第四十三話 求めたのはただ一つ
睡眠とは。
僕にとって、深海を漂う行為と考える。
水圧は睡魔。この圧力が強い間、人は目を覚ませない。そして闇の中に浮かぶ光が夢なのだ。
そして闇の中に浮かぶ光を見つめて、静かに夢をみる。
『貴方の名は』
寒い雪の日だった。
雪の中に埋もれる僕に、その問いに答えるだけの力はなかった。
ただ真横にいるカリストを必死に抱き抱えて、倒れてしまわないように。
この両手から溢れてしまわないように、支えることしか僕には出来なかった。
『栄養失調だろ。もう長くはないぜぇ、シスターワテリング』
『…………』
おつきの人らしき男がシスターにそう言った。
雪降る中、傘をシスターにさして自分は雪を被っている。
つまりはそれだけこのシスターを大事にしているのだ。
どれだけ裕福なのだろう。
この寒さを受けてでも、他者を守らなければと思わせる金の力とは、本当に恐ろしい。
金がなければ生きて行けないのだ。
それはこのおつきの男も同じなのだった。
男の言葉にシスターは首を振った。
『私の瞳は彼らがまだ生きると言っています。馬車に乗せなさい』
『えぇ……正気かよ。一体何人の孤児を……』
『それが魔殺しの子供達計画の本来の目的よ。忘れてはいけないわ』
『へいへい。俺が悪かったってぇ』
男は軽薄にそう答えて僕らを馬車に連れて行った。
横暴な男だった。
腰には銀のリボルバーを装着し、顎髭を蓄えている。
『お。なんだよ珍しいか、触ってもいいぜぇ』
てっきり銃の方かと思えば、顎髭の方だった。
眼前に立派な顎髭をこれでもかと見せつけてくる。
『はしたないですよシェリフ。貴方、力をみそめられたからって調子に乗りすぎです』
『おお、怖。成績トップを走るシスター様はさすがに勤勉だぁ。ま、俺は暫くアンタの補佐だ。足繁くアンタの元に通わせてもらうよ』
そんな会話を残し馬車内は、目的地に着くまで静寂に包まれた。
男は何か楽しげに瞳を閉じて、シスターは綺麗な姿勢で馬車に揺られている。
既に寝落ちたカリストをそれでも支えながら、僕も馬車の揺れを感じながら眠りに落ちる。
そして、僕は夢から現実へと浮上していく。
暗い闇の中から少しずつ少しずつ、真上に見える光に向かって浮かんでいく。
だがその浮上はいつもより速いのに、身体はどこか重い気がして。
海面に顔を覗かせるのが億劫で仕方なかった。
だけど、起きなければならない。
そんな気がして────僕は目を覚ました。
「ここは……」
眼前に巨大な太陽。
ではなく、真白な光を放つ魔術道具のようだ。
あまりに眩しくて、目を細める。
「あぁ、すまない。今移動させるよ」
と、近くから男の声がした。
言葉通りに魔術道具は退けられて、比較的暗めな天井が姿を現す。
鈍色の天井は初めてみる。
木造ではないだろうから土造り……なのだろうか。
「やぁ、元気かな。体調はどうかな? とりあえず、点滴の方はしておいたから、問題はないはずなんだけれど」
男の言葉は嘘ではないようだ。
実際、天井から目を離し横を見れば僕の腕にはパックに繋がれた管がぶら下がっている。
気分も起きたてだから判然とはしないが、それほど悪くない気がする。
「いて……背中、が、腕も……痛い」
「あぁ。そこは痛み止めと、簡易的な回復薬を塗っておいたんだけどね。効き目が弱いな……」
腕は見た目は平気だ。
だが、所々壊れてしまったように言うことを聞かない。
背中も、意識が覚醒していくと共に鈍痛がやってくる。
あまりにも痛い……。
そういえば僕は一体、何をしていたんだっけか。
「そうだ!! カリストと一番目さんは!」
と起きあがろうとして、それが無駄だと理解したのはこの瞬間だった。
腕と腹と足首には鋼鉄の腕輪が装着され、身動きが完全に取れないようになっている。
まるで拘束されているような────
「ような、じゃなくて拘束してるんだよケン」
「……誰、いや、その声は」
心の声を読むように、闇の中から呟かれるその言葉。
薄らの姿を現すのは白衣の男。
第二支部担当ブラザー。
シムラ・テイオー。
だがいつもと違い、かきあげていた髪は下ろしてあり、眼鏡をつけていた。
眼鏡のレンズが光に反射する。
「やぁ、我が希望。よく眠れたかな?」
「これは、これは一体……それより!! カリスト達は!」
「こんな状況でもまず仲間の心配か。素晴らしい……これから君にすることを思えば、ぼくは悲しいよ」
シムラの様子はいつもと違う。
ふざけて、ヘラヘラ笑ってるけど決めるとこでは決める。
そんな大人の鏡のように見ていたシムラは今、得体も知れない何かに見えてしまう。
それより何より、
「僕は今貴方が何を言っているのか理解出来ません!!!」
「そうかな? なら、結論から言おう」
眼鏡を不意に人差し指で上げて、シムラは言った。
「君の血液を少し分けてもらいたい。ただ、それだけだよ」
「へ?」
僕は思わず変な声を出してしまう。
たった、それだけ? と。
「あーはは! どうかな! こういう研究所で縛られるとそれっぽくて怖いだろ!? イーッツ、ジョーーク!!」
「は、はは」
いつも通りのシムラだ。
戯けて、ふざけて、僕らの反応を確かめるように笑顔で顔を覗き込んでくる。
確かに、演出として恐怖体験は人生で味わったことのないレベルのものだった。
冗談にしてはあまりにそれっぽすぎるけれど。
ガチャン! という音と共に僕の手枷足枷は外され、自由の身になった。
手首の触りながら感覚を確かめる。問題はなさそうだった。
だから僕はまず、聞かなければならないことを聞いた。
「そしたらカリスト達は……?」
「気になるのも仕方ないね。彼女達は今ベッドで安静にしてるさ。君を連れてこうとすると、特にカリストは気にしちゃうからね」
「確かに彼女は心配性ですから……」
「え、何、君そういう系かい? いやー罪な男だねぇ」
残念そうな、だがそれはそれでと嬉しそうなシムラ。
彼の思惑はわからないがともかく、この場は緊急事態ではないらしい。
その事実にホッとした。
「第二支部の子らが君達に手荒な真似をしたようだね……申し訳ない!」
深々と腰を九十度曲げて謝罪するシムラ。
「ま、待ってください。頭をあげてください。双方誤解があったんだと思います。別に僕の血が必要なら言ってくれれば……」
「本当かい! いやー嬉しいなぁ。十年探していたんだ悪魔憑きの血をね。ちょっと待っててくれよ、今それ用の輸血チューブを……」
そう言って、シムラは机の上を捜索する。
ごちゃごちゃと散らかった机。部屋の空間は意外と大きいようで、その全容を知ることはできない。
ただ、僕の額から発せられている超音波が空間が広いことと、闇の中に円柱上の巨大な何かがあることを教えてくれた。
「あったあった。いやーだめだね整理整頓の癖をつけないと……」
長いこと探していたシムラは漸くそれを見つけて持ってくる。
直径数ミリ程度の細いチューブだ。
そのチューブを見て、唐突に。
いや、必然か。
「僕の血を、何に使うんですか?」
至極当たり前な質問を僕はした。
シムラはいつものお調子者のシムラだ。
僕の質問に一瞬硬直はしたが、すぐに笑顔で答えた。
「勇者を、創るんだ」
「……勇者を?」
「そう」
シムラは静かに答えた。
眼鏡を人差し指で上げた。
「ケンには言ったね。僕は人類の第三の手になる、と」
「はい、聞きました」
「二人目の勇者を、創るとも」
「はい……聞きました」
「それだけさ。ぼくの目的は。たったそれだけ。それ以外には何もいらない。ただその目的を果たすには悪魔憑きの、しかも悪魔に乗っ取られていない“稀有な悪魔憑きの血”が必要だった」
「乗っ取られていない……」
悪魔憑きの認識はやはり、シスターワテリングのような状態こそ一般的なのだろう。
初めて悪魔憑きがカリストらにバレた時も、そうだった。
初めは警戒。続く経過観察。
僕がたまたま暴走していないだけの珍しい悪魔憑きなのかとは思っていたが、正しく珍しい例らしい。
「だから本当に嬉しいんだ」
『──────』
シムラの頬を涙が伝う。
感情はもう溢れて止まらない。
「苦節十年……漸く、漸く夢が叶う!」
『────て』
とめどなく溢れる涙は滝のように流れていく。
彼の吐露する言葉は全て真実だ。
まだ一週間と少ししか接していない僕でさえ、共感で泣きそうだった。
だけど、
「ありがとう、ありがとう。ケン、君はぼくの恩人だ」
『────けて』
彼の言葉に集中出来ない。
脳に響くような悲痛な声。
過去の言葉ではない。
今現在、発されている言葉だ。
鼓膜を揺らすのではなく、直接心に語りかけてくる何者かの声が、僕の意識を揺らしている。
だから、直接聞くことにした。
「勇者を作る、と言ってましたが……どうやって?」
「…………簡単だよ」
「人の死体から、創るんだ」
僕は耳を疑った。
だが、シムラの顔は真面目だった。
「混成獣化……これは元々、死体の動物と魔核を用いることで混成魔物を創り出し、人に代わる兵士を創ろうとした研究だったんだ。だけど教皇はそれを破棄して、ぼくをブラザーという枠組みに落とし込んだ。今思えばぼくの才能が怖くなったのかも知れない。ヴィルクも大した研究をしていなかったしね。多くの人々の犠牲を無くすために、何十年とかけてきたぼくの研究を否定することが出来るほどの理由を、ぼくは提示されなかった。だからしてやったのさ。ここで、ブラザーという皮を被り、悪魔を退治しながら混成魔物の研究を重ねて……漸く勇者を創り出す、現実的な方法を生み出した」
「そ、れが、死体?」
「そうだ。君は知っているかな? 天魔教にはある三種の遺物があってね。三重奏の聖遺物と言う。コレはその道具を使用出来れば、世界を変革させるほどの強い力を持つものだが、その軌道には他の聖遺物の助力が必要という厄介な代物だ。そのうちの一つに、“勇者の遺骨”がある。その勇者の遺骨を使って、何やらヴィルクは研究をしていたようだが、アイツに持たせていては宝の持ち腐れだ。ぼくがそれを引き継いで、奪取したのさ。もちろん、その骨の使用方法を編み出してね」
シムラの言っていることが、理解出来なかった。
内容が、ではない。
彼の思考が、思想が。
果たして、僕のために話されているのか。
まるで理解を得ようとしているわけではないような、ある種の演説にも聞こえて。
近づこうとして、肩を引かれる。
その正体はリオだった。
「そう! リオは最初の被検体だった。ぼくは今まで生きている人間に対して、混成魔物化の実験をしたことはなかったさ。だが、やらねばならなかった。勇者を創り出すために。そしてアッコロ、ベア、ダイル、楓の計五人の成功例を持って、判明したのさ。勇者の骨を完全に起動するために必要なものは三つ。魔術適性Sの肉体。純度の高い魂。そして、悪魔に乗っ取られていない悪魔憑きの血」
「な、なんでそこに悪魔憑きの血が関わって……」
「はは。分からないかい? リオはね、“悪魔憑き”なんだよ」
「な────」
僕は思わずリオの顔を見た。
リオは無表情で、感情を動かそうとしていない。
ただ無言で、そのまま聞けと言っている気がした。
「リオ以降の四人の実験を経て、悪魔憑きの血には特別な結合作用があるのを発見した。結びつける力があるんだ。そもそもが人と悪魔を結んでいるからかも知れないね。だから私は、肉体と骨と魂を用意した。後残りは悪魔憑きの血だったんだが……残念なことにリオは純正ではない」
「純正……?」
「分からないかい。君のように、自力で悪魔の力と融合した存在ではないということだよ」
「そ、そんなことどうやって、分かるんですか! 僕だって悪魔憑きのことをよく知らないのに!」
「君が寝てる間にサンプルを取らせてもらった。リオの血よりも結合力が高い。見たまえ」
シムラは指を鳴らす。
すると暗闇に光が照らされ、そこにいたのは鳥の羽を複数生やす、まるでハーピーのような女の子だ。
目は虚で、様子がおかしい。
「彼女は今日運び込まれたほぼ瀕死の少女だ。だがぼくの研究成果と君の血を駆使してほら、この通り。鶏の身体を五つほど犠牲にして生き返ったんだ。素晴らしいだろう? 祈祷術の奇跡もなく、人の命を繋ぎ止めた。こんなに短時間で、鍛錬もしていない普通の少女を、だ!」
「あぁ……! 生きてる……生きてる!」
暗闇から母親らしき人物が飛び出して、鳥人となった娘に抱きついて泣いている。
悲しみではない。喜びの涙だ。
そんなことは見れば分かる。
だが、どうにも歪に思えて。
「コレが……正しい、と?」
「死ぬよりはマシだろう。おかげで町民からはマッドサイエンティスト扱いだけどなぁ! 町全体でハブられているよ、ははは!! イッツジョーク!!」
「アハハハ!!!」
親指と人差し指を立て、銃に見立てておちゃらける。
それをリオは大爆笑で讃えた。
「笑えない」
「そうかな? 笑えるほどに順調だが。まぁ、コレはぼくの苦労を知る者にしか共感出来ないだろうし、別に理解してもらいたいわけじゃあないから良いさ。ほら、もう言って良いですよ」
「ありがとうございます……ありがとうございます……」
シムラの言葉を受け、母親は何度も頭を下げながら鳥人娘と共に闇の中に消えていく。
「さて。話が長くなった。もうぼくの夢の実現は目前だ。さ、ケン。君の血を、譲ってくれ」
「い、いやです」
「……? 聞き間違いかな?」
耳に手を当てるシムラ。
彼は本当に、今していることが間違っていないと思っているのか。
僕にはとても正しいことには見えなかった。
僕の躊躇う様子を見て、聞き違いでないことを理解したシムラはうーむ、と首を傾げる。
「ケン。ぼくの何がいけない。ヴィルクの時もそうだったが、納得出来ないのは気持ちが悪い。ぜひ話してくれ」
「何がって……分からないんですか! こんなの……こんなの普通じゃない!!」
「普通、か。では聞こう。君とっての“普通”とは、なんだい?」
「え……?」
「健全に生きること、なのだろう。それは、健康に野菜を噛み、肉を食らい、魚を食べ、成長して、結婚して、子供を産み、老化して、死ぬことかな? どうだろう。ごく一般的な人生とやらを想像してみたんだが、ではあの子がその人生を歩めないと思うかい」
先ほどの少女は姿こそ変わってしまったが、生き延びた。
生殖機能も、食性も変わらないというのなら、シムラが言った生活は問題なく行えるのだろう。
「限りなく難しくはなるかもだけどね。そしてぼくはそれを私利私欲に使ったわけじゃない。彼女らが求めたから提供しただけだ。実験も兼ねてはいたが。そして、勇者作製計画も同様さ。私利私欲には使っていないし、人の命を無駄にするような実験はしていない。例えばキメラを作る際に人を化け物に変えてしまった。なんてありきたりな失敗はしていないんだよ、ケン。化け物で化け物は作っていたけれどね」
「じゃあ、じゃあシムラ先生の普通って一体なんですか!!」
「決まっているさ」
シムラは即答した。
何の迷いもなく、自らが正義だと言わんばかりに。
「“悪魔”が────いない世界だよ」
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