93 『細川家との和議』と『三公七民』
1542年9月中旬。
壬生次郎と藤田孫次郎は、和議の使者として東の讃岐に向かった。
そして讃岐から宇摩郡の渋柿城へと進軍する三好範長(長慶)率いる軍勢と遭遇し、その本陣を訪れた。
範長の軍は三千、槍衆と弓兵が整然と野営を敷き、旗指物が残暑の風に翻っていた。陣中には張り詰めた空気が漂い、二人が歩み入ると周囲の兵たちの視線が鋭く突き刺さる。
本陣中央には白地に三好の紋を染め抜いた幕が張られ、若き総大将・三好範長が控えていた。
まだ二十歳ほどかと思える若武者の姿に、次郎は思わず心中で呟いた。
(若いな……こいつが長慶なのか?)
次郎は歴史ゲームで三好長慶をプレイしたことがなく、『すぐに消える脇役』くらいにしか思っていなかった。
だが目の前の範長は、鋭い眼差しで二人を見据え、若さに似合わぬ落ち着きを漂わせている。
範長は静かに口を開いた。
「……楠予家の使者殿。要件を伺おう」
低い声は若武者らしからぬ重みを帯び、陣中のざわめきが一瞬で鎮まった。
次郎と孫次郎は思わず背筋を伸ばし、深く一礼した。
「私は壬生次郎、こちらは藤田孫次郎にございます。主、楠予正重の命を受け、細川様に和睦の交渉の余地を伺いに参りました」
範長の眼差しは鋭く、しかしどこか冷静な光を宿していた。
「交渉、か……。楠予家は戦を避けたいと申すか。だが我らは管領家の威を背負う。容易に退くわけにはいかぬ」
次郎は真っすぐ範長の目を見て言う。
「既にお聞きかと思いますが、河野家の軍勢2500は既に我らに敗れ、湯築城に逃げ帰りました。ゆえに我が楠予家の精鋭部隊がこちらに向け進軍中にございます。挟撃体制を失った今、細川家に置かれましては、無駄に河野家のために血を流す必要はないかと存じます」
範長はしばし沈黙し、次郎の言葉を吟味するように目を細めた。
「……なるほど。河野が敗れた以上、楠予家を挟撃する事は出来ぬ。だがその程度の理由で退けば、管領家の名が傷付く。楠予家が戦を避けたいと申すならば、我らの威を保つ道を示す事だな」
次郎と孫次郎がそれぞれ壺を1つ差し出した。
「これは南蛮渡来の技術を用いて作った、金平糖と言う砂糖菓子で、一、二年の保存が可能です。
楠予家の店では来月から売り出す手筈でしたが、現在ある在庫を全て持って参りました。この壺一つで、200貫文の価値がございます。管領家の威を保つ贈り物として、範長様と晴元様のお二人に献上致したく存じます」
範長は壺をじっと見つめ、やがて口元にわずかな笑みを浮かべた。
「……200貫文もの菓子か。それが本当ならば珍しき品ではあるな。
楠予家は、ただ退けと申すのではなく、我らの面子を立てる策を持参した。されどこの範長、物で釣られる男ではない。この程度ではわしの権限では和議は結べぬ。真に和議を望むならば、晴元様の元へ行き許可を得て参れ」
孫次郎が頭を下げる。
「……分かりました。ならば晴元様の許可を得るまで、攻撃は控えるとお約束願えませぬか?」
範長は壺を見つめ、やがて静かに言った。
「……楠予領を欲しているわけではないが、河野の要請に応えて動いた軍。本来ならば応じられぬ。
だが楠予は我らの面子を立てる策を示した」
範長はしばし孫次郎を見据え、やがて静かに頷いた。
「……よかろう。晴元様の裁断が下るまでは、我らも軽々に兵を動かさぬと約束しよう。
ただし、楠予家が虚言を弄すれば、その時は容赦なく刃を振るう。覚えておけ」
「はっ!」
範長は楠予との戦で、兵を無駄に消耗するつもりはなかった。
もしこれが領土を奪うための戦であるならば、問答無用で突き進むところである。だが今回の出陣は、あくまで河野家を援けると言う名分で軍を動かし、態と細川氏綱に隙を見せ、挙兵を誘うためのものだった。
それに細川晴元が援軍を決めた当初とは状況は大きく変わった。河野家が大敗を喫し、細川の軍勢だけが頼みの綱とあれば、晴元は手を引く可能性が高い。
――ゆえに範長は、この局面でまずは晴元の考えを確かめる必要があると判断した。
「それではこれで失礼させて頂きます」
次郎と孫次郎は深く頭を下げると、三好範長に別れを告げ陣を出た。
ーーーーーーーーー
範長との会見を終えた帰り道、馬上で孫次郎が口を開いた。
「さて、これからどう動きますか?」
次郎は手綱を軽く引きながら首を傾げる。
「どう動くとは? ……次は細川晴元殿との和睦交渉だろ?」
孫次郎は笑みを浮かべた。
「御屋形様の軍が到着するまでの時間は稼ぎました。
まだ範長はロングボウを知りませぬ、今なら三好範長の軍を簡単に討ち破ることができます。
次郎殿――範長は評判以上の将。ここで討ち取っては如何でござろうか?」
次郎は目を見開いた。
(……範長をここで討つ!?
範長は若くてもあの威厳だ。まず間違いなく三好長慶だろう。もしかして、ここで殺れるなら殺った方がいい武将なのか?)
次郎は孫次郎から目を離し、長考を始める。
(でも――長慶を殺ッたりしたら、細川家と絶対に長期戦になるよな。
そうなった場合、何が起こるか分からないが、上手くいけば細川から讃岐、阿波を奪える。そこで終了ならいいけど、近畿に乗り込まないと細川は滅ぼせない。そしたら、きっと本願寺や足利幕府が出てきてグダグダになる。
――やっぱり、細川には手を出さない方が吉だ。
それに長慶は威厳はあったが、そこまでする価値はないだろ。史実通り早死にすれば問題ないし、長慶は話せば分かる男だった。……でも死なずに、巨大化したら問題だよな……)
次郎は馬の頭を見つめながら、静かに孫次郎に応えた。
「俺は戦う事には反対だな。どうするかは……御屋形様、次第だ」
――孫次郎はその答えに笑みを浮かべるだけだった。
孫次郎の杞憂が無駄に終わるかどうかは、まだ誰にも分からない。
この頃、近畿では細川氏綱が史実より三カ月早く蜂起していた。三好長慶の運命は、少しずつ確実に変わり始めていた。
ーーーーーーーーー
長慶との会談から三日後、渋柿城の周囲に鬨の声が響いた。
正重率いる二千の軍勢が到着し、槍衆の列が城下を埋め尽くす。旗指物が風に翻り、楠予の威が城内へと流れ込んだ。
渋柿城の広間には張り詰めた緊張が漂っていた。
次郎と孫次郎は正重の前に進み出て深く一礼する。
範長との会見で得た猶予をどう活かすか――その裁断は正重に委ねられていた。広間の空気は重く、誰もが正重の言葉を待っていた。
「孫次郎の考えは分かった。だが、わしは当初の予定通り細川と和議を結ぶ。我らの敵は河野家、勝てるからと言って、背後に敵を抱えるのは望ましくはあるまい」
広間に安堵の空気が流れた。
次郎は深く頭を垂れ、正重の裁断に胸を撫でおろした。孫次郎は何も言わず黙って頭を下げるだけだった。
――5日後、楠予家は使者として友之丞を送り、細川晴元との会談の末、和議が成立した。
条件は、
一、楠予家と河野家の戦いに細川家は一切口出ししないこと。
二、楠予家は毎年、和平の証として五百貫文と金平糖一壺を細川家に献上すること。
以上の二条が定められた。
正重は和議が成立し、三好範長の撤退を確認した後、渋柿城を離れ池田の里に戻った。伊予北部の攻略を再開する前に、里で兵に休息を与える事にしたのだ。
※※※※※※
1542年10月初旬。
楠予屋敷。
伊予北部への再出陣を目前に控えていた正重は、次郎から『新たな政策について話がある』と告げられた。正重は源太郎・次郎・玄馬の三人を奥の間に呼び集め、次郎の口から語られる新政策に耳を傾けた。
正重が眉を寄せる。
「次郎、いくら何でも年貢を5割から3割に減らすのは無茶であろう。民は喜ぶかも知れんが、重臣の心が離れてしまうぞ」
玄馬が頷く。
「うむ、さすがに3割は無理だと思うぞ」
源太郎は難しい顔で言う。
「次郎、米収入が減れば家臣を養えなくなる。兵が減れば戦で勝つのは難しくなる。分かっておるのか?」
次郎は首を振る。
「それらは全て勘違いです。まず重臣についてですが、半所半禄により収入の7割は俸禄となっております。なので影響を受けるのは所領の3割の年貢の部分だけ、つまり1割程度の減少で済みます。この部分の減少は重臣の反対が多ければ、楠予家が補填してもよいでしょう。
また当家が得られる米が減ると言うのも勘違いです」
玄馬が訝し気な目で次郎を見る。
「勘違い?」
「はい、楠予領では米の販売は全て農業奉行の米問屋を通さなければなりません。つまり百姓は年貢で取られなかった米を、ここで売る事になります。
ゆえに楠予家が扱う米の総量は税率に左右されず同じなのです。つまり、百姓から買い取る分の銭が多くかかるようになるだけです」
次郎の言い分に皆が『はあ? 百姓からの年貢が減って、さらに百姓に金を払うのか?』と口を開けた。
源太郎が真っ先に首を振る。
「それはダメであろう。百姓から得られる筈だった年貢の2割の米が減り、さらにその分の米を買い取るとなると、一体どれだけの銭がかかると思っておるのだ!」
次郎は笑う。
「百姓が得た金は貯蓄する以外は全て楠予領にて使われます。その金は楠予領の経済を活性化させます。
百姓が使った金で懐が温かくなった商人たちは、砂糖や薬、塩、清酒など、巡り巡って楠予家の特産品を買う事になります。つまり楠予家の直営店の利益が確実に増えます。
結局は楠予家に金が帰って来る仕組みなのです」
玄馬が否定する。
「百姓から銭を得た商人が、その銭を必ず楠予家の店で使うとは限らぬ。他領の商人が得た銭は外へと流れる」
次郎は持論を語る。
「外から来た商人は楠予領で物を売り、楠予家の薬、砂糖菓子などを買うのが主な目的です。
それに彼らは楠予家の飲食店に入り、唐揚げなどの高級料理に金を払い舌鼓を打っております。商人の護衛や、人足もしかりです。彼らはこの地で得る金よりも、この地に落とす金の方が圧倒的に多いのです。
例え一時的に外に金が流れるとしても、外の商人が金を得られる機会が増えれば、より多くの商人が楠予領に集まります。そして楠予領に金が落ちるのです。
次郎は深く息を吸う。
「さらに言えば、低い税率は経済を活性化させるだけではなく、民の心を得易くなります。民は楠予家の統治を望み、他家を拒絶するでしょう。
それは他国の民についても同じです。新たに得た領土の民は、楠予家の統治を喜び、直ぐに受け入れるようになるでしょう」
広間に沈黙が落ちた。源太郎と玄馬の視線が正重に集まる。
寡黙な当主はしばし目を閉じ、深く息を吐いた。
「……分かった。三公七民を採用しよう」
短い言葉に、広間の空気が揺れた。源太郎は驚きに目を見開き、玄馬は口を閉ざす。
源太郎が言う。
「父上良いのですか? 確かに民の心は得られるかも知れませぬ。されど、他国の領主の反感を買う事になりますぞ」
正重は首を振る。
「民が我らを望むならば、楠予は揺るがぬ。銭の流れも、次郎の言う通りならば必ず我らに戻る。ならば迷う理由はない。
それに――これを成し遂げれば我らの大望である、南朝の復活も見えて来よう」
今度は次郎が驚く番であった。
(はあ? 南朝の復活って何!!?)
「お待ち下さい! 南朝とは何の事ですか!? まさか南北朝時代の南朝ではありませんよね!?」
源太郎が頷く。
「次郎、その南朝であっておる。我らは後亀山天皇の子孫である小倉宮家を保護しておるのだ」
(マジかよ!)
玄馬が言う。
「次郎、足利義満が主導した南北朝の合一については知っているか?」
「いえ、知りません」
「北朝の足利義満と、我が高祖父・楠木正儀様を中心に和約が進められ、北朝と南朝が交互に天皇を輩出することが約束された。その条件として、南朝の後亀山天皇は三種の神器を北朝の後小松天皇へと渡したのだ」
次郎は思案顔で言う。
「そうだったのですか。では、その和約は破られたということですか?」
玄馬が頷く。
「そうだ。南北朝合一の際、北朝は三種の神器を受け取った。なのに後小松天皇は嫡子の称光天皇に譲位して両統迭立は反故にされた。
さらに称光天皇の崩御によって北朝の後光厳流が途絶え、本来なら南朝が皇位を継ぐべきところを、後小松上皇は崇光天皇以来七代にわたり天皇を出していなかった傍流の後花園天皇を即位させたのだ」
玄馬は一呼吸置く。
「これをもって小倉宮聖承様は、南北朝合一の約束は破られたと判断し、北畠満雅・足利持氏と連携して蹶起された。
しかし足利持氏が幕府と勝手に和解したため、聖承様は出家を余儀なくされてしまったのだ」
次郎が首を傾げる。
「では、その聖承様を保護されたと言う事ですか?」
玄馬が首を振る。
「いや、さすがに乱の首謀者を救い出すことは不可能だ」
「では?」
「聖承様のお子・教尊様だ。教尊様は乱の後に起きた、禁闕の変への関与を疑われて捕らえられ、隠岐へと配流された。その折、我が家の曾祖父が密かに救い出し、伊予へとお連れしたのだ。以後、曾祖父は楠予姓を名乗り、我が家は百年に渡り、教尊様の血統を守り続けている」
次郎は心底驚いた。
(それって……まさか第二次世界大戦後に現れた自称南朝の天皇たちと同じじゃないよな。いや天皇を代々名乗ってると言ってないだけましか……。でも、あれってそもそも、明治天皇なのか明治政府なのか忘れたけど、南朝が正当って言ったのも原因だと思う……)
源太郎が問う。
「次郎、南朝の復活は可能だと思うか?」
次郎は首を振る。
「いえ、不可能でしょう。南朝の系統が世間から消えて百年と言う事は、血筋の正当性が疑われます」
正重がすがる様な眼差しで問う。
「次郎、そちならば何とか出来るのではないか?」
「いえ、無理です。しかし、御屋形様が天下を取れば、南朝の御息女を御屋形様の養女にして天皇に入内させる言は可能かと」
(これなら可能だよな。徳川家康も孫娘を入内させて、ひ孫を天皇にしたし……)
玄馬が落胆する。
「そうか。仙人の生まれ変わりでも南朝復活は不可能か」
次郎は目を見開く。
「はい? 今なんて?」
源太郎が言う。
「次郎、隠す必要はない、全て承知しておる。次郎の考えは人とは違い過ぎた。ゆえに2年ぐらい前に、当時は次郎の弟子であった弥八を召し出し、そなたの正体を問いただした事があるのだ」
(また弥八か! あいつ口が軽すぎだろ! あいつには確かに仙人の生まれ変わりだって適当に誤魔化したけど、そもそも俺は仙人じゃねえよ!)
次郎は知らなかったが、次郎がロングボウで石川家を撃退した直後に、弥八が次郎は仙人の生まれ変わりだと正重たちに白状した。この事はお澄も知っており、知らないのはまだ若いお琴と次郎の二人だけだった。
正重が笑う。
「次郎、我らは家族。これで互いに秘密は無しだ」
次郎は頭を下げる。
「はい……」
ーーーーーーー
――1542年10月。楠予家は五公五民を改め、三公七民へと舵を切った。
この結果――楠予家の年貢収入は一時的に減るが、すぐに同水準まで回復する事になる。
減税は民の忠誠心と生産意欲を掻き立てた。虚偽の申告は減り、米や米以外の作物の収穫も増え、また新たな開墾地の開発も急速に広がった。
そして、この決断を契機に、楠予領の経済は石高を基盤とする米本位の仕組みから、銭と銀を基軸とする貨幣経済へと急速に転じていく。
職人や武士は言うまでもなく、百姓までもが減税で得た米を銭に換え、楠予家の特産品や他国から運ばれる品に手を伸ばした。楠予家に足りない品を携えて来訪する商人の数はますます増え、領内の経済は活発化した。そして銭が巡るほどに、その価値は必然的に高まったのである。




