53 冷水器(次郎式)
1541年5月下旬。
※次郎視点
五月の終わり、風はすでに夏の匂いを含んでいた。
屋敷の帳場で巻紙を広げながら、次郎は静かに息を吐いた。
「はあ……夏に備えて氷室が欲しい。でも今からじゃ間に合わないし、そもそも四国じゃ氷室は無理だよな…」
氷室は冬に出来た、雪や氷を夏まで保存するための地下や穴の事を言う。
戦国時代は「ミニ氷河期」とも呼ばれる寒冷期にあたり、雪が降る年が多かった。
それでも伊予では、雪が降る年もあれば、まったく降らない年もある。つまり、氷室を作っても無駄になる可能性が高いのだ。
「そうだ! 俺は、なんで氷室なんかに、こだわってたんだろう!?」
(俺は冷たい水が欲しいだけなのに、氷を作ることばかり考えていた。
この時代に染まりすぎて、氷室しか頭になかった)
次郎は筆を置き、天井を見上げた。
「……冷たい水を飲む方法は他にもある筈、例えば…」
冷却装置。
冷蔵庫は無理でも、水を冷やすくらいなら、何とかなるかもしれない。
次郎はスキル一覧から冷却の基礎知識を選んだ。
内容を見た次郎は一言呟いた『うん、意味が分からん』。
【冷却の基礎知識:知識Lv10】
価格:1800文
効果:
冷却の原理と応用技術の基礎を理解し、簡易冷却装置の設計・試作が可能になる。
水・薬・食材などの温度管理に応用でき、町の夏季対策や薬房の品質維持に貢献する。
内容:
• 冷却の基本原理
・気化熱による温度低下の仕組み
・水の蒸発と熱奪取の関係
・冷却と断熱の違い
• 冷却素材の選定
・水・酒・酢などの揮発性液体の比較
・冷却容器の材質(陶器・金属・木製)の熱伝導性
• 簡易冷却装置の構造
・二重容器構造(内側に冷却対象、外側に冷却液)
・通気性と蒸発効率の調整
・冷却液の交換頻度と温度維持時間
• 応用例と注意点
・薬剤保存・飲料冷却・体温調整への応用
・冷却液の毒性・揮発性に関する安全管理
・湿度と気温の影響による冷却効率の変動
【備考】
• 本知識は、冷媒や圧縮機を用いた近代冷却技術には至らないが、気化熱・断熱・素材選定による冷却効果を実務レベルで再現可能。
• 実装には水場・風通し・容器の工夫が必要。
• 応用次第で、町の夏季対策・薬房の品質維持・贈答品の保存などに展開可能。
「買えばなんとかなる、購入!」
次郎が「冷却の基礎知識」を購入するイメージをした瞬間、視界が白く染まった。
脳裏に、水の蒸発、風の流れ、陶器の肌触り、そして冷えた水が喉を通る感覚が次々と流れ込む。
──水は、蒸発することで熱を奪う。
──風は、冷却を助けるが、湿度が高ければ効かない。
──陶器は冷えるが、金属は熱を伝える。
──冷たい水は、空気の整いと素材の工夫で生まれる。
次郎は、静かに息を吐いた。
「……これが冷却か。この転生特典、相変わらず便利だよな。前世の勉強時間が無駄に思えるよ…」
次郎の頭には、すでに簡易冷却装置の構造が浮かんでいた。
――気化熱を使う冷却方法。
氷室でも、洞窟の冷えに加えて、藁に染み込んだ水が蒸発することで周囲の熱を奪い、内部を冷やしていた。
(これは……冷蔵庫みたいにはいかないな。これだと五度くらい下げるのが限界だ)
(でも朝の井戸水を使えば、夏でも昼に12度以下の冷たい水が飲めそうだ)
次郎は氷室などの冷却機能を、次郎流に改造する事にした。そして自分が考えた冷却装置を紙に書き留めた。
___________
●構造案
1. 冷却室(地下式)
地下2メートルくらい掘る。容量は(60×60×高さ30cm)で約100リットルを想定。
• 井戸の北側に掘る(日陰)
• 周囲の壁:レンガ積み+漆喰(断熱)
• 内側はガラス張り
• 天井:藁+土+茅葺き(遮光・断熱)
2. 外壁冷却と気化熱の利用
• 冷却室の外壁に通気口を設け、風を通すことで藁の水分が蒸発し、周囲の熱を奪う
→ レンガ壁の外側に藁を巻き、水を染み込ませることで蒸発効率を向上
→ 朝に水をかけ、昼の風で冷却効果を得る。
3 排水構造
• 冷却水が蒸発しきらなかった分、又は使用しなかった水は、竹筒で井戸へ自然排水させる。
(井戸は深いため、地下2メートルの冷却装置から、さらに下への流し込みが可能。井戸の水面より上に横穴を開け、流し込む)
4 保守と運用
• 朝:井戸水を汲み上げ注ぐ
• 昼:冷水を飲み始める
• 夜:容器を空にして乾燥
• 週1回:藁交換・排水路清掃
___________
巻紙の端で、次郎は筆を止めた。
冷却装置の構造までは考えた。
――問題は材料だな。
(……レンガとガラス。どちらも、この時代じゃ簡単には手に入らない)
(レンガもガラスも、自分で作るしかない)
次郎はスキル一覧から
レンガとガラスを選んだ。
【素材製法:レンガの作り方(知識Lv9)】
価格:600文
効果:
粘土・砂・藁などを用いた焼成レンガの製法を理解し、構造材としての強度・断熱性を確保できる。
簡易窯での焼成が可能で、冷却室・壁材・排水路などに応用できる。
内容:
• 粘土と砂の配合比率
• 藁・灰・石灰の混合による断熱性向上
• 型枠による成形と乾燥工程
• 焼成温度と時間の調整
• 冷却と硬化の管理
• 応用例:壁材・床材・排水路・炉壁など
【素材製法:ガラスの作り方(知識Lv12)】
価格:15000文
効果:
ソーダ灰・石灰・珪砂を用いたガラス製法を理解し、吹き竿・型枠による成形が可能になる。
冷却装置の内壁や薬瓶、保存容器などに応用できる。
内容:
• ソーダ灰の生成(海藻灰・木灰の比較)
• 石灰の焼成と配合
• 珪砂の選定と洗浄
• 溶融温度と炉構造
• 吹き竿・型枠による成形技術
• 冷却と硬化の管理
• 応用例:水槽・薬瓶・保存容器・窓材など
次郎は、両方を購入するイメージをした。
視界が白く染まり、脳裏に素材の配合、窯の熱、吹き竿の感触が流れ込む。
──粘土は、乾かしてから焼く。藁を混ぜれば、断熱性が上がる。
──ガラスは、溶かして吹く。温度が足りなければ、ただの砂になる。
次郎は静かに息を吐いた。
(……これで、作れる。いや待て、ガラスの材料が厳しいな)
(……ソーダ灰。まずい、日本じゃ、これは手に入らないぞ)
次郎は頭の中で素早く計算する。
ガラスの主成分は珪砂。これは川砂を洗えば何とかなる。
石灰も、貝殻や石を焼けば作れる。
だが、ソーダ灰だけは違う。
この時代、日本には天然のトロナ鉱石も、工業的な製法もない。
(海藻灰か……わかめを焼けば、ソーダ灰になるって記憶されている)
次郎は筆を取り、巻紙の端に「わかめ」と書いた。
(獲れたてのワカメじゃないと、成分が飛んでしまってソーダ灰にならない)
(漁師に頼めば、朝の獲れたてのわかめが手に入れられ筈だ)
それを乾かして、焼いて、灰にする。
その灰を珪砂と混ぜて、炉で溶かす。ここまでを漁師さんに金を払って、やって貰おう。炉は海辺の近くに弥八につくらせるか?いや庄吉で十分だな。
(レンガの方は簡単だな。粘土と藁を混ぜて焼けばいいだけ)
「よし! なんとか冷却装置が作れそうだぞ!」
※※※
後日談。
七月の昼下がり。蝉の声が壬生家の屋敷中に届いていた。
庄吉に冷却装置の藁巻きを任せて、次郎は楠予屋敷へ向かった。
正重から至急来るようにとの命が来たのだ。
屋敷の広間には、一族が勢ぞろいしていた。
正重、千代、源太郎、まつ、玄馬、兵馬、友之丞、又衛兵――そして、お澄とお琴も並んでいる。
(……これは、ただの呼び出しじゃないな)
正重が静かに口を開いた。
「次郎。お澄とお琴に聞いたぞ。お前の家には、冷たい水が出る道具。れいきゃくそち、とやらがあるらしいな」
千代が微笑みながら言う。
「この暑いのに、凄く冷たい水が飲めるそうですね。……羨ましいですわ」
まつが同意する。
「はい母上、さすが次郎殿です。未来の娘婿なだけありますわ、おほほ」
玄馬が小さく笑う。
「れいきゃくそちとは、なかなか洒落た言葉だな。まあ意味は分からんがな」
(そちじゃねえよ、装置だよ!)
兵馬が腕を組んで言う。
「武士は暑さに耐えるものだ……だが冷たい水は、正義だ」
又衛兵が肩を叩いてくる。
「義弟、俺にも内緒とは酷いとは思わんか? 俺がどれだけお澄の事で手伝ったか、忘れたとは言わせぬぞ」
(っ! え、なにこれ? 俺、全員に攻められてるの?)
「きょ、恐縮です」
次郎は取り合えず頭を下げる。
正重が、ゆっくりと次郎を見た。
「なぜ、わしの家には冷たい水を生み出すソチとやらがないのかの?」
(……なるほど、ようは皆、冷たい水が飲みたいって訳ね)
(親分、あんた仮にも5万石を超える大名なんだよ? そんな事で呼び出すかな)
次郎は、深くため息を吐いた。
「分かりました、御屋形様。装置を作ります。設置場所と水場さえ用意していただければ――」
正重は頷いた。
「よし。門番の権蔵か源八に場所を見させよう。……千代、冷たい水が、この屋敷でも飲める日が近いぞ」
千代は微笑み、お琴は「やったー!」と声を上げた。
源太郎とまつもにこにこである。
「あの……。装置の作成には2カ月ほどかかりますけど?」
ーーその瞬間、広間の空気が、すっと静まった。
正重は、ゆっくりと眉をひそめた。
「2カ月……?」
その声には、苛立ちも、呆れも、そして暑さも混ざっていた。
「次郎。夏は、今だぞ。わしが冷たい水を欲するのは、今なのだ!」
兵馬が小さく咳払いし、源太郎の目も厳しいものに変わる。
千代は微笑を崩さず、お澄は『ゴメンね』と次郎に手を合わせる。
「わしの屋敷に、冷たい水を生み出す仕掛けがないのは、なぜだ?」
「お前が作らなかったからだろう!……待てぬ。なんとかせい!」
次郎は正重の怒りに素知らぬ顔で応える。
「分かりました。では我が家の冷たい水を、皆さまにお分けしましょう」
(装置の容量は約100リットルあるからな。常に冷たい水だけを飲む訳じゃないから、1人1リットルとして100人は賄える筈だ)
次郎の言葉に広間がざわついた瞬間、正重が声を張った。
「……バカを申すな!」
次郎はビクッと背筋を伸ばした。
「そなたの家の水が冷たいとは言え、ここに運ぶまでにぬるくなるわ!」
兵馬が「確かに、昼の道は灼けております」と呟き、源太郎が「井戸水も、運べば温む」と頷く。
次郎は一歩前に出て、静かに言った。
「御屋形様。ご安心ください。上手くすれば、運ぶ途中でより冷たくなる方法がございます」
正重が眉をひそめる。
「ほう?」
次郎は正重の目を真っすぐ見て続ける。
「容器を布で包み、水を染み込ませておきます。風に当たることで水分が蒸発し、気化熱で容器が冷えるのです」
(この方法で温度を下げようとしたら、大量の水が必要だし、風の管理が大変だから、あくまで補助としてしか使えないけどね)
玄馬が目を細める。
「……蒸発? 気化熱とはまた妙な言葉を」
(しまった!)
「蒸発とは職人の専門の言葉です。ともかく冷たくなるのです、少し待っていてください。家から水を運び、証明してご覧に入れます」
正重は黙って頷いた。
「うむ、よかろう。では水を持って参れ、わしは次郎を信じておるぞ」
ーーー
四半刻後。(30分後)
次郎は豊作に水瓶の入った荷車を押させ、楠予屋敷へと帰って来た。二人は水の入った容器を抱えて広間に入った。
皆が静かに見守る中、次郎は椀を各自の前に並べ、冷えた水を注いでいった。
正重が最初に口をつけた。
その眉が、わずかに動いた。
「……冷たい。これは、確かに冷えておる」
千代が「まあ!」と微笑み、まつが「すごいわ…」と声を上げる。
兵馬が「武士の水だな」と訳の分からない事を言い、又衛兵が「義弟よ、これは見事だ」と肩を叩く。
玄馬は器を傾けながら言った。
「夏にこの水は美味すぎるな。これが毎日飲めるのか…。次郎、感謝する」
正重は静かに頷いた。
「この冷たい水は実によい。これはまさに夏の甘露じゃ」
「この冷たい水の仕掛け、来年はわしの屋敷にも必ず設置するのだぞ。いずれ屋敷の者にも分け与えてやりたいからのう。わっはっは」
次郎は深く頭を下げる。
「仰せのままに」
冷えた水が注がれるたび、広間に小さな歓声が上がった。
誰かが笑い、誰かが汗をかきながらも「涼しいな」と呟く。
蝉の声は変わらず響いているのに、屋敷の空気はどこか軽い。
夏の昼下がりとは思えぬほど、話題は涼しく、笑いは穏やかだった。




