第四十七話 子供に弱い
海賊とは。
海の上を生活圏とし、他者から食糧金品を奪うことを生業として生活してる悪人である。
バンジャック・ギュゲス・エイヴリーも例に漏れず、かつては略奪を目的に海へと繰り出した男だった。
しかし、彼は人を殺す事に慣れていなかった。
初めての戦闘で引き金を引くことができなかった彼は、そのまま敗北。命からがら海へと逃げたものの潮に流され遭難した。
彼の運命が変わったのはここだった。
漂着した島で出会った女性との間に娘が生まれ、気づけば妻の姿はなく、娘と二人だけの船旅が始まっていた。その頃より、自ら人を襲うことはせず、自身らを襲う者、他者を襲う“賊”からだけ物を奪うという、異色の海賊として知られるようになる。
娘は十歳にして類まれなる剣術の才を見せ、大人五人を相手にすら勝利を収めて見せた。
剣を華麗に舞わせ、敵を翻弄する姿は、父であるバンジャックですら美しいと感じていた。
ある日、バンジャックは恐ろしい伝説を耳にする。どんな海賊も帰ってこないという、呪われた海域の話だ。そこには、百年以上もその海域を支配し続けているという最強の海賊がいるらしい。
眉唾物ではあったが、その海域に住む海賊のせいで多くの旅人・海賊共に被害に遭っていた話を聞いた娘は、バンジャックの制止も虚しく止まらなかった。
しかしバンジャックもまた、腕っぷしには自信のある娘と、魔導書の魔術と魔術道具の力で負け無しだった自分がいるなら、負けることはないだろうと、勇足でその海域に踏み入れた。
踏み入れてしまった。
それが“蛮勇”であると海域に入ってから気付いたのは、彼の人生最大の過ちであろう。
百年以上無敗を誇る海賊の長は八つ足を触手が如く自在に操る異形の怪物に、死なない屍人の集団だった。
どれだけ娘が華麗に舞っても、バンジャックが奇策を講じても、圧倒的な物量と理外の技で攻められる。
万策尽きた時、バンジャックは娘と共に荒れ狂う海へと逃走した。
だが、彼を待っていたのは絶え間ない大嵐だった。
水平線の先まで黒雲と雷が続き、荒れる海は容赦なく二人を襲い体力を奪う。
そして、
『父さぁぁぁぁぁぁん!!!』
『ポリプスぅぅぅぅぅっっ!!!』
船に雷が落ち、バンジャックとその娘は分断され、瞬く間に姿は見えなくなった。
バンジャックは泳いで助けに向かおうとしたが、半分になったことでバランスを崩した船は即座に波に飲み込まれ、そのまま意識を失った。
彼が次に目を覚ました時、そこは砂浜だった。
魔の海域は、全ての大陸に接するように存在している。
そのうちの一つ、オヴェスト大陸に漂着したのだった。
彼の横には、娘の姿は無かった。
—
「前にも言ったなガキ。正義が人を殺すんだって。そんなつまらないもんを大切にしたせいで俺と娘は逸れちまった。運び屋を続けて、娘を探している」
タバコを肺いっぱいに吸って吐き出した白煙は、夜闇に浮かぶ淡い雲のように広がって消える。
まるで彼の儚い気持ちを表しているように。
「俺が流されて大陸に辿り着けたんだ。娘だけ死んでるなんてこと、ありはしない」
バンジャックは想いを吐露する。
それが、運び屋をする根本。
彼が今も生きていける唯一の理由なのだ。
「あっちゃいけねぇんだ……あって欲しく、ないんだ」
顔が歪むバンジャックの姿は、もう娘の命がないかも知れないことを、理解しているようでどこか望みを託すような悲痛なものだった。
だが僕の顔を見るとバンジャックは、仕切り直すように首を振った。
「兎も角。お前らを見てたら娘が重なっちまった。身体が勝手に動いていたんだよ」
「バンジャックさん……」
彼はイカサマをするし、海賊だし、おじさんだが、とても良い人だ。
素直になれないツンケンした態度の中にある、確かな優しさに僕は思わず笑ってしまった。まるでカリストのようだから。
そんな僕を見て、今度は大きく咳払いをするバンジャック。
「兎に角、だ! もうアイツらに関わるのはやめておけ。アイツらは人体実験をして命を弄ぶモノホンのマッドサイエンティストだ。何もなく終わったのは運が良かっただけ。態々、アイツらの元に行く理由なんてないだろ」
さぁ、街まで送ってやるよ。と歩き出すバンジャックに僕はついていかなかった。
動き出さない僕を訝しんだバンジャックは、振り返る。
そして僕は彼に、心のうちを明かす。
「僕はあの研究所に行きます」
「なぁにぃっ!?」
あまりの驚きに背中からひっくり返ったバンジャックは、そのまま頭も打って痛そうにしている。
しかし痛みより怒りが打ち勝ったのか、涙目で指差してきた。
「お、俺の話聞いてなかったのか!? 八歳のガキをあんな化け物に変えちまうヤバいやつのところになぜ行く!? お前も改造される直前みたいな感じだったじゃないか!! 子供を。アイツは……アイツは……」
わなわなと震えるバンジャック。
その心は娘の話を聞いた後だと、察して余りある。
呆れるように、怯えるように、信じられないものを見るように。
「アイツは、悪魔だぞ……」
バンジャックは呟いた。
気持ちはわかる。僕自身も、バンジャックの話を聞いて、八歳という彼らの歳も知って、シムラの理念も聞いて、何となく理解し始めた。
それでも僕はまだ、シムラの考えの全容に至っていない気がしていた。
もちろん、それだけではない。
きっと今この場は、僕の気持ちを伝えるだけではない。
それだけでは──足りない。
「そんな悪魔の元に、バンジャックさんは僕らを助けるために飛び込んでくれた」
「そうだ! 逃がすためだ。決して体勢を整えてもう一度挑ませるためじゃ……」
「それだけじゃないですよね? 研究所にきた理由」
「……なに?」
「あくまで僕らは、きっかけだったはずだ。貴方にとって、良い理由になったんでしょう。研究所に出向くための」
僕の言葉にバンジャックは目を開いて硬直している。
ずっと疑問だったことがある。
彼と、バンジャックと出会ってからすぐに訪れた別れ。
その時に生じた小さな疑問。それが今、完全に晴れた気がした。
「確か、荷物を運んだと言っていましたね。その中身も見た、と」
「あ、あぁ。そうだ。そのせいで俺は第二支部の奴らに追われて……」
「中身、人だったんじゃないですか? それも、子供」
「─────おま、なぜそれを」
彼のあからさまな反応に、僕は安堵した。
そうか、僕の予想は間違っていなかったのだと。
「だから離れなかったんですね、バンジャックさん。その子供が心配で。追われてるっていうのに、ずっとこの町で機会を窺っていたんだ」
「……そうだよ。お前の言う通りだ、クソガキ。俺が運んだのは女の子、それも、死体の」
「死体?」
「あぁ。すごく綺麗な死体だった。それは可愛いとかの意味じゃあねぇぜ? 腐ってねぇ傷もねぇ、そういう意味での“綺麗”、だ。俺が一ヶ月もかけて運んだのに、だぜ? 魔術かなんかがかけられてたんだろうが……。その女の子がよ、この前あったら動いてたんだ。まるで魚見てぇな姿になって」
「魚……」
その言葉に思い当たる節があった。
シムラの研究所にあった円柱型のカプセル。溶液で満たされたそこに浮かぶ、女の子。
彼女こそ、バンジャックの言う運ばれた死体だったものなのだろう。
勇者の素体。少女の死体。混成魔物。
頭の中でパーツが揃っていく。
そして、
「そうか……もしかしたら」
とある仮説に行き着いた。
かなり飛躍した仮説だが、もう一度シムラとあえばわかるかも知れない。
僕は怯えるように震えるバンジャックに手を差し伸べた。
「な、何だよ」
「貴方は優しい人だ。見ず知らずの女の子のために、多少知り合った程度の子供のために、命をかける優しすぎる人だ。だからわかってほしい。僕らは、同じ魔殺しの子供達のしようとしていることを止めたい。だから貴方も、僕らを止めないでほしい」
「…………」
バンジャックは一瞬思案した。
僕の目をジッと見つめて、何かを決めたのか、大きく溜息をついた。
「わかった」
「良かった……わかってくれたんですね──」
「俺もいく」
「えぇっ!?」
僕の手を握り返し、地面に叩き落とす勢いで引っ張って、バンジャックは立ち上がった。
「どうやら俺は、俺が思っている以上に子供に弱いらしい」
なんてハニかむバンジャックの顔は、子供に好かれそうな良い笑顔だった。
ちょっと仕事の転勤の関係で毎日更新が止まってしまいました泣
申し訳ない!
負債は休みの日に多めに更新して返済していくので許して!