第四十四話 それはまるで悪夢のようで
「悪魔が……いない世界」
シムラは確かにそう言った。
仮に。仮に、実現できるのであれば、どれだけ幸福なことだろう。
だがそれは、あまりに非現実的な発想に見えた。
「実現できるかどうかではない。できるかも知れない可能性を生み出すのがぼくの仕事さ。実際、悪魔の王を八体も討伐したのが勇者という存在だ。それに匹敵する存在をもし、この手で生み出せたのであれば、現状三体しかいない魔王など敵にもならない。この世にいる全ての悪魔を掃滅出来るはずだ」
「かも……しれませんけど、でも、でもそれは」
「はぁ、ケン。君は一体何を気にしているんだい」
シムラは呆れたように言う。
「勇者の誕生に際し、人は死なない。医学科学の進歩には大量のマウスが犠牲になっている。それを今更、死人の骨で行うのは非道徳的だとぼくを非難するか? 君の方こそ非道徳的だ。人の犠牲を払わずに、世界を救えるんだ。こんなに素晴らしいことはない」
シムラの言葉は納得するのに充分な説得力を持っていた。
何も犠牲にならない。それで世界から悪魔が消えると言うのなら、それはとても素晴らしいことではないのか。
「わかり……ました」
「わかってくれたか!」
嬉しそうに両手を差し出して、握手を交わす。
釈然としないのはなぜだろう。
僕が何を気にしているのか、僕自身ですら理解していない。
この判然としない不明瞭な不快感の正体とは何なんだろう。
そこまで考えて、気付く。
「そういえば、勇者を創るってことは僕の血を使う先があるってことですよね? それは一体……」
「ん? あぁ、そうだよな。気になるよな、彼女が、次の勇者候補さ」
そうしてまた、シムラは指を鳴らした。
闇の中に次々と生まれる明かり、その明かりは闇の中にあった巨大な円柱状の物体を照らし出す。
そこには、
「──え」
緑色の溶液の中で足を畳んで眠る、一人の少女が浮かんでいた。
—
「こらー! さっさと解きなさいよーっ!」
シムラの研究所、別室ではカリストと一番目が囚われていた。
暗くジメジメした牢屋で巨大な十字架に縛り付けられたカリスト。その横には両手で抱えられるくらいのカプセルがあり、培養液に漬けられた一番目が眠っていた。
カリストを縛り付けるのは魔力を封印する特別な道具だ。
黒い鉄のような鉱石“オニキス”を加工して作られた鎖と首輪は同様に黒色で、装着者に極度の脱力感を与え、魔力の構築を阻害する。
この鉱石が発見された当時は悪魔に対する武器として有効ではないのか、と研究がされたりもしたが、結局普通の武器の方が切れ味や耐久性に優れており、罪人の手錠や鎖に使われることとなった。
別名、“魔封じの石”である。
「マジバケモンじゃん……どんな魔力量よ」
そんな特製の枷と鎖に繋がれておきながら、話すどころか憤るカリストの姿に呆れるアッコロ。
彼女は蛸の獣人に変化したままであり、触手となった髪をくねらせて言う。
「それ一応、大の大人がつけるとうんともすんとも言わなくなる、先生お手製の優れものなんだけどぉ」
「は。もちろん魔力のかけらも出せないわよ! でもそんなことよりケンよ! こっから出せー!」
ガルガル喉を唸らせるカリストは正しく番犬のよう。
近付けばそのまま噛みちぎらん勢いで、空中に噛み付いている。
「マジ怖ぇ、小さな魔女より、狂犬の方があってんじゃないの」
「誰がマッドドッグだぁーっ! ってかそれより! 何で私らは捕まってんのよ! ケンの血が目当てなんでしょ、なら私達を拘束する理由は何!」
「決まってんじゃん、人質」
「んな」
当たり前のように言ってのけた。
感慨はなく、罪悪感もない。
「ケンくんがさ、血の提供をもし少しでも拒むようなら、アンタらで脅すのよ。少しはやる気が出るでしょう」
「この外道……っ!」
アッコロ達は自分たちのしていることが悪いことだとは思っていない。
カリストは事の概要を、さらりと聞いたが犯罪とまではいかずとも一歩手前のグレーゾーンだ。
そもそも勇者の遺骨という、聖遺物指定されている超貴重なものが果たして一個人の研究で活用出来るようになるのだろうか。
そこがカリストにはどうも納得がいかなかった。
魔術を独学で覚えた、カリストは特に。
だが、第二支部の子らはそうは思わない。
「違うわ。正道よ、そこそこにグレーな、ね」
正義。自分ら──いや、先生こそ最も正しい存在であり、間違いなくこの世を救う勇者を創ると信じているのだ。
盲信する彼女の心には、もうカリストの言葉は届かない。
「そもそもよ、アンタら外道だ何だって言ってるけど、第一支部の癖に弱すぎじゃない?」
「……何ですって」
「事実よ。みーんな一撃でのされちゃってだらしない。私達が第二支部から動いていないとはいえ、第一支部がこんなに弱いなんて知らなかったわん」
「ふざけ……っ!!」
檻の柵から伸びてきた触手がカリストの肌を弄る。
股に、腕に、足に。アッコロの思うがままに動く触手はカリストを絶妙な不快感へと誘う。
触手を覆う粘液も相まって、カリストは声をあげそうになっていた。
「え、えってぃのはダメでぁ」
「分かってるわよ……ったくあんたは初心ねぇ」
隣で監視を共にするベアが、両手の指の間から様子を伺いつつもアッコロを制止した。
その言葉にアッコロはなくなく従って触手を戻していく。
(もうだめね、自分で何とかしないと)
対話は不可能だった。
ならば後は脱出しか選択肢はないが、魔術を使えないのであればカリストにできることはない。
気術が使えれば或いは鎖を破壊できるかもしれないが、頼みの綱の一番目はカプセルの中ですやすやと寝ている。
一体どうすれば──
「ん?」
と、檻の向こう。
アッコロとベアがいる感じ部屋に、不穏な魔力の振動を感知する。
魔術に長けたカリストだから分かる小さな綻び。
空間に歪みのような何かが生まれていて、それはまるで人の形をしていた。
「アッコロー、遊んじゃダメであ?」
「まだ始まったばっかでしょ? 目を離しちゃダメよ」
「でもぉ、コイツら第一支部の癖に全然強くなかったであ。悪魔の方が歯応えあったであ」
「ま、ふふ。それは否定しないわ」
ベアは無意識だが、アッコロは明らかに煽るように言ってのける。
歯軋りしたくなるような挑発も今のカリストからすれば些事だった。
二人が第一支部の悪口を言いたい放題言う間に、人型の歪みはベアの元に辿り着き、そして。
「楓ほどじゃねぇけど、俺も強い奴と戦いてぇで……は」
「全くうちのメンバーは戦闘狂が多くて参っちゃうわね……どうしたの?」
不満を垂れ、不機嫌そうな顔をしていたベアだが、なぜか驚いた顔になって動きが止まった。
あんぐりと口を開けて、虚空を眺める様は明らかに様子が変だった。
だからアッコロは心配そうにベアを覗き込み、そして。
「でっははははっ!!! な、なんだ! くすぐってぇであ!」
「は!? ち、ちょっと、なに!?」
突然三メートルの巨体が力のままに暴れ出す。
仲間だろうが研究所の備品だろうがお構いなしに暴れ回る仲間の姿に、アッコロは困惑して動けない。
と言うよりアッコロの触手だけでは、力自慢のベアを抑えられないのだ。
寧ろ怪我をしないように後退りして距離を取るアッコロ。
その瞬間、彼女の腰についていた鍵が宙に浮かんだ。
(ま、まさか……でもそんな)
鍵は宙をゆっくりと歩くように上下に揺れてカリストの元に近寄ってくる。檻の鍵は自ら鍵穴に差し込まれ、音が響かないようにゆっくりと
回り解錠する。
扉も音が立たないようにゆっくりと開いて、カリストの元まで来て勝手に鍵穴に入っていった。
「ちょっと、あんたまさか、イカサマおじさん?」
「っぉい! 何で分かるんだよ! ってか今はそれどころじゃないだろ。さっさとここを脱出するぞ」
鍵は次々と鎖と枷を解錠して、カリストを自由の身にした。
そのまま一番目の方に鍵は近寄ったが、
「お、おい。このカプセル鍵穴とかないぞ。どうするんだ?」
「それそのまま持ってきて。ケンを助けにいくわよ」
「チクショウ、あのガキか。何で同じ場所にいないんだよ!」
二人は抜き足差し足で牢から脱出し、未だに暴れるベアをどうにかして落ち着かせようとするアッコロの後ろを抜けて、研究所の廊下に出る。
その瞬間、何もない空間に海賊風の男バンジャックが汗だくで現れる。
しかも顔は真っ青だった。
「はぁ……はぁ……俺、蛸はダメなんだ。二度と会いたくねぇ」
「それより何であんたここに!」
「うるせぇ。こっちにはこっちの事情があるんだよ。そんなことよりクソガキだ。そいつはどこにいんだよ!」
「知らないわよ! 私ここで目が覚めただけだし……」
「チッ、使えねぇなぁ」
「何ですってぇ!?」
男の態度にカリストの怒りゲージは瞬時にマックスだ。
般若のような変貌を遂げ、男の首を両手で締め付ける。
「ぎ、ギブギブ……しぬぅ」
「ふん。分かったらいいのよ。ていうか、あの熊男。どうやって気を逸らしたのよ」
「ゲホゲホ……あ? あぁ、アレはな、コイツだ」
そう言って男は小さな巾着から虫を取り出した。
「……何かしら?」
「“痒みダニ”っていうダニさ。西地方に生息してる害虫でな、森の中で出会った毛深い獣や人に取り付いて、肌を駆け回るらしい。それが死ぬほど痒くて、場合によっては死ぬ」
「こわ!! さ、さすが運び屋ってことかしら……或いは海賊?」
「どっちでもいいさ。さ、さっさとガキを見つけてここを離れ……て……」
突然バンジャックが動きを止める。
視線の先は闇だ。
特に何もないように見えて、カリストは目を細めた。
「な」
その先から現れたのは、化け物。
人の言葉を話せずただ呻き声を出すだけの歪な生き物だ。
だが所々に人の面影が垣間見えて、緩慢な動きも恐怖心を煽ってくる。
まるで、人と動物が無理やり合体したような。
そう、例えるならそれは──不完全な合成魔物のようだった。
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