69 毛利との同盟交渉 前篇
10月下旬。
楠予屋敷。広間。
志道広良は、2日続けて楠予屋敷の広間へと足を踏み入れた。
香が焚かれ、空気は静かに沈んでいる。
上座には楠予正重と源太郎、そして見知らぬ青年が二人――壬生次郎忠光と楠予友之丞が控えていた。
さらに中央にはいくつかの品が並べられている。
その一つに、広良の目が止まる――望遠鏡。
竹原小早川家に赴いた折、見せて貰ったものと同じだった。
(……名代の責務は、果たせそうだな)
広良は内心で安堵する。あとは、どれだけの技術を楠予家から引き出せるか――それが今回の目的だ。
広良たちは下座に胡坐をかいて座る。
「ご家中のご意見がまとまったと伺いました。よき返事を期待しておりまするぞ」
源太郎が次郎たちの方へ手をやる。
「その前に紹介致します。これなるは我が弟の友之丞と、当家の筆頭家臣、壬生次郎でござる」
「楠予友之丞でござる、以後よしなに」
「壬生次郎忠光にございます。以後よしなに」
「志道広良にござる。以後、よしなに願いまする」
正重が口を開く。
「志道殿。技術の件、いくつかご提案がございます」
広良は頷いた。
「承りましょう」
「では次郎、志道殿にご説明申し上げよ」
「はっ」
次郎が一歩前に出る。
「望遠鏡の技術はお渡しします。加えて脱穀をする農機具、千歯抜きの技術をお渡しします。千歯抜きは従来の扱箸の6倍の効率で脱穀が出来る農機具です。つまり今まで6人必要だった仕事が、1人で出来るようになります」
志道広良は一瞬だけ目を細め、口元にわずかな笑みを浮かべた。
それは、来訪の意味を確実にした者の顔だった。
「それは素晴らしい技術でござるな。大内の御屋形様も、きっとお喜びになられる事と存ずる。ですが……楠予家の武具についてはご教授頂けぬのですかな?」
次郎は広良の目を見てまっすぐに応える。
「武具は、武士の命、嫁のようなものです。当家では嫁を他人に譲ることは致しません。広良殿も、嫁を守るためなら命を賭して戦われるのではございませんか?」
広良は目を細め、次郎を見据えた。
「……なるほど。武具を嫁と申されるか、面白い例えですな。では、嫁を守るために何を差し出せるか――それもまた、武士の器と申せましょう」
「うっ……」
(さすが毛利の外交を任されるだけあって、この爺さん一筋縄じゃいかない)
志道は満面の笑みを浮かべた。
「ですが此度は一歩引きましょう。
義隆様へは、楠予家に他意なく、技術の提供を承諾された旨、しかとお伝えいたします。その代わり、毛利家への技術提供も、よしなに願いまするぞ」
「お待ちください志道殿、まだ提案は終わってはおりません」
次郎の声が少し跳ねた。
「もし毛利家が楠予家と不可侵同盟を結んでくださるなら、従来の8倍の効率で油を作れる道具。同じく4倍の効率で白米を作れる道具。押すだけで畑の草が抜ける農具。平鍬の3倍の効率で畑を耕せる楠予鍬(備中鍬)の技術をお渡しする用意がございます」
広良は目を大きく開けた。何か凄い事を言われたのは分かるが全部は頭には入らなかった。
「壬生殿、お待ちくだされ。一度に多くの事を申されては、この爺には頭が追いつきませぬ」
「これは失礼しました。順を追って、ゆっくり説明しますね」
次郎は各道具について細かく説明した。
人力式連続搾油機、足踏み式精米機、手押し除草機、楠予鍬(備中鍬)。
いずれも、楠予家が誇る――民の暮らしを支える力である。
広良はその性能を聞いて目を丸くした。
「まさかそのような技術を楠予家がお持ちとは…。ですが現物を見ない事にはさすがに眉唾ものでござる」
「当然です。後ほど実際に使っている所をお見せしましょう」
広良は目を閉じた。
(実際に見せると言うことは農具は実在するのであろうな。同盟か……楠予家にとって、利は薄いはず。何を狙っているのやら……分からぬ。だが、技術が実在するなら――乗らぬ手はなかろう)
広良は感じていた。楠予家と手を結び技術を手に入れれば、毛利家は時代の波に乗れる。だが、手を跳ねのければ時代に取り残されるかも知れない。高揚と恐怖の入り交ざった複雑な感情が広良を襲っていた。
「同盟の可否は、私の一存では決められませぬ。
ですが、道具の性能が確かであれば――毛利の殿へ、楠予家との同盟を進言するとお約束いたそう」
正重が静かに言う。
「志道殿それで結構です。
実はここにいる友之丞と次郎を、大内家へ遣わす所存です。
二人が大内家へ向かう途中で、毛利家に立ち寄り、元就殿の御意向を伺うというのはいかがでございましょうか」
広良は一礼した。
「承知いたしました。それでは某、毛利家へ持ち帰り、殿と協議いたします。
お二人には、七日ほど後にお越しいただきたい」
次郎と友之丞が頭を下げる。
「「よろしくお願いします(致す)」」
次郎が立ち上がる。
「志道殿。それでは、実際に道具を使っている場所へ、ご案内しますね」
広良は次郎の後に続き、静かに広間を後にした。
広良は、すでに同盟の成立を確信していた。
七日後の再会に向けて、盛大な宴を催すべきだな。そのような考えを持つほど、足取りは軽くなっていた。
ーーーー
壬生屋敷。夕刻。
次郎は玄関をくぐるなり、お澄のいる奥の離れへと向かった。
障子を開けると、お澄は針仕事の手を止めて顔を上げた。
「次郎、おかえり――『お澄、新婚旅行に行こう!』」
次郎の声は、どこか弾んでいた。
お澄は不思議そうに次郎の顔を見た。
「……新婚旅行?」
「うん新婚旅行。結婚したての二人が一緒に旅行する事だよ」
「そのような話は、初めて聞きました」
(まあ、そうだよな。日本で初めて新婚旅行をしたのは坂本竜馬だって言われてるからな)
次郎は笑って言った。
「何事にも初めては存在するさ。お澄は俺と旅行するのはイヤ?」
お澄は針を置き、少しだけ目を伏せた。
「嫌ではありません。でも、父上の許しは得たのですか?」
「いや、聞いてない。お澄は俺の嫁だ。嫁を連れて出るのに、御屋形様に伺う必要はない」
次郎は言い切ったが、内心では(聞いても反対されるだろうからな)と考えていた。
お澄は少しだけ笑った。
「次郎が一緒なら、行きたいけど、多分ムリだよ」
その言葉に、次郎が首を傾げるより早く――
屏風の裏から、ひょいと頭が飛び出した。
「ずるい!」
お琴だった。
「お澄ちゃんと遊びに行くなら、私も行く!」
次郎は目を見開いた。
「お、お琴ちゃん……いつからそこに?」
「最初から隠れてたの。次郎ちゃんをびっくりさせようとしたけど、旅行って聞いて、出るの忘れちゃったの」
お琴はにこにこしている。
お澄は目を伏せたまま、そっと息をついた。
(やっぱり、こうなるよね……)
※今週の火・木・土は在庫の都合により、投稿をお休みいたします。次回を楽しみにしていただければ幸いです。
※誤字報告ありがとうございます。誤字が多くてすいません。