第六十四話 失敗
第二支部研究所、養液室での激闘は未だに続き、最高潮を迎えていた。
「そこを退けェェェぇっっ!!」
振り上げられる拳は一トンを超えた、超質量の岩塊だ。
例え屈強な戦士が魔術による強化や防壁を張っても、それを貫通してダメージを与えることは想像に容易い。
そんな原初のゴーレムの一撃を、リオは、
「うおおおおおおお!!!」
両手を掲げ、気を最大まで手と足に蓄え、放出することで受け止めてみせる。
床は砕き割れ、リオの身にかかる負荷の大きさを表していた。
それでもリオは口端から血を僅かに垂らす程度の負傷で済んでいた。
「くっ! 嘘でしょ!? どうなってんのよ!」
「それはこちらのセリフだ……なんて攻撃」
巨大なゴーレム鎧カラクリと化したアダムコアの胸部から露出するカリストは、息を荒げている。
同様にリオの息も上がっていた。
双方の実力はほぼ互角。
あとは実力以外での要素が彼らの戦いを決着させるのだろう。
だがそれはきっと──実験が終わる頃の話だ。
「血の注入率九◯%……あと少し、あと少しだイデアーレ」
不測の事態は想定以上に起きた。
だがその全てを、十年の月日の準備が退けてくれた。
第三の手も、リオも、他の第二支部の子供達も。
もはや、シムラの障害は何一つない。
「まだ、立つのか。運び屋」
注入率九二%。
その表示を見つつ、隣で立ち上がる男を見た。
片腕はだらりと力ない。骨折でもしたのか。
血だらけで、なんとか銃を向けることができているような、死に体。
果たして引き金を引くことが出来るのか。
それすら判然としない、みっともない姿のバンジャックがそこにはいた。
「もうやめましょう。あなたがしていることは、世界の救済を止める行為だ。彼女に関係ないじゃないか、あなたは。なぜ、あなたがそこまでして戦う必要がある」
「…………た」
「た?
血が目に入ったのだろう。片目も瞑り、震える手で銃口を向け、優しい顔でバンジャックは言った。
「助けて、と……言われたんだ」
「…………それだけかい?」
「言われたんだ……」
震える銃口が止まる。
目に光が走る。
シムラはそれを見ても、
「そうか。随分と、優しい男なんだね。あなたは」
身動ぎ一つしなかった。
銃声が部屋に響き渡る。
激しかったリオとカリストの戦闘音は、二人の間から消え、静寂が両者を包む。
バンジャックの表情は、
「だからここぞで失敗する」
絶望に染まっていた。
同時。シムラの操作していた画面が百%の表示に変わり、養液に満たされた円柱カプセルの色が変わる。
養液内に泡が湧き上がる。少しずつ養液が排出され、体育座りで浮かんでいた少女が徐々に降りてくる。
そして、シムラの前まで降りて来て、シムラは両手を広げた。
「さぁ!! ぼくのイデアーレ……今こそ新たな英雄譚を知らしめる時だ! その身に宿る勇者の力を持って、世界の悪魔を撃滅するのだ!!」
シムラの高笑いが響き渡る。
長年の研究が成功しよつとしているのだ。
誰でも声をあげて喜びたくなる。
だが、不意にその表情が曇る。
理由は簡単だ。
目の前の少女に抱き付かんばかりに振り上げられていた、シムラの両手はダラリと下がり、不可解な表情で眼前の少女を見つめている。
「イデアーレ……? どうした、なぜ、なぜ」
狼狽。困惑。
心臓が早鐘を打っている。
信じられない。信じたくない。
十年の月日は万全であり、この結果に至るまで全て順調にことが運んだ。
なのに。過程は完璧だったのに。
どうして。
──そんな恨めしそうな顔をしているんだ?
「────────」
少女は瞳を大きく開いて、声にならない音をあげる。
シムラは目に見えない力に押されるように真後ろに吹き飛ばされた。
全速力の馬車に真正面から轢かれるような衝撃に、シムラは研究所の壁に埋め込まれる。
重力が横向きにでも変化したのか、終わらない力の流れに、シムラは気付く。
「これ、は……勇者の見えざる力……念動力!」
念じただけで物を動かし、浮遊させる力“念動力”。
それはかつての勇者のみが持ち得た能力であり、その力に下限はあれど上限はない。
少なくとも、魔王を何体も倒し得たその力に、不可能があるとは考え難い。
それほどの力の奔流が今、シムラを襲っている。
実験体となった少女によって。
「────────!!」
声にならない叫びを少女が上げる。
少女が放っていた力は一定方向から全方向へとベクトルを変える。
放射的に放たれる力の奔流は、研究所内のありとあらゆる物を吹き飛ばしていく。
まるで少女のいた場所が爆心地だったかのように、被害は広がってゆき、更地になってゆく。
その衝撃をアダムコアの両腕で、胸部から露出した本体を守るカリスト。
アダムコアの鈍重な巨体が、少しずつ後ろへと押されていく。
「こ、何この力……!!」
魔術の天才であるカリストですら理解不能な力の奔流。
それこそが勇者が扱っていた念動力だった。
従来の言葉・概念では説明出来ない、勇者だけの力は、カリストの意識をほんの僅かに緩ませた。
その瞬間を野生の虎は見逃さない。
「虎牙王衝!!」
ガラ空きとなったアダムコアの背中に取り付いて、気を溜めた拳をその背に当て放たれる。
鎧通しの気の衝撃技は、装甲による威力減衰を受けず、純粋なリオの威力をカリストに伝えた。
「なっっっ────がっっ!?」
カリストを守る鎧は粉砕し、衝撃を余すことなく本体に伝える。
前方からやってくる不可解な力の奔流を防ぐことに意識を割いていたカリストは、碌な防御もせずにリオの攻撃を受けた。
力なく倒れ込み、彼女の意識は即座になくなった。
「さすがに強かった。楓でも勝てていたか……」
リオは息を切らしながら、残骸と成り果てたアダムコアに寄りかかる。
念動力の奔流は未だに研究所を更地にしており、カリスト特注の鎧だけは砕けても不動だった。
その影に隠れ、戦闘不能になったカリストとリオはやり過ごす。
思い返せば、長い年月シムラの理想を叶えるために尽力してきた。
シムラに命令されたからではない。
本心からリオはシムラのためにその力を貸したのだ。
そして結実した今この瞬間、リオは自分のことのように喜べた。
シムラのために役立てたのだ、と。
だが、
「だめ……か」
それでも笑えない。
頬を触る。口角はぴくりとも動かず、短い人生の中でもとびきり嬉しい出来事のはずなのに心は、身体は反応しない。
だから、
だから許せない。
「────────あいつ」
こんなことに、心が動くのが。
身体が反応してしまうことが、許せない。
アダムコアの瓦礫の影から覗く、その先を見て、リオは緩やかに口角を上げている。
シムラの研究が成功することよりも、仲間と共に笑い合うことよりも、カリストという強者を打ち破ることよりも──何よりも。
彼の存在が、リオの心をたぎらせる。
「────────雑用」
リオの視線のその先で。
倒したはずの男が、少女の首に喰らい付いていた。
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