90 『砂糖菓子』と『伊予北部戦』
1542年7月中旬。
壬生屋敷。
広間にはお琴とお澄が並んで座り、次郎を待っていた。
お琴が首を傾げて笑う。
「お澄ちゃん、次郎ちゃんが食べて貰いたいものがあるって何かな? またお肉料理かな?」
お澄は小さく微笑み、囁くように言った。
「そうね……何かしら、楽しみね」
やがて襖が開き、次郎と弥八、庄吉、おとよがそれぞれ手に皿を持ち入ってきた。
四人が膝をつき、恭しく広間に皿を並べる。四人の前に置かれた木の盆の上には、見慣れぬ菓子があった。
一つ目の皿には、
黒砂糖を練り込んだ饅頭。
二つ目は、しっとりとした羊羹。
三つ目は、ふんわりと焼き上げたカステラ。
四つ目は、琥珀色の“みかん味の飴”。
――これらは、
次郎がサトウキビを搾り、黒砂糖へと製糖したもので作った、初めての砂糖菓子であった。
甘やかな香りが広間に漂い、四皿はまるで祭礼の供物のように並ぶ。
弟子たちは誇らしげに背筋を伸ばし、次郎は静かに胸を張った。
お琴は目を丸くして声を上げる。
「……お肉じゃない! でも、なんだかお祭りみたい!」
その瞳はきらきらと輝き、思わず身を乗り出す。
お澄は静かに一つひとつを見つめ、やがて小さく頷いた。
「……どれも初めて見るものね。これが次郎が新しい料理……」
その声音には、感情を抑えつつも確かな評価が滲んでいた。
次郎は深く息を吸い、自慢気に言葉を添える。
「この前、琉球から仕入れたサトウキビで黒砂糖を作ったんだ。その黒砂糖を使って新しい菓子を作ってみたから、お琴ちゃんとお澄に食べて貰いたくて呼んだんだ」
お琴は嬉しそうに手を叩いた。
「わあ……! じゃあ、どれから食べたらいいの?」
次郎は少し照れたように笑い、弟子たちを見やった。
「そうだね。じゃあ弥八の皿の饅頭から」
弥八が皿を差し出すと、お琴は両手で受け取り、恐る恐る口に運んだ。
「……あまい! でも、黒いのに苦くないんだね。ふしぎ!」
頬をふくらませながら笑う姿に、広間の空気が和らぐ。
お澄も一つ手に取り、静かに口に含む。
「……美味しい。餡の甘さが深くなっているわ。こんな甘い餡は初めて」
その言葉に、弥八の顔が誇らしげにほころんだ。
次郎は続けて庄吉に目をやる。
「じゃあ次は庄吉、羊羹を」
庄吉が切り分けた一片を差し出すと、お琴はぱっと目を輝かせた。
「つるつるしてる! ……ん、なにこれ! 口の中でとけちゃう!」
お澄が微笑む。
「次郎、羊羹は楠予屋敷で何度か食べた事があるけど、甘味が加わってとても美味しくなってる。以前とは全く別物ね」
庄吉が胸を張る。
「旦那様が黒砂糖を工夫してくださったおかげでございます。火加減を見極めるのに、何度も失敗しましたが……ようやく形になりました」
お琴はもう一口かじり、嬉しそうに笑った。
「お餅でもないし、お団子でもない……こんなの初めて!」
(あっ、団子もいいね。今度、みたらし団子とかも作ってみよう)
お澄は小さく微笑む。
「この羊羹、お茶に合いそう……茶席に出したらきっと喜ばれるわ」
次郎は『なるほど……』と頷き、しばし考え込んだ。
(そう言えば茶の湯もあったな。信長が茶の湯を広めたのって確か家臣に与える領地不足を解消するためだっけ?
あと、茶会で名物茶器を見せ付けて威信を獲得するみたいな?
でも四国に名物茶器なんて無いだろうし、自分で茶器を作るか? いや、その前に堺の商人からある程度有名な茶器を買った後に、御屋形様に茶会で俺の茶器の方が価値があるって言って貰えば、格付けが上手くいきそうだ……)
お琴が次郎に言う。
「次郎ちゃん羊羹食べ終わちゃったよ。次は?」
「ああ、ごめん。じゃあ次はおとよの番だ」
おとよが差し出したお盆の上のカステラは、ふんわりとした黄色が目を引いた。
次郎が説明する。
「これは以前お澄に作ったカステラに砂糖を加えて改良した物なんだ」
お澄が頷き、一口食べる。
「本当、以前よりも甘くてやわらかい」
お琴も一口かじり、目を丸くした。
「ふわふわ! お米のご飯とも違う、雲みたい!」
最後に次郎は、自らの皿を押し出した。
「そして、これが“みかん味の飴”だ 舐めると口の中で徐々に溶けるから味を楽しんで」
お琴は飴玉を掌にのせ、光に透かして見つめた。
「きれい……宝石みたい」
そして口に含むと、ぱっと顔をほころばせる。
「これあまい! お肉より好きかも!」
お澄も一粒を口にし、しばし沈黙したのち、静かに言った。
「……爽やかで、とても美味しいわ」
次郎は二人の反応を見て、胸の奥に熱いものを覚えた。
(ようやくここまで来たな。砂糖を使う料理は多い、きっと需要は何倍、いや何十、何百倍にもなる筈だ。でもやっぱり一番は家族だよな、まずはお琴ちゃんやお澄に美味しいものを食べさせてあげたい)
次郎の飴は、やがて和紙で包んで桐箱に入れられ高値で販売される事になる。この飴は2年ほどの保存が効く上、次郎が疲労回復に抜群と言う噂を流して、次郎自身も戦場に持参したため、中級以上の武士がこぞって買い求めるようになった。
※※※※※
7月下旬。
楠予屋敷。
蝉の声が絶え間なく響き、蒸した空気が広間にこもっていた。障子越しに射す白い光が畳を照らし、家臣たちの額には玉の汗が浮かぶ。
大広間には正重と源太郎が並んで座し、主だった重臣たちが左右にずらりと並び、正重の言葉を待っていた。
正重はゆるりと扇を閉じ、広間を見渡す。
「――皆の者、本日は河野家攻略の軍議を行う。河野攻めについて意見を聞こう」
広間に一瞬、重苦しい沈黙が落ちた。蝉の声だけが遠くで鳴き続け、誰もが互いの顔をうかがう。
やがて、武骨な玉之江甚八が膝を進め、低い声を響かせた。
「殿、河野は伊予の国主。兵も城も多うございます。正面から攻めれば、全てを飲み込むのは困難。まずは周辺の小城を奪い、少しずつ領土を削るべきかと」
その言葉に、大野虎道が腕を組み、鼻を鳴らした。
「いや、長陣は兵を疲れさせる。ここは一気呵成に攻め入り、士気で押し切るべきだ!」
両者の意見がぶつかり、広間の空気がざわめく。
国安利勝が扇を軽く動かし、穏やかな声で口を挟んだ。
「……河野は水軍を擁しております。陸戦のみを論じても勝ちは遠い。海を制する策を立てねばなりますまい」
正重は黙して聞き、源太郎は父の横で眉をひそめていた。
その時、楠河昌成が静かに口を開いた。
「――河野を討つは容易ではございませぬ。河野家に不満を抱く者も少なくはないはず、まずは内応者を作り、敵を内から崩すのが肝要かと」
年長の吉田作兵衛が目を細め、口元に笑みを浮かべた。
「確かに河野の内には不満を抱く者もおりましょうな。ここはわしの出番じゃ」
大野虎道は腕を組み、低く唸った。
「だが、内応を待つ間に兵は倦み、士気は落ちる。戦は勢いが肝要よ」
意見が割れ、広間にざわめきが広がる。
源太郎は父の横で眉を寄せ、静かに扇を動かした。
「……昌成の言は理に適う。だが、時を逸すれば我らの力も削がれよう。父上、いかがなされますか」
正重は依然として沈黙を守り、ただ家臣たちの顔を一人ひとり見渡していた。
そして次郎に目を留めた。
「次郎はいかが思う?」
次郎が頭を下げ、静かに口を開いた。
「はっ。河野家はこれまでの相手とは異なり、大国にございます。一戦にて討ち滅ぼすのは簡単ではありません。
ゆえに、玉之江殿の申す通り、所領を少しずつ奪い、力を削ぐのが肝要だと思います。
幸い当家は兵農分離が進み、農繁期を問わず戦い続けることが出来ます。敵が農民兵を連れ大軍で来れば守り、兵を引けば攻める。いずれ河野家は滅亡します」
玄馬が頷く。
「次郎の言う事はもっともだ。農民兵を長期間出陣させれば士気は下がり、国の収入は減る。何時までも戦い続ける事は出来ぬ」
正重が問う。
「玄馬、我らはいかほどの常備兵なら出せる?」
「現在石高を元に雇っている常備兵が約3000。交易収入等により金で雇っている常備兵が約1000、合計4000。ですが守備などに必要な兵を除けは2500かと」
正重が静かに言う。
「ならば1週間後、わしは2500の兵を率いて出陣する。将は兵馬、又衛兵、大保木佐介、玉之江甚八、大野虎道、藤田孫次郎を連れて行く。長期戦になれば将兵の入れ替えを行う。留守を預かる将はそのつもりでいるように」
重臣一同が頭を下げる。
「「ははっ!」」
正重が言葉を繋ぐ。
「まずは伊予北部の攻略を目指す。我らは池田の里より北上し、国分寺城を経てまずは天神山城を攻める。その後は天神山城を足がかりに北部を支配するのだ」
兵馬や又衛兵たちが頭を下げる。
「「ははっ」」
「源太郎はその間に作兵衛らと協議し、河野家の武将や豪族を調略せよ」
「はっ!」
源太郎が心配そうに言う。
「……父上。北上すれば来島・村上の領土に接します。村上通康殿がどう思うか……」
次郎が言う。
「それなら来島城の村上通康殿には、村上の港と城には手を出さぬので安心するようにと予め申し入れましょう。
先の戦では通康殿に500の援軍を送った貸しがあります、援軍の大将であった兵馬殿を使者として送れば、面と向かって敵対するとは言わないでしょう。
それに通康殿は和解したとは言え、敵対したばかりの河野晴通には、まだ味方はし辛いと思います」
正重は頷きつつも、低く言った。
「うむ、ではそう致そう。兵馬は直ちに村上殿の元へ行き、我らは村上水軍の港や城には手を出さぬと伝えよ」
兵馬は立ち上がると、力強く頭を下げた。
「ははっ! 必ずや村上殿に誠意を伝えて参ります」
※※※※※
八月上旬。湯築城。
※河野晴通視点
湯築城の広間には、平岡房実、戒能通森、和田通興、曽根高昌ら重臣が居並んでいた。
やがて平岡が口を開く。
「――やはり、楠予家が2500もの兵で攻めて来るとの噂、虚事ではございませぬ」
戒能通森が眉をひそめ、声を低めて言った。
「楠予は常備軍を多く抱え、兵の質も高いと聞きます。越智家や石川、金子を僅か一戦にて滅ぼしたのです、楠予軍を破る事は容易ではありませぬ」
和田通興が扇を畳に置き、重々しく頷いた。
「通森の言はもっとも。ここはまずは周辺の国人を糾合し、兵を整えるべきかと。拙速に戦えば、国を危うくいたします」
すると曽根高昌が膝を進め、強い調子で反論した。
「いや、楠予ごときに怯んでは、かえって国人どもの心が離れましょう。兵を集める間に北伊予を奪われては元も子もない。ここは一戦を交え、我らの威を示すべきです!」
広間にざわめきが広がる。慎重論と強硬論がぶつかり合い、視線はやがて若き当主・晴通へと集まった。
晴通は静かに扇を開き、しばし黙して皆を見渡した。
「……まずは時を稼ぐ。そのため和田通興、汝は今すぐ楠予に赴き、和議を模索せよ。条件次第では真に和を結んでも構わぬ。
その間に我らは大内、細川へ援軍を請い、さらに村上水軍にも働きかけようぞ」
「ははっ、御意にございます」
和田は頭を下げたあと、楠予に向かうため静かに立ち上がった。
その背に晴通が声を掛ける。
「通興、楠予は侮れぬ。決して軽々しく言を弄するな。まずは和を装い、時を稼ぐのだ」
「心得ております」
老練の武将は短く答え、広間を後にした。
やがて湯築城の門が開かれ、和田通興は供を連れて馬に跨がる。夏の陽は高く、蝉の声が城下に響き渡る。
「……さて、楠予正重の外交の手腕がいかほどのものか見せて貰おうか」
和田は独りごちると、手綱を引き、東へと馬を進めた。




