第五十一話 自主的に、ヤる
「そんな……血を吸わないと……いけないなんて」
カリストから告げられた真実は、僕に大きなショックを与えた。
能力を使うためには血を吸わなければならない。
吸わなければいつか、死ぬ。
そんな深刻な事態になっていたなんて。
「ケンは覚えてないの?」
僕の顔を覗き込むようにしてカリストは言う。
心配そうな顔だ。どうやら相当に僕の顔は酷いらしい。
「薄ぼんやりとだけど。でも会話の内容までは正直覚えてないんだ。小さくなった僕がおじさんの髭たわし攻撃を喰らったり、女の人たちに変わるがわる爆弾ゲームみたいに取り回されたり……」
「わ、私がくる前にそんなことが」
「あとはカリストの前でふんぞり返ってたくらいで……」
「…………」
カリストが話をしてくれたのはそこの部分だろう。
確かに僕は子供の姿でふんぞり返っていた。
だがまさか、その会話の内容がそんな能力の根幹に関わることだったなんて。
僕はあくまで透明な壁越しに状況を見ているような、そんな感覚だ。
夢を見ている、というのは言い得て妙かもしれないが、どこか違うような気もして。
僕が逡巡してる間に、カリストは服を脱ぎ始めていた。
「な、ななな!! か、カリスト!? 何を!?」
「何って、血を吸わせるのよ。あんたに」
「えぇっ!?」
凄く自然に当たり前に脱ぎ始める彼女に、思わず両手で顔を覆う。
とはいえ彼女も恥ずかしがってないなら、と指の隙間からちらり。
カリストは呆れた目でこっちを見てた。
「それ以外ないでしょ。死ぬんだから」
カリストは覚悟を決めたのか、普通に言った。
違和感。心に棘が刺さるような、或いは棘自体が内側から溢れるような。
嫌な気持ち。
「ほら、だからさっさと──」
「やらなくても、良いよ」
「え?」
咄嗟に言ってしまう。
心のままに。
カリストは意表を突かれたように、目を開いていた。
「僕が死ぬから、血を吸わせてくれるっていうんだったら、やらなくても良いよ。そんな同情で生きるくらいなら、僕は死ぬ」
「な、ちょ……待ちなさいよ。なんでそんな話に」
「僕はカリストに嫌々して貰いたくないんだ」
考える前に出ていた僕の言葉に、カリストはハッとする。
そうだ。
カリストが嫌だけど、僕が死ぬって言われたら血をあげるしかない。そんな気持ちでやって欲しくないんだ。
だってそれは究極的に、脅迫と同じだろう。
僕だってもし、同じ立場だとしたらきっとカリストに血をあげる。
親しい間柄であれば皆そうだろう。
「それに気付いたんだ。僕はきっと、本来はあの教会で死んでるはずの人間だったんだ」
カリストからの話を受けて、少し考えていたことがある。
血を吸わないと死ぬ。それは果たして吸血鬼だから、起きた制約なのだろうか。
もしかして、僕が今、生きるための制約では、ないのだろうか。
「一体どんな奇跡でここに居るのか、判らない。たった数週間とはいえ、カリスト達と旅が出来たし、ちょっとだけかっこいいところも見せられた気がする。そう思えばこの人生も──」
心から溢れ出る言葉が止まらない。
死を悟ってしまったからだろうか。
溜め込むのではなく、ただ垂れ流す。
自身の思いの丈を、吐露していく。
岩巨人のように、命令に従うだけの人形が如く。
口はもう止まらない。
その時だった。
「嫌で言ってるんじゃないわ!!」
俯いて、カリストが叫んだ。
その肩は少し、震えているように見える。
「死んで欲しくないから、じゃない。い──」
ゆっくり顔が持ち上げられる。
彼女の大きな瞳には涙が溢れるほどに溜まっていて、流れ落ちてゆく。
「生きて欲しいから、あげるのよ」
その言葉に僕は打ちのめされた。
死んで欲しくないからではない。
生きて欲しいから。
結論は似て非なるものだ。
同質なように見えて異質な答えに、僕の口は自然と閉じていた。
「ごめん……」
彼女が落ち着くまで背中を摩り、ひたすら謝り続ける。
どれほど時間が経ったろうか。
五分、或いは三十分か。
時間の感覚も定かではなくなる不安定な心境の中、カリストは真っ赤な顔をそのままに。
「ほら! さっさと吸いなさい!!」
と、首筋を突き出してきた。
ほんのり火照る彼女のきめ細やかな肌。
つーっ、と滴る彼女の汗。
妙に艶かしい光景に僕は思わず顔を逸らした。
「吸えって言われて、そ、そんな簡単に吸えるわけないでしょ!」
「でもそうしないと、話が進まないのよ! 一番目たちも帰ってこれないでしょ?」
「ぐ……それはそう」
あまりの説得力に僕も覚悟を決める。
これ以上躊躇しても良いことなど何もない。
カリストと向き合う。
肩を掴み、目を合わせるとカリストは少し恥ずかしそうに目を逸らした。
ゆっくりと肩に顔を近づけていく。
鼻腔をくすぐる甘いの香りに、やっぱり躊躇ってしまう。
まるでカリストを人ではなく食材として見ているようで──
「さっさと吸え!!」
「はがっ!?」
我慢の限界だったのか、カリストが自分自身の肩目掛けて、僕の頭を強力な力で押し付けた。
不意打ちに抗えず、僕の犬歯は彼女の肩を見事に貫き、そして。
「っぁ……」
痛みに悶える彼女と共に、破けた皮膚から溢れ出す鮮血。
彼女の反応を見て離れようとしたその瞬間、舌を濡らす鮮血の旨味に瞠目した。
元から大した食事をしたことがない僕だが、雑用の僕でもクリスマスだけは豪勢な食事を食べることが許された。
あの時食べたチキンがカスに思えてしまうほどの、コクと甘味。
何よりずっと飲んでいられる喉越しの良さに僕は虜になって、一心不乱に吸っていた。
まるで赤子が母の乳房を求めるように、必死になって。
「ぁ……はぁっ……」
カリストの嬌声が次第に強まる。
彼女の熱は高まり、血の旨味にも深みが出てきた。
吸えば吸うほど美味い。
これはきっと人では味わえない魅力の──。
「はぁっん……!」
「ご、ごめん! 夢中になって……」
とびきり大きな声を出したカリストに、僕が驚いて口を離す。
彼女の肩には大きな歯の穴が二つほど空いているが、不思議と血が出ていなかった。
彼女は息を荒げ、苦しそうに胸を押さえてゆっくりベッドに倒れ込んだ。
「か、カリスト!?」
「おっきな声出さないで。少し、疲れただけよ」
「そ、そうか……なら良かった」
傍目に見てもカリストの状態は異常だ。
僕がした吸血のせいで、彼女に負担を強いさせるのは、嫌だ。
だが、本当に吸血で力が戻っているのか、漲る活力に拳を作る。
「これなら……なんとか」
「なら良かったわ、とりあえず一番目達を呼んできてちょうだい」
「う、うん! すぐ戻ってくるよ!」
辛そうにはしていたが一人にして欲しいのだろう。
僕はすぐにテントから飛び出した。
—
ケンに話した内容はカリストの記憶全てではなかった。
血を吸わねば死ぬこと。吸わないと力が出ないこと。それと子供のような姿に見合わない大仰な態度であったこと。
その三つのみだ。
その人格がドゥルキュラから来ている可能性を、カリストは伏せた。
あくまで自分の仮説であり、確証がないことで不安を与える必要もないと考えていたのだ。
兎も角。
カリストはベッドの上で苦虫を噛み潰したような表情で、虚空を見つめていた。
「くそ……」
認めたくはなかった。
初めてケンに吸血をされた時、嫌と言いながらも受け入れてしまったあの感覚を。
手で肩を触るとケンにつけられた跡がくっきりと残っていたが、少しずつ塞がっていくのを感じた。
癒術を使ってもいないのに。
(はぁ……マジか、私)
身体を襲う脱力感と未知の感覚にカリストは顔を覆う。
恥ずかしいたらありゃしない。
痛みとケンは勘違いしていたが、カリストが感じていたのはまた別の感覚だ。
決して、ケンに見せたくはない類の──劣情を。
「最っ低……」
テントに取り付けられたランプが揺れている。
まるで彼女の心のありようを、写しているように。
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