62 天下への布石
1541年9月初旬。
池田の里には、晩夏の光が差し込んでいた。
南の畑にある畝の端には3つのトウモロコシが背を伸ばし、葉が風に揺れ、空気に甘い匂いを混ぜている。
お琴は背伸びして、トウモロコシの葉に触れた。
「次郎ちゃん、これ……私よりたかいよ! 空に届きそう!」
次郎は笑って頷いた。
「うん。お琴ちゃんが植えた種が、空まで伸びたんだよ」
お琴がぴょんぴょんと跳ねる。
「ねえ、次郎ちゃん。これ、がんばったんだね。
三つしか植えてないのに、こんなに大きくなったんだよ。えらいよね」
次郎は笑って頷いた。
「そうだね。全部芽が出て、無事に育ってくれたからね」
そのやり取りを、お澄は隣で静かに見守っていた。
白地の小袖に、薄紅の帯。
新妻としての空気を纏いながら、畝の間に立ち、とうもろこしの葉に手を添える。
「春に植えた三粒が、こうして実を結って……不思議ね」
次郎は少しだけ頷いた。
「うん。いずれはトウモロコシも増やして、ジャガイモみたいに、みんなの食卓に並ぶようにするんだ」
子供のように無邪気に語る、次郎の横顔を見て、お澄はそっと微笑んだ。
お澄はふと、南の斜面の畑に顔を向けた。
「……あちらの畑、さつま芋もそろそろでしょうか?」
「そうだね……。さつま芋の収穫は来月になるかな」
(……新しい作物もだいぶ増えたな。これは途中の管理だけじゃなく収穫も庄吉か、おとよに任せないと全部は無理かな。こう言うのはたまにするのが丁度いいんだよ。
去年からは椎茸も栽培してるし、先月からレタスの植え付けも始まった。さらに10月には玉ねぎ、来年の3月にはカボチャの生産も始まるからな)
※椎茸の栽培は江戸時代初期に始まったが技術が未熟だったため、江戸時代でも高級食材だった。
※現在の一般的な丸いレタス(クリスプヘッド型)は、第二次世界大戦後にアメリカから導入されて定着した。
※玉ねぎは明治初期に北海道と泉州の2つのルートから持ち込まれたと言われる。だが本格的な栽培は大正時代になってからだった。
※カボチャは1541年に豊後の国に漂着したポルトガル船により、大友宗麟に種が渡された。カボチャは保存性が高く、飢饉対策にも重宝された。
(でも庄吉もおとよも、鍛冶場や、薬房の管理と大変だからな。それに農家への新しい作物の指導もある。あと俺の家臣としての仕事もあるし……ん?)
次郎は気づいてしまった。『あれ? コイツら、もしかして俺よりも働いてるんじゃないか?』と。
(不味いな、仕事は増える一方だから、なんとかしてあげたいけど……)
そして次郎は閃いた。
『そうだ。JAAみたいな農業組織を作ればいいんだ』、それで農業関連を楠予家に管理すれば庄吉と、おとよは農業から解放される。
(よし、そうしよう)
思い立ったが吉日と、次郎は早速行動に移った。
「ごめん。お琴ちゃん、お澄、用を思い出したから俺、先に帰るね! 庄吉と、おとよ後は頼んだぞ!」
次郎は急いで壬生屋敷に戻ると、奥の間へ駆け込んだ。文机の前に座り、筆を握るなり、草案を書きなぐる。
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※※農政奉行
※営農指導
・農業技術・経営の支援
(ジャガイモ、とうもろこし、さつまいも、などの新作物の生産指導)
(後継者のいなくなった、農地の買取・再分配)
※経済事業
• 農産物の販売・資材の共同購入
(年貢に該当しない作物の買取と販売)
(農民と武士からの米の買取と販売)
※信用事業
• 貯金・融資など金融機能
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(うん。信用事業は特に重要だな、金貸しは儲ける。映画にもなってるし、現実でも銀行の融資やカード会社のキャッシュローン、リボ払いと色んな種類があるからな。
楠予家も金を貸して、返せない奴がいたら2年くらい強制労働させればいいんだ。で、病気とか理由がある奴は、別途規則を作って対処させる)
(そう言えば江戸時代は商人が大名に金を貸してたんだよな。将来、商人に頭を下げる事態にならないように、今から楠予家が商いをするのもいいな。
今なら士農工商がないから、商いは武士がやる事じゃないって言う奴も少ないだろう。村上水軍なんてある意味、海運業だからな。暇な時は漁業もするからいっぱい金持ってやがる。俺らも見習わないとダメだ)
次郎の胸には楠予家の領土が広がるにつれ、ある予感が芽吹いていた。
織田信長より先に上洛できるかもしれない――そうなれば、天下統一を楠予家が目指す事になる。
だが、その夢は、まだ義兄弟の島吉利にしか語ったことがない。
それは、四国からの天下統一がいかに困難かを、歴史ゲームの中で幾度も痛感していたからだ。
――四国を統一しても、全然楽にはならない。むしろ、そこからが始まりなのだ。
北には謀神・毛利元就。
西には修羅の国・九州。
東には、信長すら手を焼いた旧勢力と宗教勢力。
これらを突破するには、四国では人材も国力も、まるで足りていない。
だからこそ、次郎は打ち続けなければならない。
天下に向けた布石を──。
その一つが大野達4人の処遇である。
金子侵攻によって楠予家の石高は五万二千石から六万一千石に増えた。この戦で、後方の守備を務めた大野達に目立った功績はない。
だが次郎の進言により、正重は彼ら四人から没収していた五千石の領地をすべて返還した。
それは楠予家の制度に従い、半所半禄での返還であったが、
大野達は、
「所領が減っても、ついて来てくれた家臣に報いられる」と喜び、改めて心からの忠誠を誓った。
次郎は着々と楠予家の足元を固める。
――戦国の世で勝ち抜くために。