第2話 異端審問官
私が初めて人を殺したのは十三の時、相手は悪魔に魅入られ義父によって街中で捕らえた、連続殺人鬼の狂人だった。
椅子に縛り付けられた男を指差して、義父は言った「本当に異端審問官を目指すならば、この男を殺せ・・殺し方は教えてきたはずだ」と。
私は、髭を蓄え白髪交じりの髪を持つ義父からナイフを受け取ると、男の前に立ちナイフを構えた。
相手に近づこうと、足を動かそうとしたが、動かない、ナイフを突き立てようと、腕を動かそうとしたが、動かない。
私の身体は石像の様にナイフを構えたまま動かなかった。。
それが良心の呵責によるものだと言う事は、自分でも分かっている。
隣に立つ義父は目だけで語る「お前は、人類の為に異端者を駆除すことは出来るのか?」と
そこからどれだけの時間が過ぎたのかは、分からない、ただ考えて、考えて、考え続けて、ようやく自分の中に答えを見つけた様な感覚がした。
それが本当に答えなのかは分からない。
だが私の身体は動いた。
「はぁ・・情けない、殺すことが出来ないなら・・・」
義父が何かを言おうとする前に私は男の首をナイフで切り裂いく。
教えられた通りに振るわれたナイフは、急所を的確に切断し男は一瞬で絶命した。
私は男の首から噴き出る血に黒髪を濡らしながら、義父に向き直り言う。
「私は異端者を殺します・・人類を守る為に」
そして私は異端審問官になった。
下水道、都市の地下に張り巡らされたそれは薄暗く不衛生で、おおよそ人の寄り付かぬ場所である。
空気が淀んでいる上に生活排水の激臭が鼻を刺し、壁と床はぬめりけを帯び、既存の物とは思ぬ生物が跋扈する。
このような場所に来る者など変わり者か愚か者だけだろう。
しかし政府や官憲から隠れ、異次元の神々を信仰する異端者達にとっては、良い隠れ場所となる。
だが異端者を狩る者達にとっても下水道は良い狩場でしかない。
普段は水の流れる音しかしない下水道は今、喧騒で満ちていた。
刃物と刃物がぶつかる音、肉が引き裂かれる音などが下水道に響く。
その音の主はボロ布に身を包んだ異形達であった。
異次元の神々を信仰し異端者となった彼らは神々の祝福により、人外の者になり果てていた者達だったが、今は神妙な面持ちで銃や剣などを持ち暗闇の中の何かと戦っている。
暗闇の中から断末魔や銃声などの音がなっており、異端者達は少しずつ近づいてくる戦いの音に警戒していた。
「音が止んだぞ・・・」
「やったのか」
異端者達が警戒していると音が突然止む。
「待て・・何か聞こえる」
頭が変異し、コウモリの様な耳を持つ男は何かを察知する。
暗闇の中からは戦いの音の代わりに何かの足音が聞こえた。
「くるぞ・・」
複数の腕を持つ男が前衛に立ち剣を構えると、現れたのは蛇の様な頭を持つ異形の男であり、異端者達は仲間が現れた事により、警戒を止め男に話しかける。
「なんだ・・お前かよ」
「おい・・・侵入者はどうした!やったのか?」
「返事をしろ・・おい」
牛の様な角を持つ異端者が、生気の無い蛇の男に触れようとすると、男はいきなり倒れた。
「これは!?」
男の首にはナイフが刺さっており、大量出血により既にこと切れている。
「・・・っ!まだ誰かいるぞ!」
異端者達が暗闇を見るとそこには帽子を被り、ケープ付きのコート着てズボンを履きベルトにショートソードとリボルバーを下げ、ガスマスクで顔を隠した小柄な人間いや・・・
異次元の神々を信仰する者達にとっての天敵、悪魔や異端者を狩る者、異端審問官がそこにいた。
「奴を殺せ!」
その姿を見た瞬間、男達は一斉に襲い掛かった。
最初に複数の腕を持つ男が全ての腕に剣を持ち、素早い連撃で切り刻もうとする。
それに対して審問官はリボルバーを構え、引き金を引くと弾丸はは男の足に命中し、男はうめき声を上げながら倒れこんだ。
「ならこれでも食らえ!」
次に牛の様な男が轟音を立てながら、突進を行う。
審問官は闘牛士の様にひらりと突進を躱すと、すれ違いざまに懐から粘着爆弾を取り出し男に貼り付ける。
「なっ!」
男が旋回しようとすると爆弾が爆発し、辺りを肉片と血が染めた。
コウモリの様な男は怯えながら審問官に銃を向けるが、引き金を引こうとした瞬間、バン!と言う音と共に額に穴が開き、血を噴き出しながら絶命する。
審問官は銃を装填しながら、生き残りの方に視線を向けた。
「助けっ・・」
倒れこんでいた男は動かない片足を引きずり、この場から逃げようとするが審問官は投げナイフを取り出すと男のもう片方の足に投げ、その動きを封じた。
「まっ待ってくれ、降参する!」
複数の腕を持つ男は、持っていた剣を全て手放し審問官に懇願する。
「・・・本部まで案内しろ、足が無くても動けるだろう?」
「っ!」
審問官は鞘から剣を抜き、男の首に突きつけるとガスマスクでくぐもった声を発し、男を脅し始めた。
「どうした?案内しないのか?」
「あっ案内する!案内するから待ってくれ、知っている情報も全て話す!」
男はこれが生き残るための最後のチャンスだと思い、怯えて呂律の回らない口で必死に話す。
不数ある腕を使い地面を這うように移動して審問官を案内しながら、自分達がアバンと言う存在によって集められた事や、信者達の血を使い悪魔を呼び出そうとしている事など、あらゆることを話した。
案内をし始めてからしばらく経つと、いくつかの柱が点在する広間の様な場所に出る。
中央には血に濡れた祭壇の様な物があり、天井からわずかに差す光によって神秘的な雰囲気を醸し出していた。
「ここが本部だ、アバン様も近くにいるはずだ・・・なあ、俺はあんたをここまで案内したし情報も話した!だから頼む、見逃してくれ!」
「・・・」
「おい!何とか言ってっ・・!?」
「・・・!」
その瞬間、石造りで出来た壁が破壊され、そこから三メートル程の灼熱した剣が現れ男を貫いた。
「なっ・・ぁ!」
「祝福を賜りながら、背教的言動を行うとは・・万死に値する・・・!」
壁を破り、姿を現した存在は裏切り者を剣で突き刺すとその体を真っ二つに切断し、辺りに大量の肉片と血がまき散らされる。
その存在は分厚いローブに身を包んだ屈強な男の姿をしていたがその姿は所々異質であり、頭からはヤギの様な角が生え、その目もヤギの様に細長くなり、身長も二メートルを超えていた。
「虫が侵入したと聞いて見れば、随分と小さい虫だ」
「・・・」
ヤギの様な男は審問官の方に向き直ると、その手にもつ灼熱の剣を構え言う
「貴様もケール神への贄にしてやろう、さあ武器をとれい!」
言葉と共に凄まじい熱気が放たれると周囲の構造物は一瞬で崩壊し灰と化す。
柱は消え去り、天井は崩れ、複数の腕を持つ男だった物は欠片も残らなかった。
熱気は審問官をも巻き込み、ガスマスクにひびが入る。
崩落した天井からは月明かり差し審問官を照らす。
「そう言えばお前は彼女が何故、異端の疑いを掛けられたのか知っているか?」
「いえ、噂程度しか」
大通りにおいてハインリヒは異端者の掃討を行いながら遠くに巻き起こる煙を見て副官と言葉を交わす。
「なら教えておこう・・・彼女は生還者なのだよ、異次元からの」
「なっ!?」
その言葉を聞いた瞬間、副官の顔が驚愕と困惑で染まる。
ハインリヒは続けて更に言葉を紡ぐ。
「彼女は数年前、訓練生として人事局に所属していたが訓練中に他の人員と共に異次元へと続く亀裂に飲み込まれた」
「っ!コルヴィッツ訓練場事件・・・」
「当時は大事件だった・・・教官と合わせて数十人の訓練生を失ったわけだからな、それに聖別区域の真ん中に亀裂が出現したものだから、帝国軍の配備やら防衛戦略やらが全て練り直された」
ハインリヒは煙草をふかしながら、懐かしむような口調で語る。
「そしてここからが本題だが、殆どの者が行方不明として処理されてから二年後、同じ場所に亀裂が出現した、直ちに警備隊が現場を封鎖したが亀裂は傷だらけの人間を一人吐き出すと直ぐに閉じ、吐き出された人間に話を聞いて見たら二年前に飲み込まれた彼女だった訳だ」
「馬鹿な!二年も異次元で生存できた例など過去、殆どありません!それに帰還できても大抵は、変異した異端者になっているか原型をとどめていない怪物になり果てているのが常です!」
「確かにお前の言う通り、大体の奴は異端者達が言うところの祝福を神から受けて変異してしまう
実際、彼女は直ぐに拘束されて治療後に封魔局が色々と尋問やら検査だのを行ったが結果は白、何処を調べても変異の兆候すら感じさせ無かった」
「その口ぶり、ハインリヒ審問官は現場に立ち会って居たので?」
「まあ、粛清局に来る前は封魔局で働いていたからな・・・と話がそれたな、それで話の続きだが
結局彼女には髪の変色や異次元での人格障害位しか症状が見られず、上は彼女の能力を買って悪魔退治専門の討魔局に配置したと言う訳だ」
「しかし・・・」
「お前の気持ちも分かる、庁内にも彼女を疑問視する声は大きい・・・そして誰が言ったか皆、皮肉を込めて彼女をこう呼ぶ、祝福の異端審問官とな」
ガスマスクはひびが少しずつ拡大し、遂に真っ二つに割れて地面に落下、異端審問官の素顔がさらされる。
「・・・」
月明かりに照らされるそれは美しい、白髪と碧眼の瞳を持つ少女であった。
白髪を一つ結びにまとめた少女の顔は余りにも整っており、可愛らしさと美しさが両立し、その佇まいは服装と相まって気品を感じさせ、鋭い目の中にある青い瞳ものぞき込めば吸い込まれてしまうような印象を受けるだろう。
その姿が月明かりの下にあっては更に美しく、まるで神話の1ページをその場に具現化したかの様な神聖さをまとっていて、もし芸術家がこの場を見たのなら即座に絵画を描き。信心深い人間ならば跪き祈りを捧げるだろう光景であった。
「異端者が蔓延る下水道に奇跡の月明かり・・・不愉快だ」
だが少女が武器を構えながら言葉を発すると、神秘的な雰囲気は直ぐに霧散してしまう。
見た目だけなら先程と余り変わりはないが、少女が放つ雰囲気は激変していた。
その雰囲気はまるで死と狂気その物を身にまとっているかの様で、まるで死神がそこに居るかの様である。
そこに居るのは神秘的な少女では無く、処刑人たる異端審問官であった。
「我こそは偉大なる戦いの神、ケール神を信ずる戦士が一人!!灼熱のアバンである!この剣に貫かれる事を光栄に思うがいい!」
男が名乗りを上げると纏っていた分厚いローブは灰と化し、赤黒い全身鎧が姿を現した。
鎧は生物の様に脈動しており、これが人によって作られた物でない事を示している。
「神より頂きし、この剣と鎧を持って!貴様に天罰を下してやろう!・・・天誅っっ!!」
アバンは叫びながら剣を両手で持ち、頭上から重い一撃を一撃を叩き込んだ。
対して審問官はそれを受ける様な事はせず、剣が触れる直前に横へと回避し無防備なアバンのわき腹に右手のショートソードを突き刺す。
しかし重厚な鎧によって剣は弾かれ、審問官は代わりに左手のリボルバーから銃弾を数発、叩き込んだ。
「ぐっ!」
銃弾の命中によってアバンは苦悶の声を上げるが、弾は鎧を貫通することは出来ていないようで、致命傷には至っていない。
アバンは振り下ろした剣を横にし、下方向から審問官に向かって薙ぎ払った。
だが審問官は自身に比べて緩慢な動きをするアバンの攻撃を先程と同じ様に見切り、上に跳躍する事によってそれを回避する。
更に審問官はアバンを踏み台にする事によって、ナイフを投げながら距離を取った。
投擲されたナイフは装甲に覆われていない脇の可動部に命中し、そこからは黒く変色した血が流れ出ている。
「小癪な真似を・・・っ!?」
アバンがナイフを抜こうとすると凄まじい激痛が走り、傷口からは何かが焼ける様な音と煙が発生していた。
「それは聖水式のナイフだ・・・異次元の者、特に悪魔へ命中すれば即座に身を焼く、それは悪魔をその身に宿しているだろう貴様も同じだ」
「おのれっ!」
「この帝国において異次元の神を信仰する事も悪魔を召喚し身に宿すことも全てが罪である・・・よって貴様は死罪だ、人間として裁かれる事を幸福に思って、死ね」
「知った事かぁ・・・!!」
アバンはその言葉に激怒し、自身の手に持つ灼熱の両手剣を水平に構え、炎を纏いながら審問官に向かって強力な突きを放った。
灼熱の一撃は速度、威力、重量、全てにおいて一級品であり、人間が当たれば貫通どころかただの肉塊になってしまう。
そんな一撃を前にして、審問官は焦る事もなくただ剣を構えて、正面から攻撃を受ける。
剣が届く瞬間、審問官はそれを紙一重で避けると逆に懐に飛び込み、剣を足で踏みつけた。
「なっ!」
アバンが攻撃を見切られて驚愕している隙に、審問官は剣を踏み台にして首元まで近づき剣を突き立てる。
首から大量に出血しながらもアバンは反撃しようとするが、審問官は突き刺てた剣で一気に異端者の首を切り落とす。
「まっ・・・」
アバンは首だけになってもまだ意識と命を保っていたが、審問官は地面に転がる首に剣を突き刺し異端者を絶命させた。
「任務完了ですね・・・」
審問官は一言つぶやくと武器を収めて懐から発煙筒を取り出し、点火すると広場の中心に放り投げる。
大量の煙が噴き出してしばらくすると崩落した天井からロープが垂らされ、ガスマスを装備しサブマシンガンで武装した兵士達が降下してきた。
兵士達は武器を構えながら周辺に散らばっていき、最後に士官服を着た隊長らしき男が降りてきて審問官に敬礼を行う。
「敵本部の特定、感謝いたします、後は我々に任せてヘリに」
「後は任せます」
審問官は答礼を返すと、ロープに体を固定して上空の輸送ヘリに搭乗しその場を後にした。
異端者の下水道には銃声と悲鳴が響く。