第六十五話 シムラとリオ
リオ・ティグリス。
彼は密林の奥地に捨てられた孤児だった。
悪魔討伐隊がたまたま発見し、保護をすることが出来た幸運な子供であった。
その後、魔殺しの子供達に配属され、救ってもらった恩を返すために彼は尽力しようと考えていた。
とても明るい子だった。
周りを活気づかせ、空気を澄んだものに変える不思議な力を持っていた子だった。
そんな子を担当することになったシムラもまた、恵まれたと考えていた。
当時、第十支部に派遣されたシムラは酷く不安だった。
彼は元々研究者であり、子育ての経験も十年と経たずに終わってしまった。
それ以来、子供と接するのが恐ろしくなってしまい、悪魔を討伐するべくキメラの研究に没頭していた。
そんなシムラであっても、担当とする五十人の子供達の笑顔、覚悟、鍛練の様子を見て、いつしか不安は無くなっていた。
中でもリオの存在は大きく、泣き噦る子供がいても、リオがいれば泣き止んだし、リオが説得に入れば大抵のことは皆頷いた。
リオとシムラはいつしか、ブラザーと第十支部のリーダーとして互いに相談をしあう間柄となった。
大人のシムラが情けない、と思う人は少なからずいただろう。
だがリオも子供ながらにそんなシムラのことを慮っていたし、シムラもリオがまだ子供だからと消えかかっていた父性を再燃させ、子供達の教育に努めた。
彼らの関係は良好すぎるほどに良好だった。
だからこそ、彼らは失敗した。
『ああああああああああぁぁぁぁ』
雨が酷い日だった。
地面はぬかるみ、野生の動物達もその身を隠している。
大雨の音ですらかき消せない、シムラの慟哭が曇天に轟く。
『あああああああああぁぁぁぁぁ』
その日は悪魔討伐の任務が、初めて第十支部に課された日だった。
教育と特訓を重ね、強くなった子供達に不安の色はない。
子供を戦場に追いやるのが忍びないシムラだけが不安そうな顔をしていたが、リオのやる気と自信に満ちた表情がシムラを決心させた。
魔獣五体という、初めての任務にしては危険な任務だった。
初めての任務、ということを考慮すれば、魔術一体につき、少なくとも五人は必要となるこの任務。
二十五人を駆り出して、任務が成功する確率がどのくらいなのか、研究者のシムラには判断がつかなかった。
『大丈夫ですよ、私がついてます』
そんなリオの言葉に、シムラは気を緩めた。
五十人の中でも特別才能のあるリオがいれば、なんとかなるはずだ、と。
だからシムラは頷いてしまった。
そして、結果は考える限り最悪なものとなった。
『あああああああああぁぁぁぁあっ』
リオ一人と子供四人を残して全滅。
肝心な生き残り五人もそれぞれが息は絶え絶えだ。
リオは意識不明の重体。
東の国、刹羅からやってきた剣士の女の子は両目を失明。
可愛らしい女の子は髪の毛から頭部の皮膚が全て剥がれ落ちた。
身体が小さな男の子は全身血だらけ。
勝気な男の子は顎を失った。
その五人を連れ帰り、リオの治療を続けるシムラは思考する。
どうすればリオを救えるのか。
他の四人はとりあえず治療を完了し、一命は取り留めている。
だが、リオのみが体調がわからない。
悪魔から致命的な一撃を受けてそれ以来、意識を失い、かつなぜ意識がないのかわからない状態だった。
だからシムラは一度自室に戻り、参考文献を探すことにした。
悪魔から攻撃を受けた際の対処法が記載されている書物を探しに。
それが彼の、一番の過ちだったのだろう。
『よ、ようやくみつけた! 悪魔からの魔素を体内に取り込むと身体が侵蝕されて……リオ?』
それは恐らく、現在のリオと全く同じ症例が記載された完全な治療法だった。
大急ぎでリオを寝かせた部屋に戻ればそこに彼はいなかった。
リオを見ていてと頼んだ子供の死体がベッドの横に転がっている。
嫌な予感のする血痕が、形跡となって扉へと続いている。
その先は教会の最も広い部屋、礼拝堂へと続いており、この時間子供達は祈りをしていたはずだ。
リオを治療している間も聞こえていた子供達の声が、今は聞こえない。
薄い壁の先から何も、聞こえない。
シムラはドアノブを回して、礼拝堂へと入った。
その先は地獄だった。
『何を……しているんだ、リオ』
見慣れたはずの礼拝堂は、赤に染まっていた。
子供達の死体が散乱している。
爪で引っかかれたような傷跡が残り、食いちぎられた後のようなものが残り、酷いものでは頭も四肢も存在しないものがあった。
そんな死体の山に鎮座する少年の姿。
紛れもなくそれは、シムラの知るリオの姿だった。
『あ……が、が』
言葉も発せず、ただ虚空を見つめ、鋭い牙を見せつけながら首を傾げている。
意識が判然としない。
これは現実なのか。
現実であるはずがない。
誰よりも優しかったリオが仲間を惨殺するなど。
どんな悪夢より、悪夢だった。
そんな悪夢が、シムラに牙を剥くのは想像に容易かった。
シムラが瞬いたその瞬間、リオは数メートルの差を詰め、シムラの首元目掛けて口を開いていた。
何もしなければ死ぬ。
殺すつもりの強襲だ。
シムラは現実を受け止めて、言った。
『第三の手』
直後。リオの身体は真横から殴られたように吹き飛んだ。
空中で止まるようにしてリオの身体は拘束されて、体をくねらせて嫌がっている。
何かに牙を立て、何もないはずの空間には血が滴り始めた。
『悪魔憑き……そんな……これが……こんなことが』
噂には聞いていた。
悪魔に襲われたものが、悪魔の魔素を取り込むと低い確率で気が狂うと。
悪魔の魔力の源、魔素は大気中や人類が魔術を扱うために使用するものとはその純度が違う。
悪魔が使うものは人にとっては毒であり、基本的に死に至らしめるものだ。
ただ場合によって適性を持つ者だった時、それは悪魔憑きとなって、より強力な力を得て暴れ出すという。
『ぼくは……どうしたら……』
ブラザーになるために勉強していた事例が、まさか最初の任務で起きるとは。
想像もしていなかった。
五十人の子供達が一夜で五人に……いや、四人に減ってしまうなど。
リオは空中で徐々に潰されるように身体が収縮していく。
伴って元気に暴れ、牙を剥いていたリオもゆっくり白目を剥いて泡を拭き始めていた。
悪魔憑きとなった人間を助ける方法はない。
安らかに殺してやるのがその人のためになる。
そんなことが書いてあった。
だからシムラは泣きながら、しかし決心がつかない力加減が少しずつリオを苦しめる結果になったとしても、ゆっくりと力を入れていた。
『ぼくが、子供を……殺すなんて……そんな、そんなことが』
数年前に娘を失った。
その悲しみで、悪魔を殺す研究をしていたはずなのに。
まだ自分は子供を殺してしまうのか。
良きパートナーとして自分を支えてくれた、優しいリオを。
そう思うと、自分の罪深さに死にたくなった。
だが、
『待て……キメラ。そうか、キメラ』
ある閃きがシムラの脳に光を灯す。
人体で毒になり、気を狂わせてしまうのであれば──人体でない何かを取り込めば元に戻るのではないか。
すぐさまシムラは研究結果を探しに自室に戻り、自分のなんとか持ち出せた資料に目を通す。
元の研究施設ほどの設備はないが、それでもリオを救うためならやるしかない。
そうしてリオに麻酔を打ち、眠らせて凍結魔術により仮死状態にした。
残る四人にも悪魔憑きの可能性があると見て、仮死状態にした。
その間にシムラはなけなしの金で研究姿勢を作り、必死にキメラ研究を追求。
その結果七年の時を経て、シムラの人と動物の融合体を作り出す研究は完成した。
真っ先にリオを虎と融合させ、キメラを作った。
魔術的な干渉により、見た目は人で魔力を通した際のみ虎の見た目に変わる進化も遂げた。
計算では悪魔憑きの効果も薄れ、元の人格に戻るはず。
そうして溶液カプセルから実験を終えたリオが目を覚ます。
『先生……?』
『リオ!! あぁ! 良かった! リオ!!!』
問題なく成功した。
その成功を元に、残る四人にも実験を施した。
リオの魔素による侵蝕というよりも重度の怪我を負っていた四人は、獣との融合により驚異的な再生能力を手にし、それにより身体は修復され意識を取り戻す。
シムラは歓喜した。
自身の研究で人を救うことができたと。
娘を失った復讐心に駆られ始めたことだったが、命を救うことができたのだと。
シムラは泣いて喜んだ。
だが、その後ろでリオは。
『先生……なぜでしょう、私』
呆然と立ち尽くす。
異変に気づいたシムラの涙が止まった。
『嬉しいはずなのに、涙が出ないんです』
実験が成功したその代償は、あまりにも大きかった。
リオはその日から感情を失った。
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