74 大内館の夜
1541年 11月中旬
夜、大内館の広間には、大内家の一族と重臣たちが集まっていた。
上座には義隆が座り、その隣には正室の貞子が控え、後ろには貞子付きの侍女・おさいが立っている。
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正室の貞子は万里小路秀房の娘で、由緒正しき公家の出身である。
また後ろに控える侍女のおさいは、史実では貞子から義隆を寝取り、嫡男・義尊を産んでいる。ただ身持ちが悪かったのか、義隆には愛されたが義隆の実子かどうかを疑われていたらしい。
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義隆の左右には、冷泉隆豊、内藤興盛、陶隆房ら重臣が座り、下座には次郎と友之丞が並んで座っている。
場の空気は静かに張り詰めていた。
陶隆房が口を開く。
「冷泉殿、急きょ宴を開くと聞き及び、参上いたしたが――」
隆房は鋭く次郎たちを見やり、声を低くした。
「田舎者の料理が振る舞われるとは、どういう了見でござろうか」
弘中隆兼が続ける。
「さよう、由緒正しき大内家の宴に、田舎武士の料理など、あってはならぬ」
冷泉隆豊が静かに口を挟んだ。
「まずは料理を食べて頂きたい。批判はその後でも、遅くはありますまい」
内藤興盛が仲を取り持つ。
「陶殿、冷泉殿の言う事も一理ある。ここは食したのちに評価を致しましょうぞ」
「内藤殿がそう言われるならば、仕方あるまい」
次郎は一礼し、口を開いた。
「それがしは楠予家の使者、壬生次郎忠光と申します。それでは、楠予家より献上する料理技術を披露させていただきます。材料の芋は、当家からの献上作物であるジャガイモを利用しております」
侍女たちが静かに膳を運び始めた。
まずは、黄金色に揚がったジャガイモの天ぷら。続いて、牛蒡・蓮根などを使った野菜の天ぷら。
椎茸の天ぷらは、香ばしい香りを漂わせながら、ひときわ目を引いた。
そして、鳥の唐揚げ――使われたのは野鴨の胸肉。柔らかく、脂が乗り、衣は軽く揚がっている。
最後に、肉じゃが。牛肉とジャガイモを甘辛く煮含めた一品で、湯気の立つ鉢が並べられた。
相良武任が箸を取り、まずジャガイモの天ぷらを口に運んだ。
一口、二口――そして、目を細めた。
「……これはなんじゃ! 外は軽く、中はほくほくとしておるぞ!」
冷泉隆豊は椎茸の天ぷらを口にした。
「香りが深い。椎茸の旨味が油に負けておらぬ。やはり楠予家の料理は美味い」
陶隆房は黙って唐揚げを一つ摘み、口に入れた。
しばらく咀嚼したのち、低く言った。
「なんだこれは……野鴨がこんな味になるなど信じられん」
弘中隆兼は肉じゃがを口に運び、思わず声を漏らした。
「これは……甘味と塩味の加減が絶妙。芋が崩れず、味が染みておる。……珍しい煮物だが、悪くない」
義隆は静かに箸を取り、椎茸の天ぷらを口にした。
一口、そして二口。
やがて、微かに笑みを浮かべた。
「……なるほど。隆豊が推すだけあって見事である」
貞子が口を添える。
「京の味わいには及びませぬが、
素材を活かした工夫は、見どころがございますわ」
次郎は深く頭を下げた。
「恐れ入ります。これらの料理は、ジャガイモの料理以外はすべて大内領の食材で再現可能です。技術の献上と共に、お望みの方にはジャガイモの種芋もお分け致しましょう」
場の空気が、静かに変わった。
陶隆房は、もう一つ唐揚げを摘んで言った。
「まあ、わしに献上したいと言うなら、受け取ってやらんでもない……」
相良武任は膳を見渡し、冷泉と次郎に向かって言った。
「冷泉殿、貴殿の見立ては確かでござったな。楠予家の使者殿、当家にも芋を分けて頂けるかな」
次郎は頷いた。
「はっ、それでは陶様と相良様のお屋敷へ、近いうちにジャガイモの種芋と料理人を送らせて頂きます」
「待たれよ使者殿。それがしの屋敷にも頼む」
「使者殿、わしもじゃ!」
「俺の屋敷にも頼む!」
次郎は微笑み、頭を下げた。
「畏まりました。皆さまのお屋敷にも送らせて頂きます」
義隆は膳を見下ろし、静かに言った。
「楠予家の誠意はしかと受けとった。隆豊から交易を望んでおると聞いておる、楠予家の交易を許そう」
次郎はその言葉に、深く頭を下げた。
「ははっ、ありがたき幸せにございます」
義隆は言葉を繋ぐ。
「して他に望みはあるか?」
「はっ。それでは万が一、大内家と河野家が争う事になっても、当家は大内家と争う意思の無い事をご理解して頂きとうございます」
陶隆房が鼻で笑った。
「小賢しい奴じゃ。負ける戦ゆえ主君のために働かぬどころか、身の安全を計るなど、武士の風上にも置けぬ奴よ」
(はあ? うるせぇよ、謀叛人のお前にだけは言われたくないわ!)
次郎が言い返す。
「陶様、それがしは楠予家の家臣、楠予家を第一に考えるのは当然の事です。陶様は幕府や朝廷と大内家、どちらを第一に考えますか?」
隆房が苦い顔をする。
「ぐぬぬ。知れた事、大内家が第一じゃ」
次郎は内心で笑う。
まあ、それは大内家って言うよな。この時代は帝の権威ですら盤石じゃない。帝の権威が盤石となるのは明治維新後に近代天皇制が確立してからだ。
承久の乱では鎌倉幕府の軍が、後鳥羽上皇率いる朝廷軍を打ち破ったし、後醍醐天皇は倒幕に二度も失敗した。
その後醍醐天皇の倒幕が成功したのだって、武士が鎌倉幕府に不満があったからだ。
つまり――自分の利益が第一って事だ。
だから足利尊氏が後醍醐天皇に反旗を翻すと、後醍醐天皇の政治に不満を持った武士は天皇ではなく、尊氏に味方した。そして不都合が生じると、再び後醍醐天皇に寝返ったりもした。
次郎は隆房に言う。
「陶様は大内家の忠臣、大内家を第一に考えるの当然でございます。それと同じく、それがしも楠予家を第一に考えている事を、ご理解頂きとうございます」
「壬生と申したな、気に入った。……この件についてはわしが早まったと認めてやろう」
大内義隆が静かに言う。
「それでは楠予家が当家に敵対せぬ限り、楠予家を攻めぬと約束しよう」
「ははぁ、ありがとうございます」
(やった! これって不可侵同盟だよな!)
実は義隆は、大内家と河野家が敵対した場合に楠予家が敵に回らなければと言ったつもりでいた。また大内家の家臣もそのように捉えていた。
次郎が皆に頭を下げた。
「義隆様、皆々様、本当にありがとうございます。当家は河野家の先代通直様と誼がありますが、当代の春通様とは縁が薄いので、大内家と河野家に攻められては一溜まりもありませんでした。ありがとうございます!」
隆房が口を開く。
「河野家ごときに怯える必要はない。いざとなれば大内家の家臣になればよいのじゃ、御屋形様とわしが守ってやる」
冷泉隆豊が頷く。
「それはよい。ここまでの技術を持つ楠予家ならば大内家の家臣に迎えてもよいと思いまする。御屋形様、如何ですか?」
義隆が頷く。
「壬生、もしもの時は大内家を頼るがよい」
次郎が深く頭を下げた。
「ははぁ、ありがたき幸せ! 主、正重に代わりお礼を申し上げます!」
口約束ではあったが、次郎の不可侵同盟的な目的は一応果たせた。
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宴が終わり、次郎は友之丞と共に宿へと戻る途中だった。
大内館の廊下には灯がともり、外の夜気が障子越しに揺れていた。
その時、貞子の侍女・おさいが静かに現れ、次郎に声をかけてきた。
「壬生様、私は義隆様のご正室・貞子様の侍女のおさいと申します。壬生様にお話があります。少しだけ、お時間を頂けませんか?」
おさいの甘えるような声に、友之丞はニヤリと次郎を見た。
「次郎も隅におけぬな、だが浮気はダメだぞ」
「なにを言っているのですか友之丞様」
次郎はおさいを見た。
「おさい殿、私は既婚者です、それでも御用がおありですか?」
おさいは頷いた。
「はい、私の話をぜひ壬生様に聞いて頂きたいのです」
「はあ。聞いてやれ次郎、俺は先に宿に帰っているぞ」
おさいは頭を下げて友之丞を見送った。
次郎は再びおさいを見た。
「それで話と言うのは何ですか?」
「ここでは話せません、どうぞこちらに」
次郎はおさいの案内に従い、人気のない通路を進んだ。
(この人、うちのお澄に負けないくらい美人だな。タイプはお淑やかなお澄と違って小悪魔っぽい美少女だけど。……年は同じか少し上かな? スタイルもよさそうだし、きっとモテるだろう。いったい俺に何の用なんだ?)
おさいは、奥まった部屋の前で立ち止まり、障子を開けて次郎に微笑んだ。
「この部屋にお入り下さい」
「この部屋に?」
次郎はなんだか嫌な予感がした。
「いえ、ここは人気もないですし、ここで話を聞きましょう」
「入ってくれないなら叫びますよ? 壬生様に襲われたって?」
(はあああああああっ!? 何この女!!)
廊下の灯が揺れ、おさいが可愛らしく微笑む。
だが次郎には、その微笑が不気味に見え、背筋に冷たい汗が流れた。
――この夜の密会が、何をもたらすかは、次郎にはまだ知る由もなかった。