表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
58/76

56 足踏み式脱穀機

1541年6月下旬。池田の里。武家町の通り道。

※重臣視点


武家町の通り道を、玄馬ら兄弟4人と玉之江甚八が静かに歩いていた。

その後ろから、吉田作兵衛が肩を揺らして追いつく。

「皆様お揃いで。……次郎殿が何か見せたいと言っておるとか。さて、武器か、食べ物か、はたまた道具か。期待してしまいますな」

甚八は『そうだな』と頷いた。


玄馬が脇から顔を出す。

「次郎が広間に呼ぶのは、よくある事だが。いつも驚かせられるからな」

兵馬が笑いながら言う。

「武器なら俺が試す。食べ物なら、お琴が跳ねる。道具なら、民が喜ぶ」

又衛兵が大声で笑った。

「その通り、義弟が呼ぶなら、行かねばな!」

友之丞が本を抱えながら歩いてくる。

「技術なら、村の外にも通じるかもしれませんね。……次郎殿の発想は、時々我々の想像を越えます」

兵馬が頷く。

「さて今回は誰が喜ぶのかな」


楠予家の屋敷に着くと。

門前には、権蔵が立っていた。

用心槍を地に立て、柄に手を添えたまま、周囲に目を向けている。


用心槍とは(2〜2.5m)の短めの槍で、小回りが利く、

屋敷の守りに向いた武具だ。


楠予一族と重臣たちの姿に気づくと、権蔵は背筋を正した。

声は低く、だが通りの空気にしっかりと届くよう掛ける。

「皆さま、おはようございます。……どうぞ、お通りくださいませ」

佐介が応えた。

「うむ、では通らせて貰う」

友之丞が言葉を添える。

「権蔵、いつもご苦労だな。ありがとう」

権蔵は軽く頷き、静かに友之丞たちの背を見送った。


ーーー

※次郎視点


広間には既に次郎が、弥八と庄吉を従えて待機していた。

中央には布をかぶせた何かが据えられ、木の枠の端がわずかに覗いている。


重臣たちの足音が広間に近づくと、次郎は通路の方へと体を向き直した。

弥八と庄吉も頭を下げて、又衛兵たちを迎え入れる。


次郎が声を落ち着けて言う。

「皆さま、ようこそお越しくださいました。……本日は、新たな技術の完成をご報告いたします」


兵馬が中央の布を見る。

「そこに見えるのは……道具か? 武器ではなさそうだな」

次郎が笑って応える。

「はい、民を楽にするための道具です。詳しくは御屋形様が来られてから説明いたします」

弥八が庄吉に目で合図する。

庄吉は一礼し、正重を呼ぶために広間を後にした。


庄吉が広間を出ていくと、残された一同は、

それぞれ己の座る場所へと向かった。

兵馬が腰を下ろし、又衛兵がその隣に陣取る。


やがて、広間の外から足音が近づき、正重が現れた。

その背筋はまっすぐで、足取りは重々しい。

次郎たちは頭を下げたまま、正重が上座に着くのを待った。


やがて正重が皆に一言、静かに告げた。

「皆のもの、ご苦労である。……頭を上げよ」

家臣たちは「はっ」と声を揃え、礼を解く。


次郎が一歩進み出た。

「御屋形様。皆様……本日は、新たな技術のご報告をしたく、お集まり頂きました。千歯抜きは従来の三倍の速さで、日に三十束の脱穀が可能でした」

次郎は言葉を一拍置く。

「ですがその技術は、越智家に提供せざるを得ず、現在は越智家との差はありません。そこで新たな脱穀機を考えました」


次郎が言葉を切り、広間を見渡し、弥八に頷く。

ほんの一瞬の視線の交差。

弥八は静かに前へ出て、布の端を引いた。


布の下から最新式の脱穀機が姿を現す。

中央には円胴。

鉄の歯が並ぶ扱胴こきどうー円筒状の部品が、木の軸に組み込まれている。

踏板が斜めに伸び、縄で繋がれた回転軸が、

人の足の力をそのまま扱胴こきどうに伝える構造だ。

木枠の端には、たばを受けるための浅い籠。

もみが落ちる位置には、布袋が結ばれている。


友之丞が唸る。

「これは……鉄が使われているのか。……木工だけでは済まない構造だな」

次郎が頷く。

「歯と軸に鉄を用いています」

又衛兵が笑う。

「だが、鉄が使われておる分、強そうだ」


次郎はニヤリと笑う。

「確かに強いと思います。千歯抜きは日に30束の脱穀が可能でしたが、これは足踏み式、脱穀機と言い、日に2000束の脱穀が可能です」

「「「「っ…………!!」」」」

広間が静まった。


現在、楠予領で使われている千歯扱き(手引き式)は、江戸時代初期に普及した道具である。

穂を歯に通して手で引き抜く構造で、長らく民の手を支えてきた。

それに対して、足踏み式脱穀機は明治末期から大正期(1900〜1920年代)にかけて普及した、電力を使わない最後の脱穀機だった。


吉田作兵衛がおずおずと尋ねる。

「次郎殿すまない、どうも聞き間違えたようじゃ。日に200束とは凄い、ぜひわしの村にも欲しい。いつ頃頂けるのじゃ?」

「作兵衛殿、聞き間違いではありません。日に2000束です。従来の200倍にございます」

「なっ……」

作兵衛たちは目を丸くし、言葉が出なかった。


(あれ? 俺また何かやっちゃいました? って、ここで言いたいなあ)


次郎はにやけた口元を引き締めた。

笑いそうになるのを、なんとか堪える。

(……言わない。言ったらキャラが壊れる。俺は鈍感系じゃない)


弥八が一歩前に出る。

「作兵衛様……この農機は、村ごとに調整が必要です。秘匿性は、千歯抜きの比ではありません。すぐにご用意できますが、各自の屋敷でのみお使いください。そして、使う者は口が堅く、構造を理解せぬ者がよいでしょう」


作兵衛が眉をひそめる。

「……構造が理解できぬ者を、か?」

弥八が頷いた。

「はい。……千歯抜きと違い、足踏み式は職人が中を見ても、真似て作る事は難しいでしょう。ですがその効果を考えれば、決して盗まれる訳にはいかない技術です」


源太郎や重臣が『確かに』と頷く。

正重が広間を見渡し、静かに告げた。

「皆の者。この技術は、楠予家の秘技として守りぬく。……よいな」


源太郎が深く頷いた。

「承知いたしました。……信頼の出来る者に、厳重に管理させましょう」

「ならばこの作兵衛、村にいる息子の作守に管理させよう」

「玉之江甚八、弟の甚介に管理させます」

一族や重臣たちが口々に対策を述べる。


楠予家にまた一つ、新たな技術の柱が加わった。

技術は語られず。

ただ静かに、楠予領でのみ躍動する。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ