表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
85/95

81 次郎と作兵衛の情報操作

1541年12月23日

※楠予正重視点


金子一族と松下知家を失った金子山城には、もはや戦う意志は残っていなかった。

斉藤と村瀬が再び降伏を申し入れると、正重は静かに告げた。


「……松下一族を討て。それを以て降伏を許す」


その言葉は瞬く間に城内へ広まり、斉藤と村瀬は松下知家の子・弥一と一族を討ち果たした。

 そして金子山城は開城し、楠予軍は入城した。


 昼頃、城の広間に楠予家の重臣たちが集まり、軍議が開かれた。

 広間の中央には地図が広げられ、駒が並ぶ。正重は軍配を握り、重臣たちの視線を受けていた。


玄馬が口火を切る。

「御屋形様、全軍を東へ向ければ石川領は手に入りましょう。

ですが東へ進めば、西の越智軍への備えが遅れ、一族を危険にさらす恐れがございます」


正重は低く言い放つ。

「……承知しておる。ゆえに、わしと兵馬は千の兵を率いて飯岡砦へ向かう。

源太郎は残り千五百――いや、降伏した金子の兵も加え、千七百五十で石川領を平らげよ」


源太郎が深く頭を下げる。

「はっ、かしこまりました」


正重は続けた。

「孫次郎を金子山城の仮の城代に任ず。出兵させる金子兵を選び、源太郎と共に東へ向かえ」

孫次郎が一礼する。

「承知いたしました」


正重は立ち上がり、軍配を掲げた。

「越智家が動けば、わしは飯岡砦を出て、大影砦に籠もる。そこで越智軍を引き付け、消耗させる。

源太郎は石川領を平定したのち、軍を率いて大影砦に参れ」

「はっ!」


※※※※


12月25日

池田の里・楠予屋敷


正重からの早馬が楠予屋敷に届けられた。次郎が広間に皆を集め、書状を開ける。


吉田作兵衛やお澄たちが心配そうな表情で、次郎の書状を読む顔を見つめた。

やがて次郎は笑顔で書状を脇に置いた。


「源太郎様たちが石川尚義を討ち取ったそうです」

作兵衛が顔をほころばす。

「それは凄い! まつ様、お祝いを申し上げます」


お澄も微笑む。

「お義姉様、さすが兄上ですね」

まつが嬉しそうに頷く。

「はい」

千代が笑う。

「私の自慢の息子ですからね」


お琴がはしゃぐ。

「ねえねえ、お父様が勝ったの!? みんな帰ってくる?」


小聞丸が興奮する。

「やっぱり父上は凄いな。ぼくも早く父上と一緒に戦いたい!」


次郎は微笑みながら言う。

「小聞丸様、それだけではありませんよ。御屋形様たちも金子山城を落とされたそうです」


まつが口元に手を当て喜んだ。

「まあ、本当ですか?」

「はい、そして御屋形様は千の兵を率いて飯岡砦まで戻られたそうです。だから私たちに安心するようにとの仰せです」

お澄が胸を撫でおろす。

「そうですか。父上が飯岡砦に……」


作兵衛が次郎を見る。

「しかし、こうも早く石川と金子を討てるなら、我らも留守居役ではなく出陣したかったのう」

次郎が苦笑する。

「何を言うのですか。作兵衛殿には玉川殿と徳重殿との連絡と言う大切なお役目があるではないですか」


越智家の玉川監物と徳重家忠は作兵衛たちの調略により、楠予家に内応していた。


越智元清の与力・玉川監物は、元清による三宅主膳の粛清など、その強引なやり口に嫌気が差し楠予家に通じた。

 また、越智家の重臣・徳重家忠も、大保木佐介の誘いに応じ、同じく越智家を裏切って楠予家に通じていた。


次郎が難しい顔をする。

「それに御屋形様たちが、こんなに早く石川や金子を破った事を、越智家に知られないように、しなければなりません」


作兵衛が頷く。

「確かに。越智家がこの事をしれば動かぬだろうな。しかし、噂を完全に防ぐのは不可能じゃぞ」

「そうですね……。では別の噂を流してはどうでしょうか?」

「別の噂のう……。うむ、良いかもしれん。して、どのような噂を?」


(いや、それはお前が考えろよ!)


次郎が苦笑する。

「どんな噂がいいですかね?」

「そうじゃのう……。楠予軍は石川勢を破り、今は舟木砦を攻めている。と言うのはどうじゃ?」

「そうですか? いっそ楠予勢が負けたとかどうでしょう?」


千代が言う。

「次郎殿、わたしは作兵衛殿の方が現実的で信用すると思いますよ」

お琴が笑って言う。

「そんなにいっぱい言われたら、どれが本当か分からくなるしね!」


(それだ!)

俺と作兵衛は顔を見合わせた。


だが次郎は至近距離で作兵衛と見つめ合っている事に気付き、お澄の方に向き直し、お目々直しをした。

(俺は男と、見つめ合う趣味はないんだ。うん、やっぱりお澄は可愛いな。信玄とか男でもいける奴がこの時代ゴマンと居るけど、俺には理解出来ん! 戦場で欲求不満になっても男は絶対にない!!!)


お澄は次郎が急に振り返り、自分をずっと見つめている意味が分からずきょとんと首を傾けた。


作兵衛が言う。

「偽情報を二つとも流そう次郎殿! それで楠河を使って、越智に偽情報の一つを本当だと言わせるのじゃ」


次郎は眉間に皺を寄せた。

「楠河ですか……。内応している以上、越智に情報を流すべきでしょうが、疑われる恐れがありますね」


「そこは玉川と徳重が上手く誘導してくれることを、期待するしかあるまいのう」


――もし失敗すれば、越智輔頼は軍勢を引き返してしまう。

今回の作戦の最大の目標である越智家討伐が自分の判断で失敗するかもしれない。

次郎は一瞬ためらったが、やがて決断した。


「分かりました。石川家に野戦で勝ち。今は舟木砦を攻略中と言う情報を、楠予家の正式な情報として家臣たちに伝えましょう」


情報を制する者が戦いを制す。

情報がいかに大切か、近代日本を生きた事のある次郎にはよく分かっていた。


作兵衛が頷く。

「それと2日後、越智軍が出陣すると密偵からも、楠河からも情報が入っておる。我らも2日後、池田の里を発ち神拝陣屋へと移動するべきじゃ。民たちにも警告してやらねばならんでの」


戦国時代に大名が出陣する場合、その動きはほとんど隠しようがなかった。

兵を集めるためには領内に触れを出し、農民兵や雑兵を呼び集めねばならない。

 村々では太鼓が鳴り、槍や鎧を抱えた男たちが城下へと集まる。

 その様子は旅の商人や僧侶、あるいは敵方に通じる間者の目に必ず映り、

やがて噂となって広がっていくのが常であった。


千代が頷く。

「次郎殿、作兵衛殿、私たちはすぐにでも移動できます」


次郎が微笑む。

「分かりました。では明後日、我らは神拝陣屋へ出発します。後の事は作兵衛殿、頼みます。あまり無理をなさらぬよう」


作兵衛が笑う。

「おう、わしに任せろ。敵がここまで来れば、すぐに退却するわい」



※※※※


1541年12月27日

国分寺城

※越智輔頼視点


広間には古谷宗全、川之江兵部、越智元清ら重臣が鎧に身を包み、居並び出陣前の軍議が開かれていた。


中央には国分寺城を中心とした地図が広げられていた。蝋燭の炎が揺れ、甲冑の金具が鈍く光る。


輔頼が軍配を手に取り、低く言い放つ。

「密偵からの報告では、去る十五日は楠予源太郎が、二十日には楠予正重がそれぞれ東へと出陣した。いずれも事前に楠河より報告があった通りじゃ」


古谷宗全が進み出る。

「それがしも同様の情報を商人から手に入れております。今、楠予家は手薄にございます」


越智元清が頷く。

「ここは一気に池田の里まで攻め上り、楠予軍を動揺させ、決戦に及ぶが上策!」


川之江兵部が首を振る。

「いや、池田の里には手を出すべきではござらん」

元清が川之江を睨む。

「なんだと!」


重臣たちの注目が兵部に集まる。

川之江は動じずに述べる。

「此度は農民兵のみならず傭兵、山賊、さらには我らの家臣たちまでもが楠予家の財を狙っておる。つまりは財は士気の源でござる。その欲望が満たされた後はどうなると存ずる?」


古谷宗全が唸る。

「なるほど。川之江殿は、池田の里で略奪を終えた兵の士気は下がると言われるのだな」


川之江が頷く。

「さよう。敵が動揺する以上に、我らの方は戦う戦意を失うでしょうな」


戦国の世では、兵の多くは財宝や褒美を求めて槍を取った。

ゆえに大名たちは、欲望を満たした途端に兵が戦意を失わぬよう、厳しい掟を設けていた。

織田信長は戦場での勝手な略奪を禁じ、戦利品はすべて大将のもとに集めさせた。

武田信玄もまた家法により、戦後に功績を記録してから公平に恩賞を与える仕組みを整えていた。


これらの規則は、ただ兵の欲望を抑えるためだけのものではない。

軍の規律を守り、主君の権威を高め、家臣団の不満を防ぐなどの効果があった。


楠予家では既に、次郎によって分配制度が整えられているが、越智家などのほとんどの大名は、未だに制度が整えられていなかった。


輔頼が軍配を強く握る。

「ならば池田の里の近くまで、軍を寄せる。さすれば我が軍の士気が最も高い状態で、楠予軍との決戦が望めよう」


玉川監物が身を乗り出す。

「さすがは御屋形様。我等が万全の状態で決戦に望めるのに比べ、楠予は石川との戦いで疲れた上、東より舞い戻って息も絶え絶えのはず。勝ち筋が見え申したな」


元清が頷く。

「確かにその通りだ。だがそれだけでは兵の血はたぎらぬ」


元清は地図上の広江港を指し、声を張る。

「楠予は東に縛られておる、すぐには動けまい。ならば楠予を待つ間に広江港を襲い、商人どもから財を奪うのだ! 兵に食わせ、飲ませ、懐を満たせば、一番の獲物を前に刃はさらに冴え渡る!」


玉川監物が目を大きく開ける。

「商人を襲うのでござるか!? さ、されど楠予を訪れる商人の中には、村上水軍との繋がりを持つ者も多く……」


元清が眉間に皺を寄せ、声を荒げる。

「何を言うか! 楠予領にいる以上は、皆敵よ! 村上だろうが商人だろうが知ったことか。奪えるものは奪い尽くせ!」


越智輔頼が玉川を見据え、低く言い放つ。

「玉川、いまは越智家存亡の時、村上の事は後の憂いにすぎぬ。まずは兵を満たし、楠予を討つことこそ肝要ぞ」


玉川が頭を下げる。

「はっ! 御屋形様の申す通りにございます」


徳重家忠が流れを変えるため、ふと思い出したように口を開く。

「御屋形様。そう言えば今朝、商人の口より聞き及びましたが、池田の里では三つの噂が立っておるとのことでございます」


輔頼が怪訝な顔をする。

「三つの噂じゃと?」

「はい。噂の一つでは、石川尚義が討たれ、さらに金子元豊も殺され金子山城が落ちたそうにござる」

玉川監物が首を振る。

「あり得ぬ! いくら楠予家の弓が優れておろうと、城攻めには通じますまい。これは我等を混乱させ、動きを封じる策にござる」


徳重家忠が頷く。

「その通りにござる。これは我らを動けなくするため、楠予が策を弄したのでござろう。よって残りの二つの噂の一つが、真実でござろうな」


元清が訊ねる。

「それで残りの内容は」

「一つは楠予軍が石川軍に敗れたと言うもの。もう一つは、楠予軍が石川軍に勝ち、舟木砦が落城寸前とのものにござる」


輔頼が顔を顰めて軍配を叩いた。

「石川軍は楠予に敗れた。それが真実であろ。不甲斐ない奴らだ」

古谷宗全も頷く。

「それがしもその様に存じます」

玉川監物が苦笑する。

「意外と楠予が敗れたと言うのが、真実かも知れませんぞ」


元清が立ち上がった。

「御屋形様、これは楠予家の策を気にする必要はござらん。直ちに出陣を!」


徳重家忠が頷く。

「さよう。楠予家の守りの要である、大野、楠河、国安、高田の四人のうち二名はこちらの味方。残りの二人も、越智家の大軍を見ればこちらに靡くに違いござらん」


元清が鼻で笑う。

「あ奴らは強い方に味方する卑怯者たちじゃ。先陣で戦わせねば、本当に味方になったかどうか分からぬわ」


輔頼は軍配を再び強く叩いた。


広間に緊張が走る。

しばし沈黙ののち、輔頼は低く言い放った。

「出陣する。先陣は予定通り元清に任す。余は本隊を率いて続く」

「はっ!」


輔頼が重臣たちを見渡す。

「皆心せよ、此度の合戦は楠予家と越智家のどちらが生き残るかの、有無を言わせぬ一戦じゃ。勝って正重の首を取らぬ限り、生きてこの国分寺城に戻れるとは思うな!!」


重臣たちが一斉に頭を下げた。

「「ははぁ!」」


輔頼たちが広間を出て、二の丸の広場に出ると、兵たちが鬨の声をあげ、太鼓と法螺の音が冬空に響いた。


輔頼は軍配を高々と掲げる。

「いざ出陣!」


12月27日。

輔頼と重臣たちは、国分寺城を出陣した。


越智家の軍勢は、農民兵、山賊、傭兵と様々な人間の混同集団だった。

冬の冷気が流れ込み、彼らの甲冑の隙間を刺す。だが彼らの目は輝いていた。


 もうすぐ楠予家の財宝が手に入る。

――そう夢見ていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ