47 トウモロコシとサツマイモ
1541年4月中旬。
楠予屋敷
次郎が目覚めて三週間後の朝。
杖なしでも歩けるようになった次郎は、ようやく身体が自分のものに戻った気がしていた。
朝の空気はまだ冷たく、陽の光が畳の縁をなぞっている。
次郎は小袖を整え、廊下をゆっくりと歩いていく。
(まだ走ると痛いけど、歩けるようになったし、そろそろ屋敷を出て、自宅での療養にして貰おうかな)
次郎がそう思っていた時。
庭先で待っていたお琴が、次郎に気づきぱっと顔を輝かせた。
「次郎ちゃん、ほんとに歩けるようになったんだね!」
「まあね。まだ走れないけど、もう畑くらいなら行けるよ」
お琴は小袖の裾を握りしめ、くるりと回って言った。
「じゃあ、行こう! ジャガイモのとこはもういっぱいだから、外の畑に行くんだよね!?」
次郎は笑いながら頷いた。
「そうだよ。弥八たちが耕した、ここから南の畑だよ。風も通るし、土も軽い。とうもろこしにはちょうどいいんだ」
「それに、あの南斜面は水はけがいいから、サツマイモにも向いてる。つるを伸ばすには、日当たりも大事だからね」
※トウモロコシと※サツマイモは、史実ではあと四十年ほど後に登場する作物である。そこで次郎は現物チートを使って購入した。
お値段はジャガイモと同じで、一つ一万文。次郎はお財布と相談して、それぞれ3つを購入した。
※次郎の現在の収入は、所領500石と俸禄500石。年間に自由に使えるお金は、一般に15万~25万文。
これは基本値であり、収穫の状況や、次郎自身の使い方などで、大きく変動する。
お琴は首をかしげた。
「とうもろこしって、どんなの?」
「背が高くて、実がたくさんつく作物なんだよ。うまく育てば、兵糧にもなるんだ。今は誰も知らないけどね」
「じゃあ、植えたら、みんなびっくりするね!」
「そうだね」
次郎はお琴の頭を撫でながら微笑んだ。
それは、以前の愛想笑いとは違い、口元だけでなく、目元まで柔らかくなっていた。
ふたりは屋敷を出て、坂道を下っていく。
道端には小さな花が咲いていて、お琴が指でなぞるように触れる。
「次郎ちゃん見て! この花、昨日は咲いてなかったんだよ」
「お琴ちゃんはそんな所まで見てるんだね」
お琴は笑った。
「うん。とうもろこしは、明日には芽が出るかな?」
「それはね……もうちょっと先かな。土と風と陽が、ゆっくり手伝ってくれるから」
「じゃあ、がんばって育ててもらおうね」
「うん、そうだね?」
次郎は首を傾げた。
(誰に育ててもらうんだ? あっ、弥八たちの事かな?)
少し歩くと、南の畑が見えてきた。
弥八たちが畝を整えていて、土が陽に照らされていた。
次郎とお琴の影が並び、畑の端に伸びていく。
春の風が、ふたりの袖を揺らしていた。
※南の畑。
弥八たちが畝を整え終え、鍬を立てて一息ついていた。
次郎は畝の端にしゃがみ、袋からとうもろこしの種を取り出した。
小さな粒が、陽に照らされて光っていた。
「お琴ちゃん、これがとうもろこしの種だよ。小さいけど、背の高い作物になるんだ」
お琴はしゃがみこみ、指先で種をつまんだ。
「これが……いっぱいになるの?」
「そう。一本に何十個も実がつくんだ」
次郎は畝に指で穴をあけ、種を一粒ずつ落としていく。
お琴も真似して、隣の畝に種を置いた。
「こうやって、土の中に入れて……ぎゅってするんだよね?」
「うん。深すぎると芽が出にくいし、浅すぎると風で飛ぶ。ちょうどいい深さが大事なんだ」
弥八が鍬を持って近づいてきた。
「次郎様、サツマイモの方も植えますか?」
「植える。つるはまだ短いけど、南の斜面なら伸びるはずだ。水はけもいいし、陽も当たる」
庄吉が苗を運び、おとよが畝の間に水を撒いた。
畑に人の動きが増え、春の風が土の匂いを運んでいた。
お琴は種を植え終えると、手を合わせて言った。
「がんばって育ってね。いっぱい食べるから、美味しくね」
次郎は笑った。
「お琴ちゃん、食べることしか考えてないでしょ」
お琴は赤くなった。
「ちっ、ちがうよ! 食べないと、おなかすいて、死んじゃうんだよ! 次郎ちゃんも、食べないと死んじゃうでしょ?」
次郎は笑いながら、土を手でならした。
「ふふ。そうだね。食べるって、生きるってことだもんね」
お琴は頷いた。
「うん。だから、いっぱい育てて、いっぱい食べようね」
次郎は種袋を閉じ、立ち上がった。
脇腹に少し痛みが走ったが、大した痛みではない。
(生きるために食べる。……それだけのことが、こんなに響くのなんてな)
弥八が鍬を肩にかけて言った。
「次郎様、畝の間に水路を掘っておきますか? 雨が続いた時のために」
「頼む。南斜面は水はけがいいけど、念のためだ。苗が流れたら元も子もない」
庄吉が頷き、鍬を持って動き出す。
お琴は次郎の袖を引いた。
「ねえ、次郎ちゃん。芽が出たら、名前つけていい?」
「名前?」
「うん。いちばん元気な芽に、“いちばん”って名前つけるの」
次郎は笑った。
「いいよ。じゃあ、二番目は“にばん”だね」
「うん。三番目は“さんばん”!」
ふたりは笑いながら畝を見つめた。
土の中には、まだ何も見えない。けれど、風と陽が、そこに届いていた。
次郎は空を見上げた。
(芽が出るまでには、時間がかかる。……でも、きっと出る)
春の風が吹いた。
畑の端に並ぶ影が、少しだけ伸びていた。
芽はまだ見えない。けれど、土の中には、もう始まりがあった。
※とうもろこしの登場時期(日本)
• 伝来:天正7年(1579年)、ポルトガル人が長崎または四国に伝えたとされる
• 品種:当初は硬粒種で、食用よりも飼料・粉用途が中心
• 本格栽培:明治以降、アメリカから優良品種が導入され、北海道などで定着。
※サツマイモの登場時期(日本)
• 伝来:1605年(慶長10年)、琉球から薩摩へ 1597年、宮古島説などもある。
• 普及:享保の大飢饉(1732年)以降、青木昆陽らの推進で江戸・関東にも広まる
• 用途:飢饉対策・救荒作物として重宝され、江戸後期には全国に普及。




