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78 正重の金子討伐

1541年12月20日 楠予屋敷


冬の朝。

楠予屋敷の空気は、わずかに張り詰めていた。

庭には、鎧に身を包んだ兵の足音が響いている。


正重が鎧に身を包み、庭に姿を現した。

これから正重を総大将とした、楠予家の本軍千八百が、金子山城へ向けて出陣するのだ。


嫡男の源太郎は既に9日前に、六百の別働隊を率いて出陣している。現在は舟木砦を偽装包囲中だ。

 正重はまだ知らないが、1日前に、舟木砦を救援するために石川尚義が五百の兵を率いて出陣している。


屋敷の前庭には、正重・兵馬・友之丞・甚八らが揃っていた。

その背後には、五十人ほどの兵たちが整列し、槍の穂先が朝日に照らされ、静かに揺れていた。


次郎と吉田作兵衛は屋敷の側に立ち、出陣を見送っていた。

彼らは留守居として池田の里に残る。

ほんの僅かだが危険な任務だ。


――もし越智が動き、電撃的な侵攻を受ければ池田の里は危うい。


池田の里を守る守備兵は僅か二百。国境には高田・国安・楠河・大野の四人が張り付いている。だが、それらを無視すれば、吉田の里には半日でたどり着く。


ゆえに一族と重臣の家族は、越智が動けば、直ぐに東の神拝陣屋へと避難する事になっている。


――だが、越智が動くまでは動けない。


逃げの動きが早すぎれば、越智は「罠だ」と察して動かなくなる可能性があるからだ。


池田の里に住む者たちは何も知らない。越智が動いた後、一族と重臣の家族が逃げた後で、避難警告を出す事になっている。恐らく前代未聞の大騒ぎになるだろう。


そのような事情から今日の出陣では、出陣する側では無く、残される側に僅かな緊張が漂っていた。


屋敷の奥から、お澄が現れる。

白い羽織をまとい、静かに歩いてくる。

その後ろには、小聞丸とお琴。

三人は、出陣する親族を見送るために並んだ。


兵馬が馬上から笑う。

「お澄、寒くはないか。兄たちが帰るまで、無茶をせず身を守るのだぞ」


お澄は静かに頷いた。

「はい。兄上も、どうかご無事で」

兵馬は頷き、馬の手綱を握り直した。


正重が馬から降り、嫡孫である小聞丸の前に膝をついた。

「小聞丸。次郎の言うことをよく聞け。そして母と妹を守るのだ。……それが、お前の役目だ」


八才の小聞丸は真剣な顔で頷いた。

「はいお祖父様。次郎にいの言うこと、ちゃんと聞きます。お琴も守る!」

正重は微笑み、頭を撫でた。

「よい子だ。……すぐに、戻る」


お琴が小さく手を振る。

「お祖父さま、がんばってね」

正重は笑いながら立ち上がり、馬に戻った。

その背中に、次郎が声をかける。

「御屋形様。池田の里は、私が守ります。……ご安心を」


正重は振り返らず、ただ一言だけ返した。

「頼んだぞ」

その言葉に、次郎は深く頷いた。


正重が馬上から声を放つ。

「皆の者、よいか。此度の戦は臨機応変と速さが物を言う。

越智が動けば、すぐに取って引き返す。

動かねば、金子も、石川も滅ぼす!」

「「ははぁっ!」」

兵たちが一斉に頭を下げた。


正重は、越智家の方角を一度見たあと、東に向き軍配を振り上げた。

「いざ出陣!」


太鼓が鳴り、槍が揃い、馬が動き出した。

12月20日。

千八百の兵が、池田の里を出陣した。


次郎は静かに言った。

「……さあ、屋敷に戻りましょう。寒くなります」

まつとお澄は頷き、小聞丸とお琴の手を取った。


さやが後ろから静かに付き添う。

屋敷の空気は、再び静寂に包まれた。


次郎は屋敷の奥へと歩きながら、

神拝陣屋への避難経路を、頭の中で何度も確認していた。


現在、神拝陣屋は門番の権蔵の息子、古川権太が代官となり差配している。本来は権蔵を出世させ、直轄領の代官を任せる予定だったが、権蔵が『自分には無理だ』と、息子の権太に押し付けたのだ。


次郎は、静かに屋敷の襖を閉めた。


(場合によっては神拝陣屋の兵も借りないといけないな。権太に手紙を書いて置こう……)


筆の音が、冬の空気に沈んでいった。


ーーーー


正重率いる楠予軍は、夕方前には、藤田孫次郎の飯岡砦へと到着した。

 孫次郎は居ないが、初日は飯岡砦に宿泊する予定だった。


夕方、砦の広間に重臣が集められ、軍議が開かれた。


正重が地図を見ながら言う。

「明日には金子山城へと到着する。孫次郎には使者は出したな」

玄馬が応える。

「はい。出発してすぐに早馬を出したので、既に孫次郎の耳に入っているでしょう」


――その時、孫次郎の元に送った伝令の庄左衛門が広間に駆け込んできた。


「申し上げます! 藤田孫次郎殿への伝令の任を終え、只今帰還致しました!」


玄馬が任を労う。

「庄左衛門、ご苦労であった。兄上たちに変わりは無いか?」


庄左衛門は片膝をつき頭を下げた。

「はっ! お味方、大勝利にございます!」


重臣たちが一斉に庄左衛門を見た。


兵馬が問う。

「庄左衛門、何を言っておるのか分からんぞ」


源太郎が戦ったなら石川軍で間違いない。舟木砦には石川軍の援軍が来る予定だ。その数はおよそ六百五十。

そして源太郎たちも同じく六百ほど。砦の兵を含めても八百だ。

 ゆえに石川軍が動いた場合、源太郎たちは決戦を行わず時間を稼ぎ、正重たちが合流した後、二千四百の大軍で石川軍を蹴散らす計画になっていた。


佐介が庄左衛門に問う。

「石川軍の援軍と、小競り合いでも、したのか? それとも金子軍を追い払ったのか?」


庄左衛門は笑顔で応えた。

「はっ! 源太郎様は石川軍の大将・石川尚義の首を挙げ、石川軍を壊滅させました! お味方、大勝利にございます!」


広間の空気が、一瞬止まった。

重臣たちは皆、理解出来なかった。


そして次の瞬間、重臣たちの間にざわめきが走った。

兵馬が玄馬を見た。

「次兄、これはどう言う事だ。決戦は行わないのではなかったのか!?」


それを聞いた佐介も玄馬に問う。

「玄馬様、もしやこれは軍規違反ですか?」


楠予家の軍規は玄馬と次郎により草案が作られた。次郎は草案を作成する際、友之丞の「将、軍に在りては君命をも受けざる所あり」と言う助言を受けていた。ゆえに一軍を率いる将には、自分の責任で、作戦変更できる権限を残しておいた。


玄馬が応えた。

「……いや、一軍を率いる将には、従来通り作戦を変更する権利が残されている。余計な事をした場合の罰則は厳しくなっているがな」

佐介が頷く。

「……そうでありましたな。少し動揺しており申した。ならば源太郎様の勝利は、喜ぶべき吉報でござるな」


友之丞が膝を叩く。

「その通り吉報だ。そうですよね御屋形様?」

正重が頷いた。

「うむ、喜ばしい。

だが功を求めて無理をしたのであれば、軍規通り功績は低く扱わなくてはならぬ」


兵馬が庄左衛門を見た。

「庄左衛門、詳しい経過は分かるか?」

庄左衛門は深く頭を下げる。

「も、申し訳ございませぬ! それがしが、舟木砦に着いた時には、戦が終わったところでございました。戦勝のご報告を御屋形様にお伝えせねばと、すぐに発ちましたので詳しくは聞いておりません」


正重は軽く首を振る。

「庄左衛門、気にしなくてよい。明日になれば孫次郎から詳しい話が聞けよう」


その日、飯岡砦では源太郎の勝利を祝い、少しだけ酒が振る舞われた。


ーーーー


次の日、正重たちは飯岡砦を出て、金子山城を包囲した。


金子家では戦の準備がされていた。

だが、金子勢は三百しかおらず。二千の大軍を前にしては、城に籠るしかなかった。当主の金子元豊はまだ石川家の敗北を知らなかったため、急いで石川家に援軍要請の使者を出した。


昼頃、正重の本陣に源太郎、又衛兵、孫次郎、そして福田頼綱が七百の兵を率いてやって来た。


正重が労いの声をかける。

「おおっ源太郎も来たのか。又衛兵と孫次郎もご苦労であった。石川軍を大いに破ったと聞いたぞ」

三人が頭を下げる。

「「ははっ」」


又衛兵と孫次郎が一歩進み出て、それぞれ箱を差し出した。

「これは石川尚義の首です」


「こちらは新居元介の首にございます。その他にも家老の安東常満、加藤帯刀などの首もあります」


大保木佐介が驚く。

「なんと、石川尚義の首だけではなく重臣たちの首もあげられたのか!」


正重が微笑んだ。

「うむ、皆よくやってくれた。これで石川家も終わりであろう」


玄馬が机上に座ったまま訊ねる。

「兄上、戦功は軍記に照らし合わせて評価されます。今回の作戦では我らの到着を待ってから石川を討つ手筈でございました。念の為、作戦を変更した理由をお聞かせ願いますか?」


源太郎が苦笑する。

「我らも石川を討つ気などなかったのだ。ただ石川が、まんまと罠に嵌った、それだけだ」

又衛兵が笑う。

「長兄の言う通りだ。敵が弱すぎるのが悪い」


玄馬は困った顔をした。

「その……もっと詳しくお願いします兄上」


孫次郎が一歩進み出た。

「では、それがしが説明致しましょう」


孫次郎は昨日の戦いについて語り始める。


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