84 越智家との決戦 後編
12月29日の夜明け。
楠予軍と越智軍による雌雄を決する戦いが始まった。前回の戦では、越智軍はロングボウの威力の前に脱兎のごとく逃げ去り、楠予軍は兵力の少なさゆえ追撃できる余力はなかった。
だが今や情勢は逆転した。楠予家の領土は越智家よりも広がり、越智に逆侵攻するだけの兵力がある。 両者ともに負けられぬ戦だった。
※楠予軍の布陣※
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• 横陣(合計3200)
←軍
敵←軍
←軍
• 右翼:
玄馬+大保木隊800
• 中央前列:
徳重+玉川隊400
• 中央後列:
源太郎隊500
• 本陣:
正重+次郎隊400
• 左翼:
兵馬隊700(足軽+弓)+又衛兵隊100(騎馬)(内、赤備は約半分)
その他:大野ら四名の300。越智軍の後方の川の向こう岸に待機。
※越智軍の布陣※
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• 鋒矢の陣(合計2100)
←軍
敵←軍軍軍軍
←軍
• 右翼:
桜井道兼 隊300 + 古谷宗全隊200(補佐)
• 中央前列:
越智元清隊300(鋒矢の先頭)
•中央中列:
高橋弾正隊400
•中央後列:
川之江兵部隊300
•本陣
越智輔頼隊300
• 左翼:
新谷内記隊300
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※越智軍中央の最前線
川霧を裂いて鬨の声が轟いた。
元清率いる矢じりのごとき鋒矢の陣の先頭集団が、楠予軍の横陣へと突き進む。
その瞬間、霧の奥から唸りを上げて無数の矢が飛来した。
楠予家自慢のロングボウ。その矢は雨のごとく降り注ぎ、前列の兵を次々と薙ぎ倒す。
元清が叫ぶ。
「盾を掲げ、散開せよ!」
越智軍は事前の策で、必死に防ごうとした。だがそのため鋒矢の密集隊形が崩れ、突進の勢いが鈍る。
矢じりの鋭さを失った鋒矢の陣形は、それでも盾を掲げ、じわりじわりと楠予軍へと突き進む。
やがて弓の間合いを越智軍が抜ける。それに対して、徳重家忠が号令をかけた。
「楠予家への忠誠を示すは今ぞ。槍隊、敵を迎え討て!」
元清も叫ぶ。
「裏切り者の徳重を討て! 天誅を喰らわせるのだ!」
盾を捨てた足軽が槍を手に突撃し、互いの槍が激しくぶつかる。
元清隊の頭上を無数の矢が飛翔する。楠予のロングボウ隊は、狙いを元清の後方にいる川之江隊に変え、矢を放ち始めた。
※越智軍右翼
中央の会戦から暫くして、越智軍右翼の戦いが始まった。
楠予の三間槍の列が、じりじりと間合いを詰め、越智軍の槍隊が迎え討とうとした時――楠予の長弓が唸りを上げ、矢の雨が降り注いだ。
桜井の声が飛ぶ。
「楠予の弓じゃ! 盾を掲げて散開せよ!」
槍隊は慌てて散開し、後列の足軽は盾を掲げて、身を縮める。
その隙を狙うように、赤い甲冑に身を包んだ楠予の足軽が三間槍を手に突撃する。
それと動きを合わせ、又衛兵の赤備えの騎馬隊が大きく迂回して側面から越智軍を襲った。
又衛兵が声を張り上げる。
「かかれぇ! 楠予の赤備隊の力を見せ付けるのだ!」
バラバラに散った歩兵の間を赤備えの騎馬隊が無人の荒野を行くかの如く駆け抜ける。
桜井は兵を鼓舞する。
「怯むな! 踏みとどまれ! 我らに逃げ場は無い、負ければ死ぬぞ!」
桜井は槍を振りかざし、自ら前に立ち敵を食い止める。
兵士たちは桜井の奮戦に、逃げる足を止め戦いに戻った。だが散開した列は繋がらず、赤備えの槍と騎馬に次々に倒されてゆく。
後方の古谷宗全は軍扇を胸に抱き、赤に飲み込まれてゆく右翼を悠然と見つめていた。
「……槍隊構え。桜井隊が崩れれば、我らが変わって楠予勢の足止めをする。弓隊は矢の準備をしておけ……」
だが古谷の予想を良い意味で裏切られた。
早々に崩れると思われた桜井の部隊はその後、四半刻(30分)のあいだ楠予の赤備隊の猛攻を耐え抜いた。桜井は幾度も傷を負いながらも前線に立ち続け、兵を鼓舞した。兵士たちは仲間が次々と倒れようとも、桜井の声に応じ、前線に踏みとどまった。
最も、桜井の声だけではなく、兵たちの後ろで目を光らせている軍監兵たちの存在も大きかった。軍監兵(足軽軍監など)は逃亡した兵がいた場合、その兵を斬り捨てる役割を持つ兵で、楠予家も含めて、殆どの大名家に存在した。
「怯むな! ここで退けば越智家も我らもお終いじゃ! うぐっ」
桜井は奮戦したが、不運にも致命的な一撃を受けてしまう。桜井の後方を駆け抜けた騎馬武者が桜井の首の辺りを馬上から斬りつけたのだ。
「頼辰様……正若丸様……いま……お傍に参ります……」
桜井は先々代と先代の名を口にし、血に染まった槍を握ったまま崩れ落ちた。その姿を見た兵たちは一瞬声を失い、完全に戦意を喪失し、右翼の崩壊が始まった。
宗全は軍扇を胸に抱き、目を閉じた。
(……桜井殿、見事な戦いぶりでござった。次はそれがしの番でござる)
「槍隊構え。弓隊は矢を番えよ。ここからは我らが桜井殿に代わり、楠予の赤備えを止めるのだ!」
※越智軍中央前列
中央では元清隊三百が必死に楠予軍を突破しようとしていた。
「進め! 進め! 我らがここを突破せねば越智軍の勝利は無いのだ! なんとしても敵を倒せ!」
だが敵となった徳重・玉川隊の四百も必死だった。ここで越智家に滅んで貰わねば、帰る場所がないのだ。
幸いな事に元清の部隊以外の圧力はなかった。楠予軍のロングボウ隊が越智軍中列と後列に猛烈な矢雨を浴びせ続けていたのだ。そのため高橋弾正・川之江兵部らの兵七百は、盾を掲げて散開し、防御に徹するしかなかった。
川之江らの援護のない元清の部隊は孤立し、徳重・玉川の部隊との激戦の中で、鋒矢の陣の勢いは完全に止められていた。
※越智軍左翼
その頃、左翼の新谷内記は混乱していた。
戦いが始まり半刻(一時間後)。敵右翼は前方に陣取っているが、いっこうに攻めてこないのだ。
鋒矢の陣のため、こちらから攻めかかることもできず、ただ睨み合うばかりであった。
中央と右翼が激戦に呑まれる中、左翼だけは奇妙な静けさに包まれていた。
※越智軍右翼
宗全は軍扇を掲げ、声を張り上げた。
「怯むな! ここで敵を止めよ! 我らが盾となるのだ!」
その声に応じ、古谷の兵は槍を突き出し、赤備えの突進を止めていた。
「おお、古谷様が持ちこたえておられるぞ!」
総崩れを起こした桜井の兵たちの目に、わずかな光が戻り、逃げた兵たちが戦線に戻りつつあった。
――だがその頃。
中央中列で長い時間、矢の雨の恐怖にさらされた一人の男が逃げ出した。
「もう駄目だ! おらは死にたくねぇ、右翼は崩れてるだ。ここにいたらみんな死んじまうぞ!!」
男の叫び声は瞬く間に広がり、中央の部隊では逃亡する者が続出した。
男の言葉はきっかけに過ぎず、戦意はとっくに尽きていたのだ。
逃亡兵を殺す役割のはずの軍監兵もまた、共に逃げ始めた。軍監兵の逃亡を見た者たちも、斬られる恐れはないと知り、我先にと逃げ出した。
川之江が叫ぶ。
「逃げるな、戦え! 逃げ場などないぞ! 戻れ、戻るのだ!」
崩壊は中央だけに留まらなかった。
中央から逃げ出した兵が、敵のいない左翼の前を駆け抜けると、それを目にした左翼の兵も次々と戦場を離れ始めた。
彼らの多くは敵影のない海辺へと走ったが、家族のもとへ帰ろうと後方の川を目指す者たちもいた。
戦いに必死で中央の状況に気づいていない古谷宗全の兵は、なおも槍を突き出し、赤備えの突進を必死に押し返していた。
だが数名が異変に気づき、後方を見た。
「中央が……中央が崩れてるぞ! おらたちも逃げなくちゃ死んじまうぞ!」
宗全の兵もついに背旗を捨て、逃亡を始めた。
宗全は軍扇を降ろし、家臣に命じる。
「……これまでだ八兵衛、介錯を頼む」
「殿……無念にございます!」
八兵衛は涙を流しながら、刀を抜いた。
宗全は静かに脇差を抜き、膝をついた。赤備えの波が迫る中、宗全は最後まで姿勢を崩さず、己の腹に刃を突き立てる。
「輔頼様……申し訳ございませぬ。先に参ります」
その言葉を言い終えた瞬間、八兵衛の刃が振り下ろされ、宗全の体は静かに前へと崩れ落ちた。
越智軍が総崩れを起こす中で、越智元清は楠予軍との最前線に取り残されていた。
「逃げるな戦って死ね! それでも名門越智家の兵か!!」
元清の声は兵の心には届かず、兵は次々に逃走する。気づけば元清は徳重・玉川の軍勢に四方を囲まれていた。
そして玉川監物が元清の前に姿を現した。
「元清様、腹を召されませ。家臣に介錯をさせましょうぞ」
「ふざけるな、この裏切り者が!」
元清は怒りに燃えて槍を振るい、玉川へと突進した。だが四方から槍が突き出され胸を貫かれる。
「ぐふっ……おのれ……玉川……」
元清は血を吐きながら玉川を睨みつけ、地に崩れ落ちて死んだ。
玉川監物は静かに元清の亡骸に歩み寄り、そっと元清の瞼を閉じた。
「あなたは横暴すぎた……されど見事な最後でござった。越智家の誇り、しかと見届けましたぞ」
そう言うと、玉川は静かに手を合わせ、しばし黙した。戦場の喧噪の中に、一瞬だけ静謐な空気が流れた。
中央後列に踏みとどまっていた川之江兵部は、遠目にその光景を見て、
静かに覚悟を決めた。
前方から高橋弾正が僅かな兵を率いてやって来て、青い顔で言う。
「兵部殿、もはやここまでにござる。逃げましょう」
川之江兵部は弾正の言葉に首を振った。
「弾正殿、わしは覚悟を決めた。わしは正若丸様と志乃様をこの手で殺めたのだ、正重が許す訳がない。ここがわしの死に場所よ、弾正殿は逃げられるがよい」
弾正は頭を下げた。
「しからば御免。兵部殿、さらばでござる」
そう言い残し、弾正は馬首を返し、残兵を率いて戦場を離れた。
川之江兵部は僅かな三十ばかりとなった兵を率いて、迫り来る楠予軍の波に向かって馬を進めた。
「敵も聞け、味方も聞け!
我こそは越智家の川之江兵部なり!
この首、欲しければ取りに参れ!」
その声は戦場に響き渡った。
兵部は馬腹を蹴り、槍を高々と掲げて突進した。
その姿は敗軍の将でありながら、なおも凛として、越智家最後の矜持を示していた。
彼は槍を振るい、敵兵を次々と突き伏せたが、やがて幾条もの穂先に貫かれ、戦場に沈んだ。
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四半刻後(30分後)
越智軍本陣。
輔頼は自軍の兵が楠予軍に追われ、逃げ惑う光景を見て呆然とした。
既に本陣の兵も散じ、周囲に残るは馬廻衆がわずか十騎ばかり。
前方には赤備えの騎馬隊が迫っていた。
輔頼は覚悟を決め馬に跨る――越智家の当主の名に恥じぬ死を迎えるために。
その手は震えていたが、なおも刀を抜き放ち、声を振り絞った。
「皆の者、越智の名を辱めてはならぬ! 華々しく戦って散るのだ!」
その叫びに応じるように、又衛兵率いる赤備隊が目前で停止し、名乗りを上げる。
「ならばこの楠予又衛兵がお相手をしよう! 妹、志乃と甥の正若丸の仇、ここで討たせてもらう!」
輔頼は悲痛な笑みを浮かべ、馬腹を蹴った。
「ふふ……よかろう。参るぞ、又衛兵! うおおおお!」
輔頼と馬廻衆の突撃に、又衛兵と赤備えの騎馬が応じ、両軍が激突した。
馬廻衆は次々と槍に倒れ、やがて輔頼と又衛兵が正面から相まみえた。
「志乃と正若丸の無念、ここで晴らす!」
又衛兵の槍が閃き、輔頼の刀を弾き飛ばす。
次の瞬間、鋭い穂先が輔頼の胸を深々と貫いた。
「ぐふっ……見事じゃ……」
輔頼は血を吐き、天を仰いでそのまま馬上から崩れ落ちた。
泥に沈んだ輔頼の首を、又衛兵は馬から降りて刎ね、槍先に高々と掲げた。
「敵も味方も聞けい! 楠予又衛兵、越智軍総大将・輔頼を討ち取ったり!」
その声は戦場に轟き、赤備えの兵たちは一斉に鬨の声をあげた。
越智軍の残兵はその叫びに心折れ、次々と武具を捨てて降伏した。
※楠予軍本陣※
伝令の庄左衛門が正重の前に駆けて来る。
「申し上げます! 楠予又衛兵様、敵総大将・越智輔頼を討ち取ったそうにございます」
正重が床机から立ち上がり、軍配を叩いた。
「ようやった! これで積年の怨みが果たせた。志乃と正若丸も喜んでおろう」
次郎が笑いながら言う。
「御屋形様、おめでとうございます!」
次郎は言葉と裏腹に少し不服だった。
(義兄さん、どうせなら捕縛してくれよ。そしたら俺が介錯役を勝って出て、この手で殺せたのに……)
※海辺※
高橋弾正は兵50を率いて海辺まで逃げていた。そこで新谷内記の軍100を見つけて合流した。
内記は蒼白な顔で弾正を迎えた。
「弾正殿……兵部殿は?」
「戦場に残られた、既に討死されているだろう。もはや我らには抗う力も、逃げ場もござらん」
二人は互いに目を合わせ、しばし沈黙した。
やがて内記が深く息を吐き、静かに言った。
「……ならば、降るしかあるまい。楠予家は、我らに恨みはない筈。命までは取られまい……」
弾正は静かに頷いた。
「……やむを得ぬ。ここに至っては正重殿の情けに縋るしか手はない」
内記と弾正は槍を地に突き立て、兜を脱ぎ捨てた。
そして追って来た楠予軍に告げた。
「我らは降る! 楠予正重公のご意向に従おう!」
内記と弾正に見習い、兵たちは次々と刀を鞘ごと地に置き、楠予軍に手を挙げた。
楠予の兵は彼らを取り囲んだが、刃を振るうことはなかった。戦場にようやく静けさが戻り始めた。
一方、川の方へと逃げた者達の大半が溺れ死に、川岸まで辿り着いた者は大野らの軍に殺されるか捕縛されていた。
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氷見、中山川周辺の戦い。
楠予家の勝利。
※楠予軍 兵力3200。
死者 116名。 (約4%)
※越智軍 兵力2100。
死者 728名。(約35%)
降伏者 1243名。
行方不明者 129名。
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この勝利により楠予家の威勢は伊予一円に轟き、越智家は再起不能となった。
1542年1月3日。
楠予軍が国分寺城に到達すると輔頼の嫡子、太郎丸(0歳)は降伏した。
次郎は太郎丸の斬首を進言したが、正重の意向により、太郎丸には所領200石と俸禄200石が与えられ、楠予家家臣として取り立てられる事となった。また降伏した越智家の諸将は領土を大きく削られ、後に楠予家の重臣たちの与力とされた。
楠予家は一連の戦争により石川と金子から25000石、越智家からは41000石の領土を得て、合計128000石の大領を持つに至った。これは伊予国でも一、二位を争う領主になった事を意味する。
これに伴い次郎の所領も増加するのだが、それはまた別のお話である。
【キャラ名についてのお知らせ】
誤字報告ありがとうございます。
五男の名前は「又衛兵またえひょう」で誤字ではありません。
本当は「又兵衛またべえ」にしようかと思ったのですが、
「又兵衛」が多すぎるので、「又衛兵」としました。
最初は読みを考えておらず、やばいと思い、
20話あたりで「またえひょう」にしました。
かなり変わった読みですが、それでお願いします
(ちなみに入力がえいへいなので、自分は今でも「またえいへい」と読んでます……m(__)m)




