まるでお手本のようなダンスをアデルは踊る。それはさっきマルチナが見せたダンスとは比べ物にならないほど高い技術だ。やがてダンスを終えると、ウォレスはアデルに尋ねた。
「ああ、アデル。素晴らしいダンスだったよ。それにしてもなぜ練習したこともないのに踊れるんだい?」
するとアデルは呟いた。
「お嬢様が教師と練習するところを#見て__・__#おりました」
「……ほう? 君は見ただけで、ダンスが踊れるようになるのかい?」
「その通りでございます」
「素晴らしい! 流石はアデルだ!」
ウォレスは手を打ち鳴らし、アデルに賞賛を送る。
そのやり取りに、伯爵とマルチナは怒りの限界を迎えた。
なぜ淑女の鑑であるマルチナが無視され、侍女が持て囃されるのか――
「ふっ、ふざけるなッ! 王子とアデルはグルなんだろうッ!? この私と娘をコケにするために演技をしているんだなッ!? このことは間違いなく王家に伝えるぞッ! 貴様なんか王位継承権を剥奪されるのが相応しいんだッ!」
「そうだわッ! どうして美しく聡明な私が選ばれないのよッ! しかも、よりによって侍女が選ばれるなんて家の恥だわッ! アデルには後で厳しいお仕置きをするわよッ! もう二度と地下牢から出してやらないんだからッ!」
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第5話
その言葉に王子は厳しい表情をした。
「へえ……婚約者選びの際は王子に畏まるべきではないとされるが、今のはあまりにも不敬ではないかい……? それに僕の婚約者を地下牢に閉じ込めるだって……?」
今まで笑顔を絶やさなった王子が睨むと、親子はたじろいだ。
「し、しかしウォレス様はあまりに失礼です!」
「そ、そうですわ! 私達を馬鹿にしています!」
「……馬鹿にしている? それは君達の方だろう?」
そしてウォレスはマルチナに近寄ると、その耳元の髪を上げた。マルチナの耳全体が明らかになり、その耳穴に宝石が埋まっているのが見える。それは魔石を使った魔道通信機で、遠隔地からの音声を届ける仕組みであった。
「ふむ、試験の最中に魔道通信機を付けているとはね?」
次の瞬間、マルチナがウォレスの手を叩いて髪を下ろした。
そのまま伯爵に駆け寄ると、涙目でわなわな震える。
「ウォ、ウォレス様が私に乱暴を……!」
「おいッ! いかに王子と言えど、許されないぞッ!」
まるでウォレスが悪いと言うように親子は非難する。
それは明らかに不正を誤魔化すためであった。
「はあ、君達親子はどこまで愚かなんだい? マルチナはマナー試験と口頭試問で不正を行っていたね。しかもその答えを教えていたのはアデルだ。この件については家に潜ませていた者が証人になってくれる」
「何ですって……!? この家にスパイが……!?」
「どいうことだ……!? あんまりだぞ……!?」
親子はウォレスに食ってかかる。
すると彼は手を上げ、従者に指示した。
「伯爵とマルチナを拘束しろ。二人は婚約者選びを妨害した犯罪者だ」
「いっ、いやあああッ! やめてッ! 離してッ!」
「やめろおッ! こんな横暴が通ると思っているのかッ!」
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第6話
伯爵とマルチナは暴れるが、すぐに後ろ手に縛られる。王子による婚約者選びは国の大事な伝統である。それを汚した者は重く罰せられるのが決まりである。やがて親子は床に跪かされると、ウォレスを見上げた。
「どうして……! どうしてアデルなのよ……!?」
「そうだ……! あんな平民女が選ばれる理由はない……!」
「アデルが平民? 伯爵、あなたは本気でそう言っているのか?」
ウォレスは椅子に腰かけると、冷たく親子を見下ろした。
「アデルは平民ではない。伯爵、あなたの妹の娘――つまり姪だろう?」
「ち、違うッ! 私の姪は賊に襲われ、家族ごと死んだッ!」
「ナハルネック公爵家襲撃事件のことだね?」
「そうだッ! アデルは何の関係もない平民だッ!」
そう叫ぶ伯爵にウォレスは告げた。
「残念だったね、伯爵。この間、ついに賊が捕まったよ。その連中は口を揃えてアバルティエ伯爵に頼まれてナハルネック公爵家を襲ったと白状した。さらには娘をひとり取り逃がしたとも言っていた。あなたは昔から妹を虐げており、その妹が公爵家に嫁いだことをずっと根に持っていたようだね。まあ、動機は何であれ、あなたの未来は決定している――死罪だ」
「は? は……――」
「それと生き残りであるアデルを侍女の身分に落とし、虐げてきたね? マルチナは父の悪事を全て知った上で、アデルを虐待して利用してきた。この罪は死罪にまでは届かないが、重い罪として君に伸しかかるだろう」
「う、嘘……そんな……――」
その言葉に伯爵とマルチナは狼狽える。しかし従者がその体を引いて連れていこうとすると、親子は大騒ぎした。アデルはそんな様子を無言と無表情のままで、じっと眺めていた。ウォレスはそんな彼女を悲し気な目で見るのだった。
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第7話
王宮の庭園――
そこでアデルは立ち尽くしている。
まるで人形になったかのように彼女は動かない。
ウォレスが詰んだ花を差し出すと、彼女は礼儀正しくお辞儀をした。
「ありがとうございます、ウォレス様」
「うん……」
アデルはずっとこんな様子だった。昔は快活で表情がくるくると変わる愛らしい少女だったのに、酷い変わりようである。ウォレスはそんなアデルを庭園のティーテーブルに着かせると、語り出した。
「あの襲撃事件で、僕は君が死んだとばかり思っていたんだ……。しかし賊から証言を得てアバルティエ伯爵家を調べ始めたら、幼馴染の君が侍女として働いているじゃないか……。本当に驚いたよ、君が生きているなんて……」
アデルはティーカップを見詰めたまま無言で頷いていた。
「僕は君が聡明だと知っていた……。見聞きしたことは絶対に忘れず、何だってこなせることを……。だから婚約者選びで、あんなことをさせたんだよ……。少しでも伯爵とマルチナへの復讐になると思ってね……」
ウォレスは心の中で悲しんでいた。囚われていたアデルを救ったら、元の彼女に戻るのではないかと期待していた。しかし彼女は伯爵家で見た通り、無感情のままだ。だが、そうなるのも無理はないとウォレスは自分に言い聞かせる。なぜなら両親を殺された挙句、その加害者に虐め抜かれていたのだから――感情が消えてもおかしくはない。
「復讐……?」
その時、アデルが唇を開いた。
「どうしたんだい? アデル?」
「復讐とは……一体何の復讐でしょうか……?」
ウォレスはアデルの目を見て、必死に語る。
「勿論、君の両親を殺し、君を苦しめた親子への復讐だよ! 僕は君のことだけを思って、行動していたんだよ!」
その言葉を聞くなり、アデルの手が震え始めた。
「で……ではウォレス様はあの親子を裁くための口実として私を利用したのではないのですね……? 私のことを思って、行動してくれていたのですね……?」
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第8話
ウォレスはその言葉に大いに頷く。
「ああ、その通りだよ! 僕は婚約者選びなんてしないで、君とすぐにでも婚約したかった! でもそれ以前に公爵家は襲撃されて、生き残った君は伯爵に連れ去られていたんだ! ごめんよ! 僕がもっと早くに気付いていたら――」
そう伝えると、アデルは目を見開いてウォレスを見た。
その瞳には驚愕と激情がたっぷり詰まっているようだった。
アデルはしばらく肩を震わせると、やがて口を開いた。
「――私はあの襲撃事件から、感情に蓋が嵌ってしまったんです。何をされても辛くない、痛くない、苦しくない。だからあの家にいられたんです」
アデルは瞳を揺らしながら語り続ける。
「でも優しかったお父様とお母様が忘れられず、ずっと復讐してやろうと思っていました。だからあの家に留まり続けたんです。あの二人を調子に乗らせ、マルチナがあなたの婚約者に選ばれた暁に、殺してやろうと思ったんです。なのに……幼い頃から好きだったあなたが……また私を選んでくれて……それで私は……――」
美しいエメラルドの瞳に涙が浮かんでいた。
無表情が泣き顔に変わり、大粒の涙が次々零れる。
「それで……私の感情の蓋が外れたんです……! 私は感情をまた感じられるようになっていました……! でもあなたの計画のご迷惑になると思って、こうして感情を殺していたんです……!」
それは昔に見たアデルそのものだった。
感情のまま泣き笑う彼女をどれほど愛していたか――
ウォレスはすぐさま席を立つと、椅子ごと彼女を抱き締めた。
「アデルの馬鹿! 僕があの親子を裁くためだけに、君を婚約者に選ぶ訳ないだろう! 君を愛しているから、選んだんだ! 幼い頃からずっと君が好きだった!」
「あっ……ああ……ウォレス様ぁ……――」
そして二人は子供のように泣きじゃくり、最後には笑い合ったのだった。
―END―




