43 次郎隊、動く
越智軍の敗走から、時は少し戻る。
※越智輔頼視点
平野の中央、越智軍の本陣。
旗が揺れ、馬が嘶いていた。
西に楠予軍千二百、東に越智軍千五百。
両軍が正面で激しくぶつかり、戦が渦を巻いていた。
輔頼と元頼は並んで戦況を見ていた。
伝令が駆け込む。
「輔頼様、大野たちの軍が見えました! 南東から進軍中です!」
輔頼が笑った。
「よし、勝ったぞ。楠予は押されておる。大野が来れば、終わりだ」
元頼は鼻を鳴らした。
「ふん、大野などいなくとも、このまま押し切れるわ。楠予は既に崩れかけておる」
川之江兵部が頷く。
「さよう、さよう。前衛はすでに楠予の陣を割りかけております」
三宅主膳が大野軍を見ながら、眉をひそめた。
「元頼様、お待ちください。様子が変ですぞ、大野たちが歩みを止めました」
元頼が顔をしかめる。
「何をしておるのじゃ、あ奴らは。 一気に攻めねば、楠予に側面を固められるぞ」
古谷宗全が静かに意見を述べる。
「あれは、おそらく様子見です。楠予が負けそうなら我らに味方し、勝ちそうなら楠予に付く気でしょう」
元頼が眉を顰め、輔頼を睨む。
「おい輔頼、そなたの家臣であろう。いかが致すつもりじゃ」
輔頼は一瞬だけ黙り、太刀の柄に手を添えた。
「…許さぬ。あとで処罰する。だが今は楠予を潰す事が先だ。叔父上は、大野らが裏切った時に備えておけ」
元頼が目を細める。
「そなたは?」
輔頼の声は低かった。
「俺は本陣を出る。楠予の前衛が崩れたら、馬廻り衆を率いて突撃し、流れを決める」
「槍隊に告げろ、前衛を押し切れ。押し切れば、俺が騎馬隊で留めを打つ!」
川之江兵部が叫ぶ。
「弓隊、前へ! 槍兵、突撃準備!」
風が吹いた。
旗が鳴り、土が跳ねた。
越智軍は、勝利を確信していた。
※※
※楠予正重視点
楠予軍本陣。
陣幕は背後にのみ張られ、前方は開けている。
本陣から遠くの越智軍の動きが見えた。
源太郎の目が戦場に注がれていた。
「父上、越智勢の本陣が動きました。打って出ております」
大保木佐介が目を見開いた。
「あれは輔頼の馬印! 輔頼が、前線に出た……のか?」
源太郎が振り返り正重を見る。
「輔頼はここで決める気です! 次郎の軍が輔頼に押されております。このままでは次郎の軍が崩れますぞ!」
玉之江甚八が言う。
「大野たちは様子見を、決め込んでおります。もう待てません」
正重は地図を見つめたまま、顔を上げなかった。
風が吹き、旗が揺れている。
「佐介、部隊を率い、次郎を助けて参れ。何としても、持ちこたえさせるのじゃ」
「はっ、承知しました」
佐介は陣幕を押し分け、駆けるように出ていく。
源太郎が不安そうに。
「父上、このままでは――!」
正重は源太郎を手で制し、静かに言った。
「包囲網を完成させるのだ。大野たちを信じよ。今、反撃に転じれば、輔頼と元頼を討ち損じる。……この一戦で、志乃と正若丸の仇を討つのだ」
源太郎は繋ぐ言葉を失った。
父の声は低く、だが揺るぎなかった。
風が吹き、旗が鳴る。
その時、甚八が叫んだ。
「御屋形様! 次郎殿が、反撃に転じましたぞ! ロングボウを撃ち、越智軍に突撃しております!」
源太郎が顔を上げた。
「父上……次郎が、命令を破ったのですか!?」
甚八が続けた。
「次郎殿の狙いは輔頼かと! 馬に乗り、先頭を切っておりますぞ!」
正重は一瞬だけ目を大きく開けた。
風が地図をめくりかけた。
「伝令! 佐介に急報せよ。次郎を戻し、持ち場を守れと伝えよ!」
※※
※次郎視点
楠予軍の前線。
越智輔頼の猛攻により、土が跳ね、槍がぶつかり、怒号が飛ぶ。
次郎の隊は徐々に押されていた。農民兵が一歩、また一歩と下がり、弓兵の列が乱れかけていた。
次郎は前線を睨みながら、拳を握った。
(まずい……俺の隊が崩れかけてる。なんで俺のとこだけ、こんなに敵が来るんだよ!)
「押し返せ! 陣を崩すな、耐えるんだ!」
次郎が叫ぶと、弥八が駆け寄ってきた。
「次郎様、前衛が割れます! 矢を撃たせてください!」
庄吉が矢束を抱え、顔をしかめて言った。
「もう限界です! 撃たなければ、押し潰されます!」
次郎は歯を食いしばった。
(撃ちたい……撃てば押し返せる。だが、今撃てば御屋形様の計画が全て台無しになる! くそっ、大野たちは何をしてるんだ!)
「まだだ! 矢は温存しろ! 撃つ間隔を開けろ、狙って外すな! 一射一中だ!」
弥八が唸るように言った。
「しかし……限界です!」
その時、兄の豊作が叫んだ。
「殿! あそこに輔頼の馬印が見えます! 本人は見えません、恐らく馬から降りて指揮を取っているものかと!」
次郎の目が馬印に吸い寄せられた。
赤地に黒の三つ巴が、槍兵の列の向こうで揺れていた。
(輔頼! ……お澄様を傷つけたクソ野郎が、俺の手の届くところにいる!!)
「馬を引け! 弓隊、ロングボウをあの馬印に撃ちまくれ! 我が軍はこれより打って出る! 輔頼の首を挙げるぞ!!」
次郎は馬に駆けのぼった。
鞍に飛び乗った瞬間、背筋を張り、槍を天に掲げた。
「いくぞー!!」
「おおっ!」と兵士たちが呼応する。弓隊がロングボウを構え、矢を一斉につがえる。
次の瞬間ーーロングボウが火を噴いた。
矢が唸りを上げて飛び、越智軍の前衛と中衛に突き刺さる。
前衛の槍隊がよろめき、そのすぐ後ろの弓隊や足軽、馬回り衆にも多大な被害が出て、陣形が揺れた。
そこに次郎が突撃し、越智軍の前衛は崩れ、逃げ始めた。
(今だ……今なら、輔頼の首に届く!)
「みんな俺に続け! 突撃だぁぁー!!」
次郎は無我夢中で馬を駆り、馬印へと突き進んだ。
土が跳ね、敵兵が散る。
次郎の隊だけが戦況を逆転させていた。
次郎の部隊は突出し、輔頼の馬印がどんどん近づく。
ーーその時。
馬印のそばに、騎馬武者と重装の足軽に守られた、大将らしき人物の姿が目に入った。
「見えた……あれが輔頼か!! 皆の者――」
「次郎殿!」
次郎の声を遮り、背後から大保木佐介が兵を率いて現れた。
「戻られよ! 御屋形様の命でござる!」
次郎は振り返り大保木に叫んだ。
「輔頼の首はもうすぐだ! 佐介殿、手を貸してくれ!」
佐介が馬を寄せようとした瞬間――
「次郎様っ、危ない!!!」
弥八が悲痛な叫び声をあげた。越智軍の弓隊が次郎を狙い、矢が一斉に放たれたのだ。
空が唸り、矢が、雨のように次郎を襲う。
「ぐはっ…!」
そのうち二本が、次郎の身体を貫いた。
左の脇腹と、右の腕に、矢尻が肉を裂き、深く突き刺さる。
「ん……っぐ! クソッ!」
(い、いてぇ……嘘だろ……)
痛みが一気に広がり、次郎の息が詰まる。
力が失われ、馬上で身体が傾き、槍が手から滑り落ちた。
(俺は…死ぬ……の…か……?)
やがて鞍から滑り落ち、次郎の体は地面に叩きつけられる。
天を仰ぐ次郎の視界が揺れて見え、だんだん暗くなり、意識が揺らぐ。
(お…琴………ちゃん……泣く…………だろ……な。………ご……………め…ん………ね……)
(……お………す…………………み……………)
次郎の首がゆっくりと崩れ落ち、言葉にならない声は、途中で途切れた。
血が滲み、痛みの感覚は薄れ、風の音が遠くなる。
次郎の意識は、戦場の喧騒の中で、闇に沈んだ。




