第五十話 我はケン
カリストの眼前で屹立する不死の王。
ベッドの上で幼児が高笑いをするという、側から見れば何とも微笑ましい光景ではあったが、その中身は幼児と呼ぶには余りに悍ましい人を喰らう悪魔だ。
彼を見掛けで判断した者からなますぎりにされることを考えれば、より悪質になったと言える。
そして、悪魔退治のベテランとは言え、幼い少女が判断を下すには余りに混沌な状況にカリストは混乱していた。
ケンが悪魔に乗っ取られた?
魔人の復活?
私が眷属?
これを知っているのは私だけ?
────ならば、
『やー!!!』
『は!? 待て待て! 何をす──ぬぉぉぉっ!?』
心のまま。勢いのままに杖を振り上げ、魔術を使うことも忘れ、錯乱したカリストの突撃はケンをはベッドに押し倒す形で成功する。
杖先を頬に擦り付け、カリストは息を荒げる。
『こ、殺す……私が、今、ここで!!』
『まへまへまへまへぇぃ!! なんひ、なひはかんひはいひへはいは!?(汝、何か勘違いしてないか!?)』
『フゥー……フゥーッ……勘違い、て、何よ』
血走る瞳にカケラのような理性が戻ってくるのを確認し、ケンは少しだけ安堵の表情を浮かべた。
それが狙いだったか! と、再び激情したカリストは
『蒼天より束ねし焔天を追放されし咎人の魂よ今大海を燃やす竜炎に裁かれ──────』
一呼吸のうちに詠唱を終わらせ、杖先に炎のエネルギーが収縮する。
ケンの頬がジュッと焼け始め、ケンは脳裏で焦った。
──あ、これマズイやつ。と。
『待てーーーーい!! 落ち着けェェい!』
『ろふぅっ!?』
カリストの背後に影が伸び、それが手の形を成して脳天にチョップ。
見事に舌を噛み、カリストは撃沈してベッドの上から転げ落ちた。
『ほ、本当に危ない奴だ。危うく蒸発仕掛けるところだった……』
『なぜ、殺さないの』
『ん? なぜ? 我自身から聞いたであろう。我は、ケンである、と』
『……え?』
カリストは眼前の少年の言葉が理解できなかった。
停止する時間。流れる沈黙。
その間に反芻して、何とか言葉を捻り出す。
『つ、つまりあんたは魔人じゃ……ドゥルキュラじゃ、ないの?』
『誰だ其奴は。我はケンだ。本人と呼ぶには些か語弊があるがな』
その言葉にカリストは全身から力が抜けた。
殺さなければならない敵、という枠組みから様子見をする存在にランクダウンしたからだった。
とはいえ教会の人間、というか普段のカリストならば悪魔の甘言聞く余地なし! と切り捨てていただろう言葉だ。
彼の魅了と相手がケンである故の油断慢心でもあった。
ケンは小難しい顔をする。
『そも我本体の説明がいかんのだ。そうさな、我や狼化の状態はいわば、本体の御し切れない力の逃げ場……とでも考えれば良い』
『逃げ場……?』
『そうだ。狼化……を狼と呼称するが、奴には獣化と超音波の力が。我には魅了と影の力が分けられている。恐らく本体は我らの半分も力を出せないはずだ』
『なる、ほど……』
カリストはケンの言葉を受けて頭の中で図を思い浮かべた。
『つまり、一つの器じゃ入りきらない水を、三つの器に無理矢理分けることで制御を可能にした?』
『五十点、悪くはない。正確には、奴の器は強固な器にすげ変わった。しかし、その器の中にある水を扱いきれぬ故、透明な器が二つその強固な器の中にあるイメージだな。故に、本体は我らの記憶も有する』
『難しいけど理解したわ』
つまり器自体は三つだが、別々にあってもそれらは全て、一つの大きな器の中に存在しているということだ。
理解はしてもなお難しい話にカリストは唸りながら、
『それなら貴方も、ケンであることには変わりないのよね?』
『正確ではないがな。本体は我を通して世界を見ている。夢を見てるような状態だ。ケンであって、ケンではないと言ったところか』
カリストは首を傾げる。
とりあえずケンの状態が、普通ではないのは理解した。
そもそも悪魔憑きで暴走しない例をカリストは知らない。
基本は悪魔に乗っ取られ自身が悪魔になるか、シスターワテリングのように悪魔の力に飲み込まれる。
難しい顔で考え込むカリストに、ケンは続ける。
『能力と共に我らは各々の性格が生まれた。狼も我も、ケンの中に内在する意識の発露だ。なんならケン自身もそうだろう。狼は積極性。本体は正常性。我はそうさな……支配性、であろうな』
『支配性……?』
『支配欲といい変えても良い。汝が我をドゥルキュラと言ったのは、恐らく、我自身が悪魔の能力の根幹に近しい存在なのだろう。故に、ケンの能力、状態について仔細理解している』
『記憶も共有してるの?』
『違う。先も言ったように、我は大きな器の中に浮かぶ透明な器。故に、本体の記憶を垣間見ることは許されない。しかし、同じ器の中にいるのだ。知識は共有されている』
どんどん不確定要素が生まれるケンの状態に、カリストは冷や汗を浮かべる。
どんなに本人がケン自身だと言っていても、いつドゥルキュラの自我を取り戻し、ケンを乗っ取らないとも限らない。
現在は記憶をなくしているだけの可能性もある。
彼の言うことを鵜呑みにできない。
そんなカリストの態度が出ていたのか、ケンは可笑しいように笑う。
『まぁそう身構えるな。我が出てきたのは事故のようなものだ。後少しすればまた本体に戻る』
『な、なんでそんな事が言えるのよ』
『分からぬか? 我が出て来た理由が』
『………………………、あ』
なんとなく。理解した。
ケンが含みを持たせて態々告げたその意味は、自分が出て来たのには理由があると言うこと。
加えて、つい最近おかしなことはなかったか? という意味合いだ。
考えずとも分かる。そう、今回の騒動で起きたケンの大きな変化の要因。もしそれが──|ワテリングの血を吸った《・・・・・・・・・・・》のが要因だとしたら。
『ククク。存外切れ者のようだな。その通り。先も言ったが、我は能力が扱いきれなくなった逃げ場なのだ。血を吸った事で新たに得た力を御せずに我に寄越したのよ。つまり、慣れれば戻る』
『なに、てことは今後血を吸ったらあんたみたいな奴が増えるってこと?』
『そうとも限らん。本体は成長しているからな。その成長速度では足りないレベルの、負荷がかかればまた増えるやもしれぬな』
『なんて面倒くさい……』
悩みの種は増えるばかりだ。
カリストは頭を抱える。
『そして汝は今後、我に密接に関わる必要がある』
『は? 何よ、どういう意味?』
『分からぬか。我の能力は元の悪魔、吸血鬼に由来している。故に、血を吸わねば本体の能力は衰え、最終的には死ぬ』
『死────っ!? は、はぁっ!?』
カリストはケンの言葉に飛び跳ねた。
その驚愕の形相に、ケンは腹を抱える。
『ククク、そう変顔をするな。腹が捩れる』
『したくてしてるんじゃないわよ! 何? そしたら私はケンに血をあげ続けないといけないの!?』
『そうだと言っている』
『な…………』
つまり。
ケンは吸血鬼ではないが、吸血鬼とほぼ同じ人生を歩まねば普通の生活が出来ない、ということだ。
思えば最初狼の耳が生え出した時、あの時は吸血衝動が抑えきれなくなったのだとカリストは思っていた。
しかし今のケン(我)の話を聞き、理解した。
彼の話を全て信じるならば、狼の状態は積極性だという。つまり抑えきれなくなったのではなく、積極的に血を吸おうとしていたのだ。
吸血鬼として。
不安な色が増えたカリストに、溜息混じりにケンは言う。
『安心せい。少なくとも能力が使える間は平気だ。使えなくなったら吸わせてやれ。別に汝でなくても良い』
『他の人になんか頼めるわけないでしょ! でも……そんな、そんなのって……』
ケンを、人間として見るな。と宣告されたようなものだ。
悪魔憑きの暴走を回避したのに、コレでは。
コレでは悪魔に乗っ取られるのと何が違うのだろうか。
『何を焦る。本人が良しとしているのだ。汝が気にすることではあるまい』
『気にするわよ。私はケンの……ケンの幼馴染、だから』
ただ一人の。
雪国で、二人で死ぬ寸前まで身を寄せ合った。
まさしく命の繋がりだ。
ただの幼馴染ではない。
更に言うならば、ケンはカリストにとっての大事な──
『眷属のくせに生意気だ』
『あ! そうよ! 眷属って……何よ!』
『そのままの意味だ。汝には我の魅了が効かぬであろう? お姉ちゃん』
『くっ! その気色悪い声で話すんじゃないわよ!』
太い威厳のある声から突然少年の声に変わるケンに、思わず鳥肌が立つカリスト。
そんな様子を面白がるケンだったが、彼の周りを蠢いていた影が少しずつ縮小していく。
『む? そろそろ時間か』
『は!? まだ聞きたいことたくさんあるんだけど!!』
影は命をこぼして行き、ケンから発せられる邪悪な魅了の気配もなりを潜めていく。
ケン本体が、目を覚ます予兆だ。
カリストの慌てようにケンは笑う。
『ククク。そう急くな、眷属。我と見える機会はまだまだある筈だ。基本的には狼側が多いだろうがな。必要な時は手を貸す……というよりは勝手に本体が能力をむしり取るだろうさ』
肩を揺らすカリストを気にすることなく、ケンの身体は成長してゆく。
幼児から少年、元のケンへと。
『ククク……汝らの活躍に期待、大』
糸が切れるように意識をなくすケン。
そして次に目を覚ましたケンは、
『け、ケン?』
『うぅ……恥ずかしい』
ベッドの隅で、羞恥で縮まっていた。
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