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40 広江港

1541年1月初旬

池田の里の北東の海


朝霧がまだ海面に残る頃。

北東の浜辺には村上水軍の島吉利が、堺などから集めた人足たちが、並んでいた。


村上水軍から送られた船が、※杭材くいざいと石材を積んで岸に寄せられる。次郎と又衛兵は、その様子を高台から見下ろしていた。


義弟じろう、この港を作る銭は、壬生帯刀と広江の屋敷から押収した銭の、ほぼすべてが使われる。失敗は許されん。……大丈夫なのか?」

「俺は吉利義兄よしとしにいさんを信じてます。大丈夫、広江港の建設は成功しますよ」


次郎は風に揺れる帳面を押さえながら、浜辺を見下ろした。

杭を打ち、荷揚げ場を整え、小屋を建てるだけの簡易な港。

だが、資材だけで四十万文、人足三百人を一年間動かすには、百五十万文がかかるとされていた。

広江港の建設には一年分の予算が組まれ、完成までは早くても半年はかかると見込まれた。



次郎たちが高台を降り、人足たちの前に歩いて行くと、島吉利が指示を飛ばしていた。

「まずはくいを打つ。潮の満ち引きを見て、浅瀬の安定した区画まで一直線に延ばす。

潮流は南東、風は西寄り。荷揚げの※導線は、ここから始まる」

吉利の声に、次郎と又衛兵が頷いた。


吉利は次郎たちに気が付いた。

「人足は現在150。さらに追加で150人の人足を集めている。

 今週中には倍に増やせるだろう。まずは簡易港の基礎を固める」


浜辺では、吉利の家臣が声を張っていた。

「杭打ち班、南端から! 石積み班、荷揚げ場の基礎を急げ!」

木槌きづちの音が潮風に混じり、浜に響く。

杭が一本、また一本と打ち込まれ、海と陸を繋ぐ線が少しずつ形になっていく。


次郎は浜へと歩を進めた。

その足元には、まだ湿った砂と、未来の制度こうえきの土台が広がっていた。


(まずは接岸点だ。※潮位ちょういと風向きの観測を続けながら、小型船が荷揚げする場所を作る。

いずれは五メートルぐらいの深場まで※桟橋さんばしを延ばす。そうすれば大型船が寄港よこうできる)


※※


2月初旬

国分寺城 越智輔頼


障子の向こうに、冷たい風が吹いていた。

国分寺城の評定の間には、炭火の香りがわずかに漂い、重臣たちの息が白く揺れている。


越智輔頼は上座に座し、火鉢に手をかざしながら帳面を見つめていた。

古谷宗全が、静かに口を開く。

「殿。ここ数か月、関所から上がる税が増えております。

寒さの中、これは喜ばしいことです」


宗全は帳面を広げ、墨の数字を指でなぞった。

川之江兵部が腕を組み、火鉢の炭を見つめながら応じる。

「兵を動かすには金が要る。税が増えるのは、良いことじゃ。

……だが、寒さの中で商人が動くのは妙な話よ」


桜井道兼が眉をひそめ、懐から小さな包みを取り出した。

畳の上に置くと、乾いた香りがふわりと広がった。


「お前たち知らぬのか。関所の税が増えたのは、商人が池田の村へ向かっておるからじゃ。

楠予家が、万能薬を作ったそうじゃ。これだ」

包みを開くと、薬草の香りが評定の間に広がった。


「頭痛、咳、腹痛に効く。評判の薬じゃ。わしも使ってみたが、頭痛が治った。

これが、たったの一包いっぽう六十文で売られておるのじゃ」


兵部が鼻を鳴らした。

「……香りは悪くない。だが、薬で評判を取るとは、楠予も随分と商人じみてきたな」


宗全は眉をひそめながらも、薬包を指でつまんだ。

「六十文で痛みが取れるなら、民が銭よりも薬を選ぶのは道理でござろう」

輔頼の目が細くなり、桜井をじっと見た。


だが、徳重家忠が静かに口を開いた。

「桜井殿の申すことはまことです。我が家が親しくしている商人から、評判の薬だと聞きました。

実際、薬を贈られました。咳が止まったと、母が喜んでおりました」


輔頼の顔が、怒りに染まった。

「……おのれ楠予め! 封鎖じゃ。今張港から池田へ向かうには、越智領を通らねばならん。誰も通すな!

元頼にも、封鎖に協力しろと言え」


宗全がすかさず進言した。

「殿、封鎖は民の反発を買いかねません。

関所の税を二倍にしてはいかがでしょう。薬を買いに来る者から、しっかり銭を取るのです」


兵部も頷いた。

「確かに。封鎖では民の恨みを買う。関所の税も入らなくなる。

ならば、通すは通す。だが、通すには代償を払わせる」

輔頼は立ち上がり、帳面を睨みつけた。


「……分かった。関所の税は三倍に上げろ。元頼にも協力させろ。

やつの関も三倍の税を取れとな!」

障子の外で、風が一陣吹いた。


桜井が頷く。

「楠予を苦しめるためなら、元頼も協力しましょう」


輔頼はその言葉に答えず、ただ帳面の墨を睨んでいた。



※※


1542年2月下旬。

簡易港の約6割が完成し、広江港の形が見え始めた。


杭打ちの音が、潮風とともに浜に響く。

石積み班は、潮の引いた瞬間を狙って荷揚げ場の基礎を固めていた。


人足たちは、島吉利の指示に従い、南端から順に杭を打ち込んでいく。


次郎は、記録板に目を落とした。

潮位ちょういは安定している。風向きも変わらず西寄り。

導線どうせんは確保された。今は、簡易港を完成させる事だけを考える。


「※火床ほどはここ。倉庫は、潮が届かぬ位置に。

まずは、荷を下ろせる場所を作る」


又衛兵が頷き、人足に声を掛ける。

「大型船から直接荷を降ろす、※延伸えんしんは後だ。今は簡易港を完成させるぞ。杭と石だけに集中しろ」


声は浜に響いたが、又衛兵の胸の内は静かではなかった。


越智家による関所の値上げが、商人たちの不満を溜めていた。

 流れは止まっていない。だが、池田の酒場に落ちる金の量は、目に見えて減っていた。

酒場の帳簿を見たとき、又衛兵は背筋が冷えた。

商人が減ったのではない。滞在が短くなったのだ。

薬を買い、荷を積み、すぐに出ていく。

制度しくみが動き始めた証でもあるが、港が未完成のままでは、流れが鈍るかもしれない。


「悪影響が出る前に、港を完成させねばならぬ。

今、杭を打ち損じれば、制度は崩れる。潮も、風も、商人も、待ってはくれぬ」


又衛兵は浜の端に立ち、杭の列を見つめていた。

その先には、まだ海しかない。

だが、酒場の帳簿には、すでに“減り始めた銭”が記されている。


義兄上あにうえ、焦っておられるのですか?」

次郎の声が背後から届いた。

又衛兵は振り返り、少しだけ口元を引き締めた。

「……焦ってはおらぬ。だが、潮が待たぬように、商人も、待ってはくれぬ。

港が未完のままではな」


次郎は杭の列を見渡し、記録板に目を落とした。

潮位は安定。風向きも変わらず西寄り。導線は確保されている。


(これなら火床は仮設でも、荷は下ろせる)


「中型船までなら、接岸は可能です。

荷揚げ場は仮設でも、導線は通っている。……試運転を始めましょう」


又衛兵が目を見開いた。

「試運転……か?」

次郎は頷いた。

「はい、※三艘さんそうまで受け入れましょう。火床は仮設、倉庫は限定使用です。」


「ですが回転率を上げるために、船荷を下ろしたら、一度船には岸から離れて貰います。荷物が届き、積み込み準備が出来た船から、再び接岸してもらいます」


又衛兵が感心する。

「流石は俺の義弟おとうとじゃ。考える事が人とは違うわ。わっはっは」


次郎は記録板に新たな線を引いた。

それは、海から陸へと続く、仮設の導線だった。


又衛兵はそれを見て頷いた。

「商人に告げよ。広江港は、試験的に開かれたと。

直接の荷揚げは中型船まで。火床は仮設。倉庫は限定使用。

だが……これで新たな流れを作れる」


次郎は杭の先を見つめた。

制度しくみは、動きながら形になる。

ならば、今こそ動く時だ」


風が浜を抜け、杭の列を揺らした。

その先には、まだ海しかない。

だが、広江港は、すでに“新たな制度の入口”として動き始めていた。


※※


1542年3月初旬。

国分寺城・越智輔頼


帳面が叩きつけられた音が、炭火の静けさを裂いた。

「なんだこれは……楠予家が港を開いたと申すか!!」


越智輔頼の声は怒りに満ち、火鉢の炭が揺れるほどの熱を帯びていた。


古谷宗全が静かに頷いた。

「はい。名は広江港。接岸は三艘までです。ですが、効率よく荷の積み下ろしがされているとか」

徳重家忠が付け加える。

「そのせいで商人は関所を通らず、船で直接、楠予領へ向かっております」


川之江兵部が眉をひそめた。

「……関所の収入が、8割減っております。

このままでは、兵の動員にも支障が出ます」


桜井道兼が地図を見る。

「商人の流れは止まっておりません。

ただ、落とす銭の場所が変わった。関所ではなく、広江の港へ。

薬の流通も、港経由に切り替わりつつあります」


輔頼は立ち上がった。

その目は、帳面ではなく、壁の向こう――楠予の地を見ていた。

「……おのれ楠予め。港などと小癪な真似をしおって、我が関所を腐らせるつもりか!」


宗全が口を開いた。

「殿、元頼との関所の協力はまだ続いております。

今の楠予家を潰すには、さらに元頼と停戦し、共に――」

「それで構わぬ!」

輔頼の声が評定の間を揺らした。


「元頼と手を組んででも、楠予を潰す!」


川之江兵部が一歩前に出た。

「戦の準備は可能です。

ただし、港や池田の里を破壊すれば、民の反発は避けられません」


桜井が静かに言った。

「さよう、民は楠予の薬を求めております」

輔頼は火鉢を睨みつけた。

「ならば、民ごと焼き払え。

越智から利益を奪う港も村も、存在する価値など無いわ!」


宗全は帳面を閉じた。

「……では、元頼との和議を進めます。

楠予家を潰すための、戦の段取りをします」


輔頼は頷いた。

「戦じゃ。越智が本気を出せば楠予など一捻りよ!」


障子の外で、風が一陣吹いた。

その風は、遠い広江の港から吹いてきたように感じられた。


杭材くいざい。地面に打ち込んで構造物を支えるための棒状の資材のことです。

※導線。この物語では人や物を誘導する経路の意味とさせてもらってます。

※木槌――木でできた打撃具。金属を傷つけずに叩けるため、鍛冶場や建具の調整に使われる。

桟橋さんばしは、船を横づけして、人の乗り降りや貨物の積み下ろしができるように、陸から海に突き出して造られた構造物のこと。


火床ほどとは、火を焚くための設備や場所。囲炉裏や鍛冶場の炉などを指す

港での用途:

• 荷揚げされた薬草や魚介類をすぐに乾燥・加熱処理するための炉

• 制度的には、物流と加工を接続する“熱の起点”

• 風向き・潮位・導線を考慮して、安全かつ効率的な位置に設置する必要がある


延伸えんしんは、今あるものをさらに「のばす」こと。時間・距離・構造などを延ばすときに使います。


潮位ちょういは、海面の高さを示す言葉である。

特定の基準面から測定され、潮の満ち引きによって変化する。

これを観測することで、船の接岸、港の設計、漁業を行うための制度しくみづくりが可能となる。


導線どうせんとは。

→ 人や物が自然に動く経路・流れのこと。

→ 港では、船から荷を下ろし、火床や倉庫へ運ぶまでの物流の流れを指す。


三艘さんそうは、船三隻の事。

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