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52 ミカンとリンゴ


1541年5月初旬。壬生屋敷

※次郎視点


次郎と弥八は壬生屋敷の庭にある、木の前にいた。

目的はミカンとリンゴを作る事だ。


※本来、ミカンが日本で作られるのは1574年以降。リンゴに至っては1871年。だが、次郎の手元には、すでにその枝があった。


次郎が弥八に声を掛けた。

「まずは、ミカンからだ」


弥八が庭の端の木の前に立つ。

棘のある枝が風に揺れていた。

この木は、近くの農家から譲ってもらったカラタチの木。

一月前に庭に植え、根が落ち着いたところだった。

このカラタチの木を台木にして、ミカンの枝を繋ぎ、ミカンを増やすのだ。


弥八は刃を手に、台木の枝に向き合った。

棘を避けながら、滑らかに削っていく。


「台木の根が水分を吸収し始め、樹液が幹や枝に流れ出している。……今なら繋げる」

次郎が袋から枝を取り出す。

転生特典で手に入れた、現代の甘み。

品種改良された美味しいミカンの穂木だ。

通販なら三千円前後だが、次郎が買うには三万文が必要だった。


次郎は穂木の切り口を斜めに整え、台木の形成層にそっと重ねる。

弥八が麻紐を巻き、次郎が布をかぶせる。

芽はまだ眠っている。けれど、根は動いている。

水が上がり、枝が応える準備を始めていた。

「芽が動くまで、十日ほどでしょうか」

弥八がそう言うと、次郎は頷いた。

「風と陽が手伝ってくれれば、それくらい。……それまでは、静かに待つだけだ」

庭の隅に、一本のミカンの木が立った。


「よし弥八、次はリンゴだ」

「はい」


弥八は刃を拭いながら、隣の苗木へと歩を進めた。

そこにあるのは、ズミの若木。

こちらも一月前に植えたもので、根がようやく土に馴染み始めていた。

「リンゴは、ミカンよりも少し気難しいですね」

弥八がそう言いながら、枝の太さを見定める。

ズミは寒さに強く、根の張りも早い。だが、穂木との相性には繊細さが求められる。


次郎は袋の奥から、一本の枝を取り出した。

ふじの穂木。現代で人気の高い、甘みと香りの強いリンゴの品種だ。

これも転生特典で手に入れたもの。


これも通販なら三千円ほどだが、次郎の購入価格はミカンと同じ三万文だった。

「香りが立つのは、秋だ。……でも、今から繋げておかないと間に合わない」

次郎は穂木の切り口を整えながら、そう呟いた。

弥八が台木の枝を削る。

形成層が露出し、春の風がそこを撫でる。

次郎が穂木を差し込み、弥八が麻紐で固定する。

布をかぶせ、土を寄せる。

手順は同じでも、空気は少し違っていた。

「リンゴは、芽が動くまでに少し時間がかかるかもしれません」

弥八が言うと、次郎は頷いた。

「それでも、根が受け止めてくれれば、枝は応える。……収穫まで長くても、じっと辛抱だ」

庭の隅に、もう一本の木が立った。リンゴの木だ。


根はこの地に沈み、枝は遠い未来から来た。

ミカンとリンゴ。

二つの甘みが、静かに芽吹こうとしていた。

次郎は二つの木の枝を見て微笑む。

「俺また何かやっちゃったかもな…」


(ふふっ、一度このセリフ言ってみたかったんだよね)



※※※※

1541年5月中旬・壬生家屋敷

※次郎視点


池田の里の武家町には二種類ある。

1つ目は楠予屋敷を中心とした、防御柵の内に建てられる、重臣たちが住む武家町。

2つ目は、防御柵の外に建てられる、中級以下の家臣たちが住む武家町だ。


筆頭家臣である次郎の屋敷は、もちろん防御柵の内に構えられている。

次郎の屋敷は楠予屋敷からは徒歩三分(約250〜400m)の距離だ。


次郎の屋敷は、今では十人が住める規模となっている。だが現在、お澄の輿入れに備えて、さらなる拡張工事の真っ只中にあった。

大工たちが慌ただしく動き、新たに奥向きの離れを建設している。

ここに、側室として迎えられるお澄が住むことになる。


壬生屋敷の広間には、五人が集まっていた。

次郎の前には、弥八・豊作・庄吉・おとよが並ぶ。

かつては弟子だった彼らも、今では正式な家臣として仕えている。彼らは壬生屋敷で寝食を共にし、次郎を支える者たちとなっていた。


筆頭家臣の弥八が、広間に集まった者たちに告げる。

「お澄様の輿入れまで、あと二か月もありません。直ちに準備を始めます」

一拍置いて、語調を整える。

「本来、側室は使用人扱いとなり、婚礼の儀は行われません。

ですが、御屋形様と次郎様の話し合いの末――御屋形様より、お澄様は準正室として扱うようにとの、特別な御沙汰がございました」


弥八が一枚の巻紙を取り出し、皆に見えるように広げた。

「これは私が、お澄様の輿入れに向けて、準備すべき項目を整理したものです」

巻紙の一枚目には、三つの見出しが並んでいた。

_______________

一.※家の準備

・居室整備:畳替え(古畳の入替)、障子の張替え、水場の桶設置

・侍女の配置さや


二.※贈答品

・絹:地元織の白絹・浅葱の反物など

・香:虫除け練香

・器:漆器風の木器(膳・櫛箱・盃)

・包装:麻布包み+品名札(香添えは省略)


三.※儀礼と通達

・盃交わし:輿入れ当日の簡易儀礼(座次・献酬のみ)

・家中通達:重臣・兄弟への口頭報告または文書一通

・起請文:誓約文は任意。必要なら巻紙一枚で簡潔に

________________


次郎は目を通しながら、静かに息を吐いた。

(……すげえ。ここまで調べてあるのか。こいつ、マジで使える)


庄吉が巻紙を覗き込みながら、ぽつりと呟いた。

「側室を娶るのも、楽じゃないんですね……」

おとよが、静かに言葉を添える。

「殿。お澄様は、空間の整いだけでなく、屋敷の空気が柔らかいことを望まれるかと思います」

次郎は頷いた。

(……そうだな。雰囲気は、大事だよな)


豊作が、言いづらそうに口を開いた。

「殿……。親父もお袋も、殿の婚礼を見たいと思ってるはずです。俺は家臣として、ちゃんと出席します。だから、あの二人にも……出席の許可、もらえませんか」

一拍置いて、豊作の語調が荒くなる。

「親父には『おめでとう』以外、何も言わせません。余計なこと言ったら、引きずり出してでも黙らせますから」


次郎は考え込む。

(……あの親父、絶対調子に乗る。

「よくやった次郎、村長様の娘を側室にするとはでかしたぞ」――とか、平気で言いそうだしな)


弥八は、豊作の言葉が座敷に沈んだのを見届けると、静かに姿勢を正した。

次郎の迷いを察したのか、巻紙の端に手を添えたまま、言葉を重ねる。

「豊作殿は、殿が矢を受けて落馬され、意識を失われた折――殿の首を狙い、押し寄せる敵から、殿を守り抜かれました。

どうか、その働きに免じ、御両親にも出席の許可をお与えいただければと存じます」


次郎は、弥八の言葉に目を伏せたまま、静かに考え込んだ。

(……そうなんだよな。あの時、豊作に助けられたらしいし。

弥八は有能だ。言うことを聞いてやる方が、やる気も出るだろう。

いずれ、こいつらが――俺の石田三成と福島正則になってくれるかもしれない)


 次郎は、文机の上に指を置いたまま、少しだけ息を吐いた。

「……出席を許す。ただし、親父には『おめでとう』以外、何も言わせるな。

場を乱したら、式の途中でも追い出す」

 豊作は、わずかに目を見開いたが、すぐに頭を下げた。

「……ありがとうございます。絶対、乱しません。俺が止めます。もし一言でも『おめでとう』以外を言えば家族の縁を切ると言っておきます」


次郎は、豊作をちらりと見た。

(……豊作も、変わったな。昔はただの喧嘩屋のゴミだったのに、今じゃどんどん頼もしくなってる)

(『家は長男の俺が面倒を見ます』と、与えた俸禄百石のうち、半分を家に入れてるらしい。

おかげで、俺が家に入れるつもりだった百石が浮いて助かってる)


(弥八もそうだ。俺が言わずとも、空気を読んで動く。こいつらがいれば、家は回る)


座敷の風が、障子の隙間を抜けて通った。

巻紙の端が、ふわりと揺れる。

次郎は、静かに立ち上がった。

「……準備を進めろ。式まで、あと二月ふたつきもない。整えるぞ、俺たちの家を!」


その言葉に、座敷の空気が一瞬止まり、すぐに動き出した。

弥八が巻紙を巻き上げ、豊作が背筋を伸ばす。

庄吉とおとよも、それぞれの持ち場を胸に、静かに気を引き締めた。

四人が、声を揃えることなく、しかし同じ間合いで応じた。

「……ははっ」

それは声ではなく、屋敷の空気が一つに整った音だった。

次郎は、静かに彼らを見渡した。

(……弟子だった頃とは違う。今は、俺の家を支える者たちだ)


準備は、確かに始まっていた。

次郎の家は、次郎ひとりのものではなく、皆で守るべきものに変わりつつあった。




※※※※


池田の里・商人町

※お澄視点


次郎に「町を見に行こう」と言われたとき、少しだけ戸惑った。

池田は、私の記憶では“何もない村”だった。

あるのは雑貨屋が二軒に、香の材料を売る屋台が一つだけ。

それだけの、静かな場所だった。

……でも次郎と、のどかな景色を見て回るのもいいかなって思って、ついて行くことにした。


二年ぶりに歩く池田の村は、もはや村ではなく、町になっていた。

道は広くなり、商人町の入口には立て札が掲げられていた。

右側を人が進み、左側をすれ違う者が戻る――そんな規則まで書かれている。

……そんな決まり、聞いたことがない。

「誰が決めたんですか?」

私が尋ねると、次郎は少しだけ肩をすくめた。

「俺と玄馬様で決めました。通行中に何度も人とぶつかると、嫌ですからね」

その言葉に、私は思わず笑ってしまった。

でも、通りを行き交う人々は皆、規則に従って歩いている。

なんだか、不思議な光景だった。


人の動きが規律ただしく、活気に満ちている。

(……まるで今張の港みたい)

「……すごい。数年前まで、雑貨屋が二軒しかなかったのに」

思わず口にすると、次郎は少しだけ笑った。

「そうですね。人が集まる流れを作ったんです。薬が売れて、港が動いて、町が回る――」

その時、通りの奥から声がかかった。

「お澄さま、次郎さま、お久しぶりです!」

振り返ると、そこには見覚えのある顔――雑貨屋のお春さんが立っていた。

麻の羽織に浅葱の帯。身なりが、昔とはまるで違っていた。

「……お春さん、身なりが昔と変わられましたね」

私が言うと、次郎が目を細めた。

「もしかして、儲かってる?」

お春は、にこりと笑った。

「はい。次郎様が薬のお店を建てられた時、これだと思って――貯蓄を全部はたいて、食事処を開いたんです。

今では宿屋と飲食店を、それぞれ二軒ずつ営ませてもらってます。雑貨屋は末の子に譲りました」

次郎は、目を見開いた。

「……マジかよ」


次郎は時々、私にはわからない言葉を口にする。

(『まじかよ』って……何のことだろう。驚いてるのは分かるけど、なんだか不思議な響き)


その時、通りの奥から、馬の蹄の音が聞こえた。

見ると馬が荷車を引いていた。

踏み固められた道を、車輪が静かに転がっている。

(……あれは、何だろう?)

荷車を引いた馬は、ゆっくりと「薬剤店」と書かれた店の前に止まった。

荷台の先に乗っていた男が、ひらりと降りると、麻布に包まれた箱の山を丁寧に下ろし始めた。

(……荷車は、見たことがある。人が馬の横について、ゆっくり進むのが普通だった。

でも――荷台の先に乗って、あんなに早く動くのは、見たことがない)

踏み固められた道を、車輪が静かに転がっていく。

その音が、なんだか町の鼓動みたいに聞こえた。


初めて見る光景に、私は思わず足を止めていた。

荷下ろしの様子を見ていると、次郎が少しだけ得意げに言った。

「……あれも俺が考えたんです。池田で馬に荷車を引かせるのは初めてだったから、道も幅も固さも全部考えました」


「鍛冶場だけじゃなく、薬房もあるんですよ。半年で五つに増えました。人手は二十人。朝から晩まで、ずっと動いてます」

「今では、楠予家の薬剤店に届けるだけで、町が勝手に発展してます」


私は、荷車の車輪が踏み固められた道を静かに転がるのを見ながら、頷いた。

(……村だった頃には、こんな光景、想像もできなかった)

次郎は、少しだけ口元を緩めた。

「お澄さまには、いずれもっと凄い町になった池田の里を見せてあげます」

次郎の横顔は、なんだか素敵で――とても頼もしく見えました。


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