第三十一話 棚からおじさん
エンドラインの事件を経て、僕の身体能力は大きく向上していた。
村で治療を終えた僕は、カリストと一番目による特訓を受けていた。
そこで気づく。
狼化せずとも、それなりに一番目と組み手ができるくらいになっていたことを。
一番目も何やら特訓をしていたようで、その試しとして付き合う側面もあった。
だがそれ以上に実感した──自身の成長を。
「見つけましたよ!」
男の後をすぐに追った。男は店を出た後、人混みに紛れた。まるで誰かに追われていることを理解しているような、或いは何かから逃げるような足取りでズンズン先に行く。
でもそれを僕の獣の目は見逃すことはない。
瞳だけを獣化。視力を更に高め、人が乱雑に行き交う中を、僕はたった一人の男を見つけるために使う。
そして香る、男に付着していた臭い。
特徴的な臭いだ。何の匂いかはわからないが、これで嗅覚でも合わせて追うことが出来る。
大通りを離れた路地裏で、一人こそこそとする海賊風の男を見つけ、僕は呼び止める。
「あ〜? ガキ……? 何のようだ」
僕の呼び止めに男は嫌そうな顔をして振り返る。
顔のクマが気怠さを倍に感じさせている。
「貴方、あの店でイカサマ、してましたよね?」
「イカサマ……? ははーん、そういう口かよ」
僕の指摘に男は気怠さを消して、寧ろ少し元気になった。
嬉しそうに笑みを浮かべながら、僕の鼻に指を指す。
「証拠は?」
「し、しょうこ?」
「あったりまえだろ。俺様が、イカサマをした、証拠だよ。まさかないとはいわねぇよなぁ」
痛いところをつかれ、口籠る。
確かに、僕はカリストと一番目の言葉を真にうけて男を追いかけた。
自分で確信を持っているわけではないのだ。
だが一つだけ気になることがある。
僕が一気に勢いを無くす様子を見て、男はハンッと鼻を鳴らした。
「証拠もないのに、人をイカサマ呼ばわりたぁ良い度胸してやがる。どう落とし前つけるだぁ?」
「証拠はないけど……気になることはあります」
「ほう。なんだ」
そう。それは確かな違和感。
彼が出るまではあったものがなくなった、その事を指摘すれば或いは。
と思って、
「臭いがしないんです。さっきまで強い臭いがしてたのに……」
そんな事を口走った。
鼻が確かに反応した、あの変な臭い。
その言葉に、
「あーなるほど──そういう口ね」
溢れ出す殺意。
男の表情が、一変した。
人を殺す──海賊の顔に。
直後。
ドォンッ! という爆発音。
いつ抜いたのか。
彼の手の一丁の拳銃が、煙を噴いていた。
「覚えとけ小僧。人が人を殺すんじゃあない。──正義が人を殺すんだぜ」
バタン、と銃の衝撃で倒れる僕。
その様子を見て安心したのか、男はノコノコ近付いてきて、僕の顔のとこでしゃがんだ。
「全く正義感出して、知らんおっさんを追うもんじゃないぜぇ? 相手が人を殺すのに躊躇ない可能性だって──ん?」
男は僕の死に顔を拝もうとしたのだろう。
僕の顔を覗き込んで気付く。
「あ、あふなふぁっふぁ(あ、危なかった)」
「うぉぉぉおおおおいっっ!!?」
──銃弾を歯で受け止めていたことを。
男は驚きのまま飛び退いて、壁に張り付いた。
「ま、マジかよ。何だよ、ガキってこんなみんな強いのか?」
「僕は特別ですよ、ぺっ。というか、みんな……?」
歯で止めた銃弾を吐き捨てる。
僕は狭い世界でいたから世間をよく知らない。
それを考慮すると、子供とは弱くか弱い、というのが通説であって、みんな強いことはないと思うが。
と、僕が起き上がったのを見て、男は壁に張り付いたまま少しずつ横に移動していて、逃げようとしていた。
「こら! 逃げるな!」
「ばーか! 銃弾を歯で受け止めるバケモンに構ってられるかってんだ! 取り出し!」
男はあかんベーをすると、袖に腕を突っ込む。
取り出されるのは袖に入るには不釣り合いな、拳大の玉で。
「あばよっ!!!」
その正体は煙玉。
地面に向けて放り投げ、広範囲を煙で埋め尽くした。
「うわっ、何だこれ……ごほっごほっ!」
突如僕も巻き込まれた煙に軌道に違和感を感じ、咳が止まらない。
ただの煙ではないらしい。
とても歩けない不快感を前に、僕は男の足音が遠のいていくのを聞くことしかできなかった。
—
(マジかよ。何だこの街は、怪物から生まれたガキしかいねぇのか!)
男はケンの追跡を煙玉一つで振り切り、路地裏をクネクネと不規則に走り回る。
追手から逃走する際は、規則性を持たせてはならない。
時には家の中を通り、時には屋根の上に登り、時には隣の道を逆走して、ルートを読ませない。
男は逃げ慣れていた。
(へへ、だがあの煙玉の中には強烈な誘咳作用のある粉が入ってる! そう簡単にはおって──「へぶぁっ!?」
だが、突然地面から生え出てきた壁に男は激突。
まるで植物かのように伸びてきた壁はズズズッ、と男の行く道を塞いだ。
「な、何だこの壁は!! 街が意思でも持つってのかよ!」
思い切りぶつけた顔はペシャンコで真っ赤。
涙目になりながら益体もないボヤキをする男だった。
その男に対して、
「街、というよりは、鉱物かしらね。もう逃げられないわよ」
「随分と逃げ足が速いのねぇ」
空より声がかけられる。
視線を向ければそこにいるのは杖の上に立つ魔女風の格好をした少女。
そして屋根の上からしゃがんで見下ろす、桃色を基調とした旗袍を着用し、ピンク色のショートヘアを靡かせる少女。
どちらも異様な存在感を放っていた。
男からすれば絶体絶命以外の何ものでもない。
頭の中で構築する三八通りの逃走方法を模索して、
「次逃げようとした足ちょんぎるから」
と、軽く言ってのける魔女風の少女の言葉が、嘘ではないことを感じ取って。
「あ、はい」
男は逃げるのをやめた。
—
「ケン。アンタ先走りすぎよ。チームワークで大事なのは団体行動よ。一人勝手に先に行くのは絶対ダメ。力が自慢の三番目とか速さが自慢の二番目くらい強かったら話は別だけど、アンタはまだ周りを見なきゃダメよ」
「ご、ごめっほ! ゴッホゴッホ!!」
「ちょっと効きが悪いわねぇ。おじ様、解毒薬はないのぉ?」
一番目が治癒魔術をかけてくれるが、痛痒が和らぐ程度で根本解決には至らない。
喉にかかる不快感が拭えないやな感じだ。
「そ、それは毒じゃねぇんだ。粘膜に張り付いて、粘膜に溶け込み、違和感を与え続けるっていう植物でな──」
「どうでもいいからさっさと何とかしなさい!」
「は、はぃぃぃっ!!」
カリストの一喝が効いたのか、男は懸命に色んなポケットを弄って、色々取り出す。
驚くべきはそのポケットから出てくるものの大小が、服のサイズに見合ってないことだった。
小さな財布一つ入るくらいの胸ポケットからトンカチが出てきたり、袖からはまた大量の玉が出てきたり、まさしく何でも出てくる男だ。
そうして男の両隣にガラクタの山が積み上がった頃、漸く小袋を取り出した。
「こ、これが喉の炎症を抑える粉薬だ。少しは楽になるはず……」
「よこしなさい!」
「ひぃっ!」
それを強盗ばりにカリストはひったくって僕の口を抑えた。
僕の口を抑えた?
「飲めー!!!」
「ぎゃー!!!! ゴボゴボ!」
水無しで粉薬を喉にぶち込むなんて!
余りの鬼畜の所業に叫んでしまったが、続いてカリストの指先から噴き出す水が僕の喉を潤した。
「あ、ほんとだ楽になった」
「ったく……世話が焼けるわ」
ぷりぷり怒ってるんだか、優しいんだか分からないが、カリストは少しだけホッとした顔をした。
これでも心配してくれたんだろう。
それにしては無理矢理感が強かったが……。
「まぁまぁ良いじゃないのぉ。治ったんだしぃ」
何か察したのか、僕の頬を突いてくる一番目。
確かに今回僕の非が大きい。
何も言わずに感謝だけしておく。
一時はどうなるかと思ったが、とりあえず難は去ったようで良かった。
男も、抜き足差し足忍足といった具合に路地裏の向こうへと──
「あー! 逃げようとしてる!」
「え! だ、だってもう用はすんだろ……? 俺が悪かったからよ」
と言って男は金貨を差し出してきた。
やはりあの臭いは金貨からしていたものだったのだろう。
金貨を出した瞬間、変な臭いが漂ってきた。
「別にお金なんて入りません。今回はワンコ君が突っ走っちゃっただけだしぃ?」
「そうよ。インチキで得たお金なんてもらいたくもない」
しっしっと手で払うカリストの仕草に男はわざとらしく笑顔を向けて、
「へへっ、そしたら俺はこの辺で……」
とその場を逃げようとした時だ。
「待てよ、インチキってのは、どういうことだ?」
路地裏の奥から一人の男が歩いてきた。
息が荒い。目が血走っている。
その風貌は見覚えがある。
確か、
「ギャンブルの、相手?」
「インチキ、してたのかよ」
僕らのことなど見えていないように、海賊風の男を通せんぼして、ギャンブルの対戦相手は訊いた。
海賊風の男は、ニタリと笑って返す。
「騙される方が悪いだろ?」
「──あぁ、そうだな」
驚くほど素直に納得した男。
だが、糸が切れたように真顔になった男が指を鳴らせば、
「だから報復されても、文句は言うなよ」
路地裏の奥から、屋根の上から、男の仲間らしき人物が続々と集まってきた。
その数、十人ほど。
「ま、あたしらに関係ないからね。さっさと仕事の続きに戻りましょ」
「そうねぇ。特にメリットもなさそうだしぃ?」
「んな!?」
恐ろしく薄情な二人だった。
僕が驚いたのも束の間、先に海賊風の男が一番目の脚にしがみついて涙する。
「ま、まま、待ってくれよ嬢ちゃんたち! 見ればわかる。強ぇんだろ? 助けてくれよ!」
「だから、アタシ達に利がないって言ってんのよ。金貨なんか要らないからね?」
「そ、そんなぁ」
一番目は凄い目で見下し、カリストは呆れた風に、男は何もかも諦めかねない絶望の表情にくれていた。
だが少しだけ引っかかることがある。
「メリットなら、あるかもしれないですよ」
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