94 人間万事塞翁が馬
1542年11月初旬 壬生屋敷。
次郎が楠予屋敷での仕事から戻ると、入口で弥八が笑いながら近づいて来た。
「殿、女性のお客人が殿に会いに来られてますよ」
「そうか、誰なんだ?」
「大内家の方です。義隆様のご正室・貞子様の紹介状をお持ちでした。今はお澄様がお相手をされてます。あれは結構な美人さんでしたね、殿も隅に置けませぬなぁ」
(え……まさか、あの転生女の事じゃないよな!? いくらなんでもストーカーじゃあるまいし、こんな所まで来ないよな?)
次郎は胸騒ぎを覚えつつ、急いでお澄の部屋へと向かった。廊下からお澄の部屋の中を覗くと、お澄と後ろ姿の女性が楽しそうに茶を飲んでいるのが見えた。
お澄が次郎に気づき、微笑む。
「次郎、お帰りなさい」
その言葉に女性も振り返り、ニタリと笑う。
――次郎の心臓が跳ね上がった。
(やっぱりお前か!!)
お澄はおさいの方を一度見てから、次郎に言った。
「おさいさんは義隆様の御正室・貞子様に仕えていた侍女で、大内館で次郎のお世話をしたと聞きました。その時、次郎が『困った事があれば何時でも訪ねて来なさい』と言ったのですよね? それで恥を忍んでここまで来たそうですよ」
次郎は言葉を失い、おさいは口元を手で隠しながら次郎を見て笑う。
(こいつ、ふざけんなよ! 勝手な作り話までしやがって! 今すぐ追い出してやる!
……と言いたい所だけど、こいつ貞子様の紹介状を持って来てるんだよな。ここで追い出せばお澄に怪しまれる)
――貞子が紹介状を書いたのは、大内義隆がおさいに気があると知っていたからだ。
義隆は出陣する前、しばしばおさいへと視線を送り話しかけるようになっていた。ゆえに貞子は、おさいがふしだらな女だと噂を流してみたが、義隆だけは信じず頭を悩ませていた。
そして義隆の出陣中に厄介払いをしたいと考えていた折、おさいの方から『紹介状を書いてくれたら暇乞いをしたい』と言って来たので喜んで書いてやったのだ。
おさいはニヤリと笑みを浮かべ、湯呑を静かに置いた。
「次郎様、お久しゅうございます。大内館にて侍女としてお世話をした折に賜ったお言葉、建前と承知しておりますが……やむを得ぬ事情で参りました」
次郎はお淑やかな女を演じるおさいに、顔を引き攣らせながら応じた。
「いえいえ、大内館ではお世話になったのは事実。それで、本日は一体どうされたのですか?」
おさいはふと困ったような顔でお澄へ視線を向けた。
お澄はその様子を見て、私が居ては言いにくいことなのだと察した。
「では、私は少し席を外させていただきますね。おさいさん、また後ほどお話ししましょう」
「はい、お澄さま!」
お澄が静かに広間を出ていくと、室内は急に静まり返った。
おさいは次郎と目が合うと突然、次郎へと身を乗り出し、腕に抱きつき微笑んだ。
「次郎君! やっと二人きりになれたね♡」
次郎は眉をひそめた。
「何を言ってるんだ、離せ! ここは俺の家だぞ。勝手に来るなんて、ずうずうしいにも程があるだろ!」
おさいは唇を尖らせ、拗ねたように言い返す。
「次郎君が悪いんだよ……。お互いに応援しようって言ったのに!」
「そんなこと言ってない。俺は大内家で俺を応援しててくれって、言ったんだ!」
おさいはジト目で次郎を見つめた。
「自分だけ応援してくれって、最低ね。
でも困った事があったら手紙を出せって言ったよね。私、身分の高い男性に迫られて、怖くて何度も手紙を出したんだよ。でも……まったく返事をくれなかった……」
次郎は、悲しそうに俯くおさいを見て焦った。
「いやそれは……色々忙しかったから……」
「私、1年も待ったんだよ……。これ、怒ってもいいよね?」
顔を上げ頬を膨らませるおさいから、次郎は視線を逸らす。
「……ごめん」
おさいはくすりと笑った。
「次郎君、これは大きな貸しだからね! だから私の小さなお願いを聞いて!」
次郎は目を細めた。
「まあ、本当に小さければ聞いてやる」
おさいは頭を下げた。
「私をこの屋敷に住まわせて下さい!」
「……なんだぁ、そんなことかぁ」
次郎が笑うのを見て、おさいは小さくガッツポーズを取った。
「次郎君、ありがとう!」
「――だが断る!!」
「なんでよ!」
「当たり前だろ、お前みたいな変な女を家に置けるか!」
おさいは目を細め、挑発するように言った。
「よく私にそんなことが言えるよね。お澄さんに聞いたんだから」
「……な、なにを?」
おさいは威嚇するように次郎に一歩近づく。
「次郎君、料理技術は全て大内家に伝えたって言ったのに、すき焼きとか金平糖、清酒やお塩まで作ってるらしいじゃない。どうして大内家には一向に伝わって来ないのかな?」
「そ、それは他家なんだから仕方ないだろ……」
「だから来たんだよ。私だって美味しいもの食べたいに決まってるでしょ!!」
次郎は頭を抱えた。
「……お前なぁ、食い意地張ってここまで来る奴があるか……」
おさいは頬をふくらませた。
「だって仕方ないじゃない。次郎君が手紙の返事くれないから、こうするしかなかったの!」
次郎はため息をつき、声を潜める。
「 ……分かった。じゃあ100貫文やるから2度と俺には関わらないでくれ」
おさいの目がぱっと輝いた。
「次郎君! 100貫文も持ってるの!?」
おさいの食い付きに次郎はヤバいと感じた。
「いや、言っとくけど俺自身は年に10貫文くらいしか動かせないからな!
研究開発費として500貫文、貰ってるからそこから出すんだよ!」
「ふ~ん。それって横領じゃないのかな。そんな事していいの?」
「いいんだよ! お前みたいなのに付き纏われないためなら、必要経費だって御屋形様も納得してくれる筈だ」
おさいは口元に笑みを浮かべ、わざと間を置いてから言った。
「分かった。じゃあ200万貫文くれたら出て行ってあげる」
「おお、分かってくれたか……。って万が付いてるじゃねえか、ふざけんなこの野郎!! 出てく気ねえだろ!」
「当たり前でしょw 異世界転生は絶対に主人公の傍に居た方が得なんだから!」
次郎は呆れた顔でおさいを見た。
「……お前、本当にずうずうしいな」
おさいは不敵に笑う。
「それに私がいた方が、絶対にいいと思うよ」
「なんでだよ」
「私、前世では、若手の有望な医者だったんだよ」
次郎は思わず吹き出した。
「はっ、冗談だろ。お前みたいな性格の医者がいてたまるか!」
おさいはむっとして背筋を伸ばした。
「患者さんの前では真面目だったに決まってるでしょ。……それに、この時代の医者よりもずっと役に立つと思うよ」
次郎は眉をひそめ、しばし黙り込んだ。
(……確かに、こいつが医者だったなら役に立つかも。でも、本当にこいつは医者なのか?)
「じゃあ何か証明して出来る知識は?」
「次郎君に言っても分からないよ。そうだ! じゃあまだ皆が気づいてない事を教えてあげる!」
おさいは笑いながら次郎に一歩近づいた。
「な、なんだよ……」
(まさか俺が重大な病気だとか言うんじゃないだろうな……)
おさいはふっと笑う。
「お澄さん、妊娠してるよ」
次郎は思わず息を呑んだ。
「……は? 何を言ってるんだ。そんな話、誰にも聞いてないし、お澄本人だって言ってないぞ」
おさいは静かに首を振った。
「顔色や仕草を見れば分かるよ。前世で医者だった私にはね。
まだ本人も気づいてないけど、間違いないと思う」
次郎は拳を握りしめ、心臓が早鐘を打つのを感じた。
「顔色や仕草ってなんだよ。具体的には?」
おさいは真顔になり、指先で自分の頬を軽く示した。
「まず、顔色。お澄さんは多分普段より赤みが強くなってるんじゃないかな。それでいて疲れやすそうに見えるの。これは体の変化を示してる」
次郎は眉をひそめた。
「……それだけで妊娠だって決めつけるのか?」
おさいは首を横に振り、さらに言葉を重ねた。
「仕草もだよ。茶を飲む時に少し胸元を押さえていた。吐き気やむかつきがある時の癖。あと、匂いに敏感になってるのか、香の煙を避けるようにしていた。吐き気は次郎君でも聞いた事あるよね」
次郎は息を詰めた。
(……確かに、そう言われれば以前より赤みがある気がする。え、じゃあ俺、もしかして本当に父親になるの……!? マジで、めっちゃ嬉しい!!)
おさいは微笑んだ。
「どうかな? 役に立つでしょ」
(確かに役に立ちそうだ。お澄の健康管理も任せられるし、流産予防にもなるかも!)
「分かった、しばらく様子を見よう。お澄が本当に妊娠してたら。お前を壬生家の専属医師として雇ってもいい」
「次郎君! ありがとう!!」
おさいが正面から次郎に抱き着いた。
(うぉ、デカい。これはGカップはあるんじゃないか!? って、何考えてんだ俺は!)
「おい、放れろ接触は禁止だ! 胸が当たってるぞ」
「あっ……ごめん。……って、普通は男の子なら喜ぶもんじゃないかな?」
「俺は喜ばない……」
「ふ~ん、むっつり何だね」
次郎は深く息を吐いた。
「……むっつりでも何でもいい。俺はお琴ちゃんもお澄も裏切る気はない。二人を大事にする、それ以外の女に興味はない」
「二人いる時点でアウトだと思うよ?」
次郎は視線を落とした。
「っ……仕方なかったんだ。愛する人が二人になる事もあるんだよ。お前には分からないかも知れないだろうけどな」
おさいは顔を赤くして怒った。
「馬鹿にしないでくれる! 私だって愛する人の5人くらいいたんだからね! 〇〇の〇〇とか!」
次郎は思わず笑った。
「何それ、全員芸能人じゃん」
「仕方ないでしょ。医者になるのに勉強で忙しかったんだから……。なのに医者になったとたん……私、事故で死んじゃって……」
急に暗い話になったため、次郎はいたたまれなくなった。
「……なんか……ごめん」
おさいは視線を落とし、少し震える声で言った。
「だから今度はね、絶対に幸せになりたいの。もう一人で終わるのは嫌なの」
次郎は言葉を失った。
(……ずうずうしい女だと思ってたけど、コイツも前世では幸せにはなれなかったんだな)
ーーーーーーー
――1か月後。
楠予家の医師の見立てで、お澄の懐妊が確認された。
おさいは大内義隆の目が届かぬよう、名を前世の名の結花に改め、壬生家の専属医師となった。
※幕間※
次郎がおさい(結花)と話をしてた頃、お澄、さや、弥八もおさいについて話をしていた。
弥八が恋人のさやに尋ねる。
「さや、あの女性は殿の新しいおなごだったのか?」
さやが応える。
「ううん、多分違うと思う。でもおさいさんは、次郎様と同じで、仙人の生まれ変わりなのかも知れないわ」
弥八が驚いて口を開ける。
「本当か!?」
さやは少し考え込むように続けた。
「偶に次郎様が言う、マジとか、オーケーをおさいさんに使ってみたの。そしたら、おさいさんに『さやさんは英語が出来るの? グッモン?とかは分かる?』って聞かれたの」
弥八が顎に手を当てて考える。
「……お澄様。仙人様の生まれ変わりがもう一人現れるのは、楠予家には良いことなのでしょうか?」
お澄は弥八の問いにしばし沈黙し、やがて静かに答えた。
「良いことかどうかは……分からないわ。ただ、楠予家に偉大な知恵を持つ人が増えるのは、悪くは無いと思うわ」
さやが小さく頷いた。
「そうですね。けれど、あの人は少し強引すぎる気がします。特に殿に近づけさせるのは良くない気がします。美人ですし、殿のお手付きになるかも……」
弥八は腕を組み、真剣な顔になった。
「だが本当に仙人様の生まれ変わりなら、楠予家はまた大きな力を得ることになるな……」
お澄は静かに言う。
「さや、側室にするかどうかは次郎が決める事です。私たちは次郎を支え、壬生家、ひいては楠予家を戦乱の世から守る事に務めます。いいですね」
「はい」
さやは弥八の袖を軽く引き、囁いた。
「あなた、殿がおさいさんの誘惑に乗らないように、しっかり見張っていてね。」
弥八は力強く頷いた。
「心得た。殿を守るのは我らの務めだ」
お澄は静かに目を閉じた。
(……おさいさん。あなたが本当に仙人の生まれ変わりなら、どうかこの家を守るために力を貸して。次郎と楠予家の未来を守るために……)




