44 誤報
※楠予正重視点
楠予軍の本陣。
旗が揺れ、風が地図をめくる。
正重、源太郎、玉之江甚八の三人が、戦況を睨んでいた。
伝令が駆け込む。
「報告! 壬生次郎忠光様、お討ち死にとの事!」
源太郎が顔を上げた。
「次郎が…? ……信じられぬ……」
甚八は目を閉じ、拳を握った。
「何たる事じゃ……次郎殿は楠予家には無くてはならぬ方、なのに……」
風が吹き、篝火の火が揺れた。
正重は地図の上に置いていた、手を上げて顔を覆う。
「……大野たちを信じた。わしが愚かであった…」
源太郎は声を詰まらせた。
「父上、………っ…」
突如、正重が地図を机から払いのけ、立ち上がる。
「もはや包囲など不要! 大野達が敵になるなら、越智も大野も、まとめて討つ!! 各将に総攻撃じゃと伝えよ!」
「はっ!」
正重の命を受けた伝令は、素早く一礼し、馬に乗り駆け出す。
正重は腰の太刀を抜き、越智軍の方を指し示す。
「弓隊は射撃の準備を。槍兵は前へ、足軽は突撃準備。馬廻り衆は、我に続け!」
源太郎が目を見開いた。
「父上、御自らが出るのですか……?」
正重の顔は悔しさと怒りで、満ちていた。
「我が手で、越智を討つ。志乃、正若丸、次郎の仇は、このわしが討つ!!」
「全軍打って出よ!!」
風が本陣を抜け、旗が揺れる。
正重の号令で全軍が、動き始めた。
※※
※越智輔頼視点
時は次郎の突撃前。
越智軍の前線は血が飛び、兵が入り乱れていた。
前衛に躍り出た輔頼は、弓に狙われぬ用、馬を下りて指揮をする。
輔頼が叫ぶ。
「押せ、押せ! 槍隊、敵を崩せ! 弓隊は後方から支援せよ! 騎馬隊は突撃準備、敵が崩れれば俺が一気に仕留める!」
川之江兵部が言う。
「敵の前衛はもう崩壊寸前、それがしが槍兵を率い、崩して参ります!」
「うむ、頼んだぞ兵部。行って参れ!」
川之江兵部の加勢により、いよいよ楠予の前衛は、崩壊し始める。
風が吹き、旗が唸る。
そのとき、輔頼の視界に、異様な兵の姿が映った。
「……何だ、あれは」
楠予軍の中央の後ろ――次郎の弓隊が、弓を構えるのが見えた。
それは通常の弓よりも長く、兵たちが体を軋ませながら、重々しく弦を引いている。
その次の瞬間、矢が唸りを上げて飛んだ。
「なっ…なんだ、あの弓は! くそっ!」
矢は越智軍の前衛の頭上を抜け、輔頼の馬印を中心に降り注いだ。
馬廻の数人が倒れ、馬も悲鳴を上げて地に伏す。
中列と後列の槍兵が巻き込まれ、前衛の槍隊全体に動揺が走った。
運良く、矢の雨に当たらなかった輔頼は、叱咤する。
「逃げるな! 戦って死ね! 敵に背を向けて死ぬな! それが越智の兵だ!」
その時――さらなる悲鳴が、輔頼の耳に入った。
敵を押し込み、深入りしていた越智軍の前衛が、たった一部隊の反撃により崩壊を始めていた。
輔頼が唇を噛んだ。
「なんだ……あの部隊は、強すぎる」
次郎の隊が、弓と足軽を組み合わせた突撃隊形を取り、深入りしていた越智軍の前衛の槍隊を完全に押し潰した。
そして前衛の槍隊を補助していた、足軽隊や弓隊と交戦を始めた。
輔頼の目には馬上で指揮を取る、勇ましい将の姿が目に入った。
「……あいつ俺の元に来る気か。あの隊、俺を狙っているな!」
輔頼が命を下す。
「……弓隊構え! あの指揮官を射殺しろ! あれを落とせば、あの隊は崩れる!」
その時、敵の指揮官が振り返り、後方の騎馬武者と、話を始めた。
輔頼の目が光る。
「今だ、射よ!!」
矢が一斉に放たれ、馬上の指揮官の体に突き刺さった。
輔頼はそれを見届け、叫んだ。
「よし、よくやった! 今だ押し返せ! あの指揮官の首をあげろ!」
足軽の後方に逃げていた槍隊が、再び槍を構え、前線に参加し敵を押し返す。
馬廻は死者を引き、弓隊は矢束の補充に勤しむ。
風が吹き、旗が揺れる。
戦線は押し返し、押し戻され、越智と楠予、どちらも崩れずに踏みとどまっていた。
輔頼は太刀の柄に手を添え、楠予軍の列を見据えた。
「ちっ……敵将を落としたが、崩れぬか…しぶとい」
その時――
「輔頼様! 楠予軍の全軍が動いております! 総攻撃の構えです!」
輔頼が目を凝らした。
遠く、楠予軍の旗が一斉に動き、土煙が上がっていた。
「……何だと……? 全軍突撃? ならばこちらも全軍で迎え撃つまでよ。元頼に伝えよ。本陣の兵を出せとな」
副将が叫ぶ。
「輔頼様! 楠予軍が弓を構えました、矢が来ます!」
次の瞬間、楠予軍の弓隊が一斉に矢を放ち、空が黒く染まった。
矢は唸りを上げ、輔頼の頭上を越え、越智軍の中衛と後衛の本陣に降り注ぎ、兵が次々と倒れる。
馬がのたうち、陣形が乱れた。
たった一度の射撃で、越智軍に多大な被害が出し、陣が混乱した様を見た輔頼は、目を見開き太刀の柄を握りしめた。
「……また、あの弓なのか……っ!!」
輔頼の背中に冷たい汗が滲む。
戦場の感が告げていたのだ。――ここに居れば、死ぬと。
輔頼は咄嗟に馬に飛び乗り、鞍を蹴った。
戦場を駆けながら、兵たちに叫んだ。
「退け、退け! 国分寺まで退くのだ! 本陣は捨て置け、元頼などどうでもよい!!」
輔頼の声は、兵士の※叫声と入り乱れ、命が届いたかも分からなかった。
だが、輔頼は振り返らなかった。
越智の名を背負った者が、この様な所で、無様に死ぬ訳にはいかなかった。
だが輔頼の感は、功を奏していた。越智軍の被害は少なく、人的被害や物資も、早期に回復可能な範囲であった。名声を除き……。
※※
※大野虎道視点。
楠予軍の本陣。
越智軍は逃げ去ったが、戦の煙がまだ遠くに漂っていた。
白布の幕が風に鳴り、旗が静かに揺れている。
楠予正重が上座に座っていた。
膝の上に手を重ね、目は重々しく瞑られている。
左右には源太郎、玄馬、兵馬、玉之江甚八、大保木佐介などの一門と重臣が並び、誰も言葉を発していなかった。
大野虎道、国安利勝、高田圭馬、楠河昌成の四人は、正重の正面に片膝をつき、臣下の礼を取っていた。
だが、楠予家の者たちの目は冷たい……。
重い空気に耐えきれず、大野が許しも得ずに口を開いた。
「こたびの大勝利、まことにおめでとうございます!」
他の三人も慌てて続く。
「お祝い申し上げます……」
その瞬間、又衛兵が立ち上がった。
鞘から太刀を抜き、四人に向けて叫ぶ。
「なにが大勝利か! 越智には逃げられ、そなたらが日和見を決め込んだせいで、わしの義弟は重傷を負い、生死の境を彷徨っておるわ!!」
友之丞も立ち上がり、声を張った。
「そうじゃ! お前らを待ったせいでこうなった! そなたらなど、いなくても勝てたのだ、むしろ敵として討つべきだった!」
四人は言葉を失った。
楠予軍の強さを見た今、友之丞の言葉が冗談ではないと、誰もが理解していた。
大野が唇を噛みながら言う。
「わしは約定通り、越智を攻めようとしたのでござる。今攻めれば勝てると。されど、三人に止められーー」
「何を言うか!」
高田圭馬が顔をしかめ、大野の声を遮った。
「止めてなどおらん! お主一人で攻めればよかったではないか!」
正重が目を開け、重い口を開いた。
「見苦しい。やめよ」
「はっ、失礼致しました!」
二人は即座に頭を下げた。
源太郎が立ち上がり、声を張った。
「四人に沙汰を下す。
その方らが約束を反故にしたため、越智軍の背後を取れず、逃がす結果となった事」
「さらにその方らを信じたため、楠予軍は必要のない多大な被害を出した事」
「以上の罪により、所領安堵を撤回し、そなたらの所領の半分を没収する事とする。いやなら、我らと弓矢を交えるがよい」
四人は肩を落とし、頭を下げた。
「……ご沙汰、お受けいたします」
吉田作兵衛が椅子を立ち、四人の元へと歩み寄った。
一門と重臣の目が作兵衛に注がれる。
作兵衛は大野と国安の肩を軽く叩き、笑った。
「だから言うたではないか。楠予は強いとな」
大野と国安は悔しさで、歯を噛み締め、拳を握る。
作兵衛は笑いながら続ける。
「まあ心配せんでもええ。楠予に忠義を尽くせば、所領なんぞすぐに戻ってくるわ。
見たであろう、あの強さを」
「楠予には他国にないものが、いっぱいある。
美味いもんや、武器だけじゃない、兵も強いんじゃ。
農民の兵じゃなく、毎日訓練を積んどる者たちが主力の兵じゃ。
それを支える体制が楠予にはある」
作兵衛はもう一度、大野と国安の肩を叩く。
「今度こそ、わしを信じろ。絶対に後悔はさせん。安心せえ」
(だがな、次郎が死んだ場合は違うぞ、お主らを殺す。一門衆は勿論、このわしも許さん。あれはわしの金づるじゃぞ!!)
作兵衛の言葉に大野と国安は頷き、決意する。
二度と作兵衛の言葉を疑わないと。
風が吹き。
旗が鳴り、白布が揺れる。
楠予軍に、また新たなる力が加わった。
※叫声は叫び声、怒鳴り声、悲鳴など、強い感情が乗った発声全般を言う。




