第三十九話 何になりたい?
淡い光を放つ月が雲間から顔を出している。
僕はそれを、微風を感じながら教会の庭で眺めていた。
教会の庭は隅から隅まで整備が行き届いている。心が込められた庭は、その場にいるだけで心を落ち着かせてくれた。
もう深夜はとっくに過ぎている。
フレイムバードを討伐した後、物の数十分で帰ってきたカリストと一番目は速攻寝てしまった。
僕だけが寝付けないでいた。
「はぁ……」
「溜息は、幸せが逃げるというよ」
「そうは言っても出るものは出ちゃ──うわぁっ!?」
気配を感じさせず隣の石垣にシムラが座っていた。
てっきり一人だと思っていたから、変な声が出てしまう。
結局第二支部の人たちは皆、教会には帰らず途中で二手に分かれた。
まさか帰って来てるとは。
「脅かさないでください……」
「はは! すまない、イッツ、ジョーク! だよ」
「冗談ですかね、これ」
ジョークの定義はよく分からないが、最早その域は逸脱している気がした。
戦闘時の聡明で名指揮官な雰囲気はどこへやら、またしてもおちゃらけシムラの登場だ。
しかし、すぐに姿勢を正し、月を眺めるシムラ。
「わたしはね、世界から悲しみを消したいと思っているんだ」
「お、温度差……」
「いや、ほら。真面目な話も必要でしょ。特に、今の君には必要と思ってね」
言われて気づく。
彼は僕が悩んでいたことを見抜いていたのだ。
どのタイミングかは、恐らくフレイムバードの討伐直後、だとは思うが。
「悪魔は人だけを襲う。それは人にある魔力が悪魔にとって好物だから、と言われている。だから、大昔勇者と八体の魔王が勝負をし、勇者が勝っても世界から悪魔は消えなかった。大きい被害が少なくなっただけだ。根本から正さねばならない。そのためには、ケン。君はどうしたら良いと思う?」
「唐突ですね。そうだな……」
そんな難しいことは考えたことはなかった。
何せ僕はついこの間まで戦う力を持っていなかった。
戦うことより、世界の状況よりも、今を生きることに必死だった。
力をつけられない自分が不甲斐なくて、責務を果たせない僕が許せなくて。
せっかく救ってもらった恩を、仇で返している気がして。
「わたしはね」
また僕が悩み始めたことを察したシムラは、答えを聞く前に口を開いた。
「二人目の勇者を作ることだと思っている」
「二人目の、勇者?」
「そうだ。絶対的な力。それを持ってして、人類は真に救われる。八体の魔王を持ってしてようやく倒せた勇者の力。それさえあれば、現存する新たな三体の魔王といえど太刀打ち出来ない。わたしはそう考えた。そのために、わたしは研究を続けている」
「シムラブラザーは研究者、だったんですね」
言われてみればリオから先生と呼ばれていた気がする。
てっきり魔術や祈祷術を教育するのはシスターやブラザーだから、先生と呼んでいるものと思っていた。
実際、第一支部では来たばかりの子はシスターが教えていた。
シムラは優しく微笑む。
「シムラでいいさ、或いは先生でも。ブラザーは好かなくてね」
「じゃあ、折角なのでシムラ先生、と」
「はは、良いね。続きだが、第二支部の子達はその研究成果の副産物だ。勇者を生み出す研究の際、獣人化の暴走を抑える薬の開発に成功してね。彼らはその被検体になってくれたよ。世界から、悪魔を滅亡させるためなら、てね」
「凄い……」
「だろ? 自慢の子達だ」
シムラが自慢するのもわかる。
普通なら薬の被検体になってくれと言われて、頷くには相当な信頼がなければできないはずだ。
それだけシムラに人を救いたいという意思が、本気があると彼らには伝わっているのだ。
だからこそ、あれだけ信頼関係が築けている。
その点、僕とシスターは、どうだったろうか。
「話は変わるが、ケン。第三の手は知っているかい?」
と、唐突にシムラは切り出した。
僕は首を振った。
「第三の手、とは魔術界に於ける不思議な現象のことだ。自分自身が叶えたい、やりたい、こうだったら良いな、と思ったことが知らずのうちに叶っている。そんな現象を妖精や精霊の悪戯と思い、言い伝えられた現象が“第三の手”、と言われている」
なるほど。
伝承が例え話として言い伝えられたパターンか。
それにしても第三の手、とは面白い表現だ。
そして、シムラは雲間から完全に姿を現した月に向かって宣言した。
「ぼくはね、人類の“第三の手”になりたいんだ」
夢。彼の中にある夢の話だった。
その言葉に感動した。横にいるシムラという男は真に人間のためを思い、身を粉にして人生を捧げているのだ。
その精神に感服した。こんな男になりたいと思った。
──だが、なんだろうか。
少しだけ感じた、この違和感。
大したことのない道端の石をジッと観察するような、小さな。何か。
「ケンは、何になりたい?」
「僕……僕は」
何になりたいんだろうか。
考えたことがなかった。
不意に聞かれた問いにまた来ても僕は黙り込む。
その姿を見てシムラは微笑む。
「今日はもう遅い。眠れなくてもベッドに入れば自然と寝付ける時もあるさ」
「そう、ですね」
シムラに支えられて立ち上がる。
送り出すように背を押され、僕は渋々司祭館へと歩く。
「いつか、答えが出たら教えてくれ」
そう言って手を振るシムラは僕が見えなくなる最後まで、僕の背を見守ってくれた。
改めてここなら僕はやっていけそうだと確信する。
シムラといっしょなら、きっと。
だから。
「シムラ先生!!」
「ん?」
最後に振り返って、僕は叫んだ。
「僕も応援します! 勇者を生み出す夢を!」
「……」
シムラは呆けた顔をして、その後に笑った。
少しだけ気分が晴れた気がした。
今日はよく眠れそうだ。
—
「チクショウ……チクショウ」
深夜、夜の町を一人の呑んだくれが歩いていた。
ふらふらと、路地裏へと迷い込み壁に寄りかかったまま地面にへたり込む。
海賊風なこの男、名をバンジャック。
以前、ケンらにイカサマを見破られ、暴漢に襲われそうになったところを助けられた男だ。
彼は運び屋を生業とし、第二支部に荷物を運ぶ際、余計な好奇心から荷物の中身を見てしまった。
それ以来、第二支部に追われていると勘違いして逃亡生活をしているわけだが。
なぜかまだこのグレイスウェールズから離れなかった。
「チクショウがよ……俺は、なんで今更」
バンジャックは呟きながら酒を呷る。
だがもう酒は空だった。
瓶の中から一滴だけが舌の上に落ちて、その虚しさを必要以上に感じさせた。
怒りのままに瓶を投げ捨てる。
その先には、
「行けないね。ポイ捨ては」
見知らぬ男の、一言はバンジャックを苛立てた。
白衣を着用して、長身痩躯。
眼鏡をつけており、あまり見慣れない格好をしているその男はあまり強そうに見えない。
だからか、バンジャックは感情のまま絡む。
「誰だぁ。そんなの俺の勝手だろうがぁ」
「俺の、か。ならこれを拾い、君にぶつけるのもぼくの勝手ということになる」
「なんだぁ、やんのか!? 俺は今、気が立ってんだ!!」
バンジャックは白衣の襟を掴み上げ、壁に打ち付ける。
そこで感じる違和感。男は全く抵抗しないが、右側の腕が前方に引かれている。
誰かが手を握っていたのだ。
バンジャックは静かにそちらをみて、
「────ひっ!?」
自ら手を離し、後ろに飛び跳ねた。
そのまま尻をつき、ガタガタと震え出す。
男の手を繋いでいたのは小さな少女だ。
肌の色が水色で、魚のような見た目をしているが魚人の子供と考えれば特段驚くような存在でもない。
だが、バンジャックが驚いたのは種族ではなく──顔だった。
「そ、その顔、なんで……いや、だって、確かに!」
狼狽えるバンジャックの脳裏に過ぎるのは箱の中身だった。
見た瞬間、吐き気を催しすぐに閉じたその中身の正体こそ、眼前の少女だ。
死体の少女だ。
箱の中に眠るように横たわっていた少女の死体。
一見すると死体に見えない綺麗な状態の肉体だったが、バンジャックも海賊の端くれだ。
人が生きているか死んでいるか、なんてものは顔を見れば一発でわかる。
血の気の引いた青白い肌。
脈動のない肉体。
何より自分が教会に死体を運ばされていたという事実が信じられなかった。
そんな狼狽えるバンジャックを意に介さず、男は徐に自身の胸元に手を入れて、
「報酬を受け取っていないだろう? 態々、届けに来てあげたのさ」
「は?」
バンジャックの前に金貨を捨てた。
箱を大陸間で運ぶ仕事に対して正当な評価である大量の金貨が。
死体が生きて動いている異常事態に、金がばら撒かれるという異常事態が重なり、バンジャックの思考は停止した。
「ぼくは君に報酬を渡しに来ただけだ。散歩がてらにね」
「ま、待て! 一体どういうつもりだ。死体を運ばせて、そいつは生きてて……教会は、いや、テメェは一体何を」
「────それ以上はいけない」
男は口の前に人差し指を置く。
シーっと、子供に言い聞かせるような優しい仕草で。
しかし、そこに込められたのは明確な敵意だった。
「それ以上は、君を助けてあげられない。見なさい、猛獣が今にも飛びかかりそうだ」
男の背後には無数の触手の影と、町の光を遮る三メートルはありそうな巨体の影。
建物の上には怪獣のような影と、翼を広げる影に暗闇に光る瞳。
生唾を垂らし、牙を光らせ、爪を伸ばす。
彼らがバンジャックを襲わないのはひとえに白衣の男がいるからだ。
もし彼がいなかったのならば、バンジャックはきっとこの世にもういないだろう。
その影のうち、眼を光らせていたものが上から飛び降りて、白衣の男の前に何かを捨てる。
血塗られた、Gと描かれたマスクだった。
「三度目の執行官の襲撃です。そろそろ本命が来ます。どうしましょうか先生」
「仕方ないさ。時間の問題だろう。ぼくはぼくで、なんとかならないか他の策を練る。君らは今まで通り、害虫退治を頼むよ」
「承知いたしました」
そう影に命じると、猛獣たちの影はなりを潜め、どこかに消えていった。
白衣の男はそれを見届けて、バンジャックを一瞥する。
「気を付けて。人には分相応という言葉がある。君に頼んで正解だったとは思う。故に、忠告で済ませよう。次は、ないかもしれない」
白衣の男も踵を返し、その場を立ち去る。
彼らの迫力に思わず失禁し、涙を流していたバンジャックは見た。
隣で手を引かれる少女。彼女だけが最後までバンジャックを見つめて、何か言っていることを。
それは、あまりにも絶望的な言葉で都合の良い言葉だった。
だが、バンジャックは確かに言っている気がした。
助けて────────と。
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