第六十話 大人の時間
「──シッ」
リオが黄金の気を纏って疾走する。
研究所内で最も広い勇者生誕の部屋、その両端で仁王立つ二人の間を刹那のうちに詰め寄る脚力を持って、ケンの前に躍り出る。
気を纏った爪を振り下ろす。
人体など容易く両断できる威力は、鉄の壁に爪痕を残す。
身を反らして、ケンは難なく避けてみせた。
初撃を避けることなど想定済みだ。
リオは身を捩り、上下左右から軌道を選ばない自由自在な斬撃を繰り出す。
混成変化──虎。
猫科の動物の力を惜しみなくその身体に詰め込んだリオの攻撃は、力強いだけでなく柔らかい関節から繰り出される柔軟な攻撃なのだ。
それを可能にしたのは、リオの戦闘センスとトランス先の虎との噛み合いが最良だったことが大きな要因だ。
避けても避けても繰り出される必殺の一撃に、それでもケンは避けるしかなかった。
今までの、ケンならば。
「狼魂の」
一方的な攻めに対して、一切反撃をしなかったケンがここに来て微笑んだ。
直感的にリオは、気を纏わせた腕を前方で交差する。
そして、ケンは口を大きく開けた。
「震哭!」
指向性を持った破壊の叫声は、視認出来るほどの衝撃波を生み出す。
リオの防御を容易く貫通し、その身体に衝撃を齎した。
身体の内側が破壊された鈍痛に、歯噛みをしつつも、宙で何度も回転をすることで最低限のダメージで済ませる。
猫の着地能力を用いて四足で着地して、口の端から流れる血を拭った。
「私は疑わしく思っていた。あの、悪魔討伐の最前線、最も苛烈で過酷な第一支部にいる人間が、雑用などを果たして置くのだろうか、と」
「あぁ?」
突然語り出すリオの言葉にケンは荒々しく返した。
気にせずリオは続ける。
「私らに限らず、各支部での雑用は戦闘に参加出来ない未熟な子供達だ。そのために数を揃えている。元来雑用などというものは必要ないんですよ。でも第一支部にはあった。その意味を考えあぐねていたんですが……」
リオの瞳が煌めく。
その感情は喜びか、或いは憎しみか。
ケンは分からなかったが、
「理解しましたよ、やっぱり貴方も、才能がある人だった」
直後のリオの微笑みを見て確信する。
あぁ──お前も同類か、と。
跳躍するリオの速度は初速にして最速だ。
繰り出される爪は気を纏い、一撃一撃が致命傷へと導く必殺。
一度受けてしまえば、戦闘不能は待ったなしだ。
早過ぎるリオの攻撃を、視認する前に身体が避ける。
時には振動する腕でガードして、弾いて、逆に攻めてを繰り返す。
二人の実力は互角に見えた。
だが、
「君のくせはわかりやすい」
「なんだと」
見抜いたようにリオは言う。
止まるような時の中で、呟いたその一言が嘘ではないことを彼は証明した。
リオの言葉の次の瞬間、ケンは肩から斜めに斬られて血が噴き出す。
突然の事態に、訳も分からず咄嗟に後退するがリオは依然攻撃をやめない。
「君のその、震える拳は脅威だ。見た目のダメージより内部に加わる損傷が激しく、体力が奪われる。攻撃をしているのはこちらだと言うのに、少しずつ消耗させられる。だがそれだけだ」
リオの攻撃は更に苛烈さを増す。
弱っている獲物に手心を加えるような男ではない。
それを理解しているケンではあったが、胸元についた巨大な傷が足を引っ張る。
傷は煙を上げ、既に外傷は修復された。
それでもそこに費やした体力、意識、その全てがケンを後手に回した。
それは恐らく、リオの言う通り。
「つまりは経験値がない──何せ雑用だ。戦闘経験は、片手程度だろう?」
「──チッ」
図星をつかれ、ケンは忌々しげに眉を顰めた。
状況は悪い。なんとか悪魔の能力で勝負の均衡は保っているが、リオの戦闘経験は数字持ちにも負けていない。
そもそも一番目やカリストに匹敵する相手を相手取ろうとしているのだ。
ケンが相手をするにはあまりに時期尚早。
そう考えれば、数分でも渡り合えたことにケンは喜んでも誰も責めない。
それでも今は。
「勝たなきゃならねぇんだ!!」
「そうか────」
渾身の拳を振り上げる。
拳に纏う振動の力はそれまでの比ではない。
ケンの成長が垣間見える最大の攻撃ではあったが──その前に、
「あ」
ケンの胸にリオの拳が到着する。
気づいた時には、視界は黄金に染まっていた。
「虎牙王拳!!!」
衝撃。外側と内側、両方を破壊する黄金の気がケンの身体を貫いて、その先の壁を粉砕した。
大量の血を撒き散らして、ケンはその場に倒れ込む。
その様子を見下しながら、リオは息を整えると小さな注射を取り出す。
それをケンの肩に突き刺し、自動的に血を吸い上げる。
血が十分に採取出来たことを確認して、リオはそれを先生に手渡した。
「よくやった、リオ。さすがだな」
「いえ……。正直危うかった。それほどに彼の力は凄まじい」
リオは目を細めて倒れるケンを睨みつける。
口端からツーっと落ちる血をぬぐい取り、自分の体が想像以上にボロボロなことに気づく。
「数分の戦いでコレか。彼が未熟だったことに感謝だな」
「はい。ですがこれで、勇者生誕を邪魔する者はいません」
「ははっ。だな」
リオから受け取った血を照明越しに見て、嬉しげに微笑むシムラ。
漸く夢が叶うのだ。苦節十年。
教会に邪魔をされ、ヴィルクに邪魔をされ、第十支部に配属され、紆余曲折を経て今では第二支部のブラザーとなり、色々なことに手を出した。
その甲斐あって、ここまで来た。
そう思うと、感慨深くて涙が出る。
自然と流れ落ちる涙を静かに指で掬い取り、溜息混じりにシムラは言った。
「だから君にこられると困るんだけどなぁ。運び屋」
静かに虚空に向かってそう呟くシムラ。
答え合わせをするように、徐々に姿を見せる海賊風の男バンジャック。
透明化を解除して、見せた姿は既に銃を抜き、シムラのこめかみに銃口を突き付けている姿だ。
瞬間、リオの全身に力が入り、跳躍しようとしたが、
「動くな。お前が来るより先に、俺は引き金を引けるぞ」
そのバンジャックの言葉にリオは歯噛みする。
リオを一瞥して、バンジャックは再びシムラに視線を戻す。
「さて。大人の時間と行こうか、シムラ先生。いや……トロッコマン博士、と言うべきか」
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