第十九話 諦観か信頼か
「うぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっ!!!?」
脳髄を痺れさせる激痛が走り、僕は思わず腕を振り払った。
シスターが掴んだ腕の骨がバキバキに折れて、腕はあらぬ方向に曲がっている。
痛みに思わず膝から崩れ落ちる。
とても立てるような痛みではない。
まともに声も出せず溢れ出るのは叫声と涙。
「ナゼ、オマエから臭ウ……」
シスターは静かに呟いた。
彼女からは数え切れない痛みを伴った教育を受けてきた。
しかし、彼女が僕の身体を害するような行動をとったことは無い。
血が出る、骨が折れる、気絶する、そう言った傷と呼べる教育は一度もして来なかった人だ。
ある意味十年の積み重ねが、今の彼女をいつものシスターでは無いと判断する材料となっていた。
「花の臭い……才能の……の臭イ」
瞳を失った両の眼窩はハの字に折れ曲がり、皮膚は骨と皮のみの痩躯。
髪は生き物のように波打ち、その先端は蛇のような口が幾つも形成されていた。
僕を睨んでいる。
失った瞳が、髪の蛇が、彼女の全存在が僕を睨み付けていた。
それは同時に、僕の中の悪魔の力を覚醒させる一助となった。
「あ゛っ……がぁぁぁぁぁっっ!」
バキリ、ボキリ、と。
凄惨な音を立てて腕は生き物のように暴れ出す。
そして本来ならあり得ない速度で腕は元の形に戻り、痛みも徐々に引いていった。
“再生”──悪魔が持つ、代表的な能力の一つだ。
(人間じゃない……悪魔でもない……? 一体、何が)
もちろん、僕に悪魔を探知する能力はないし、悪魔でないと判断する能力もない。
祈祷術も、魔術も、気術も何もかも扱えない僕にとって、悪魔を悪魔と断定するのはただ一つ。
この世に存在しないだろう異形であるか否か、だった。
だが今は違う。
第六感というべきか。
全身の毛が総毛立つように。
胸の奥から何かが叫ぶように。
眼前で立つシスターがただの人間でないと警報を鳴らしていた。
(とりあえず、分かることは)
あのシスターは、ヤバい。
森の魔物達なんか目じゃないくらいに強いのは明白だし、ドゥルキュラレベルではないにしても、僕が勝てる見込みはカケラもないだろう。
僕の選びたい選択肢は逃走の一択だが、
「ワタシノォ……ハナァァァ」
あのシスターが逃がしてくれるとは思えない。
今彼女はなぜか僕のことを標的にしている。
その理由は定かではないが、もし僕がエンドラインの住民が逃げていった方向に逃げれば、間違いなく住民は巻き添えになって皆殺しになる。
ならば、僕は一体どうしたら────
「Goooooooo!!!!」
その時、暴風が隣を駆け抜けた。
その正体は岩巨人。カリストが僕のために置いていった万が一の用心棒が、殺意を伴って拳を繰り出す。
シスターの顔面に拳がめり込み、その威力と勢いは民家を数軒突き破っていく。
そのまま頭蓋を粉砕せんと力を行使する岩巨人は、過激すぎる防衛でシスターを僕から引き離す。
つまり、カリストお手製の岩巨人がそれだけシスターを危険視したということだ。
僕を守るためには、殺さなければならないと判断させるほどの力があると。
「Goooo!!!!」
岩巨人は突進の勢いはそのままに、頭蓋を掴んで地面に叩きつけた。
岩の腕は、執拗なまでにシスターの顔面を叩き潰す。
徹底的に殴打を浴びせ、地盤が砕けた頃にはシスターの身体は動かなくなっていた。
土煙に佇む岩巨人の姿は、無機質に見えて少し怖くなってしまう。
だが、さすがカリストの作り出した岩巨人だ。
シスターに何があったのかは分からないが、明らかに様子がおかしかった。
なんなら、生者に見えなかった。
彼女を二度殺す事は望んでいないが、それでもあの恐怖から逃れる事が出来た安心感は大きかった。
「ありがとう岩巨人。とりあえずはもう────」
僕は胸を撫で下ろし、
近寄ろうとして、
この戦いが、まだ始まりに過ぎないことを知った。
「臭い、立つナぁ」
土煙の中から飛び出すは白い腕。
二メートルほどに伸びた腕が岩巨人を横から振り払うように殴る。
顔が欠け、岩巨人はすぐさま応戦しようと腕を振り上げるが、その前に伸びるシスターの腕に顔面を掴まれる。
「オマエから、ワタシの花の臭いがぁぁぁぁっっ!!!」
一体どこにそんな力があるのか。
異様に長く伸びた腕もまた、皮と骨だけのミイラのようだった。
その細腕に力が走ると同時、岩巨人の顔面がひび割れる。
シスターの背後で蠢く黒い髪が、蛇を模して岩巨人に喰らいつく。
ヒビは顔から、噛み付かれた部位から全身に回り、そして無惨に砕け散った。
岩巨人に手加減はなかった。
手心無しの一方的な暴力を、真正面から受けたシスターは尚無傷だった。
相対した敵を見事に屠ってみせたシスターの次の標的は、
「僕……だよなぁ」
光無き闇のまなこで僕を見据える。
シスターが映す闇はどこまでも遠い深淵に思えた。
—
「嘘、やられた!?」
同時刻。カリスト達は順調に屍人を討伐していた。
騒動が起きた時点では百体を超えていた屍人も、既に五十体を切っていた。
とはいえ手を緩めれば増加速度が討伐速度を上回る、気は抜けない。
そんな状況でカリストは一人、魔術の詠唱を止めた。
「ちょっとぉ、どうしたのよぉ」
「ケンの側に残してきた岩巨人の反応が消えたのよ!!」
「岩巨人が……?」
一番目はカリストの焦りように納得した。
人のリミッターを外しているとはいえ、屍人は知能もなければ反射神経も皆無に等しい。
その魔物を相手にカリストの岩巨人が負けるなど、考え難い。
あり得る可能性としてはそれこそ強力な魔物が現れたか、屍人を生み出した張本人が現れたかのどちらかだ。
それを踏まえても、彼女の焦りようは“ケン”であることに起因しているのだろうが。
兎も角。
「分かったわ。ここは私達に任せて貴方はワンコ君を助けに行きなさい」
「で、でも」
「これでも一番目よ。この程度、数が鬱陶しいだけの雑魚にやられたりしないわぁ」
片手間に屍人を華麗に倒して、一番目はウインクした。
彼女は一番目に誇りを持っている。
トップという肩書きが彼女を押し上げ、常に研鑽を積んで来た。
だからこそ、その力はこういう時にこそ発揮されるべきものであり、ましてやその相手がカリストであるなら本望である。
「ありがとう! このお礼は必ずする!!」
カリストは歯噛みしてケンの元へと飛んでいく。
振り返らず、しかし律儀に岩巨人は一体置いていった。
「ふふ、元気ねぇ」
カリストがどう思っているかは知らないが、一番目は二人のことを気に入っていた。
教会の任務では、基本少数精鋭で取り掛かる。
だが唯一一番目だけは一人での任務が基本であった。
理由は単純。その方が一番目が動きやすく、討伐の速度も段違いだからだった。
何回か一番目のお供に数字持ちや他の悪魔殺しの子供達も同行したが、ただただ足手纏いだった。
寧ろ一番目の能力を下げ、真価を発揮出来ないとして、いつからか一人で任務に行くのが当たり前になっていた。
『テメェ……気持ち悪ぃ顔だ』
ある時、二番目に告げられた言葉を思い出す。
当時の一番目は現在より表情は柔らかくなく、ナイフのような目付きで雰囲気も暗殺者のようであった。
『貴方に言われたくないわ。ニタニタニタニタ、気持ち悪い』
『ハハッ! 同族嫌悪って奴さ。テメェはいつも、周りを見下してる』
『──!? 何を……』
二番目は核心をつくその言葉は、一番目から動揺を引き出すには充分な力を持っていた。
追い打ちをかけるように二番目は続ける。
『周りを見下す癖に、自分の全部に諦めてる。それだけの力を手に入れたのに、本当に欲しいものが手に入らない悔しさか? 何にしてもテメェの悩みを受け止められるのは、世界中探してもオレ様一人だろうさ』
『自己評価が凄いのね。私に勝てもしないのに』
『ハハッ! 今は、な。オレ様は未来に生きる男だ。今は勝てなくとも光の速度で強くなる。そしていつか、テメェの夢をオレが叶えるのさ』
快活に笑って二番目はその場を後にする。
彼は任務に行く支度を済ませ、いざ出発しようとしていた時だった。
『次会う時は、その気持ち悪りぃ面が少しはマシになると良いけどな』
そう言って、彼は任務から帰らなかった。
一番目はそのことに何の感慨も抱かなかった。
──少なくとも、その時は。
「今更、何で思い出すのかしらねぇ」
もう三年も前のことだ。
特に気にも留めずに、悪魔を狩っていたからだろうか。
余裕が出てきた今になって、彼の言葉が頭の中で反響する。
──テメェはいつも周りを見下してる。
そんなことはない。
あの時、一番目は断言したかった。
だが今でもその言葉は出ない。
飛び立っていったカリストはとても強い子だ。
彼女は第一支部の生き残りとして、幸せになって欲しいし、同郷の友としてありたい。
なのにどこか、“可愛い女の子”としてみている節がある。
実力は認めているはずなのに。
だから彼女がより危険な場所に行くと知っても、止めもしない。
ケンが、危険な状況になっているのに焦りもしない。
二番目の言うところの、諦めているから、なのか。
どうして────
「無駄なことを考えている暇があるようさね」
「お姉さん」
屍人を悩み事と共に処理していく一番目の仕事ぶりに溜息しつつも、一応釘を指すパイドラ。
彼女もまたインファイターとしての宿命か、血の滝を浴びたように返り血塗れであったが、特に気にした様子なく、敵を気術で倒していく。
その近くではマキラが巨大な木材で敵をバッタバッタと薙ぎ払い、術が使えない人間としては大活躍を見せていた。
「ふん。若いからまだまだ色々挑戦できるだろうがね、少なくとも今その考えはするべきじゃない。寝る前とかにしておきな」
「おかしいなぁ、顔に出てましたぁ?」
「あたしじゃなきゃ気づかないレベルのがね。魂を取り扱う気術を極めていくとどうも、感情の機微には敏感になる」
パイドラは頬を掻きながらうろめたそうに言う。
恐らく知りたくなくても知ってしまう類なのだろう。
そういった感覚の話は一番目にはわからなかったが、事例として知ってはいた。
寧ろ、そのレベルで極めた気術使いに出会ったことがないので素直に感心していた。
「さすが、と言ったところですか」
「ふん。褒めても何も出やしないよ。少しは切り替えれたかい?」
「ええ。十分です」
今考えても意味はない。
だが人間とは勝手に思い浮かべてしまうものだ。
だから一番目は自らの頭に指を突っ込んで強制的に記憶を閉じた。
「あ、あんた……バケモンだね」
「これでも一つの最強を担っているんですよ。頭に穴をあけた程度じゃ死なないんですぅ」
「はは。恐ろしい子だよ──というか」
乾いた笑いを浮かべながら、パイドラは背後に向かって叫んだ。
「お前達!!! 女にばっか働かせて、少しは力を貸しな!!!」
「「「ひぃぃっ!?」」」
そこには建物に隠れるエンドラインの住民達がいた。
屍人の力強さと得体の知れなさにすっかり腰を抜かして、皆遠くで集まっている。
それでも逃げていかないのはパイドラの存在があるからなのだろう。
「で、でもよぉ! 俺たち術なんか使えないぜぇ?」
「バカもん!! その自慢の筋肉は何のためについてるんだい!! 首さえ落とせばコイツらになることもないよ!! 噛まれないよう、ツーマンセルでかかりな!」
「「「へ、へい!!」」」
まさしく鶴の一声だ。
解決法を提示された男達は皆屍人へと立ち向かっていった。
中にはスリーマンセルを組んでる者もいたが、数十人が討伐に加わったことでカリストのいなくなった穴は充分埋まったといえよう。
「これでアタシらも楽になるさね」
「ふふ。ありがとうございます」
「何礼しとるんだい。アイツらにやるべきことをやらせただけさ、さっさと終わらせて飯の一つでも奢らせな」
再びパイドラは屍人討伐に戻っていった。
いつの間にか手が止まっていたらしい。
一番目は頬を叩いて、いつもの顔に戻す。
「その時はぜひ、三人でいただきます」
カリストならばきっと大丈夫。
これは諦めではなく、信頼だ。
あの二人ならばきっと無事に帰ってきてくれると──
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