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95 急転直下

 1542年12月初旬

 楠予屋敷。


 広間の上座には源太郎が座し、左右に次郎と玄馬、友之丞が控え、中央の伊予の地図を凝視していた。


 その周囲には吉田作兵衛、国安利勝、高田圭馬、楠河昌成、そして新参の重臣・玉川監物、徳重家忠も列座し、皆が笑みを浮かべながら地図に目を落としている。


 先月、正重が伊予北部の攻略を再開した直後、河野家は再び兵を挙げた。


 総勢三千。だが、そのうち二千は豊後から渡海してきた大友の援軍であった。大友は楠予の強さを知らず、河野家の『楠予は侮れぬ』という警告を軽んじて独断で戦を仕掛けた。その結果、大友・河野の連合軍は楠予軍の前に大敗を喫した。


 この敗北によって大友家は手痛い損失を負い、河野家においてはもはや滅亡を免れぬ状況へと追い込まれた。


 広間の地図の上に描かれた伊予北部の勢力図は、すでに河野家から楠予家へと完全に塗り替えられていた。


 次郎が地図を指し示す。

「皆々方。ご存知の通り、御屋形様は伊予北部の近見山城、塩早砦、重茂城、無宗天城など合計二十近くの城や砦を落とし、北部を平定されました」


 次郎の言葉に重臣たちから拍手や「おおっ」といった歓声が響き渡る。


 次郎は続けた。

「また河野家を見限った国人衆から、楠予家の家臣になりたいとの申し出が続々と来ております」


 重臣たちは「さもありなん」と頷き。作兵衛にいたっては、その申し出の半分以上に関わっていたため、自分の功績だと胸を張った。


――だが楠河昌成が異を唱えた。


「楠予家の力が増すことは目出度い。しかし、事ここに至って寝返るのは少々遅うござる。我らと同じく、様子見が長すぎたと存ずる。その申し出をただ受け入れられるのでございますか?」


 楠河、大野、高田、国安の四人は、かつて越智家と楠予家の戦いで、勝つ方に味方しようとした。そのせいで正重の叱責を受け『判断が遅い』と所領の半分を没収された過去がある。ゆえに高田と国安は、楠河に賛同する。


「さよう。我らの例もござれば、まずは所領を削り、楠予家に仕える覚悟を示させては如何でござろうか?」

「高田の申す通りじゃ。今なら滅ぼすも赦すも楠予家次第。そうではござらぬか、作兵衛殿」


 作兵衛は困った顔をした。

「ううむ。お主らの言いたいことは分かるのじゃが、所領安堵の条件を覆せば、所領を守るために命掛けの戦をする者も出て来るじゃろうのう……」


 次郎は源太郎に向かって言う。

「ならば半所半録を適用しましょう。二割五分の所領を安堵し、残りは俸禄の原資として没収し、俸禄を与えます。これならば牙を残しながら、首に紐を付ける事が出来ます」


 重臣たちは苦笑いした。逆らえないように半所半録を適用されているのは自分たちも同じだった。


 作兵衛が懸念する。

「次郎殿。今の状況なら多くの豪族が半所半録を受け入れるやも知れぬ。じゃが、やはり『先祖伝来の土地を手放したくないと言うのが人の心じゃ』、一部の者は絶対に受け入れぬじゃろうな……」


 次郎は言う。

「先祖伝来の土地と言いますが、半所半録でも、一族が耕して食べるのに十分な土地が残るでしょう。それ以外は民を支配し、人の上に立ち、楽をしたいと言う欲望でしかありません」


 次郎は周り見渡して言う。

「この状況で楠予家の命に従わず、土地に固執する者は、楠予家に必要ないと思います。『先祖伝来の土地』も結構ですが、功を立てて褒美に返して貰おうと言う気概も、発想も無い阿呆は要りませぬ。

 阿呆の大将が居ては、後で足を引っ張られるのが目に見えています。そうなるぬため、その様な者は敵として討つか、退去してもらった方が良いと私は思います。作兵衛殿や皆々はどう思われますか?」


作兵衛が「うーん」と考え込む。

「まあ確かに、足を引っ張る阿呆はいらんな。戦場では命取りになる」


 玄馬が頷き、声を重ねる。

「もはや楠予家が河野家を滅ぼすのは時間の問題。この状況で楠予家の命に従わぬ者は、今後も逆らい続けるであろう。今、取り除いて置いた方が確かによいな」


 源太郎が応える。

「よかろう。では父上には、評定でそのように決したと報告し、裁可を仰ごう。だが新たな家臣の不満は確実に残るし、これを見過ごす事は出来ぬ。特に楠河たちには、新たに家臣として迎え入れる者たちに、忠誠を尽くせば報われると説くのだ。そなた達の言葉なら信用しよう」

「「ははっ!」」

 楠河たちが頭を下げた。


 作兵衛が一言加える。

「あと、楠予家の重臣になれば、次郎殿の美味い料理が食べられる事も教えてやるのじゃぞ」


 重臣たちの笑い声がどっと広間に響いた。


――だがその時、廊下からドタドタと足音を響かせて伝令の庄左衛門が入って来た。


「申し上げます! 御屋形様から火急の知らせにございます!」


 庄左衛門は源太郎の前に進み出て、一通の書状を差し出した。源太郎はそれを受け取り、急ぎ書状に目を通す。


 やがて源太郎の表情が、書状を読み進めるうち驚きへと変わり、家臣たちが「何事か!」と互いの顔を見合わせた。


 書状を読み終えた源太郎が、深く息を吸い、一呼吸した。

「2週間前……河野家当主の晴通が父・通直に毒殺されたそうだ」

「なんと!」

 重臣たちは一斉に声を上げ、広間は騒然となった。


 徳重家忠が低い声で言う。

「しかし毒殺とは……。晴通は通直の子ではないか。子を討つなど尋常ではないぞ」


 次郎が眉をひそめ、唇を噛む。

(……子を殺すバカが、いつの世にも居ると言う事か……)


 楠河昌成が口を開いた。

「されど、これで河野家は内乱に陥りましょう。晴通の死で家中は分裂し、通直を支持する者と反発する者で争いが始まる筈。楠予家にとっては好機にございます」


 源太郎は首を振った。

「毒殺を命じられた医師が、その場ですべてを白状した。ゆえに重臣たちは直ぐに通直を捕らえ、幽閉したそうだ」


 史実では河野晴通は1543年の春頃に急死する。通直による毒殺説はあったのだが、原因は定かではなかった。

 だがこの世界では通直は、ボロを出した。

 医師は本来、時間をかけ、機を見て晴通を毒殺するはずだった。だが楠予家の快進撃に焦った通直が「直ぐに殺せ」と命じたため、証拠が残り事件が発覚したのだ。


 広間はざわめきに包まれた。


 大野は静かに言った。

「いずれにせよ、晴通殿が亡くなったことは確か。通直を支持する者もおるかも知れぬ」


 源太郎が首を振り、手紙を横に置く。

「跡目は既に晴通の弟の通宣みちのぶが継いだそうだ。そして通宣は楠予家に庇護を求め、降伏を申し入れてきた」


 広間は再びざわめきに包まれた。

 作兵衛が目を丸くする。

「通宣が……降伏を? 河野家が楠予家に庇護を求めるとは、時代も変わったものじゃ……」


 国安利勝が慎重に言葉を選ぶ。

「だが、果たして心からの降伏かどうか……。命脈を保つための方便なのは明らかでごる」


 高田桂馬が腕を組み、低く唸る。

「通直が幽閉された直後に通宣が跡目を継ぎ、すぐに降伏とは……。あまりに早すぎる。裏に何かあるやも知れぬな」


 楠河昌成は静かに首を振る。

「流石にそれは無かろう。晴通殿の死で家中が乱れているのは確か。通宣が庇護を求めるのは、既に国人衆の心が河野家から離れていると知っているからだろう」


 次郎は眉をひそめていたが、突如笑い顔になり膝を打った。

「そうだ! 国人衆を全員、河野通宣に押し付けましょう!」


 国安利勝が首を傾げる。

「次郎殿、それはどう言う意味でござろうか?」


 次郎は中央の地図を指し示す。

「半所半禄で国人衆を受け入れれば、楠予家や我らの所領は増えません。しかし河野家に彼らを押し付ければ、河野家の土地として没収できます。河野家の領土は北部を失った今、残り7万石ほど。河野家には2万石を残して、あとは没収すると伝えるのです。さすれば5万石は当家の好きにできます」


 広間に一瞬の沈黙が走った。


 作兵衛が目を丸くし、声を上げる。

「なるほど! 通宣に国人衆を全て抱え込ませれば、楠予家は石高を増やし、さらに不満分子を抱え込まずに済む。そして楠予家は通宣だけを監視すれば良いというわけか。面白い策じゃ」


 友之丞が頷く。

「河野家の直轄領は一万石ほど。今の状況で、楠予家が二万石を保証するならば通宣も説得できる!」


 高田桂馬は腕を組んだまま、眉をひそめる。

「しかし、押し付けられた通宣が本当に国人衆を従えられるかは疑わしい。

 通宣の器量がよほど高くなければ、彼らは通宣を再び裏切るだろうな」


 国安利勝が頷いた。

「確かに。だが、通宣が失敗すれば、その時は楠予家が通宣の所領を没収し、弱った国人衆を討ち果たしてもよかろう。まずは通宣に背負わせればよい」


 玄馬が低い声で言う。

「次郎の策は理に適っている。如何思いますか兄上」


 源太郎はしばし沈黙し、広間に漂う緊張を見渡した。やがて静かに口を開いた。


「皆の意見は、よく分かった。確かに次郎の策は理に適っている。楠予家が不満を持った国人衆を直接抱え込めば、将来造反を招く恐れが残る。だが通宣殿に押し付ければ、その恐れは無くなる。楠予家は石高を得て、より強くなれる」


 重臣たちが頷き合う。

 源太郎は続けた。

「しかし、まずは通宣の降伏が本気なのか確かめねばならぬ」


 国安が頷いた。

「誰を遣わすかが肝要ですな。軽き者では侮られる。慎重に選ばねば」


 作兵衛が笑みを浮かべる。

「わしが行ってもよいが、年寄りの足では遅いかもしれんのう」


 広間にわずかな笑いが漏れ、緊張が和らいだ。源太郎は深く息を吸い、重臣たちを見渡した。

「では、河野家には2万石だけ残し、あとは没収する事で評定は決したと、父上に伝え裁可を仰ぐ。恐らくは父上は受け入れられよう。友之丞、そなたは父上の元へ行き、裁可を仰いだ後、そのまま河野家との交渉に赴くのだ」

「ははっ!」


 大役を任せられた、友之丞は誇らしげな顔をした。


ーー


 源太郎の予測通り、正重は評定の決定を認めた。

 正重の許可を得た友之丞は、すぐさま湯築城へと赴き、河野家との交渉を開始する。


 5日後。

 河野通宣と河野家重臣たちは楠予家の降伏案を受け入れた。


 河野家の降伏を聞いた次郎たち重臣は、短期間で難しい交渉を成功させた友之丞を褒め称えた。


 さらに4日後には、臣従の目録が完成し、5万石の所領の没収が宣言された。

 これにより河野家の豪族たちは先祖伝来の地を追われ、僅か2万石となった河野家の所領への移住を余儀なくされる。


 先祖伝来の土地を守るため立ち上がろうとした者もいたが、既に主家は降伏し頼れる者はいなかった。

 寝返ろうとしていた豪族たちは、吉田作兵衛に掛け合うが『決断が遅すぎるんじゃ、だからわしは早く寝返れと言ったではないか』と追い払われ、地団駄を踏んだ。


 没収の宣言から数日後、伊予南部の小城に籠もった豪族が二人いた。だが直ぐに楠予軍が襲来し、どちらも二日も持たずに落城した。城主は切腹させられ、所領は没収。そして城主の残された家族は河野家預かりの身となった。


 ここに鎌倉時代から、約250年間続いた河野家の伊予支配は静かに終焉を迎え、新たに楠予家の時代が幕を開けた。


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