03 プリン
次の日、次郎は畑の見回りや草取りを手早く済ませ、山へ向かった。
もちろん薪を作るためだ。
次郎が薪をお春さんに売りに行き、お春さんと雑談をしていると思いがけない情報が手に入った。
「村長の末の娘さんが、もうすぐ14歳の誕生日なんだよ」
お春さんがぽつりと漏らしたその言葉に、次郎の脳が静かに回転を始めた。
(村長の末娘…確か名前“お澄”)
お澄は次郎と同い年で、村でも評判の美少女だ。村長の末娘への溺愛は、次郎の耳にも入るほど有名だった。
また村長には五人の有能な息子がいて、彼らの活躍によって、この10年で村長の家が完全に村を支配する体制ができあがっていた。今や村の枠を超え、武装した地侍のような振る舞いを見せている。
(噂じゃ、今じゃ村長がその気になれば200人もの兵を集めれるらしい。もしこの村長とのコネができれば俺の出世の道が開けるかも知れない!)
「お春さん、その誕生日って、いつですか?」
「明後日の9月20日だよ。村長は毎年、何か特別な贈り物を探してる」
「けど村じゃ限界があるからね。去年は町から絹の端切れを取り寄せたって話だよ」
「今年も、何か“外”のものを探してるみたいだよ」
(町から取り寄せるほどの贈り物。プリンがそれに匹敵する…のか?)
(当然匹敵する。いや、それ以上だ。今はまだ、俺にしか作れない)
次郎はお春から3文を受け取ると急いで家に帰り作戦を練った。
(プリンを作るには卵、牛乳、砂糖が必要だ。
卵の入手難易度は高くない、牛乳は少し高い、砂糖は無理、だからハチミツで代用する。
問題はハチミツだな、ハチミツを入手するできるスキルは…。)
養蜂スキルか、野生の巣の探索スキルの二択だな…。
(養蜂はまだ無理だな、それに時間もない。ここは野生の巣の一択だな。
野生の巣なら…山の奥に入れば見つかる可能性がある)
【ハチの巣の探索スキルL1:知識Lv1】
価格:1文 (所持金6文)
効果:近くにあるハチの巣の方向がわかる。感知距離5キロ以内。
「購入!」
次郎は迷わず“ハチの巣の探索スキル”を選択した。脳に流れ込んでくるのは、野生のハチの習性、巣の構造、そして蜜の匂いを感じ取るための感覚の研ぎ澄まし方だった。
「…なるほど、風向きとハチの種類、そして音か」
ーーーー
次の日。
次郎はお春に薪を3文分売りつけてから、森の奥へと足を踏み入れた。朝露がまだ葉に残り、空気はひんやりとしていたが。耳を澄ませば、かすかに日本ミツバチの羽音が聞こえる。
(この方向だ…!)
スキルの効果で、次郎の直感が確信に近い感覚を伝えてくる。
小さな丘を越え、古木の根元に近づいたとき、甘い香りが鼻をくすぐった。
「…あった!」
木の幹の裂け目に、野生のハチの巣があった。小さな働き蜂たちが忙しなく出入りしている。
(これどうやって採るの?)
「ハチのことなんて、考えてなかった…」
次郎は急いでスキル一覧からハチミツ関連を検索する。
【ハチの巣の取り方:知識Lv1】
価格:2文(所持金8文)
効果:安全な採取方法を習得。刺される確率低下。蜜の損失率減少。
「あるじゃん、ハチ対策! これだ、購入!」
脳に流れ込んで来たのは、煙を使ったハチの撃退や、巣の構造や取り方、働き蜂の警戒行動の見分け方――まるで養蜂家の記憶をなぞるような感覚だった。
「なるほどね…煙が有効なんだ」
次郎は湿った葉と枯れ枝を集め、火打石で火を起こす。煙が立ち上ると、蜂たちの動きが徐々に鈍くなっていく。
「今だ…!」
次郎は斧の背で幹の裂け目を広げ、
慎重に巣を取り出した。
そして蜜がたっぷり詰まった巣を布に包み、
急いでその場を離れた。
(刺されなかった…! スキルってやっぱすげぇわ!)
次郎が森を抜ける頃には、太陽が高く昇り始めていた。
汗だくになりながらも、次郎は巣を抱えて家へと走った。
※※※※
1539年9月20日
村長の娘・お澄の誕生日。
次郎は雑貨屋のお春に頼み、彼女の家の竈を借りた。
家で火を使えば、豊作や家族に気づかれる。余計な詮索を避けるには、静かな場所が必要だった。
お春の家なら、誰にも邪魔されない。次郎は深く息を吐き、プリン作りに取り掛かる。
卵は家の鶏小屋から。
牛乳は、村で牛を飼っている家から分けてもらった。合計八文。
残った一文は器の購入に使い、次郎の所持金は底をついた。
蜜をハチの巣から慎重に絞り出す。
黄金色の液体が器に滴るたび、胸の奥がじわりと熱くなる。
この一滴が、すべてを変えるかもしれない――そんな予感がした。
「これが、俺が身に着けた技術…すごいな」
卵と牛乳を混ぜ、蜜を加え、器に注いで蒸す。
火加減はスキルの知識通りに調整し。
蒸し終えたプリンを冷やすため、井戸の水に器ごと浸け。
数時間後、器を取り出すと、そこにはぷるぷると揺れる黄金色のプリンがあった。
「できた…!」
次郎は一口、味見をしてみる。
「……うまい」
前世の記憶が蘇り。次郎がコンビニで買い、疲れた夜に食べたプリンの甘さが蘇る。次郎が作ったプリンはあの日のプリンに近い改心の出来だった!
次郎は井戸水で冷えた黄金色のプリンを5つ、器ごとに布で包み、村長の屋敷に向かった。
村長の末の愛娘の誕生祝いということで、村の有力者たちはそれぞれ贈り物を用意して宴に参加していた。
刺繍入りの布、干し果物、手作りの髪飾り――どれも心のこもった贈り物だ。
次郎はプリンを大切に持ち、屋敷の門の前で深呼吸をした。
(村長の娘の誕生日…チャンスは一度しかない!)
「次郎か。何の用だ?」
次郎は村長の屋敷で門番をしている、顔見知りの権蔵おじさんに聞かれた。
「お澄さまの誕生祝いの献上品を持って参りました」
権蔵おじさんは目を細め、次郎の手元の包みをちらりと見た。
「献上品…? お前が?」
「はい。俺が作りました。冷やした菓子です」
権蔵は少し訝しい目をしたが。
「ふむ……まあ、今日は祝いの日だ。通してやろう」
門が開き、次郎は屋敷の中庭へと足を踏み入れた。
庭に面した広間では、村長一家と招かれた村の有力者たちが集まり、酒と料理が並ぶ宴が始まっていた。
お澄は、淡い桃色の着物を身にまとい、髪には花の髪飾りをつけていた。笑顔で客人に挨拶する姿は、次郎に取って、まるで春の陽だまりのようだった。
布包みを胸に抱えた次郎は、庭の周囲の人々のざわめきを抜けて広間へと進む。
上座の村長に向かって一礼し、声を張った。
「村長様、お澄さまの14歳のお誕生日、誠におめでとうございます!」
村長の源左衛門は、次郎の声に振り向き、目を細めた。
「お前は誰だ……名を名乗るがよ」
「はい、村に住む百姓・満座衛門の次男、次郎と申します。
お澄さまの誕生祝いに、献上品を持参いたしました。自分で作った菓子です」
村長は少し驚いたように眉を上げた。
「菓子? お前が?」
「はい。卵と牛乳、蜜を使い、冷やして仕上げました。“プリン”という名の菓子です」
次郎は布をほどき、器を並べる。
黄金色のプリンが、陽光を受けてぷるぷると揺れた。
「なんだその怪しげなものは! まさか毒ではあるまいな!」
村長の五男・又衛兵が立ち上がり怒鳴る。
彼は二十歳にして豪勇で名を馳せていた。
「とんでもございません!
ご命令とあれば選んでいただいたプリンを、
わたくしが毒見して証明致します!」
次郎は慌てて器を指し示した。
「どれでも好きな器をお選びください」
又衛兵は俺を睨みつけながらも、器の一つを指差す。
「それだ。それをお前が半分食って毒見しろ、残りを俺が食う」
次郎は頷き、匙を手に取る。
(ここで怯んだら、すべてが終わる)
次郎は器の中の黄金色のプリンをすくい、一口、口に運ぶ。
冷たく、柔らかく、甘い。
蜜の香りが広がり、卵と牛乳のまろやかさが舌を包む。
次郎は器の半分まで食べて言った。
「……うん、とても美味しいですよ?
ご覧の通り、毒などございません」
又衛兵はしばらく次郎を見つめた後、
無言でプリンを奪い取り、口に運んだ。
沈黙。
そして――
「……う、うまい、うま過ぎる!!」
又衛兵の表情が一変して至福の表情になった。
村長が目を細め。
「ほう……又衛兵がこれほど喜ぶとは…」
村長が腰を上げ、次郎の前まで歩み寄る。
器と匙を一つ手に取り、しばし見つめた。
「プリン、か……妙な名だが、見た目は悪くない」
村長は一口食べると、目を見開いた。
「これは…美味い!!」
周囲がざわめく。
「まことにあのような菓子がうまいのか!?」
「冷たい菓子なんて、初めて聞くぞ」
「蜜を使った菓子じゃと?」
その時、お澄がそっと次郎に近づいてきた。
「次郎…私も食べていい?」
「っ! もちろんです。ぜひ、お召し上がりください」
お澄は器を手に取り、一口すくって口に運んだ。
「えっ、なにこれ……おいしい!!」
その笑顔は、まるで花が咲いたようだった。
(かわいい…)
次郎の胸が、静かに高鳴った。
「次郎くん、ありがとう。こんなに美味しいお菓子は初めて!
これ、また食べたいな!」
次郎は拳を握りしめた。
「この次郎、いつでもお作りいたします!!」
「わっはっは、よかろう。次郎ならば調理場で雇ってもいいだろう。我が家の小者見習いになるがよい」
「村長様ありがとうございます!!」
(やった、これで出世の道が開けたぞ!)