第十四話 ヤッたな
「うっ……うっ……男の人に汚された」
時刻は夕方。
昼食を終えたあと、僕たちは宿を探しを始めた。
荒くれ者が大体を占める村である以上、どこもかしこも衛生的に良い状態とは言えず、一番目は兎も角カリストが嫌がった。
『ま、私もお風呂には入りたいかなぁ』
とある程度のフォローをしていたが、カリストは這い回る黒い虫を見つけるごとに炎魔術をぶっ放しかねない拒否感だったので大変だった。
二、三時間歩いた果てに漸く、ある程度の水準を備えた宿を見つけ、入室。
すると疲れで飛んでいた昼の記憶が突如蘇り、今の状況に至る。
「そんな布団の上で丸まってないで、元気出しなさいよ。あんなモテ方、絶世の美女くらいよ、多分」
「私だってぇ、あんなにモテたことないわよぉ? 妬いちゃうわぁ」
「出来ることなら女性にモテたかったですよ! あんなむさ苦しい男の人に囲まれて……う……潰されるかと思った」
大男に囲まれて潰される機会などそうそうないだろう。
筋骨隆々の男が鼻の下を伸ばし、酒気を撒き散らしながら、押し寄せてくる恐怖は形容し難いものがあった。
二度と経験したくない。
「元からワンコ君は男の人に好かれるとかじゃあなかったのよねぇ?」
「え、はい……特にそんなことは」
そういうと一番目は一人考え始めた。
対してカリストは隣で顔を赤らめている。というか怒っている……?
杖で僕のことをしばき出した。
一体どうしたんだろうか。
「そしたら、やっぱり“魅了”が発現したのかもねぇ」
「魅了……ですか?」
「ええ、吸血鬼に限らず悪魔が持つ能力の一つよぉ? 人を油断させ、好意を持たせる気を放つ。基本的に双方の強さに関係なく、精神異常系の術に弱い人はかかってしまうわねぇ」
「もちろん、私達は祈祷術で常時精神異常も毒とかの身体異常も防いでるから効果ないけど、魅了を撒き散らされるのは困ったわね」
カリストの言う通りだ。
もし、昼間に起きたようなことがいつでも起きると言うのであれば、それは人通りの多い場所では僕が活動できない事を指す。
まず人にも迷惑をかけてしまう。
「うう、一体どうしたら」
「ちょっと待って、あんた」
カリストはそういうと僕の頬を掴み、ジッと観察した。
「ど、どうしたにょ」
「あんたの目、まるで狼みたいに瞳孔が縦よ……」
「嘘!!」
と、備え付けの鏡に向かおうとベッドを降りた瞬間。
僕の尻で何かが爆発したような感触を感じた。
「あ、あんた……それ」
「尻尾ねぇ、フサフサの」
その言葉に恐る恐る両手をお尻に回す。
そこには今までなかったはずの感触があった。
「こ、これは……」
「犬化、いや……狼化が進んでるみたいねぇ」
「そんなぁ!」
身体の至る所がムズムズしている。
これはもしかしたら皮膚も狼っぽくなっていっているのかもしれない。
そう思うと少しだけ怖かった。
「それじゃ私は番兵さんに会ってくるわぁ」
「え! そんな、僕このままですか!?」
「って言われてもねぇ」
一番目は、扉を開けて手だけひらひら挨拶して、
「方法もないしぃ、二人はさっさと寝るのよぉ? 多分二時間は帰らないからぁ」
その場を後にした。
—
カリストは荒ぶるケンを宥め、部屋に連れていった。
今回、ケン一行は男女別々で二部屋取っていた。
この宿はそれなりな額はしたものの、さすがに男女同じ部屋で寝るのは嫌だと、ケンが言い出したのだ。
一番目もカリストも、任務で男と一緒の部屋で寝るなど何度も経験していたので、そういった感覚が薄れていた。
二人ともそういった慣れの意味合いでなくても、ケンなら別に大丈夫と思っていたが、ケン自身はとても寝付けないらしい。
まぁ健全な男子であれば、森の中でのテントでさえ緊張していたのに、今度は密閉された一室というのは、緊張して当然だろう。
一番目に至っては、その男心を理解してのOKだったのだが、まだケンには早すぎた。
寧ろ、うぶな反応ばかり見せるカリストが、そこは許すんだと一番目は驚いた。
カリストはケンを連れ帰ったのち、寝る支度をし、数分で眠りに落ちた。
そこで夢を見る。
雪が降る寒い日のことだ。
大通りには雪が積もり、馬車も人もほとんど姿を見せなくなった冬のある日。
カリストは一人裸足で雪の中を歩いていた。
経緯は覚えていない。
なぜ自分が雪の中を裸足で歩くことになったのか。
なぜ一人なのか。
なぜ、誰も助けてくれないのか。
なけなしの襤褸布を羽織って、通りかかる人に声をかける。
『助けてください』
すれ違う人々は視線を向けこそすれど、皆一様に断った。
返事をせず無視する人もいた。
でもカリストは信じていた。
飢えて死にそうな子供を助ける人の善性を。
『助けてください』
誰か一人くらい、助けてくれるはずだ。
何せ飢えて死にそうな子供なのだ。
少しくらい汚くても、少しくらい見窄らしくても、幼子を見捨てるなどあり得るのだろうか。
『助けて……ください』
もう涙も出ない。
数十分歩いただけで理解していた。
誰も助けてはくれないのだと。
そのまま、カリストは雪の中に倒れた。
もう足の感覚はなかった。
冷たかった、痛かった。
だが今は不思議と暖かい。
新発見だ。雪は全身で浴びると暖かいのだ。
(あぁ……神様)
子供ながらに死を悟る。
母に言われて真似して祈ったある誰か。
その人ならば助けてくれるのかと、心の中で祈りを捧げる。
(私は悪い子だったんでしょうか)
走馬灯のように蘇る。
暖かい部屋、優しい父と母。
ほんの昨日まで幸せな日々を送っていたはずなのに、どうしてこうなった。
(それとも)
運がなかったのか。
タイミングが悪かったのか。
善人などなかったのか。
全てそうなのだろう。
──それとも。
(神様は──)
と、そこで思考が止まる。
声をかけられた気がした。
もう足は動かない。
だから目だけを動かした。
「──る? ──」
何か言っている。
それが自分に対してかけられている言葉なのだと、理解するのに時間は要らなかった。
そうして頭を上げる。
視線の先、同じくらいの少年が手を出していた。
救いの手を差し伸べるように。
「大丈夫? 立てる……わぁ」
朧げな視界の中、少年が驚いたのがわかった。
顔を真っ赤にして、照れている。
「び、びっくりしちゃった。可愛い女の子だ」
なにそれ、と以前なら思っていただろう。
でもその当たり前な人の反応に、カリストは涙を流した。
そこでカリストは気絶した。
懐かしい夢を見たな、とカリストは思った。
十年前の記憶。自分がケンと初めて出会った、あの日。カリストの運命は変わった。
そう思うと随分時が経ったような気がする。
初めて会った日のことを夢に見ること自体、久しぶりなのだ。
そう思うと、今も昔もケンは変わっていない。
優しいケンのままだ。
今、彼は大変な状態になっているが、昔から役に立ちたいという願いがあった彼にとって、悪魔憑きとはいえ力は力だ。
危険な力であることは間違いないが、ケンならもしかしたら──と、眠りから覚醒したカリスト。
そのぼんやりとした視界に映るのは天井ではなく、人の輪郭だ。
覆い被さるようにして三角の耳が二つ頭の上から生えた────
「ケン!?」
身体を起こそうとした。
しかし身体は動かない。
ガッチリと両腕をケンに抑えられ、その獣のような瞳は自分のことを一直線に見ている。
まるで獲物を狙う目だ。
狩をする、獣の目。
(なんで!? 結界は貼ってあったはず……壊されてる?)
ベッドの横にあった簡易的な結界魔術。
悪意のあるものが接近すると結界に触れたものを焼くもの。
とはいえさすがに殺すわけにはいかないため、護身用程度のものだ。
それが作動していない。
(どういうこと? でも目の前のケンは確かに)
自分のことを襲っている。
カリスト目線では。
逃がさないように腕力で押さえ込み、足で身体を拘束しているのだ。
これを襲っていると言わずして何というのか。
このことを考慮するなら悪魔用の術も結界に仕込めば良かったと後悔して、
「ケン! 正気になりなさい! 今自分が何をしてるのか──あ」
見つめられるケンに、カリストはなぜか襲われる恐怖とは違う高揚感を感じていた。
ドキドキする感覚。それは確かに自分がいつも、ケンの不意の仕草に見せる反応で、
(うそ。私にも魅了が?)
身体の硬直が、彼の腕力だけではないことの証明だった。
徐々に近づくケンの顔。
口元から見えるそれは異常に発達した犬歯だ。首筋に食らいつき、血を吸うために会得した。
かつて屍人となっていたケンが見せた、血を吸う姿。
その光景と今の状況が重なった。
(ケン……)
もはや彼女には願うしかない。
本来、正常の彼女ならばケンだろうと術で吹き飛ばす冷静な判断が出来たであろうが今はそれも封じられている。
ただ為されるがまま、カリストは身を任せた。
—
そして次の日の朝。
窓の外は明るい。
鳥は囀り、遠くではニワトリが鳴いている。
「ただいまぁ。ちょっと色々してたら遅くなってぇ……あれぇ?」
カリストが泊まる部屋のドアを開けたのは、一番目だった。
寝てないのは慣れているからか、少し疲れた様子は見えど、特に気にしていない風だった。
だが、
「おやおやぁ、こりゃあまた」
眼前に飛び込む情報に、カッと目を開いた。
くんずほぐれず纏わりつく二人の男女にベッドは乱れている。
カリストの服ははだけ、そこから覗く紅潮する肌。
ケンは大事そうにカリストを抱き締めている。
狼化、はなぜか解けておりいつものケンに戻っていたがそんなことはどうでもいい。
「コレはヤッたなぁ」
一番目の興味関心はそこよりも、もっと違うところにあるのだった。
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