表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
69/76

66 開祖誕生

1541年10月初旬。池田寺。

※次郎視点


池田の里ではまだ朝霧が地を這っていた。

朝早くに次郎と正重は馬に乗り、楠予屋敷を出た。次郎は正重の右隣に馬を並べ、ゆっくりと道を進む。

二人の前後には、護衛の兵士が一騎づつ。楠予家の紋を鎧に刻み、無言で馬を進める。


「御屋形様……開祖候補の、第一のお方はどなたでしょうか?」


開祖――それは次郎が重臣会議で持ち出した新たな政策だった。

 宗教の勢力は、古今東西を問わず強い。

ならば『楠予家の、楠予家による、楠予家のための仏教の宗派』を新しく作るべきではないか?

そう次郎は提案したのだ。


その提案の裏に、現行の宗教思想が、楠予領での肉食文化の発展に邪魔だと言う要素があった事は否めない。


今ここで――俺の焼肉パーティーを邪魔する奴は潰す。

次郎の決意は固かった。


次郎は重臣会議でまっすぐに言った。

『新しい宗派には、にわとりの肉を食べる事を民に推奨して貰います!』

それを聞いた作兵衛たちは『は?』と口を開けた後に『意味が分からん』と呟いた。


だが一門衆の反応は違った。

一週間前に唐揚げを食べていたため、次郎の思惑に気づいたのだ。

そして顔を見合わせ――『まあ、次郎がやりたいならいいんじゃないか』と口々に賛成の声を発した。

 その様子を見た重臣たちは驚いたが何も言わなかった。すぐに気づいたのだ『一族だけで美味いものを食べたな』と。そして、その料理に自分たちがありつくためにやるべき事は一つだった。

楠予家の重臣会議は無事――満場一致で可決された。


「第一候補は楠予家の菩提寺。池田寺の住職、宗念じゃ」

次郎の問いに、正重は前を見たまま答える。

「……わしの昔からの知り合いでな。楠予家の墓を三十年、見守っておる」


次郎は頷いた。

「その方はこちらの言いなりに、なってくれる方でしょうか?」

正重はわずかに目を細めた。

「金も権も好むが、名誉には弱い。……開祖の名が立つなら、こちらの条件に従うはずだ」


(おいおい、金も権も好んで、名誉にも弱いって、ホントに大丈夫なの?)


兵士の一人が手綱を引き、道の分岐を指さした。

「池田寺は、あちらでございます」

次郎が頷き、馬を進める。

霧の奥に、山門の影が静かに立ち上がっていた。

山門は、鳥居のような形の木の門である。


寺の入口にある山門の下で馬を降りると、石段が苔に濡れていた。

正重は無言で歩き出し、次郎も後に続く。

護衛の二名は山門に控え、槍を地に突いたまま入口で待機する。


鐘の音が遠くで鳴った。

次郎は息を整えながら、石段を一歩ずつ上がった。

「……なかなかに、風情のある寺ですね」

正重は頷いた。

「宗念の性格が、寺にも出ておる。……語らずとも、空気が整う」

そう言って、振り返らずに山門の奥へと歩を進めた。

次郎はその背を見つめながら、石段を踏みしめた。


境内では、小坊主がひとり、ほうきを手に石畳を掃いていた。

正重が足を止めると、小坊主が顔を上げた。

「あっ……楠予様ようこそ。宗念様は奥におられます」

「了海か、久しぶりじゃな。変わらんな、この寺も……」

「はい。……何も変わっておりません」

了海が一歩下がる。


次郎はそのやり取りを見ながら、寺の空気に沈んでいく感覚を覚えた。

正重は無言のまま、奥の書院へと歩を進める。

次郎はその背を追いながら、視線を周囲に滑らせた。

了海は本堂の外に控え、ほうきを手に再び掃き始めていた。


奥に進むと書院のふすまがわずかに開いていた。

中には、ひとりの僧が座していた。

――宗念。

顔は見えぬが、雰囲気のある人物だ。


正重が足を止め、次郎が横に並ぶ。

「……入るぞ」

一言声を掛けた正重が襖を開き、中へと進んだ。

「……これは楠予様。ようこそお越しくださいました」

宗念の声は低く、語られすぎず、おもむきがあった。


正重は軽く頷いた。

「久しいな、宗念。……寺は変わらぬようだ」

宗念は微笑を浮かべた。

「変える理由がございません。……空気が整っておりますので」

正重が一歩踏み入る。

次郎も頭を下げ、後に続く。


宗念の目が、次郎に向けられる。

「そちらは?」

「壬生次郎忠光。……わしの最も重要な家臣じゃ」

宗念は頷いた。

「壬生次郎忠光様でございますか。……御領主様の最も重きお方と伺えば、拙僧も身を正さねばなりませぬな。まずはこちらにどうぞ」


正重は書院の中央に座し、次郎はその左に控えた。

畳の縁に香の残り香が漂い、外の鐘の余韻がまだ空気に残っていた。


「本日のご来訪は、ただの仏事や供養のご用件では無いと見受けられる。いかなる用向きでお越しくださったのでしょうか」

正重は宗念の目をじっと見つめて言う。

「宗念。……開祖にならぬか」

「……開祖とは。これはまた大きく出られましたな……」


正重が次郎に目をやると、次郎は両手を畳につき、静かに体を前へと滑らせた。一歩分、座を進めるその動きは、礼を崩さず、空気を乱さぬものだった。

「宗念様、楠予家には意のままになる宗教の指導者が必要なのです。楠予家は大きく成長しております。いずれ越智や金子を飲み込み、さらに大きくなるのは必定。その時、宗教勢力に足を引っ張られたくないのです」


宗念は目を閉じ、次郎の言葉に耳を傾ける。

「もちろん、開祖としての名誉に加え、立派な寺もご用意いたします。

個人で金が必要であれば、表に出ぬ形で支援いたしましょう。

どうか兵を持たぬ、正しき教えを柱とする宗派を――楠予家の空気に沿うかたちで、お築きいただければと存じます」


宗念は目を閉じたまま暫く熟考した。

そして目を開け微笑んだ。

「金ですか……それはよいですな。実は、拙僧せっそうには妻がおりましてな。息子も二人、育てております。

開祖の御役目と、相応のご支援を賜れるのであれば――お力添えいたしましょう」


(ちょっと待て、あんたの宗派は妻帯禁止だろ。この坊主やっぱゴミだわ。 御屋形様はこの坊主がゴミだと知ってたから、金で引き受けると思ったんだ)


次郎はにこやかに微笑んだ。

口元は柔らかく、礼を欠かさぬ形を保っている。

だが、その目は笑っていなかった。


「交渉成立ですね。宗念様には今後、楠予家の命に従って頂く事になります」

「……承知いたしました」


宗念が承諾したのを見て、次郎は続ける。

「現在、宗派に求める条件は四つございます。

第一に、武装しないこと。

第二に、民を扇動しないこと。

第三に、開祖が亡くなられた後の指導者は、宗派に属する寺院の住職より、楠予家が二年ごとに選び、任命いたします。

第四に宗派の法の変更、追加には楠予家の許可が必要とします」


最後に次郎は宗念の目を見た。

「これらを宗派の立ち上げ時に、宣言して頂きます」


宗念はその笑顔に応じて微笑んだが、次郎の目には気づいていなかった。

「よろしゅうございます。拙僧、死後のことには頓着いたしませぬ」


(なんか金をとんでもなくせびられそうだな、まあ傀儡には丁度いいか)


「それで新たな宗派の名前ですが、ご希望はありますか?」

宗念は静かに頷いた。

「……名は、そうですな。真律宗といたしましょう。

表に立つ戒律は、語らずとも整えておきます。

中身は――楠予様のご意向に沿うよう、拙僧が調えてまいります」


次郎が頷く。

「では近々、真律宗を我が楠予家の宗派として指定し、真律宗以外は布教制限を行い、勢力拡大を防ぎたいと思います」

「また優遇制度を導入し、真律宗に属する寺院には、楠予家より年俸と寺領を支給します。これにより既存の寺の改宗を促進します。

 それと寺では月に一度、宗派に関係なく領民を集めて語らいの場を設けて下さい。

 この時、楠予家から、楠予家の名で白米の握り飯を提供します。民の安らぎの場を作り、改宗を進め、楠予家の民としての自覚を持たせるのです」


「白米とは豪儀ですな。民がこぞって寺に駆けつけましょうな」

「……ただし、この集まりでの真律宗への勧誘は禁物です。寺が民の憩いの場となれば、自ずと民の方から改宗します。例え改宗しなくても、真律宗への抵抗は徐々に薄れる筈です」


宗念は感心した。

最初は『開祖』など領主様の道楽だと決め付けていた。

だが寺に領民が来る仕組みを整え、そこが憩いの場になれば自ずと改宗は進むのは道理だ。

 それに楠予家からの施し――寺に力を与えながらも上手く操ろうとしている。

これは単なる金づるでは終わらないかも知れない……。


「それと同様に冷遇政策も導入します。真律宗以外の宗教には年に千文の税を払って頂きます」


宗念は目を細めた。

「それは随分と安いのでは?」


次郎は口元に笑みを浮かべた。

「税など、一度受け入れさせれば、後でいくらでも釣り上げられます」


これは次郎が、未来の税制から逆算して編み出した知恵だった。

タバコ税も消費税も、最初は小さく始まり、後で釣り上げられた。

それが、制度というものだ。


宗念は目を見開いた。

宗念は幾多の民に説法を説き、金を巻き上げて来た。だからこそ次郎がただの田舎武士でないと分かった。


――この者には逆らわない方がよい。


宗念はそう思った。

正重は優れた人物だが、ここ数年の楠予家の発展は尋常ではない。

恐らくこの者が、深く関わっている筈。おとなしく従った方が賢明だと。


「……いやはや、拙僧にはもったいないほどのご厚意。ありがたく頂戴いたします」


次郎はふと、宗念の息子を楠予家の家臣に取り立てて、人質にしようかと思った。だが直ぐに思い留まる。

宗念の血が神聖化され、楠予家で幅を利かせられては困る。獅子身中の虫は入れない方がいい。

虫は虫の居場所にいればいいのだ。


「宗念様。開祖が宗派の掟を破る訳には行きません。真律宗は妻帯可能とするべきです。そして寺は子供に受け継がせる事が出来るようにしましょう。ただし、楠予家が認めた子に限ります。具体的には親が楠予家に忠義を尽くしたかどうかを基準にします」


宗念は静かに笑う。

「寺を子供が受け継げる……。それは面白い考えですな。本願寺も子供が後を継いでいますから問題無いでしょう」


正重が告げる。

「では宗念、楠予家のためになる宗派を作れ。強い民衆の支持を受けるが、政治には一切口出ししない清い宗派をな」

「承知致しました」


書院の外で、了海が静かに鐘を鳴らした。

次郎はその音に目を細めた。

(……宗教改革の準備は整った。伊予の宗教勢力は強くはない。反発しても叩き潰せばいい)


数か月後、真律宗による開宗宣言が行われた。

それと同時に楠予家は真律宗を推奨宗派として指定し、楠予家の一族と重臣たちの家族が真律宗に改宗した。


楠予領内の寺の数は120ある。そのうち格式の高い寺は15。

開宗宣言の日。15の寺の内、真律宗に改宗した寺は9つ。まずまずの出だしであった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ