91 『金平糖』と『管領・細川家』
8月中旬。
来島・村上水軍。
来島城の広間では、村上通康が重臣を呼び集めて評議していた。
広間では重苦しい空気が流れていた。
得居弥三郎が口火を切る。
「昨日、河野家の天神山城が落城し申した。殿、いかがなされるおつもりか」
越智庄兵衛が腕を組み、頷く。
「河野晴通殿からも、海上を封鎖し、援軍を出すようにとの命が届いております」
通康が応える。
「能島と因島は楠予についた。状況は河野家に不利だ。
わしは楠予とは争うべきではないと考える。先日、兵馬殿が申した通り、我らに手を出さぬのならば中立でもよい」
得居が難しい顔をする。
「晴通は敵にござる。ただ、河野家との関係を考えれば味方せぬと言うのも……。何か中立を、保つだけの名分が欲しいですな」
その時、近習が広間に駆け込み、膝をついて告げた。
「申し上げます。海を渡り、楠予家の使者として兵馬殿が参っております」
通康の目が鋭さを帯びる。
兵馬は一週間前――河野家と戦を始める前に、使者として訪れていた。
その折、『村上水軍の城や港には一切手を出さぬゆえ、中立を保ってほしい』と言っていた。
そして今のところ、楠予はその言葉どおり、来島・村上水軍の領地には指一本触れてはいない。
通康は、中立を保つかどうかの返答を聞きに、兵馬が来たのだと思った。
熊谷与四郎が言う。
「殿、いかがなされるのですか?」
「仕方あるまい。まずは会おう、使者を通せ」
暫くして広間に楠予家の使者が現れた。
「通康殿、半月ぶりでござる! 此度も楠予家の使者として参上仕った!」
通康は軽く頷いた。
「兵馬殿、して本日の用向きは?」
兵馬が一歩進み出て、声を張る。
「ご存じのとおり、我ら楠予は伊予北部を攻めてござる! 村上殿、前回の申し入れに対するお答えを伺いに参った。
中立を保っていただけるのか、ここで明らかにしていただきたい!」
熊谷与四郎が立ち上がる。
「兵馬殿! 楠予家は河野家の家臣筋、これは反逆でござるぞ。なぜ大義無き戦をなされるのか!」
兵馬が堂々と胸を張り、傾奇人のように語る。
「大義はある! 河野晴通は父より家督を奪いし極悪人!
さらに河野家においては、長きにわたり伊予を治めながらも、家臣の横暴を放置し、民を苦しめた。
もはや天命は河野家にあらず! 楠予家が新たな旗を掲げ、河野を討ち、伊予の民を安寧へと導く。我ら楠予家の家臣一同はそう誓ったのだ!」
村上家の重臣たちは、あまりに身勝手な言い分に思わず息を呑んだ。
だが、兵馬の述べた河野家の行いは事実であり、正面から否定して、関係を悪化させる必要は覚えなかった。
だが村上通康は眉を顰めた。
「随分な申しようじゃ。河野家は名門。大内や細川の援軍もあろう。さらに伊予南部の豪族、宇都宮や西園寺が加わるやも知れぬ」
兵馬は笑みを浮かべた。
「宇都宮や西園寺はむしろ河野家の敵でござろう。
また大内義隆殿は尼子攻めで手一杯にて、とても河野家に構う余裕などござるまい。
さらに細川家も中央の兵を伊予に割く余裕はないでしょう。送れても二千か三千。対して当家はその気になれば五千を超える。――心配は御無用にござる!」
通康は苦笑し、肩をすくめる。
「いや、心配などはしておらんが……」
「わっはっは! 村上殿は、そこまで当家を信用して下されておいでか! うれしいのう!」
通康は兵馬の調子に合わせ、『ははは……』と曖昧に笑ってみせた。
兵馬はふと、腰の巾着に手を掛けた。
「……おお、そうじゃった。通康殿、実は壬生次郎より必ずお渡しせよと託された品がござった」
そう言って小壺を取り出し、誇らしげに掲げる。
「これは次郎が砂糖から拵えた飴と言う菓子でござる。高価な品ゆえ、ぜひお受け取りくだされ!」
「ほう、砂糖でござるか」
そう言って兵馬が小壺を差し出すと、脇に控えていた通康の近習がそれを受け取り、通康のもとへと運んだ。
通康は手に取ると蓋を開け、中を覗き込み、怪訝な表情を浮かべる。
「……小さな菓子じゃな。それに少し黒い」
兵馬が笑う。
「黒砂糖を使った菓子にございますからな。その一つで米が2合は買えますぞ」
小さき菓子が一粒で米二合に値すると聞き、広間の重臣たちの視線が一斉に、通康の手にある小壺へと注がれた。
通康は感心したように目を細めた。
「ほうこれ一粒で……」
「さよう。しかも、この飴は壺に収めれば一、二年は保つと次郎が申しておりました。腹は満たせませぬが、戦場で疲れた折に舐めれば、たちまち気力が甦る。まさに兵の糧ともなる菓子にござる。どうぞ一粒、ご賞味くだされ!」
広間にざわめきが起こった。
「戦場で疲れが癒えるのは良いな」
「2年も保存できれば買う価値はあるぞ」
「そうだな、味がよければ買ってもよいかも知れぬ」
重臣たちが会話する中、通康が飴を1つ口の中に入れコロコロと回す。
通康は飴を味わいながら言う。
「……おお、これはみかんの味がするな。
黒砂糖の重みのあとに爽やかさが広がるとは、珍しき菓子よ。戦場にあれば疲れた身を癒し、これ一粒で力が戻ろう」
兵馬が腰の巾着からもう一つ小壺を取り出し、にやりと笑う。
「そう言えば、それがしも次郎から別の飴を貰っておった。名前は金平糖、珍しき味ゆえ、皆々も試しにご賞味くだされ!」
そう言って兵馬は重臣たち一粒づつ飴を渡していった。
「……これは白くてトゲのようなものが幾つもついておりますな」
「これが1粒、米2合の品か……」
兵馬が笑みを浮かべ、声を張る。
「それは米2合では足りませぬ。金平糖は黒砂糖ではなく白砂糖を用います。さらに幾日も火にかけて作り上げる、まことに手間のかかる菓子でござる。ゆえに一粒で米六升の価値がござる。まだ数が足りぬゆえ、市に並ぶのは今少し先と次郎が申しており申した」
重臣たちは金平糖を口に含めると、初めての金平糖の甘さに驚愕する。
「……なんと、舌に転がすと角が溶け、澄み切った甘さが広がるぞ」
「米六升と聞いて法外と思うたが……これは天にも昇るような味わいじゃ」
「口に含めば柔らかに甘さが広がる……まるで宝玉を舐めておるようだ」
重臣たちが甘さに酔い、とろけるような顔を見せる中、
ただ一人、金平糖を手にできなかった通康が眉をひそめた。
「兵馬殿、待たれよ! その金平糖とやらの壺は、本当は某への贈り物ではないのか!?」
兵馬がニヤリとする。
「これはまだ楠予一族にしか許されぬ貴き飴。世に出回るのはひと月先のこと。されど――通康殿が欲しいと仰せならば、我が身とて背くことはできぬ。どうぞお受け取りくだされ!」
「う……うむ、そう言う事ならば遠慮なく頂こう」
通康は金平糖の壺を受け取ると、とても嬉しそうな顔をした。
兵馬が遠く南西を指さす。
「通康殿、この飴は当家が琉球と交易して作ったもの! 村上水軍に利をもたらすのは河野ではなく、我ら楠予にござる。
されど、村上殿と河野家への関係を考えれば、楠予に味方は出来ぬ事は重々承知しております。ゆえに味方せよとは申さぬ。ただ――中立を保っていただきたい!!」
通康は頷いた。
「相分かった、このような贈り物まで頂いたのだ。この度は兵馬殿の顔を立てて中立を保って進ぜよう」
「恩に着る、通康殿! この義、決して忘れませぬぞ!」
――通康は、贈り物を口実に中立を宣言した。
彼自身、楠予家には援軍の借りがあり、その台頭ぶりも目覚ましい。好んで争う相手ではなかったのだ。
加えて、河野家当主の晴通とはわずか三か月前まで刃を交えていた仲である。命を懸けて守るべき相手と思っていなかった。
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一方、その頃、湯築城の広間では河野晴通が重臣たちを集め、楠予家の反乱に対する対策を評議していた。
平岡房実が言う。
「国人衆の反応が悪い。4500の兵を集める筈であったが、2500にも届いておらぬ」
曽根高昌が床を叩く。
「おのれあ奴ら、河野家の一大事だと言うのに兵を出し渋りおって!」
――『国人衆』は、楠予家と同じで河野家の直臣(平岡・戒能・和田・曽根ら)とは異なり、
伊予各地に根を張る在地領主層であった。彼らは『家臣団』というより、
同盟的に従属している半独立勢力である。
そのため国人衆は兵糧や軍費の負担を嫌い、日和見を決め込む者、楠予の勢いに恐れをなす者、敗れれば自らの所領が危ういと考える者、晴通の正当性に疑念を持つ者などが、兵の供出を抑えていた。
戒能通森が地図を指す。
「ともかく早く援軍に向わねばならん。楠予勢は天神山城を2500の大軍で囲っておる。恐らく我らの到着まで持つまい」
そこへ旅装のままの和田道興が戻り、深く頭を垂れる。
「――殿。交渉は失敗しました。楠予家、和を結ぶ気など毛頭ございませぬ」
晴通が扇を閉じ、低く問う。
「……詳しく申せ」
和田は顔を上げ、苦渋をにじませながら報告した。
「楠予の陣にて迎えられはしたものの、孫次郎なる者が声高に申しました。『河野家はすでに天命を失った。楠予こそ新たに伊予を治める旗頭なり。和議など無用、戦こそ答えである』――と」
和田が交渉の場すら設けられず追い返された事で、誰もが拳を握りしめ、顔色を変えた。
曽根高昌が床を叩く。
「楠予如きが伊予を治めるだと!」
戒能通森が眉をひそめ呟く。
「おのれ楠予風情が……和を装う余地すら与えぬということか」
平岡房実が膝を打ち、声を荒げる。
「無礼千万! もはや楠予を討たねば河野家の威信は地に落ちまするぞ!」
一方で和田は静かに首を振った。
「正重の陣は威風堂々としておりました。兵の数、士気、いずれも侮れませぬ。拙速に戦えば、我らが不利にござる」
重臣たちの声が再び割れ、広間は騒然となった。
その中で、晴通はただ黙して扇を握りしめる。
――楠予は和を拒み、正面から戦を挑んできた。
もはや時を稼ぐ策は潰えた。
しかし確実に勝つには大内、細川、村上……外の力を呼び込むしかない。
晴通は静かに立ち上がり、広間を見渡した。
「……皆の者、覚悟せよ。楠予は我らに刃を向けた。もはや避けられぬ戦ぞ」
広間に重苦しい沈黙が落ちた。
――その時、伊予南部の大名に援軍要請に赴いていた使者・忽那通著が戻った。
「御屋形様、申し訳ございません。宇都宮豊綱、西園寺実充、いずれも援軍を拒みました。
西園寺には『河野家の内乱に関わるつもりはない』と言われ。宇都宮にいたっては『では河野家を攻める準備をせぬとな』と笑われ申した!」
忽那通著は屈辱と悔しさに塗れた顔で語り終えると、重臣の誰もが顔を曇らせた。
西園寺家は宇和盆地を中心に伊予南予を支配している豪族で、藤原北家閑院流の血筋を背景に、格式も高く、独自の外交力を持ち石高は約7万石あった。
宇都宮氏は河野家と西園寺の中間に位置し、下野宇都宮氏の分流で、関東の名族に連なる血筋である。
石高は4万石程度だが大洲城を中心に勢力を築き、水運を掌握することで経済力を確保し、西園寺家と競っていた。
曽根高昌が立ち上がり、拳を震わせる。
「なんと無礼な! 河野家を攻める準備だと? 我らを愚弄するにも程がある!」
平岡房実は顔を曇らせ、低く呟いた。
「……南部の大名はすでに河野家を見限っている。本当に楠予家につき、我らの領土を侵すかもしれぬ」
和田通興が首を垂れる。
「援軍どころか敵に回るのであれば。河野家は四方から孤立する。御屋形様、ここは軽々に動くべきではありませぬ」
晴通はしばし沈黙し、やがて重々しく口を開いた。
「……ならぬ。援軍を送らねば国人衆は河野家が盟約に背き、国人衆を見捨てたと見なし、皆こぞって楠予に寝返るであろう。我らは2,500の兵で直ちに援軍に向かわねばならぬ」
――楠予勢もまた2,500。数では互角だが河野家の士気は低い。
晴通の齢はまだ僅か二十。本当に自分の選択が正しいのか不安だった。心中は穏やかならず、扇を握りしめた。
広間に重苦しい沈黙が落ち、誰もがその言葉の重さを噛みしめていた。
楠予家は、今回少しだけ領土を奪うつもりで叛旗を翻した。
しかしその一挙は予想以上に河野家にとって大きかった、領土の半分以上を所持していた楠予家の離反は、河野家の没落を決定づけるものとなったのだ。
伊予の均衡は崩れ、状況は楠予家が思った以上に楠予家に傾いていた。
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その頃、河野家が援軍要請に派遣した、もう一人の使者である大野利直は、管領・細川晴元と対面していた。
利直が深く頭を垂れ、伊予の窮状を訴えると、晴元はしばし黙して扇を弄んだ。やがて笑みを浮かべ、声を響かせた。
「なるほど、伊予の国主たる河野家が下剋上で困窮しておるか。よかろう少しばかりだが、兵を送ってやろうではないか」
利直は驚き、思わず顔を上げた。
「真にございますか!」
――その時、一人の若き武将が異を唱えた。
「御屋形様、お待ちくだされ!」
晴元は若き将に目をやる。
「なんじゃ範長」
「御屋形様、いまは兵を動かすべき時ではありませぬ。細川氏綱に怪しい動きが見られます。どうかご再考を!」
細川晴元が顎髭を撫でる。
「範長、分からぬか。これは氏綱に態と隙を見せておるのよ。そうじゃ、援軍の将はそちに任せよう。そちが動けば、氏綱は必ず動くであろう」
「しかし……」
「三好範長。これは余の命であるぞ」
晴元の威圧を受け、範長は頭を下げる。
「ははぁっ! この範長、御屋形様の命に従いまする!」
「うむ、では頼んだ。兵三千を率いて楠予を討って参れ」
「はっ!」
三好範長――この時21歳。
異世界の史実では、後に三好長慶と名乗り近畿に覇を唱える男である。
三好長慶は織田信長以前の天下人と呼ばれる事もある。当時の『天下』は京都及びその周辺地域『五畿内』を指しており、三好長慶が足利将軍を追い出してこの地域を支配した事があったからだ。
大野利直は胸を撫で下ろし、深く礼を述べた。
「かたじけなく存じます。これで河野家も息を吹き返しましょう」
1月後、三好範長は自身の配下1000に、細川家の兵2000を加えて讃岐から伊予へと駒を進める。
だが彼が着く2週間前には、河野家の2500の軍勢は楠予軍に大敗していた。そのため範長は単独で楠予軍と対峙する事になる。




