56 足踏み式脱穀機
1541年6月下旬。池田の里。武家町の通り道。
※重臣視点
武家町の通り道を、玄馬ら兄弟4人と玉之江甚八が静かに歩いていた。
その後ろから、吉田作兵衛が肩を揺らして追いつく。
「皆様お揃いで。……次郎殿が何か見せたいと言っておるとか。さて、武器か、食べ物か、はたまた道具か。期待してしまいますな」
甚八は『そうだな』と頷いた。
玄馬が脇から顔を出す。
「次郎が広間に呼ぶのは、よくある事だが。いつも驚かせられるからな」
兵馬が笑いながら言う。
「武器なら俺が試す。食べ物なら、お琴が跳ねる。道具なら、民が喜ぶ」
又衛兵が大声で笑った。
「その通り、義弟が呼ぶなら、行かねばな!」
友之丞が本を抱えながら歩いてくる。
「技術なら、村の外にも通じるかもしれませんね。……次郎殿の発想は、時々我々の想像を越えます」
兵馬が頷く。
「さて今回は誰が喜ぶのかな」
楠予家の屋敷に着くと。
門前には、権蔵が立っていた。
用心槍を地に立て、柄に手を添えたまま、周囲に目を向けている。
用心槍とは(2〜2.5m)の短めの槍で、小回りが利く、
屋敷の守りに向いた武具だ。
楠予一族と重臣たちの姿に気づくと、権蔵は背筋を正した。
声は低く、だが通りの空気にしっかりと届くよう掛ける。
「皆さま、おはようございます。……どうぞ、お通りくださいませ」
佐介が応えた。
「うむ、では通らせて貰う」
友之丞が言葉を添える。
「権蔵、いつもご苦労だな。ありがとう」
権蔵は軽く頷き、静かに友之丞たちの背を見送った。
ーーー
※次郎視点
広間には既に次郎が、弥八と庄吉を従えて待機していた。
中央には布をかぶせた何かが据えられ、木の枠の端がわずかに覗いている。
重臣たちの足音が広間に近づくと、次郎は通路の方へと体を向き直した。
弥八と庄吉も頭を下げて、又衛兵たちを迎え入れる。
次郎が声を落ち着けて言う。
「皆さま、ようこそお越しくださいました。……本日は、新たな技術の完成をご報告いたします」
兵馬が中央の布を見る。
「そこに見えるのは……道具か? 武器ではなさそうだな」
次郎が笑って応える。
「はい、民を楽にするための道具です。詳しくは御屋形様が来られてから説明いたします」
弥八が庄吉に目で合図する。
庄吉は一礼し、正重を呼ぶために広間を後にした。
庄吉が広間を出ていくと、残された一同は、
それぞれ己の座る場所へと向かった。
兵馬が腰を下ろし、又衛兵がその隣に陣取る。
やがて、広間の外から足音が近づき、正重が現れた。
その背筋はまっすぐで、足取りは重々しい。
次郎たちは頭を下げたまま、正重が上座に着くのを待った。
やがて正重が皆に一言、静かに告げた。
「皆のもの、ご苦労である。……頭を上げよ」
家臣たちは「はっ」と声を揃え、礼を解く。
次郎が一歩進み出た。
「御屋形様。皆様……本日は、新たな技術のご報告をしたく、お集まり頂きました。千歯抜きは従来の三倍の速さで、日に三十束の脱穀が可能でした」
次郎は言葉を一拍置く。
「ですがその技術は、越智家に提供せざるを得ず、現在は越智家との差はありません。そこで新たな脱穀機を考えました」
次郎が言葉を切り、広間を見渡し、弥八に頷く。
ほんの一瞬の視線の交差。
弥八は静かに前へ出て、布の端を引いた。
布の下から最新式の脱穀機が姿を現す。
中央には円胴。
鉄の歯が並ぶ扱胴ー円筒状の部品が、木の軸に組み込まれている。
踏板が斜めに伸び、縄で繋がれた回転軸が、
人の足の力をそのまま扱胴に伝える構造だ。
木枠の端には、束を受けるための浅い籠。
籾が落ちる位置には、布袋が結ばれている。
友之丞が唸る。
「これは……鉄が使われているのか。……木工だけでは済まない構造だな」
次郎が頷く。
「歯と軸に鉄を用いています」
又衛兵が笑う。
「だが、鉄が使われておる分、強そうだ」
次郎はニヤリと笑う。
「確かに強いと思います。千歯抜きは日に30束の脱穀が可能でしたが、これは足踏み式、脱穀機と言い、日に2000束の脱穀が可能です」
「「「「っ…………!!」」」」
広間が静まった。
現在、楠予領で使われている千歯扱き(手引き式)は、江戸時代初期に普及した道具である。
穂を歯に通して手で引き抜く構造で、長らく民の手を支えてきた。
それに対して、足踏み式脱穀機は明治末期から大正期(1900〜1920年代)にかけて普及した、電力を使わない最後の脱穀機だった。
吉田作兵衛がおずおずと尋ねる。
「次郎殿すまない、どうも聞き間違えたようじゃ。日に200束とは凄い、ぜひわしの村にも欲しい。いつ頃頂けるのじゃ?」
「作兵衛殿、聞き間違いではありません。日に2000束です。従来の200倍にございます」
「なっ……」
作兵衛たちは目を丸くし、言葉が出なかった。
(あれ? 俺また何かやっちゃいました? って、ここで言いたいなあ)
次郎はにやけた口元を引き締めた。
笑いそうになるのを、なんとか堪える。
(……言わない。言ったらキャラが壊れる。俺は鈍感系じゃない)
弥八が一歩前に出る。
「作兵衛様……この農機は、村ごとに調整が必要です。秘匿性は、千歯抜きの比ではありません。すぐにご用意できますが、各自の屋敷でのみお使いください。そして、使う者は口が堅く、構造を理解せぬ者がよいでしょう」
作兵衛が眉をひそめる。
「……構造が理解できぬ者を、か?」
弥八が頷いた。
「はい。……千歯抜きと違い、足踏み式は職人が中を見ても、真似て作る事は難しいでしょう。ですがその効果を考えれば、決して盗まれる訳にはいかない技術です」
源太郎や重臣が『確かに』と頷く。
正重が広間を見渡し、静かに告げた。
「皆の者。この技術は、楠予家の秘技として守りぬく。……よいな」
源太郎が深く頷いた。
「承知いたしました。……信頼の出来る者に、厳重に管理させましょう」
「ならばこの作兵衛、村にいる息子の作守に管理させよう」
「玉之江甚八、弟の甚介に管理させます」
一族や重臣たちが口々に対策を述べる。
楠予家にまた一つ、新たな技術の柱が加わった。
技術は語られず。
ただ静かに、楠予領でのみ躍動する。