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72 母の願い

 史実では、毛利元就の長女は12歳くらいで殺された。


 長女の悲劇は元就の兄・興元が亡くなった時から始まっていた。元就の兄が亡くなると毛利家の家督は兄の子・幸松丸が継いだ。

 幸松丸は2歳だったため、後見役には元就と幸松丸の外祖父・高橋久光の二人が選ばれた。

 だが高橋久光は、備後国の有力国人で、毛利家と同等かそれ以上の勢力を誇っていたため、毛利家の実権は高橋久光が掌握する事になった。

 数年後、元就は久光に膝を屈し、2歳の長女を人質に差し出した。


それから約10年後。

元就は高橋家討伐の兵を挙げ、高橋家を滅ぼした。だがこの時、人質になっていた長女は高橋興光によって殺されてしまう。


ーーーーー

娘の死を聞いた元就の妻、妙玖は、娘が10年に及ぶ長い人質生活の末に殺された事を深く嘆き後悔した――なんとしても助けるべきだったと。


妙玖の娘を助けたかったと言う願いは、

別世界――異なる世界線の、

娘を失う前の自分へと届いた。


その世界線では、元就が長女を人質に出して1年後、元就の妻、妙玖が不思議な夢を見た。


灯のない広場、兵が並び、12歳位に成長した娘が磔にされていた。

顔かたちに面影は殆どない、だが妙玖には確かに娘のこうだと分かった。


「父上、母上……助けて……」

娘の幸が恐怖で涙を流し、妙玖を呼んだ。


こう!!』

妙玖は堪らず声をあげたが、その声は風にさらわれて届かない。

次の瞬間、槍が突き上げられ、幸の身体が揺れた。

やがて幸の口から血が流れ、その目から、光が消えた。


そこで――妙玖はハッと目を覚ます。


息が詰まり、胸が焼けるようだった。

隣で眠る元就の背に、そっと手を伸ばす。

「……幸が、死ぬ夢を見ました」

元就は目を開けず、ただ頷いた。

妙玖は言葉を続けた。

「高橋家の近くに、信頼できる者を置いてくださいませ。……あの夢は、私に何かを告げているようでした」

元就は静かに目を開けた。


1521年、世鬼政近が備後へ向かった。


政近の目的は高橋家の下働きの奉公人になる事。

だが真の目的はただ一つ。

――姫の身に危険が迫った時は助け出す事だった。


妙玖は縁側に立ち、備後へ向かう政近の背を見送った。

その目は、夢の続きを見ているようだった。

「……どうか、幸が無事に帰れますよう……」


8年後、元就が高橋家に挙兵した際、庭師として高橋家の奥深くまで入り込んでいた世鬼政近は、かろうじて長女を救出した。長女の命は救われたが、長女は大きな代償を支払う事になった。


※※※※※


夜明け前、楠予家の家臣の一人が又衛兵が宴から帰っていない事に気づき、城内で探索が始まった。


又衛兵の眠る部屋に、朝の光が障子越しに差し込む。

女性が静かに部屋へ戻り、畳の上で丸くなって眠る又衛兵の肩を揺らした。

「……朝でございます。起きてくださいませ」

又衛兵はうめき声を上げ、頭を抱えた。

「うう……酒が……猪が……」

「皆様が心配して探しておられます」

「っ……まずい。俺、どこで寝たんだ……」

「ここです」

「……お主の部屋か?」

「はい」


又衛兵は跳ね起き、頭を下げた。

「すまん! ほんとにすまん! ……俺は、何か失礼な事はしなかったか?」

「いえ。静かに眠っておられました」

「そうか、それはよかった。そうだ名前を聞いてなかったな、教えて貰ってもいいか?」


女性は一瞬迷ったあと静かに言った。

「……こうと申します」

「幸か、いい名だ。次に郡山城に来たら、また会えるか?」


幸は驚いた。

「私と……会いたいのですか?」

「会いたい、そなたが気に入った。そうじゃ、楠予家に来ぬか?」

「っ……ご冗談を」

「冗談などではない、孫子を読む女子など二度と巡り合えぬだろう。もっとお主が知りたい」

「……楠予家の方が心配して探しておられます。早くお部屋に帰られた方がよろしいかと」

「そうであった」

又衛兵は少し笑って、立ち上がった。


「では幸殿、手紙を送る。考えておいてくれ」

又衛兵は障子を開け、部屋を出た。


一歩廊下に出ると、ちょうど角の向こうから次郎と志道広良が姿を現した。

「あっ、義兄上! どこにいたのですか!」

義弟じろう、……それに志道殿。心配をお掛けした、申し訳ない」


志道は目を細め、又衛兵の後ろにいる幸に声を掛ける。

こう様、これは一体……?」


「志道、誤解なされないで下さい。又衛兵殿は道に迷われて、私の部屋に来られただけなのです」

「その通り。俺が道に迷い部屋に泊めさせて貰った、それだけです」


志道は目を大きく開けた。

そして心の中でニヤリと笑った。


「又衛兵殿。つまり毛利の姫と、同じ部屋で寝たと言われるのですな」

「なにっ、毛利の姫?」

又衛兵は幸を見た。


次郎もまた幸の顔を見た。

白い布を被っているが、刀傷の傷がはっきり見える。


(刀傷? 姫と言う事は、穴戸隆家の嫁? いや、元就の娘が刀傷を負ってるなんて聞いた事がない。なら一族の娘さんかな?)


志道は静かに言った。

「毛利の姫君と、客人が同じ部屋で夜を明かすなど、前代未聞の話でござる。又衛兵殿、この責任いかが取られるおつもりかな」


又兵衛と幸は互いに顔を見合わせた。

幸が先に口を開いた。

「志道殿、誤解です私は別の部屋で――『分かりました。幸殿を俺の嫁にください』」


幸は驚いて又衛兵の顔を見た。

「まっ、又衛兵殿!?」


広良は目を細めた。

又衛兵が男としての責任を取ると言うのは、想定外だった。ただ、上手くいけば楠予家の技術を、今少し得られるのではと、思っただけだ。


「又衛兵殿、よろしいのですかな。当家の姫は見ての通り、右目がお見えになられぬ。それにお年も、もう23でござる」

「刀傷など気になりもうさん」

又衛兵は少しだけ笑った。


「それにこの又衛兵も23、年も問題ござらん」


志道は又衛兵が冗談ではないと理解した。

「分かり申した、それでは――『待て志道!』」


その時――元就が通路の奥から姿を現した。後ろには妻の妙玖が静かに控えている。


「又兵衛殿、この元就、貴殿が娘を慰み者にしたとは思ってはござらん。だが同情や野心で娘を望まれるは不愉快でござる」


(えっ! 本当に元就の娘なの!? 義兄何やってんだよ!)


又衛兵が一歩進み出元就の目をまっすぐに見て言う。

「同情でも野心でもござらん。昨晩、幸殿と話して好意を持ちました」


元就は又衛兵の言葉を聞き、驚いた。

「好意を持ったと申すか……」

元就はゆっくりと幸の方へ視線を向けた。

娘は何も言わず、ただ静かに立っていた。

「幸。そなたは、どう思うておる?」


幸は一歩前に出て、元就の前で膝をついた。

「……私は、又衛兵殿と話して、心が揺れました。

それが好意かどうかは、分かりませぬ。

けれど、嫌ではございませんでした」


元就は目を細めた。

「嫌ではない、か……」

妙玖が静かに一歩前に出た。

「幸には毛利家のため、苦労をかけました。幸が嫌でないやら良いお話だと思います」


元就は目を瞑り、幸に背負わせた苦労を省みた。


わずか2歳の幸を人質に出し、12歳までの幼少期を高橋家の人質として過ごさせた。さらに元就が高橋家に兵を挙げた際は、落ち延びる途中で、顔に深手を負わせてしまった。

その傷が原因でほぼ決まっていた宍戸隆家との婚約の話は、次女の五龍姫へと移った。


元就は妙玖の言葉に頷き、再び又衛兵を見た。

「娘には苦労をかけた。又衛兵殿、本当に幸でよいのか?」

又衛兵は一歩前に出て、膝をついた。

「幸殿が良いです。ぜび、それがしの嫁に下さい」

元就は静かに言った。

「又衛兵殿、幸をよろしゅうお頼み申す」

妙玖も頭を下げる。

「幸をお願い致します」


広良が目を静かに閉じた。

幸は、何も言えずにただ頭を下げた。


いい感じの雰囲気の中で、次郎だけが場違いな事を考えていた。


(まじかよ……。毛利と婚姻同盟なんて結んだら、厳島の戦いに介入せざるをえないじゃん! 義兄あにきなんて事をしてくれたんだよ!)


 次郎の心の叫びは、幸せそうな又衛兵には届かない。

 次郎は中国地方の覇者・毛利元就の娘を娶る事が、今後の歴史にどう影響するのか、頭を悩ませるのだった。


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