80 金子家の滅亡
1541年12月21日、夜
金子山城前・楠予軍の陣
楠予軍が金子山城を包囲した日の夜。
篝火の炊かれた陣内では、楠予家の将が集まっていた。
正重が口を開く。
「孫次郎、松下の内通は如何なっておる?」
孫次郎が床机に座ったまま応える。
「今しばらくお待ち下さい、松下から連絡がある筈です」
そこへ、ひとりの兵が駆け込んできた。
手には一本の矢。その矢には紙が括りつけられていた。
「御屋形様! 城内より矢文が届きました!」
孫次郎が受け取り、火にかざして文を開く。
そこには、松下知家の名が記されていた。
孫次郎が声を上げる。
「明日、楠予軍が城攻めを行えば、その最中に金子元豊の首を取るとの事でございます」
佐介が目を細める。
「謀略に頼らずとも、この軍勢ならば力攻めですぐに落とせる」
玄馬が腕を組む。
「されど裏切りが真なら、兵を温存できる」
やがて正重は低く言った。
「……孫次郎、松下を信じるか」
孫次郎は静かに頷いた。
「裏切る事を信じます。あやつはそう言う男です」
正重はしばし沈黙したのち、軍配を膝に置いた。
「よかろう。明日、夜明けと共に攻める。
だが油断はならぬ。松下が動かぬ場合は、正面から城を攻め落とす覚悟で臨め」
「「ははっ!」」
将たちが一斉に頭を下げる。
その時、陣外から声が響いた。
兵が慌ただしく駆け込み、正重に報告する。
「金子家よりの使者、金子豊三様が参られました!」
源太郎が眉を寄せる。
「金子の使者だと……。父上、いかがされますか?」
正重は厳しい顔つきで言う。
「……まずは会って、話を聞こう」
やがて楠予兵に案内され、金子豊三が現れた。
豊三は深く頭を垂れ、声を張った。
「私は金子元豊の弟・豊三と申します。金子家は降伏し、楠予家に仕える所存。どうか所領の安堵を賜りたくお願いします」
陣内にざわめきが走る。
兵馬が眉をひそめ、玄馬は目を細めて豊三を見据えた。
正重はしばし沈黙し、やがて低く告げた。
「降伏の申し出、しかと聞いた。だがこの状況で所領安堵とは図々しい。城と所領の半ば以上は没収する。それがわしの答えだ」
豊三の顔色が変わった。
「そ、それはご容赦を! 半年前にも我らは楠予家に領土を奪われました! これ以上は我らは生きる道を失います!」
源太郎が言う。
「楠予家のために仕えれば、所領など直ぐに戻ってくる。その程度の覚悟もない者は楠予家に必要ない」
豊三は唇を噛み、やがて深く頭を下げた。
「……承知しました。兄と相談の上、改めて返答いたします」
そう言い残し、豊三は立ち去ろうとした。
その背に正重が声をかける。
「我らは明日、金子城を攻撃する。降伏するなら明日の朝までに返答する事だ」
豊三は驚いて振り返る。
「お待ち下さい! 我らは降伏の意を示しているのでござる。今暫くご猶予を!」
孫次郎が机上に座ったまま言う。
「豊三様、我らは戦をしているのですよ。
金子家の元家臣として、最後のご忠告をさせて頂きます。
所領や金子山城にこだわるのは愚かな事でございます。石川尚義のように、首を取られぬうちに降伏する事をお勧め申し上げる」
豊三が目を大きく開けた。
「孫次郎なんと申した! 今、石川尚義様が亡くなられたと申したのか!?」
孫次郎が頷く。
「そうです。昨日、舟木砦周辺で石川軍と合戦に及び、石川尚義、安東常満、加藤帯刀、新居元介らの首を取りました」
孫次郎が隣に座る、福田頼綱を見る。
「そうだな頼綱」
頼綱が頷いた。
「その通りにござる」
豊三は膝の力が抜けたように、その場に半歩よろめいた。
「……頼綱、お前も楠予家に……」
頼綱は豊三の目を見てまっすぐに言う。
「はい。石川尚義は某との和議を破りました。よって楠予家に寝返らせて頂いた」
豊三が言葉に詰まる。
「頼綱……では本当に、石川様たちは……」
玄馬が言う。
「頼綱、尚義たちの首を持って来てやれ」
「はっ」
豊三が手で制止する。
「いえ……結構にござる。楠予家を信じます。私はこの事を急ぎ兄に伝えなければなりません。これにて失礼させて頂く」
豊三は足早に楠予家の陣を出る。
篝火の火の粉が夜空に舞った。
孫次郎が頭を下げる。
「御屋形様、お許し下さい。余計な事を申しました」
「かまわん」
兵馬が笑う。
「元の主君に最後の気づかいとは、孫次郎は意外と義理堅いのだな」
孫次郎は首を振る。
「違います、……頼綱から聞きました。元豊は、それがしを処刑しようとしていたそうです。あれば主君ではございません。それがしの主君は生涯、楠予家のみにございます」
兵馬は戸惑う。
「……そ、そうか……?」
※※※※
十二月二十一日、深夜。
※松下知家視点
金子山城の広間には、篝火の明かりが障子越しに揺れ、重苦しい空気が漂っていた。
広間には当主・金子元豊を始め、金子家の主だった将が集まっていた。
家老の松下知家が問う。
「豊三殿、石川尚義殿たちが討ち取られたと言うのは本当でござるか?」
金子豊三が頷く。
「本当だ。その場には福田頼綱も居た。首も取って来ようとしていた、間違いないだろう」
村瀬貞之が眉を寄せた。
「何故、首を確認なされなかったのですか。それはきっと楠予家の謀ですぞ」
竹下半蔵が手で制す。
「村瀬止めろ。楠予は二千を遥かに超える軍勢じゃ。今更嘘をつく必要など無いではないか」
村瀬が怒る。
「そんな事分からぬではないか!」
当主・元豊が口を開く。
「くだらぬ争いは止めよ! 石川を討ったかどうかなど、どうでもよい。目の前にいる楠予軍は本物なのだ。もはや、これまでと言う事じゃ」
広間に一瞬の沈黙が流れた。
村瀬貞之が訊ねた。
「それで楠予家との交渉はどうなったのですか? 所領安堵でまとまったのですよね?」
豊三が静かに言う。
「……正重様は、金子山城と所領の半分以上を没収すると申された」
重臣たちからざわめきの声が上がった。
金子元成が楠予家に討ち取らて以来、金子家は衰退し続けた。家中が混乱している間に、石川家が同盟を破棄し、所領を奪い始めた。
そして五カ月前には楠予家に攻められ所領の半分以上を失った。
竹下半蔵が唸る。
「……半分以上、さすがにこれ以上は……」
斉藤兵部が立ち上がった。
「話にならんわ! 元成様亡き後、所領は減り続け、家臣には僅かな所領で我慢させておるのじゃ。これ以上所領が減るくらいなら城を枕に討死するわ!」
斉藤はそう言い放つと、元豊たちに背を向け広間の外へと歩み始めた。
元豊が叫ぶ。
「兵部、待て!」
斉藤は一瞬立ち止まったが、振り返らず広間を出た。
松下知家が村瀬を見て頷いた。
村瀬が立ち上がる。
「それがしが、斉藤殿を呼び戻して参ります」
元豊が頷く。
「頼んだぞ」
斉藤と村瀬が去り、広間には重苦しい空気がながれた。
やがて広間に繋がる廊下から大勢の足音が響いて来る。
斎藤兵部と村瀬貞之が、自分の兵を引き連れて帰って来たのだ。
二人が兵を連れて広間に入ると、重臣たちが一斉に立ち上がった。
竹下半蔵が叫ぶ。
「何をしている! 兵を連れて広間に押し入るとは!」
金子豊三が顔を紅潮させる。
「血迷ったか! ここは主君の御前ぞ! 下がれ下がれ!」
老臣・金子主馬が杖を突き、声を震わせた。
「無礼者どもめ、刀を納めよ!」
広間は怒号に包まれた。だがその中で、松下知家だけが静かに立ち上がる。
村瀬と斎藤に歩み寄り、二人の間をすり抜けて背後に立つ。そして元豊を見据えて口元に笑みを浮かべた。
「――殺れ」
知家の一言で兵が一斉に動き、下座にいた竹下半蔵が真っ先に斬り捨てられた。
豊三は刀を抜いた。
「おのれ松下!」
重臣や元豊の小姓二人も刀を抜き応戦する。広間には悲鳴が響き、血が畳を濡らした。
だが所詮は多勢に無勢、金子主馬、豊三と重臣たちが次々と切り伏せられてゆく。
最後に残った小姓たちも斬られ、
――残るは元豊ただ一人となった。
元豊は血に濡れた刀を振るい、自分を取り囲む兵士たちを必死に威嚇する。
松下知家が、元豊を囲む兵士たちの間を割って進み、声を低く落として言う。
「御屋形様……もはやこれまでです。刀を捨て、脇差で切腹されよ。介錯はこの松下が務めましょう」
元豊はしばし迷い、かすれ声を絞り出した。
「……息子や、娘は助けてくれ。それを約束してくれるならば……」
松下は頷き、柔らかく言った。
「もちろんでござる。それがしの妻と息子は同じ金子一族なのですから」
元豊は力尽きたように刀を畳に落とした。
その音が広間に響いた瞬間、松下は口元を歪め、ニヤリと笑った。
松下は油断しきった元豊に素早く歩み寄ると、胸を短刀で突き刺した。
元豊は呻く。
「ま……松下……うぬは……」
松下が耳元で囁く。
「この状況で俺を信じるとは愚か者め。お前は君主の器ではない」
元豊は血に濡れた手で松下を突き放した。
「松下……子供らを……助ける約束は……」
松下は高らかに笑った。
「わっはっは! 金子一族は妻と息子だけで十分。それ以外は、皆殺しに決まっておるわ。新たな金子家に余計な血など要らぬ!」
元豊は、最後の力で刀を振るい上げる。
「……おのれ松下っ!」
村瀬が素早く刀を抜き、元豊を斬り捨てた。
元豊の身体がよろめき、床へと崩れ落ち落ちる。
村瀬は目を開けたまま絶命した、元豊の瞼を閉じてやり、亡骸に向かって告げた。
「許されよ。一族は皆殺し、それが松下様のご意向でござる」
この日、城内にいた金子一族は松下の妻子を除き全て粛清された。
※※※※
十二月二十二日、朝。
金子山城の大手門が軋む音を立てて開かれた。
城内は血の匂いに沈み、昨夜の粛清は全ての金子兵の知る所となっていた。
白旗を掲げ、松下知家が先頭に立って城を出る。背後にはわずかな供回りだけ。
その姿はあたかも「金子家を代表する忠臣」のように整えられていた。
楠予軍の本陣、篝火の残り香漂う幕前に進み出ると、正重が軍配を手に座していた。
松下は遠くから深々と頭を垂れる。
「この松下知家、約定に従い、城を開き、御屋形様に降伏を致します」
幕下にざわめきが走る。
下座の藤田孫次郎が目を細め、低く呟いた。
「……やはり動いたか」
正重はしばし松下を見据え、やがて軍配を膝に置いた。
「よかろう。城を明け渡した功、しかと見届けた。
だが他の金子一族はどうした。豊三は?」
松下は顔を伏せ、声を落とした。
「昨夜……元豊とともに討ち果たしました」
正重は応える。
「……そうか仕方あるまい。
松下知家――約定通り金子家の当主はそなたの息子・弥市に継がせる。そなたは金子山城にて新たなる金子家当主を補佐せよ」
松下が地に手と頭をついて礼を言う。
「ははあ。ありがたき幸せ。息子・弥市に変わりお礼を申し上げます」
――松下はそう言いい終えた後、ニヤリと笑った。
孫次郎が床机に座ったまま訊ねる。
「松下殿、前当主・金子元豊様のお子、兵太郎様はいかがされました?」
松下は顔を上げ、目を細めて、右横に座す孫次郎を見た。
「……兵太郎殿も亡くなられました」
孫次郎はため息をついた。
「はあ、それは残念です、兵太郎様は僅か二歳の幼子でした。あっ、そうだ。生まれたばかりの御息女、お菊様はどちらに?」
松下が孫次郎を睨んだ。『何が言いたいのだ孫次郎!』と叫びたいのを必死に我慢する。
「っ……お菊様も亡くなられた……」
楠予家の重臣たちの顔から、新たな仲間を迎え入れる笑みは消え、不愉快な者を見る目つきに変わってゆく。
正重の目も、自ずと厳しいものになっていた。
孫次郎は冷たい目で松下知家を見る。
「金子一族は三十人を超える大所帯です。女子供なら二十人くらいはおられたでしょう。いくらなんでも一人くらいはご存命ですよね? 勿論――あなたの妻と子供以外で」
孫次郎の言葉に、幕内の空気が凍りついた。
松下は一瞬、言葉を失い、額に冷や汗を浮かべる。
正重が軍配を軽く打ち鳴らした。
「……松下。城を開いた功は認める。だが私利私欲のために、主家の血筋を根絶やしにするような悪逆非道な行いは、わしは断じて許さぬ」
松下に付き従って来た者たちがざわめき、松下は必死に頭を下げる。
「御屋形様、どうかお許しを。これもすべて約定を守り、金子家を、楠予家に差し出すため仕方なくやった事にございます……」
正重は松下との約束を破棄すると決めた。だがそれは、当初の孫次郎の目論見通りになる事を意味する。
――正重は理解した。
昨夜、孫次郎が豊三にした忠告は、松下を動かすためのものだったと。
正重は、松下から視線を孫次郎に移し、睨みつけた。
孫次郎は正重の推測を認めるかのように、目を閉じてゆっくりと頷いた。
正重はそれを見て、自分の意に逆らい、策を巡らせた孫次郎に激怒した。
正重は床机から立ち上がると、目の前の軍議机を軍配で思いっきり叩きつけた。
大きな音が陣内に響き、ざわめきが一瞬で凍りつく。
――誰の目にも正重が激怒している事が分かる。
松下は思わず顔を上げた。
だが正重の目は自分ではなく、孫次郎を睨んでいる。
――『助かった』
そう松下は心の底でほくそ笑み、口元を歪めた。
――だが次の瞬間。
正重の視線は松下に移り、雷のような声が落ちた。
「主君の一族を皆殺しにするなど許せん! わしが金子一族の無念を晴らす! そなたとそなたの息子は勿論、松下一族は全員処刑。そなたの妻はしかるべき男に嫁がせ、金子家を再興させる!」
松下は顔を歪め、手を突き立ち上がった。
「なんだと! それでは約束が違う!」
孫次郎が床几に座ったまま言う。
「違うぞ松下。御屋形様はお前と約束などしていない。お前との密約は俺が勝手に仕組んだもの。御屋形様はそれを知り、お認めになっただけだ」
松下が叫び、刀を抜いて孫次郎に斬りかかった。
「ふざけるな、この無能!」
孫次郎に刃が届く寸前、福田頼綱が立ち上がり、松下の刀を受け止めた。
二人は数合打ち合ったが、頼綱の一閃が松下の肩口を深々と裂いた。
松下は呻き、血に濡れながらもなお孫次郎を睨みつける。
「……俺を謀った報い、必ず……」
その言葉の直後、頼綱の刃が松下の肩から腰までを斬り裂いた。
松下は血を吐きながらも、なお孫次郎を睨みつけたが、力尽きて地面に崩れ落ちた。
地に伏した松下に、頼綱は冷ややかに言い放つ。
「我が友に刃を向けるな、この無能の雑魚が」
この日、松下一族は皆殺しにされ、金子山城は楠予家の手に落ちた。
後に正重の言葉通り、金子家は再び名を繋いだ。
されど、その時に家督を継いだのは松下の妻の子ではなかった。
彼女は名家にふさわしからぬ振る舞い多く、ついに尼寺へと送られたのである。
新たな当主には、金子の血を引く親族が立てられ、楠予家に仕えることとなる。




