41 作兵衛の調略
1541年3月中旬
楠予屋敷の畑
畝の間にしゃがみ込んだお琴が、土の上に並べた芋を見て目を丸くしていた。
「……いっぱい植えたね、次郎ちゃん。これで何個?」
次郎はお琴に微笑みながら、指先で土を払った。
「約二百個です。去年収穫した男爵いもを三つの籠に分けて持って来ましたが、屋敷の畑にはこれが限界です」
お琴は土のついた自分の手を見せながら笑った。
「お芋さん、みんな土の中で眠ってるのかな。残りはどうするの?」
次郎は立ち上がり、残った芋の籠を見た。まだ三百近くの芋がある。
「残りは、信頼できる農民に3個ずつ配ります。育て方も教えてありますので、食べずに増やしてくれる筈です」
お琴は目を輝かせた。
「じゃあ、次郎ちゃんと私のお芋さんが、みんなの畑に行くんだね。
すごい、すごい!」
次郎は少しだけ笑った。
お琴は畝の端に座り、土の匂いを吸い込んだ。
「……土って、がんばってるね。泣いてる芋も、きっと芽を出すよ」
その言葉に次郎が返す前、屋敷の塀の向こうから足音が近づいた。
友之丞だった。顔に汗を浮かべ、息を整えながら言った。
「次郎、急ぎだ。越智輔頼と元頼が和議を結んだ。
狙いは……恐らく俺たちだ」
次郎の表情が変わった。
「戦になるのですか? なぜ俺たちを……まさか…港が原因ですか?」
友之丞は頷いた。
「御屋形様が一門衆と重臣をいま集めている。今晩、会議を開く。
次郎、お前も来るんだ」
お琴が立ち上がった。
「次郎ちゃん、行って。お芋さんは私が見てるから!
……みんなの畑に行く前に、守らなきゃだよね?」
次郎は笑って頷き、お琴の頭を撫でた。
「お琴様はいい子ですね、大丈夫ですよ。夜までは時間があります、芋は私が鍛冶場に持ち帰り、家臣たちに頼みますから」
ーー
夜・楠予屋敷
囲炉裏の火が、炭の芯を赤く染めながら静かに揺れていた。
広間には一門衆と重臣が並び、誰もが口を閉ざしている。
空気は重く、火の音すら遠くに感じられた。
次郎は又衛兵と共に広間へ入る。
足音が畳に吸われるように静かに響き、誰も振り返らない。
「越智輔頼と元頼が和議を結んだ」
友之丞の声は低く、だが広間の隅々まで届いた。
火の揺れが一瞬止まったように見えた。
正重は黙したまま、囲炉裏の火を見つめている。
代わりに世継ぎの源太郎が口を開く。
「狙いは楠予家だ。港も、領土も、すべて奪う気だろう。
此度、我らは防御側。越智家から池田へ向かう途中にある、大影には砦を築くに適した丘がある。
ここに簡易砦を築き、迎え撃つ」
兵馬が頷いた。
その拳は膝の上で握られていた。
「地形は我らに利がある。丘の上なら、三間槍の間合いが活きる。
ロングボウも届く。……越智家が全軍で来ようが負けはせぬ」
玄馬が地図を広げた。
「越智家は北は今張の港の近くから、南は壬生川の近くまでを支配し、石高は約七万石」
玄馬が顔を険しくする。
「石高から推定するに、動員兵力は最大で二千を超える…」
源太郎が唸る。
「対してこちらは……常備兵が六百と農民兵が六百。合わせて千二百。
越智の二千には遥かに届かぬ」
友之丞が火を見つめながら言った。
「越智の主力は農民兵、農繁期に入る前に決着をつけたいはずです。
恐らく、間を置かずに動くでしょう」
又衛兵が火に炭を足した。
火が一瞬、音を立てて跳ねる。
「越智が来るなら、来ればいい。こちらの方が、兵の質も武器も上だ」
兵馬が同意する。
「そうだ、むしろこれは好機だ。金子と新居は先の戦の傷が癒えていない。後方を気にせず、越智家と戦えると言うものだ!」
正重が火を見つめたまま、静かに言った。
「輔頼は娘と孫の仇じゃ……。志乃と正若丸、二人の仇を取らねばなん」
火がぱちりと跳ねた。
その言葉に、一門衆が顔を上げた。
誰も返さなかった。だが、目の奥に火が灯った。
兵馬が低く言った。
「あれは……俺の甥でもある。志乃の子だ。……討たねばならん」
又衛兵が火を見つめながら言った。
「輔頼はお澄にも心の傷を負わせた。許す事は出来ん!」
正重は続けた。
「……勝つのは策が多い方じゃ。ゆえに、今一つ策を増やす。
元頼がかつて我らに討てと言った、
我らと国境を接する、輔頼派を味方につける」
友之丞が頷いた。
「楠河は我らの親族。きっとこちらに寝返りましょう。
ですが、高田はともかく、大野と国安は先の戦で我らに敗れ、恨みを抱いているはずです」
又衛兵が眉をひそめた。
「それは自業自得だ。あいつらは突然、輔頼に寝返り、我らに返り討ちにあっただけだ」
その声に、火がまた揺れた。
吉田作兵衛が一歩前に出る。
「大野と国安の調略は、わしにお任せくだされ!」
その声は、広間の空気を割り、一門衆の目が、作兵衛に注がれた。
「わしが楠予家に付けば、いかに得するかを説いてみせましょう。
芋は美味いですからな。……利の話は、耳に届きます」
玄馬が頷いた。
「そうだな。作兵衛殿は楠予家に入って間もない。
その作兵衛殿の言葉なら、あやつらも耳を傾けるやも知れぬ」
正重が火から目を離さず、決断を下した。
「では――楠河と高田の調略は友之丞。
大野と国安は、作兵衛に任せる」
火が静かに燃え続けていた。
その炎は、戦の始まりを照らすには、まだ小さかった
※※※
大野虎道の屋敷
「……で、何の用だ。楠予の者が、わざわざ来るとはな」
大野虎道は囲炉裏の前で腕を組み、煙の向こうから睨んできた。
隣には国安利勝もおり、無言で茶をすすっている。
吉田作兵衛は、胡坐をかきながら笑った。
「用は一つ。流れの話じゃ。……銭のな」
大野虎道が鼻を鳴らした。
「銭なら越智にもあるだろ。今張の港に近いし、関所もある。兵も出せるぞ」
作兵衛は首を振った。
「越智は関所の税を三倍にしたため、商人が逃げた。
楠予は薬を作り、港を開いた。芋も育てておる。
流れは完全に楠予にある。金子の大軍を破り、さらに壬生を討って、独立したのじゃ。兵も強い」
国安利勝が眉をひそめた。
「芋とは? 里芋の事か?」
作兵衛は笑った。
「違う。楠予の芋は“男爵いも”と呼ばれておる。
白くて腹に残る。煮ても崩れん。揚げれば甘い。
しかも、やせた土地でも育つ。水も少なくて済む。
……わしの村にも十個頂いた。三月に三つに切って三十個植えた。
六月にはその三十個が、四百個の芋になるそうじゃ」
大野虎道が目を細めた。
「十個が四百に? ……それが本当なら、確かに銭になるやも知れぬ」
作兵衛は囲炉裏の火に目を落とした。
火がぱちりと跳ねる音に、語り口が少し柔らかくなる。
「今は屋敷の宴でしか食えん。重臣だけの口に入る。……それが、まあ、えらい美味いのだ」
火の揺れを見つめながら、作兵衛は指を立てた。
「肉じゃがと言う料理があってな。薬用の牛肉と男爵いもを煮込む。
芋が汁を吸って甘くなり、口に入れるとホクホクと崩れるのだ。
噛むと、芋の甘さが肉の旨味と混ざって、舌の裏に残る。……あれは、胃にに染みる味じゃわ」
国安利勝が茶を置き、大野虎道の喉が、軽く音を立てて動く。
「それに、天ぷらじゃ。男爵いもや野菜を揚げた料理での。
衣をつけて油で揚げる。芋に塩を振ると、甘さが際立つ。
歯で衣を割ると、サクッと音がして、中はホカホカなんじゃ。
湯気が立って、芋の香りが鼻に抜ける。あれは……」
虎道と利勝が無言で、作兵衛の話しを聞いている。作兵衛は笑った。
「いや、すまんすまん。思い出したら話が止まらなくてのう。
ともかく楠予は凄い、皆が豊かになるんじゃ」
作兵衛は金の入った、腰の巾着袋を二度と叩く。
「池田の里には商人が金を落とす。楠予は金を惜しまない。
儲けた金で治水工事や道を作り、民に銭を払って働かせるのじゃ。
お陰でわしの村の民も、暇な季節に金を稼いでおる。わしに納める税も上がって、笑いが止まらんわい」
利勝が目を見開いた。
「……楠予は、民に金を払うのか?」
作兵衛は笑う。
「そうじゃ。民は喜んで働く。
ただで働かされるのと、銭を貰って働くのとでは、民の忠誠心も変わる。
銭が回れば、村も回る。村が回れば楠予も儲ける。……それが楠予のやり方じゃ。一度味方になれば、離れられなくなるぞ」
虎道が囲炉裏の火を見つめたまま、ぽつりと言った。
「……その芋、俺の畑にも植えられるか?」
作兵衛は笑った。
「植えられるとも。やせ地でも育つ。
今、寝返れば、次の宴に参加できるぞ。
……銭も、芋も、流れに乗った者の口に入る」
利勝が茶を置いた。
「……わかった。俺は楠予に乗る。作兵衛が、そこまで楠予を評価しておるのなら、いずれ越智は楠予に飲まれるだろう」
虎道も頷いた。
「俺も楠予につく。飯の話は、腹に響いたわい」
作兵衛は笑って立ち上がった。
「よし。では、楠予の屋敷に密かに名を届けよう。
宴の席はまだ空いておる。……芋の話は、まだ始まったばかりじゃ」
囲炉裏の火が、ぱちりと跳ねた。
その音は、楠予に新たな力が加わった事を告げているようだった。
タイトル変更しました。m(_ _)m




