88 楠予家の学校教育制度
1542年3月中旬。 楠予屋敷の広間。
次郎が塩飽衆との契約を成立させた頃、楠予屋敷には河野通直からの援軍要請が来ていた。
当主・楠予正重と嫡男の源太郎・正継が並んで上座に座し、玄馬ら一門衆と譜代の重臣たちが左右に並んでいた。
広間には緊張が漂う。伊予国の情勢は揺れ動き、楠予家の立場もまた問われていた。
源太郎が口火を切る。
「河野通直殿と村上通康殿は、我らに兵を出せと申しておる。だが、我らの兵力は未だ整備の途上。軽々に応じれば、家中を疲弊させる恐れがある」
兵馬が拳を握りしめて前に乗り出す。
「だが、河野家は伊予の大樹。ここで見捨てれば、楠予家は義を欠くと評されよう。いずれ河野家を潰すとはいえ、武士たるもの義を重んじねばならぬ!」
玄馬が冷ややかに笑みを浮かべる。
「兵馬の言う事はよく分からぬが。我らは河野家をいずれ討ち、伊予を平定すると決めてある。御屋形様が以前に申された通り、一度援軍を送って縁切りとすべし」
玉川監物が几帳面に帳簿を広げる。
「元越智領の兵糧の備蓄は未だ十分とは申せませぬ。長期戦になれば兵站に不安が残ります」
正重が低く口を開いた。
「……次郎も又衛兵も不在の折、我らで結論を出すのは早計かもしれぬ。だが、わしは一度は通直公に味方すると決めてある。ゆえに直ちに援軍を送る」
孫次郎が進言する。
「ならば援軍は五百で十分かと。これは河野家の内戦、戦は長引く方が楠予家に理があります」
玄馬が頷く。
「そうだな。それに御屋形様がご出陣されない方がいいだろう。下手に通直公に接近しては、さらなる厄介事に巻き込まれる恐れがある」
正重はしばし沈黙したのち、重々しく口を開いた。
「……援軍は五百。総大将は兵馬とする。わしの名代として通直公をお助けするのだ」
兵馬は力強く頷いた。
「はっ、この兵馬、命を賭して楠予家の名を高めて参ります!」
正重は言葉を継いだ。
「だが、血気に逸ってはならぬ。ゆえに大野虎道と楠河昌成を兵馬の補佐につける」
楠河は静かに一礼し、低く答えた。
「承知仕りました。必ずや兵馬様をお支えいたします」
大野も頭を下げる。
「はっ、御屋形様に従い兵馬様をお支えし申す」
その様子を見ていた孫次郎が、口元にわずかな笑みを浮かべた。
「この戦は河野家の内輪揉めにすぎませぬ。我らにとってはどうでもよい戦。わずかな兵を出すだけで恩を売れるのなら、安いものでございますな」
広間に命を賭けた戦の重苦しさはなく、むしろ冷静な算盤勘定の空気が漂った。
援軍は決まり、楠予家は一歩引いた立場から戦の成り行きを見守ることとなった。
※※※※
ひと月後の4月中旬。
楠予屋敷。
志道広良の率いる毛利家の花嫁行列が、池田の里へと到着した。
毛利元就は大内方として、尼子家の月山富田城への攻略に出陣しており、帰国の期も定かでなかったため、婚儀の一切を広良に託していたのである。
祝言の日、花嫁の幸は右目に白絹の眼帯をあてていた。
それは数か月前、壬生次郎が毛利の城へと贈り届けたものである。
「布で顔を覆うよりは、この方がよいだろう」――と言う次郎の心遣いが込められていた。
幸は又衛兵の義兄弟の思いやりに感謝し、その眼帯を身につけて嫁いできたのだ。
髪を右に流した姿は、傷を覆っているとは見えず、むしろ凛とした気配を漂わせていた。
祝言の席では、志道広良が毛利家の名代として口上を述べ、楠予家を立てて誉めそやした。
「いやはや、半年前に参った折にも目を見張りましたが……このわずか半年の間に楠予家はさらに面目を一新されましたな。領土は倍に広がり、池田の里も以前よりも賑わいを増しておられる。まこと、幸様は良き婿に恵まれました」
家臣たちは互いに顔を見合わせ、誇らしげに頷いた。
池田の里の繁栄を讃えられることは、彼らにとっても大きな喜びであった。
吉田作兵衛が徳利を片手に志道に歩み寄る。
「志道殿は良い事を言われる。それがしは吉田作兵衛と申す楠予家の重臣、どうかそれがしの酒を受けて貰いたい」
志道は笑みを浮かべ、盃を差し出した。
「ほう、これはご丁寧に。吉田殿のような方に勧められては、断る理由もございませぬな」
作兵衛は嬉しげに徳利を傾け、なみなみと酒を注いだ。
広間には笑い声が広がり、祝言の席はますます和やかな空気に包まれていった。
又衛兵は隣に座る幸に声をかけた。
「幸殿、その……とても綺麗じゃ。そなたが来るのをずっと心待ちにしておった」
幸はわずかに眼帯に触れ、静かに微笑んだ。
「もったいないお言葉にございます。これよりは、夫婦として力を合わせて参りましょう」
二人の声は賑わう広間に紛れ、誰にも聞かれることはなかったが、広間の視線は自然と幸たちに集まった。
眼帯をしてなお気高く、静かに盃を受けるその姿は、 もはや一人の娘ではなく、楠予家と毛利家を結ぶ象徴そのものであった。
作兵衛が酒に酔い、笑いながら言う。
「志道殿、当家はいずれ伊予を平定しますぞ。又衛兵様の知行はますます増えましょうな。幸殿も又衛兵様もよい相手に恵まれたわ、わっはっは」
志道の目が一瞬鋭く光った。盃を口に運び、にやりと笑う。
「これはこれは、伊予平定とは大きく出られましたな。されど、国を治めるは易きことにあらず。まずは広がった楠予家の領土を盤石にされることが肝要にございまするぞ」
その言葉に広間は再び笑いに包まれ、作兵衛も「なるほど」と頷きながら盃を干した。
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4月中旬。
楠予屋敷。
広間の上座には当主・楠予正重が静かに座し、その隣には源太郎・正継。
そして次男の玄馬と壬生次郎が傍に控えていた。
玄馬が口火を切る。
「領土の勘定を取り仕切れる者が全く足りていない。楠予家の帳簿は独自で開発した複式簿記、それに越智家や石川にはない制度が多数ある」
源太郎が口を開いた。
「玄馬の言う通り、領土を管理する人材の不足は深刻だ。これ以上領土を広げれば制度自体が崩れかねん」
玄馬が頷く。
「これまでは次郎殿から教わった複式簿記と算盤を、私が書院の者どもに伝えて参った。だが、実地での指導では到底追いつかぬ。領土が広がれば広がるほど、帳簿を扱える者が足りなくなっておるのだ」
次郎が膝を叩いた。
「分かりました! ならば学校を作りましょう!」
広間に一瞬、静寂が落ちた。
源太郎が目を細める。
「……学校、だと? 寺院での学びの事か? 寺を増やすのか?」
戦国時代「学校」という言葉は存在していたが、人々にとっては「教育機関=現代的な学校」という発想はなく、主に 寺院での学びや師弟関係 を指していた。
次郎は真っ直ぐに二人を見据えた。
「師から学ぶのは同じです。ですが学校ではそれぞれの師が得意な技、複式簿記ならば複式簿記を三十人程度の子弟に一度に指導するのです」
玄馬が目を見開く。
「一度に三十人だと! 普通は屋敷で師が弟子数名に教えるものだ。どうやって教えると言うのだ」
「それは黒板とチョークを用いて……あっ」
(やばっ、そもそも黒板とチョークってこの時代に作れるのか?)
源太郎が胡乱気な目で次郎を見る。
「黒板とチョーク?」
次郎は慌てて立ち上がった。
「す、少しお待ちを! ちょっと厠に行って参ります」
次郎は厠にたどり着くとメニュー画面を念じ、視界にメニュー画面を表示させた。
そしてスキル一覧で『戦国時代でも作れる黒板とチョーク』を検索した。
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簡易黒板の作り方の知識 Lv3
価格:50文
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簡易チョークの作り方の知識 Lv4
価格:200文
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(やっすぅ! まずは黒板を購入だ!)
次郎の中に黒板の作り方の知識が流れ込んだ。
簡易黒板の作り方。
• 素材:平らに削った木板や板戸を用意。
• 仕上げ:煤や松煙(松を燃やして取れる煤)を混ぜた漆や膠で黒く塗る。
次郎の脳裏に、黒く塗られた板の作り方が鮮明に浮かんだ。
木目を削り、煤を膠で練り、何度も塗り重ねる手順。
さらに、白亜を砕き、水で練り、棒状に固めて乾かす工程までも。
(なんだ黒板って簡単じゃん!)
(よし、次はチョークだ!)
次郎の中に、簡易チョークを作る知識が流れ込んだ。
・素材:石灰岩(白亜)、あるいは貝殻を焼いて粉にしたもの
・作り方:粉を水で練り、棒状に成形し、乾燥させて固める
・注意点:湿気に弱く、粉が舞うので扱いに注意
次郎の脳裏に、白墨を作る手順が鮮明に浮かぶ。
石灰岩や貝殻を砕き、細かな粉にする。
それを水で練り合わせ、棒状に成形する。
日陰でじっくりと乾かせば、黒板に文字を刻む白い棒が出来上がる。
次郎は作り方を覚えると、急いで広間へと戻った。
「お待たせしました。黒板とチョークと言うのはですね、……大きな黒い板を壁にかけ、そこに白い棒で文字を書くのです。墨や筆を使わずとも、誰もが一目で理解でき、しかも拭き取れば何度でも使える道具です」
玄馬が眉間に眉を寄せる。
「次郎……本気で言っているのか。そのような物、聞いた事がないぞ」
「そっ……では3日ください。3日で実物を用意します」
正重が言葉を繋ぐ。
「次郎が作れると言うのなら作れるのだろう。その道具を作れる前提で話を進めよ」
源太郎は静かに頷いた。
玄馬も口元に笑みを浮かべる。
「確かに。次郎殿の突拍子もない話には、これまで何度も救われてきたからな。ならば今回も信じよう」
次郎が微笑む。
「ありがとうございます。では学校の内容についてですが、先ずは勘定方学校を作りましょう。
内容は算学、簿記、算盤です。これらの知識を勘定方の役職に就くための必修項目とします。また仕官の時に勘定方を目指す者には優位になると公表し、家臣の子息にも習わせるのです」
源太郎が腕を組み、低く唸った。
「……勘定方を目指す者に優位を与える、か。
なるほど、それならば武勇に自信の無い者が競って学ぼうとするだろう」
玄馬が頷き、口元に笑みを浮かべる。
「武ばかりでは家は治まらぬ。
勘定を扱える者を育てるのは、伊予を治める上で必ず力となろう」
正重は静かに目を閉じ、やがて重々しく言葉を落とした。
「よかろう。勘定方の学校を設け、勘定方を志す者の必修とせよ。
楠予家の未来は、武と文の両輪で進むのだ」
会議の結果、楠予家は文治系の学校と軍事系の学校を作っていく事にした。
文治学校は2つ。
• 勘定方学校
(算数、ソロバン、簿記など実務に役立つ技術を教える)
• 基礎学校
(文字の書き方や、楠予家の制度など基礎的な知識を教える)
軍事学校は1つ。
• 指揮官学校
(陣形や隊の連携の仕方など、指揮官に必要な基礎知識を教える)
次郎は既に次の学校の計画を立てていたが、正重たちから何を言っているのか分からぬと言われ、今回は断念した。
(まあ少しづつ増やせば何とかなるだろ)
次郎の追加候補案。
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★建築学校(作事・土木)
• 内容:城や砦の築造、石垣・土塁の施工、橋梁・水路・堤防などの土木建築。
• 領内の道路整備や蔵の建設など、民政と軍事の両面を支える技術を育成。
• 領国経営の基盤を固め、戦時には攻城・防御の要となる重要分野。
★医学学校(医術・薬学)
• 内容:止血・包帯・外科的処置、薬草の調合、鍼灸や按摩などの基礎医術。
• 戦場での負傷兵治療や、領内の疫病対策を担う人材を育成。
• 医師・薬師・寺社の僧医に頼らず、家中で医療を供給できる体制を整える。
★法度・政務学校(法制・行政)
• 内容:楠予家の掟・法度、裁定の仕方、訴訟処理、土地台帳の管理。
• 役割:代官や奉行を務める人材を養成。
• 戦国期は「家法」を理解し、領民を裁く知識が不可欠。
★記録方学校(文筆・書記)
• 内容:書状の作成、往来物(手紙の定型文)、記録の保存法。
• 役割:外交文書や家中の命令書を正しく書ける人材を育成。
• 戦国期の武家は「文書の正確さ」が権威の証明でもあった。
★礼法・教養学校
• 内容:和歌・連歌、茶の湯、礼儀作法、贈答の形式。
• 役割:外交や婚姻の場で恥をかかないための「文化資本」。
• 戦国大名は文化的素養を誇示することで権威を高めた。
★地理・測量学校
• 内容:土地測量、地図作成、年貢割付の基礎。
• 役割:新領地の検地や軍事行動の基盤を担う。
• 豊臣政権の太閤検地を先取りするような制度的強みになる。
★語学・外交学校
• 内容:漢文素読、書札礼(外交文書の定型)、場合によっては南蛮語の基礎。
• 役割:対外交渉や貿易に対応できる人材を育成。
• 特に瀬戸内海交易をにらむ楠予家には有効。
★鉄砲学校(火器教育)
•火縄銃が伝わった後に開校。
• 内容:火縄銃の扱い、火薬の調合・管理、射撃訓練。
• 「三段撃ち」など集団射撃の基礎を教える場にも。
★兵站学校(補給・工兵)
• 内容:兵糧の運搬・保存、陣屋や橋の建設、攻城・築城の基礎。
• 足軽や雑兵を支える裏方の力を体系的に育成。
• 長期戦や遠征での勝敗を左右する重要分野。
★水軍学校
• 内容:船の操艦、櫂の扱い、火矢や焙烙玉の使用。
• 瀬戸内や沿岸部を支配する大名家なら特に有効。
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(これだけの学校が出来れば、楠予家はまた一歩近代化に近づけるな。と言っても文明レベルで言えば江戸時代には勝つけど、明治時代の序盤レベルだな)
実は、次郎は火縄銃を作ろうと思えばとっくに作れていた。
硝石は糞尿から作れるのを知っていたし、材料も全て揃えられたのだ。
だが鉄砲を早く登場させる事は楠予家の優位性を崩すと考えた。
――鉄砲は防御に有利である。
鉄砲が広がればこれから領土拡大する楠予には不利になると考えたのだ。
また鉄砲の登場によってロングボウの衰退が早まる事も恐れた。訓練を必要とするロングボウは、やがて誰でも撃てる鉄砲に取って変わられる事を理解していた。
次郎は将来のプランを考える。
(まずは学校教育を楠予領に浸透させる。学校教育が家臣層に受け入れられたら、次は民間にも拡大し、広く人材を教育し、登用するんだ)
遠い将来――壬生次郎忠光の名は『教育の父』としても歴史に名を残す事になるのだが、それはまた別のお話である。




