86 論功行賞
1542年2月2日。
次郎たちが、すき焼きを食べた日の翌日。
楠予屋敷の広間には静けさが落ちていた。
源太郎が低く呟く。
「玄馬に次郎……お前たちだけずるいぞ……」
「「はい?」」
「わしと父上はな、昨日すき焼きを食べて母上たちに大目玉をくらったのだ。お前たちも叱られるべきではないか?」
正重が注意する。
「源太郎、もうよいのじゃ……次郎は悪くはあるまい、いやある意味一番わるいな……」
(何でだよ!)
正重が笑顔で告げる。
「まあ……そう言う事だ、次郎。近々妻たちにもすき焼を作ってやってくれ」
(またか。俺が献上するまで静かに待てないのかな。まあ作るのはおとよだから良いけど)
次郎は頭を下げた。
「……承知致しました」
正重が帳簿を開く。
「さて……では降伏した者で、所領の無い者たちを、どう取り計らうかについての意見を聞こう」
次郎は膝を正し、淡々と答えた。
「二百石以下の者は、もとより所領を持たず、最低限の※扶持米か俸禄で暮らしていた者が多数です。最低限の扶持米の者については、治安維持のため、そのまま召し抱え。それ以上の者については一旦放逐し、仕官し直すよう申し渡しましょう」
源太郎が眉を寄せる。
「次郎は敵だった者に対して冷たすぎるぞ。此度の戦で我らは越智家の者を多く殺した、これ以上怨みを買う必要はあるまい。楠予家に仕えたいと言う者には、仕えさせればよい」
玄馬が扇を打ち鳴らす。
「次郎の言い分は最もだが、我らは一度の戦で大きくなり過ぎた。早く領内を安定させる為にも、此度は兄上の意向に従う方がよいだろう」
正重は腕を組み、しばし沈黙したのち、低くうなずいた。
「……よかろう。所領の無い者についてはわしがこのまま召し抱えよう。次郎もそれでよいな」
「はっ! されど全ての小者を御屋形様が抱えるのには無理があります。元から陪臣であった者は、家臣に下げ渡して陪臣にするのがよろしいかと」
「うむ、ではそう致そう」
正重は地図を見た。
「あとは、越智家の重臣であった者たちの寄親を決める事と、家臣たちに分け与える知行を如何するかだな」
玄馬が帳簿を見る。
「こたび楠予家が得た領土は6万6千石。このうち御屋形様の蔵入地を三割ほど取れば、残りは4万6千石ほどになります」
源太郎が顎に手をあてる。
「問題は此度の戦の功績と、これまでの功績をどう見るかだな。それによって分配される所領も変わる」
その後、領土をめぐる四人の議論は数日間に及んだ。
その主な原因は――楠予家最大の功労者である次郎に与えられる知行地について、次郎自身が首を縦に振らなかったからである。
三人は楠予家の原動力である次郎に、一番多くの領地を与えようとしたのだが、次郎は未来の粛清を恐れて『楠予家の5人の子息よりも少ない知行でないと受け取らない』と駄々を捏ねたのだ。
※※※※
ひと月後の三月初旬。
ついに論功行賞が楠予屋敷にて開かれた。
大広間には家臣たちがずらりと並び、息を潜めて正重の言葉を待っていた。
正重と源太郎が並んで座し、低い声で告げた。
「皆の者ご苦労である。皆の働きにより楠予家は、伊予国の東を制した、礼を申す。またこれを機に我が嫡男・源太郎に新しき名を与える。以後、楠予・源太郎・正継と名乗るがよい」
「ははっ!」
正重が、広間を見渡す。
「次に此度の戦における功績、ならびにこれまでの働きを勘案し、新しく知行を与える」
正重がわずかに頷き、源太郎・正継が言葉を繋いだ。
「筆頭家臣・壬生次郎忠光!」
「はっ!」
「所領1000石、俸禄1000石を加増する」
「ははっ、ありがとうございます!」
(これで俺の所領と俸禄は両方とも1500石。俸禄は実質三倍の価値だから、合わせれば所領6000石相当になる。……いや、マジで俺、大名クラスに片足突っ込んだな。別に土地が欲しいわけじゃないけど、こうして数字で考えると、出世したって気がするな)
広間に微かな間が生まれた。
誰も声を上げはしなかったが、幾人かの家臣が少し物足りなそうに視線を交わしていた。
源太郎が言葉を繋ぐ。
「壬生次郎忠光の功績を思えば、本来ならばもっと加増があって然るべきだ。だが本人が、我ら五人兄弟を越える知行を望まぬと固く固辞した。ゆえに、本来次郎に与えられる所領は、我ら兄弟に振り分けることとなった。……次郎の遠慮ゆえのこと、皆も心得てほしい」
家臣たちは小さくうなずき、場は静かに収まった。
次郎が源太郎に代わって一歩進み出る。
「ではここからは、私が加増の発表を務めさせていただきます。――吉田作兵衛殿」
「はっ!」
「これまでの当家への奉公と、調略の成果を考慮し、新たに所領700石、俸禄700石を与える」
作兵衛は満足そうに笑みを浮かべ、正重に深く拝礼した。
「ははっ、ありがたき幸せにございます!」
「次いで、藤田孫次郎殿」
「はっ!」
「金子領と石川領の平定、ならびに越智輔頼を誘い出した功により、所領600石、俸禄600石を与える」
「はっ、ありがたき幸せ!」
孫次郎が深々と頭を下げた。
次郎は声を改める。
「なお、金子山城城主代理の任はここで解く。以後は楠予家の重臣として、池田の里に居住するように」
「承知仕りました」
次郎が孫次郎を厳しい目で睨む。
「孫次郎殿、筆頭家臣として一言言わせて頂く。本来なら孫次郎殿のご活躍ならば、倍の所領を賜ってもおかしくなかった。これは新参者だからではなく、御屋形様の許可を得ない、独断専行の行いが多かったゆえの評価です。以後気を付けられよ」
「はっ、しかと胸に刻みます」
孫次郎は内心、強い驚きを覚えていた。自分が正重を二度も利用したことを、次郎が正重から全て聞いていると悟ったからだ。自分以上に正重から信頼されている次郎に――思わず嫉妬心が胸をかすめた。
「次に福田頼綱殿」
「はっ!」
「金子領と石川領平定の功により所領400石、俸禄400石を与える」
「ははっ、ありがたき幸せ!」
頼綱が深々と頭を下げる。
次郎は声を改め告げる。
「なお、藤田孫次郎殿に代わり、金子山城城主代理に任ず。以後は金子山城周辺の代官として、年貢の徴収、治安の維持、百姓の取りまとめを司れ」
「はっ、承知仕りました」
次郎は次に門番の源八を呼び出した。
皆が胡乱げな顔で源八を見る。
「源八殿、足軽大将の任を解き、これより渋柿城城主代理を任ず。あわせて渋柿の姓を賜る。――以後は渋柿源八と名乗り、渋柿城周辺の代官として、年貢の徴収、治安の維持、百姓の取りまとめを司れ」
「ははっ!」
「なお、これまでの功績を鑑み、所領150石、俸禄150石を与える」
「ありがたき幸せ!!」
広間にざわめきが走った。新参の家臣たちは顔を見合わせ、領民出の男が重臣に列することに驚きを隠せなかった。中には眉をひそめる者もあれば、無言でうなずく者もいる。
だが、新参であればあるほど、楠予家がもとは村長から成りあがった地侍にすぎず、次郎に至っては生粋の農民の出であることを忘れていた。
――その後も加増は淡々と続き、家臣たちには所領46,000石を原資とする所領と俸禄が加増された。
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楠予家一門の加増。
★源太郎 所領1200/俸禄1200
★玄馬 所領1100/俸禄1100
★兵馬 所領1000/俸禄1000
★友之丞 所領1000/俸禄1000
★又衛兵 所領1200/俸禄1200
譜代重臣
★壬生次郎 所領1000/俸禄1000
★大保木佐介 所領600/俸禄600
★吉田作兵衛 所領700/俸禄700
★玉之江甚八 所領500/俸禄500
重臣
★大野虎道 所領400/俸禄400
★国安利勝 所領400/俸禄400
★高田圭馬 所領400/俸禄400
★楠河昌成 所領400/俸禄400
★藤田孫次郎 所領600/俸禄600
★福田頼綱 所領400/俸禄400
★玉川監物 所領150/俸禄150
★徳重家忠 所領150/俸禄150
★渋柿源八 所領150/俸禄150
★神拝権太 所領150/俸禄150
※神拝権太は神拝陣屋の代官。門番の権蔵の長男で、この度、神拝姓を賜った。
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論功行賞の発表が終わると、正重は静かに頷き、広間を見渡した。
「これにて論功行賞は終了じゃ。――この後は皆の労をねぎらうため、宴会の用意をさせてある。楠予家の料理はどれも腕によりをかけたものばかり。存分に堪能してもらいたい」
「「ははぁ!!」」
その言葉を合図に、侍女たちが広間に膳を運び始めた。
家臣たちの顔がほころび、先ほどまでの張り詰めた空気が一気に和らぐ。
徳重家忠の顔が綻んだ。
「いよいよ、作兵衛殿の言われていた、楠予家の料理が食べられるのだな」
重臣たちの前に置かれた膳の上には
• 鶏の唐揚げ
• 椎茸や野菜の天ぷら
• 白米
• 味噌汁
• 漬物(たくあんや浅漬け)
• 小鉢(ほうれん草のお浸し、冷奴など)
が並んでいた。
唐揚げや、天ぷらが香ばしく揚がり、白米の湯気と味噌汁の香りが広間に広がると、家臣たちの顔が期待でほころんだ。
作兵衛が歓喜の声を上げる。
「次郎殿、これは以前のじゃがいもの天ぷらとは違うようじゃの」
「それは唐揚げと言う、鶏肉を揚げた料理です」
徳重家忠が眉をひそめた。
「なに……ニワトリ。申し訳ないが、それがしの宗派ではニワトリの肉は禁忌とされている。野鳥ならよかったのだが……」
作兵衛が笑う。
「徳重殿、これは薬膳料理じゃ。滅多に食べられぬゆえ、よいではござらぬか」
「いや、そう言う訳には参らぬ」
次郎が天ぷらを勧める。
「ならばこちらの椎茸の天ぷらなどは如何ですか?」
「おおっ、椎茸とは豪勢な! ではこちらを頂こう!」
「ではこちらの天つゆをつけて、食べてみて下さい」
※天つゆは鰹節の代わりに、次郎が昆布と干し椎茸から作っただしに、醤油とみりんを加えた物である。
徳重が一口食べて顔を綻ばせる。
「美味い! このサクッとした食感が堪らぬな!」
作兵衛は鶏の唐揚げを食べて小躍りする。
「次郎殿、次郎殿! この唐揚げと言う料理は美味いのう! 外はサクッとしてて、中からはジュワっと肉汁が溢れてくるわ!」
それを聞いて徳重が喉をゴクリとならす。
「それほど美味いのでござるか……」
作兵衛はニヤリと笑う。
「楠予家の料理じゃ、美味いに決まっておるわ。さあさあ、徳重殿もお一つ、薬膳ゆえ仏も文句は言わんじゃろ」
「そ……そうでござるな。ならば一口だけ……」
(おい、このオッサンちょろすぎだろ……)
唐揚げを一口食べた徳重は目を見開いた。
「なんだこれは……。こんな美味い肉、某は食べた事がない……」
「いやぁ、それにしても残念じゃのう、徳重殿。貴殿の宗派はニワトリが禁止でござるか、そうかそうか、それじゃあ二度と唐揚げは食べられんのう。可哀そうに……」
徳重が困惑する。
「え、いや…え? 薬膳なので大丈夫でござるよ?」
「いやいや、そう言う訳にも行くまい。楠予家の真律宗は肉が食べ放題だから良いが、徳重殿の宗派は違うのでござろう。確か宗派は絶対に変えぬと言われておったでは無いか?」
「何を言われるか! 主君と同じ宗派を崇めるのが武士の勤めでござる。某は、今より真律宗に改宗致す!」
(え? な、何言ってんのこの人!? なんか簡単に楠予家を裏切りそうでめっちゃ怖いんだけど!?)
次郎の心配をよそに、作兵衛らの笑い声に呼応するように、広間のあちこちで談笑が弾けた。
香ばしい唐揚げや天ぷらを頬張る音、白米をかき込む音、杯を打ち合わせる音が重なり合い、
楠予家の重臣たちの宴は、熱気と笑いに包まれたまま、盛大に幕を閉じるのだった。
※※※※
楠予家で宴が開かれている頃、伊予国の国主・河野家で動きがあった。
湯築城の広間。
重臣たちが居並ぶ中、若き当主・河野晴通は静かに口を開いた。
「平岡、申したき議とは何じゃ」
平岡房実が一歩進み出て、低く告げる。
「御屋形様……先代・通直様より、我らに勧誘の使者が参っております。楠予家の援助を得ていると吹聴し、家中に調略の手を伸ばしておるのです。その方らも同じではないのか?」
その言葉に、戒能通森も和田道奥も、そして曽根高昌も、重々しくうなずいた。
晴通はしばし沈黙し、やがて苦渋の面持ちで言葉を絞り出す。
「……やはり、父をこのまま野放しにはできぬ。楠予も、父も、なんとかせねばならん……」
曽根高昌が口を開く。
「まずは通直様に手紙を送り、正式に引退をして頂き、家督を晴通様にお譲りいただくのが筋にございます」
だが和田道奥は首を振り、低く言い放った。
「いや、それでは遅い。来島城に籠もられては、調略の火種は消えぬ。ここは攻め落とすしかありますまい」
戒能通森が扇を打ち鳴らし、短くうなずく。
「うむ、それが手っ取り早くてよい」
広間に重苦しい沈黙が落ちた。晴通は若き顔に決意を刻み、ゆっくりと頷いた。
「……よかろう。武力により父を隠居させ、我が正統を示す。十日後、来島城へ出陣する。それでよいな」
その言葉に、四人の重臣は一斉に頭を垂れた。
河野家は、父子相克の戦へと歩みを進めていた。
※扶持米とは、武士に与えられる「最低限の生活を支えるための食糧支給」のこと。所領を持たない下級武士が主に受け取った。




