06 カラメル
次郎は昼間に、薪小屋で見た薪の積み方、
湿気の具合、木の種類――すべてを頭に叩き込んでいた。
(この屋敷では大勢の人が住んでいる。
つまり、火を多く使うって事だ。
炊事場だけじゃない。風呂、灯り、鍛冶場……薪を大量に使う。
つまり薪代に莫大な費用がかかる。
秀吉が台所奉行になって炭の費用を削った話を聞いた事がある。
それを俺が先にやってやる!)
翌朝、次郎は炊事場に顔を出す前に、村長の源左衛門のところへ向かった。
「村長さま、薪の整理を手伝わせてください。湿った薪が混ざっていて、火の通りが悪くなってます」
源左衛門は目を細めた。
「ほう、そんな知識まであるのか……。いいだろう、次郎に薪小屋を任せてみよう。期待に応えてみせよ」
「はい!」
(よし、これで炊事場の外にも仕事が出来たぞ!)
その日から、次郎は炊事場の仕事の合間に、薪小屋の管理もする事になった。
(まずはスキルを購入しないとだな。
今日の売上も含めて所持金は5文か。
薪関連のスキルは…。)
【薪管理スキルLv1 知識L1】
価格:1文(所持金5文)
効果:薪の乾燥度と火力を判別できる。
【炭の作り方Lv1 知識L1】
価格:1文(所持金1文)
効果:伏せ焼き法での炭の作り方を習得。
【木材知識スキルLv1 知識L1】
価格:1文(所持金4文)
効果:木材の種類と用途を識別できる。交渉時の説得力+1。
「よしこれらを購入だ!」
次郎が心の中で購入ボタンを押すと、視界が一瞬、白く染まった。
次の瞬間――
薪の積み方、木の繊維の走り方、乾燥による色の変化、火力の違い。
頭の中に、まるで何年も経験してきたかのような知識が流れ込んでくる。
(……この薪は表面が乾いてるだけで芯が湿ってる。火をつけても煙ばかり出るな)
(この樫は繊維が密で火持ちがいい。風呂用だ。杉は軽くて乾きやすいが、炊事には向かない)
さらに、炭の作り方――伏せ焼き法の手順が鮮明に浮かぶ。
(地面に穴を掘り、薪を並べて土で覆う。空気を遮断してゆっくり焼くことで炭になる。なるほど、これなら村でもできる)
知識が定着するにつれ、次郎の目つきが変わった。
薪はただの燃料ではない。火力、用途、経済、交渉――すべてに繋がる資源だ。
(このスキル、すごすぎる……!)
その日の午後、次郎は薪小屋の奥に「用途別の薪棚」を作り始めた。
風呂用、炊事用、鍛冶場用、灯り用――それぞれに適した木材を分類し、札を立てて整理する。
炊事場のウメたちが驚いて声を上げた。
「なんだいこの札は? “火持ち・煙少”って書いてあるよ」
「こっちは“香り良・火力中”……次郎、あんた薪を見ただけでこんな事がわかるのかい?」
次郎は笑って答えた。
「ちょっと勉強しただけです。火を使う場所によって、薪を変えた方が効率がいいんですよ」
源左衛門も様子を見に来て、しばらく無言で棚を眺めていたが、やがてぽつりと呟いた。
「……まるで街の商人の倉庫だな。次郎なかなかやるではないか」
次郎は頭を下げながら、心の中で拳を握った。
(よし、次は炭だ。炭が作れれば、風呂場や鍛冶場にも提供できる)
(これまでは炭と薪を購入していたが俺が作れば無料だ。
半分は無料で提供して半分は俺の懐に入れる…くっくっく。)
それから次郎は雑貨屋のお春さんから聞いた「火持ちの良い樫の木」の取れる場所の情報を元に、山へ足を運び、薪づくりと炭ずくりをするようになった。
(以前はお春さんや村人から薪を購入していたが、俺が直接作った方が良質な薪と炭が作れる)
これまで薪や炭に払っていた一日の購入費用は1日に66文の予算が組まれていた。つまり次郎が作れば1日に66文が無料になる計算だった。そして次郎は村人やお春から文句が出ないよう、半分はこれまでどおり外から買う事にした。
(これで俺の一日の収入は薪予算66文の半分の33文なる。でも17文は節約効果として村長に還元して、16文が俺の取り分だ!)
その日の午後、炊事場は昼の片付けで慌ただしく、湯気と笑い声が立ちこめていた。
次郎は薪棚から「火持ち・煙少」の札を選び、炊事用の薪を運んでいた。
そこへ、場違いな静けさが訪れた。
「……次郎さん、いますか?」
振り返ると、炊事場の入り口にお澄が立っていた。
絹の羽織に草履、髪はきちんと結われている。
炊事場の女たちがざわめいた。
「お澄様……どうされました!?」
「ちょっと、次郎さんにお願いがあって」
次郎は手を止めて、お澄に近づいた。
「どうしたんですか? こんなところまで」
「……誕生日に食べた、あのプリン。もう一度食べたいの。あの味が、忘れられなくて…」
お澄は少し頬を赤らめて、言った。
次郎は目を見開いた。
(か、かわいい…)
「ああ…プリンですね、材料の調達に時間がかかるので、明日の昼でよろしければご用意できますが?」
お澄は、ぱっと笑顔になった。
「うん、じゃあ明日のお昼にお願い。……楽しみにしてるね」
お澄様の笑顔を見て、次郎の心が再びドキリとした。
翌日の昼。
村長の屋敷に昼膳が並び、絹の羽織をまとったお澄が膳の前に座ると、お澄の母・千代が湯呑を手にして優しく微笑んだ。
「今日は、少し早いのね。何かあったの?」
「うん。……今日はプリンが出てくるの」
「そうなの。お澄の誕生日に頂いた、プリンはすごく美味しかったわね」
村長の家族の前には、ウメたちが作った膳が並ぶ。
麦飯、山菜の煮浸し。
香の物が添えられ、湯気の立つ味噌汁があった。
それらを食べながら村長の源左衛門が呟いた。
「あの甘味、あれは……今までにない味であった」
源左衛門が湯呑を置き、膳の向こうに目をやった。
その声は低く、プリンの味を思い出していた。
千代が箸を止めて、微笑む。
「お気に入ったのですね。お澄の誕生日に出たときも、ひと口で顔色が変りましたもの」
五男の又衛兵も味噌汁を飲み干しながら、ぽつりと呟いた。
「うん、あれは美味かったな!」
お澄が小さく笑った。
千代も湯呑を置き、微笑む。
やがて、控えの間から次郎が現れ、
木盆に載せたプリンの器を一つずつ膳の前に置いていく。
卵色の層の上に、黒く艶のある蜜がとろりと流れている。
又衛兵が眉をひそめた。
「おい……この黒いの、なんだ? 焦げてるのか?」
源左衛門が器を手に取り、じっと見つめる。
「前回は、こんなものはかかっていなかったな」
次郎が控えに戻る前に、膝をついて一礼した。
「それは“カラメル”でございます。ハチミツに少量の水を加え、時間をかけて少し焦がしたものです。苦味が出て、甘さが引き締まるのです」
千代が一口すくって、目を細めた。
「まあ……香ばしいのね。焦げているのではなく、香りをつけているのね」
源左衛門も静かに口に運び、しばらく黙って味わった。
「……なるほど。前回とは別物だな。甘さに深みがある」
又衛兵はすでに半分ほど食べ終えていた。
「うまいなこれ! 前回のもすごかったけど、こっちは……なんか、こう……深みがあるな」
お澄は、無言で口に木のスプーンを運びながら、器の底が見え始めると、ほんの少しだけ、名残惜しそうに息をついた。
その様子を見ていた源左衛門の長男・源太郎が、静かに笑った。
「お澄、まだ食べたいのか?」
「うん。ちょっとだけ…」
その表情を見た源太郎は、自分の器をそっと押し出した。
「じゃあ、俺の分をやろう」
「お兄様、いいの!?」
「次郎がいれば、いつでも食べられるからな」
お澄はぱっと顔を輝かせ、器を受け取った。
「お兄様ありがとう!」
長男の源太郎は既に30歳、年の離れて生まれたお澄を可愛がっていた。
千代と源左衛門はその様子を見て、湯呑を口に運びながら、互いの顔を見て微笑んだ。